普段は見ないが「サンデージャポン」が、ロシアの状況を扱うというので、少しみていた。子どもの頃から日本で育ったロシア人が解説していたが、現在のロシアの状況が映像で示されていた。プーチンを讃える歌を広場で歌う高齢者たち、それにくってかかる若い女性(直ぐに逮捕されて連行されていった)、教室でZマークの入った紙を配られて喜んでいる子どもたち、隊列でZマークを形成する子どもたち、つまり、プーチンを熱烈に支持しているひとたちの映像だ。そして、テレビでは徹底的に、ロシアの戦争の正当性が解説され、そして、ウクライナからロシアに連れてこられたひとたちが、ウクライナで酷い目にあっていたが、ロシア人が助けてくれたと語るのを、放映しているということだった。
要するに、我々が日常見ているニュース映像とは、全く逆の「事実」を知らされている。完全に洗脳されているといってよいだろう。希望的観測ともなるが、やがてプーチンは敗北、没落するだろう。そのときに、全く逆の真実が、ロシア人たちに示される日が来る。そのとき、ロシア人たちが、どのような反応を示すのか、非常に興味深い。
しかし、これは他人事ではない。満州事変から敗戦まで、日本の新聞は、事実を報道せず、日本は勝ち続けていると国民を思い込ませようとしてきた。さすがに、日本がアメリカを相手にして勝てると思っていた国民は、多数派だったとは思えないが、ごく例外的なひとたちを除いて、国の戦争政策を批判して人はいなかった。そして、教師の多くは、「御国のために」戦争に行けと鼓舞した。
当初はともかく、さすがに、戦死者が多くなり、日本中が空爆に晒されるようになっても、日本が勝利すると思っていた人はほとんどいなくなったろうが、それでも、8月15日まで、反政府運動などは起きなかった。ロシアで反戦運動が盛り上がらないのも、不思議ではない。
さて、戦争に敗れたあと、日本人は、どのように戦争について考えたのだろうか。また現在はどうだろうか。
戦争に対する態度は、終戦直後様々に分かれたように思われる。教師の世界では、教え子を戦場に送って、多くを戦死させてしまったことを悔いて、教師を辞めた人。深く考えずに、仕事して教師を継続し、新しい方法に順応していった人。深く反省して、新しい教育を求めていった人。最後のひとたちは、「再び、教え子を戦場に送るな」というスローガンを掲げて、平和教育を探求するようになったひとたちだった。
戦後の知識人たちは、丸山真男によれば、「悔恨共同体」であり、「配給された自由」を受け入れた存在で、丸山真男から見れば、芯のない専門家と写ったのであろう。丸山真男が「悔恨」する必要がない人であったかどうかは、判断の分かれるところだが、戦後の知識人たちも、いろいろと変遷があった。戦前は強制的な「転向」が多数出現したが、戦後は自発的に近い転向現象も生じた。
気になるのは、普通のひとたちだ。おそらく、特段の反省をしたようには思われない。とにかく、戦争から解放された安堵感と、生活のために奔走しなければならないことで、一杯だったのではないかと思う。「再び、教え子を戦場に送るな」というスローガンにしても、教え子が戦場で、罪のないひとたちを殺してしまった加害者であるというよりは、戦死した被害者というニュアンスを感じる。事実、教育学の世界では、戦争で敗れたために、多数の死者をだしてしまったという「被害者性」の認識が強かったと、私は感じていた。1960年代末から70年代にかけて、学生・院生時代を送ったのだが、平和教育を被害者の観点から行う姿勢があったことを、批判的に議論したことを覚えている。米軍による空爆や原爆投下が、平和の必要性を意識させていたわけだ。
そうした認識に対して、やがて、日本の加害者性を踏まえた平和教育や歴史教育の主張がでてきて、教科書などにも若干反映されるようになった。その象徴が従軍慰安婦といえる。しかし、今度は逆に、「自虐史観だ」という非難が起こってくる。
今後ウクライナ侵攻がどうなるかはわからないが、長い目で見れば、ロシアが敗北することは明らかであろう。そして、ロシアが敗北したとき、ロシアの普通のひとたちが、真実を認識したときに、どのような反応が生じるのか、あるいは、そのときにウクライナを応援した人たちは、それに対してどのように対応すべきなのか。今から考えておく必要がある。