選択的夫婦別姓と戸籍

 ネット大衆紙「ブルーカラー」というyoutube番組がある。ウクライナ情勢を比較的詳しく紹介しているので、私は頻繁に見ているのだが、日本の政治に対しては、完全に高市支持派で、いくぶん首を傾げるようなことを述べていることがある。今日の番組では、国民民主党の支持率が急激に落ちており、その原因は、103万円の壁撤廃のような生活にかかわる主張を弱めて、選択的夫婦別姓に賛同するような主張をしているのが、マイナスになっていると分析している。そして、選択的夫婦別姓の支持が多数であるとの、間違った情報を発信していると、批判していた。そして、夫婦別姓に反対している人が7割いるという数字をあげていた。
 しかし、この説明こそ、事実を勝手にゆがめているといえるだろう。夫婦別姓と選択的夫婦別姓とはまったく異なる。夫婦別姓に反対する者でも、選択的夫婦別姓の制度に賛成する人は多くいるに違いない。最近は減少しているそうだが、選択的夫婦別姓制度の支持は7割なのである。つまり、夫婦別姓を自分は選択しないが、別姓にしたい人はそうすればよい、という考えの人が、4割いることになる。ここが重要なことだろう。
 自分の意見は違うけれども、そのように考えること事態は、ありうることだし、そういう主張の存在を認める、ということは、民主主義社会を成立させるための基本的な環境である。自分の見解以外は認めないという人が多数となったら、民主主義社会は成立しないし、民主主義が崩壊すれば、独裁政治となり、極めて一部の人の利益しか守られず、それに反対するひとにへの暴力的な抑圧が進んでいくことになる。
 選択的夫婦別姓制度への反対者は、多くが、こうした自分と反対の意見の存在そのものを許さないような、硬い姿勢が見られるのである。そして、夫婦別姓に反対が7割だから、選択的夫婦別姓にも反対というのが世論だ、などというように、事実をねじ曲げていうのである。

 さて、この「ブルーカラー」のもうひとつの主張して、選択的夫婦別姓を認めると、戸籍を否定することになるという見解を紹介し、だから、選択的夫婦別姓を認めてはならないという論理になっていた。
 ここは非常に重要なことだと、私も思う。「ブルーカラー」の主張とは反対になるのだが。「戸籍制度」というシステムを採用している国は、日本、中国(中華人民共和国)、中華民国(台湾)の3カ国しかないのである。以前は韓国なども戸籍制度を採用していたが、いまは廃止しているという。
 戸籍制度とは、国家が国民を把握する基本情報として、家族を単位とするという制度のことである。そして、家族の系統を重視することでもある。そして、現在でも、「世帯主」(かつては戸主)という規定があるように、家族に中心的な人物を設定する。非常にはっきりした現われのひとつとして、国がコロナのときのように、国民に援助金などを配付するときに、世帯主の口座に振り込まれるようになっている。このように、国が世帯主を管理し、世帯主が家族を管理するというシステム構造のために、戸籍というものが存在するのである。
 中国の戸籍の運用などをみても、また、かつての日本がそうであったように、戸籍制度は、社会的差別の温床となる。それは、戸籍そのものの本質がそうさせるのであって、偶然の産物ではない。
 したがって、民主主義国家においては、国家は国民を個人単位で管理するシステムが適切なのである。戸籍はそれに反するから、戸籍制度は、できるだけすみやかに廃止すべきものである。
 戸籍の廃止は、直接選択的夫婦別姓制度と結びついているものではないと、私は考えるが、戸籍のプラスの側面を、私はまったく経験したことがない。戸籍謄本がもっとも重要な意味をもつのは、現在では遺産相続のときだと思うが、親の遺産相続書類(たいした額ではなく、相続税も不要なので、厳密にいえば、必要ない作業だったのだが)を作成するために、ずいぶん前の戸籍まで取り寄せる必要があり、非常に大変だったという記憶がある。どんな意味があるのか、まったく理解できなかった。
 世界で日本を含めて、3カ国にしか戸籍制度はないことを、もっと認識すべきだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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