ドホナーニのボックスを購入して、モーツァルトを聴いたところで、感想を書いたのだが、その後は時間がなくてあまり聴けなかった。やっと、シューマン全曲と、幻想交響曲、そしてマーラーの5番を聴き、いまブルックナーの4番を聴いている。
シューマン、幻想、マーラー5番はいずれも、どちらかというとがっかりした。とくに幻想とマーラーは、ドホナーニという指揮者には向いていないのか、あるいは、クリーブランドとの組み合わせが悪いのか。何が不満かといえば、あまりに真面目な演奏に過ぎる感じがするのだ。
古典的なモーツァルトはとてもよいのだが、それでも、モーツァルトのときどきあるはっとするような陶酔感はあまり出てこない。私がワルター好きだということからくる、偏った好みなのかも知れないのだが。しかし、全体として、りっぱなモーツァルト演奏だ。
だが、幻想交響曲を、これほど古典的な感覚でしっかりと演奏したのは、はじめて聴いた。しかし、幻想交響曲とは、いかに夢のなかであっても、恋人を殺害し、その結果断頭台に送られてしまうという、まさに狂気の音楽である。その狂気の感覚が、ちっとも伝わってこないのだ。音符はしっかり音になっているのだが、幻想交響曲の雰囲気ではない。断頭台への行進が、まるで軍隊行進のように、どちらかというと明るい雰囲気を感じてしまう。5楽章は、まさに狂気、狂乱の舞台だが、なんとなく上品な雰囲気が漂う。
マーラーの5番も同様だ。この曲の開始は、明確に葬送行進曲なのに、ここでもそれほど陰鬱な印象をひき起こさない。2楽章は、情熱がほとばしりでる熱い音楽なのだが、これもすっきりと演奏されている。
いま鳴り響いているブルックナーは、逆に予想したとおりとてもよい。しっくりくる。
世の中指揮者はあまたいるが、ブルックナーとマーラーの交響曲全曲を録音した人は、実は非常に少ない。思いつくのはハイティンクくらいである。ブルックナー全曲を録音した指揮者は、マーラーは数曲にとどまっている。逆もしかりである。世の中の大指揮者は、(まったく当てはまらない人もいるが)ブルックナー派とマーラー派は明確に別れているといえる。
マーラーは、非常に俗界の感情を、しかも強調して描き、とくに、死の不安を音楽にしつづけた。5番もその代表だ。それに対して、ブルックナーは、最後の9番を神に捧げたように、生涯、信仰厚い、敬虔に満ちた音楽を書き続けた。ブルックナーは、教会のオルガニストをしていたし、宗教曲を多数作曲しているが、マーラーには、宗教曲は存在しない。やはり、音楽でめざしたものが、まったく違うのだろう。そして、ドホナーニは明らかにブルックナー指揮者なのだと思う。4番では、オーケストラが非常に美しく、芯のある音で鳴っている。そして、気品があり、おおげさな表現をいささかもしていない。これがブルックナーだと思わせる演奏だ。