アバドのカルメン

 アバドが最初にオーケストラの常任指揮者になったロンドン交響楽団の録音を集めたボックスを購入して、最初にカルメンを聴いた。実はアバドのオペラボックスにも入っているので、それを聴いているのだが、よかった印象なので再度聴きなおしてみたのだ。
 私がはじめてレコードで聴いたオペラが、カラヤン指揮のカルメンだった。今の人たちには想像もつかないだろうが、そのレコードにはボーカルスコアがついていた。そのころは、楽譜がついたレコードはけっこうあったものだ。そのボーカルスコアを懸命にみながら、何度も聴いたものだ。いまでも、カルメンの代表的録音だと思う。しかし、その後はCD時代になっても、カラヤンのウィーン・フィルのカルメンはなかなかCD化されず、SACDで出たが非常に高かったので敬遠。数年前にやって、レオタイン・プライスのオペラボックスに入っていたので、本当に久しぶりに聴いた。今はこういうどっしりしたカルメンはやらないだろうが、やはり、このオペラの情熱の放出ぶりはすごい。

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教育学を考える27 教育的価値1

 教科研の教育学部会で、教育的価値についての議論があったそうだ。教科研ニュースに議論の紹介が比較的詳しく紹介されている。しかし、私には、極めて基本的な問題、そもそも「教育的価値」とは何かという点は議論されていないので、不満だった。教育的価値は、教科研の戦後初期の理論的リーダーだった勝田守一の主要な主張のひとつだったから、「教育的価値」とは何かについては、議論の余地がないと考えられているのだろうか。勝田守一著作集第6巻の目次をみると、「教育的価値」という言葉がでているのは、一カ所しかない。「教育の概念と教育学」という1958年に書かれた論文に「教育的価値」という節がある。しかし、この論文においても、では何が教育的価値なのかということは、「例えば全面発達」といういい方がされているだけで、それ以上の具体的価値内容は記されていないのである。
 
 では、教育的価値とは、どういう文脈で出てくるのか。

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鬼平犯科帳 盗賊の連絡法

 前回、密偵たちと与力・同心の連絡法について考えたが、その最後に、盗賊たちのつなぎについてと予告した。ただ、それを整理していると、どうしても気になることがある。
 「鬼平犯科帳」は、もちろん創作としての小説だから、事実とは異なっているが、しかし、実在の長谷川平蔵が主人公であり、かなりの部分歴史的事実を踏まえている。実際に長谷川平蔵が扱った事件が、題材になっているものもある。だが、ほとんどの物語は作者の創作であり、実在した長谷川家のひとたち以外の人物も、ほぼ創作である。しかし、長谷川平蔵が、実際にたくさんの盗賊を捕らえたことは事実なのだが、盗賊たちのあり方についてはどうだったのだろうという疑問が残るのだ。長谷川平蔵が活躍していた時期に、江戸の街に盗賊がはびこっていたことは、事実であるし、長谷川平蔵が火付盗賊盗賊改方に抜擢されたのが、江戸の大規模な打ち壊しを鎮めるために大きな力を発揮したからだといわれている。

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日本は本当に能力主義社会か12 コネ採用 日大田中体制から

 本日(12月26日)に時事通信の記事「日大に「縁故採用」規定 職員応募、学長・監督の推薦必須 田中体制で強化」が掲載されている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/ba0fe2910f8dfe7d2fffb640a175eaa6ea49c1dc
 ヤフコメが実に多様な意見が出ていて、珍しい現象だと思う。また見出しを読むと、日大が縁故採用をルール化しているような印象を与えるが、記事を読むと、必ずしもそうではない。
 記事によると、日大の2022年度大卒職員(一般職)採用選考試験実施要項によると、応募資格は
(1)大学の長等(他大学の長も含む)により推薦された者
(2)日大競技部に所属し、優秀な競技歴を有し、かつ将来競技部の監督・コーチの後継者となることについて期待し得る者
(3)日大任期制職員(一般職)にある者で、所属部科校長等により推薦された者
 要するに推薦状が必要であるとしているだけで、推薦状を大学が発行する場合には、実際に文章を書く人がだれかは別として、推薦する名義は学部長であったりする。ただし、この記事が批判的に扱っていることは、このことではなく、以下の部分だと思われる。

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遊びと学習3

 今回は具体的にどのようなことが、学校教育における子どもの指導で、遊びと学習という観点から大事なのかを考えてみる。
 以下は、ケン・ロビンソン『創造的な学校』の最初に出てくる話だ。
 ある公立の中学は、かなり荒れていて、赴任する校長が直ぐに交代してしまうような学校だった。そのなかで、ある校長が腰をいれて実践を始めた。当初は、とにかく喧嘩をさせないことにエネルギーを注ぎ込まざるをえなかったというが、やがて、喧嘩をしなくなると、学校の勉強などは嫌いな生徒たちに対して、各人にとって重要なことを、そのまま認め、教師たちに遠慮なく没頭できるようにした。

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遊びと学習2

 人間の脳が、遊びのような活動をしているときに、最も活性化するということから考えて、学びの効果は、遊び的要素によって向上することは、容易に想像できる。かつて、優れた業績をあげた人は、その分野に取り組んでいるとき、かならず遊びの精神をもっていたに違いないのである。もちろん、そこには大きな壁を乗りこえるという苦難があっただろうが、それも楽しいこと、好きなことをやっているからこそ克服できたのであろう。
 以上のことを踏まえて、学校教育について考えてみる。各種調査によって、日本の子どもたちは、学校に楽しくて通っていることがわかっている。もちろん、いじめや不登校という問題もあるが、大多数の子どもたちにとって学校は楽しいところなのである。しかし、その楽しさは、友達と一緒に過ごせるからであり、勉強が楽しいという子どもは、極めて少数しかいないこともわかっている。本来学校は学ぶところなのだから、勉強が楽しくなければ、効果的な学習をしている子どもはわずかしかいないことは、疑う余地がない。そして、その傾向は、近年ますます高まっている。
 学習指導要領による内容規制だけではなく、スタンダードなる言葉によって、教え方、行動様式までが、ある一定のものに揃えることが志向されている。

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遊びと学習1

 子どもが遊ばなくなったといわれるが、コロナは遊びについて考えさせる契機ともなっているようだ。コロナで行動が不自由になり、遊びも制約され、家庭内でのゲームなどが増えたというようないい方がある一方、全国の学校が休校になり、学校という制約がなくなったので、子どもたちは自由に遊べるようになったという人もいる。(神代洋一「新たな子ども時代の遊びを」『教育』2022.1)そういえば、全国学校休校中、我が家の前の公園では、けっこうたくさんの子どもたちが遊んでいたように思う。ただ、それが一般的な現象だったかどうかはわからない。
 コロナとは無関係に、昔風の子どもの遊びが少なくなってきたことは、時代的趨勢として確実にいえることだろう。地域によってずいぶん異なると思うが、理由はいくつか考えられる。

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悠仁親王が筑波大付属に進学?

 文春オンライン2021.12.22に、「悠仁さまの進学先は『偏差値67』筑波大学付属校」という記事が配信された。題名だけで判断すると、筑波大付属に決定したかのようだが、記事を読むと、その可能性を示唆したような文章だ。お茶の水女子大のほうで、提携校進学への出願にゴーサインがだされたようだという、秋篠宮家関係者の談話が載せられ、筑波大学の学長を直撃したところ「可能性がある」という回答だったという。今このブログを書いている時点で、配信から50分程度経過しいてるが、コメントはまだついていない。(他のことをしていて、4時間経過したが、いまはコメントが5000近くついている。) 
 決定したのかどうかは、わからないが、その可能性があるという点で考えてみよう。
 ひとことでいえば、「合格おめでとう」と、本心から言ってくれる人など、ほとんどいないだろう。少なくとも、ずっと注目されているこの問題について考えてきた人であれば、肯定的に考えられる要素が、ほとんど思いつかないくらいである。

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安倍晋三氏の反中国発言 習近平国賓招待を決めたのは誰だったか?

 「台湾有事は日本の有事だ」などと、かなり大仰なことを発言している安倍元首相は、よほど自分の地位に危機感をいだいているのだろう。あれだけ岸田氏を後継にするといいながら、結局突き放し、9月の総裁選では高市氏当選のために全力をあげていた。決選投票では岸田氏を推薦したといっても、それまでの岸田排除からみれば、人事で安倍氏の要求を、岸田総裁が飲まないのは、ごく当たり前のような気がする。
 盟友の高市氏と一緒に、反中国キャンペーンに熱をあげている。そうやって、岸田氏に揺さぶりを掛けているのだろう。
 しかし、いくら忘れっぽい日本国民でも、習近平首席を日本に国賓として招待したのは、安倍首相(当時)だったことを忘れるわけにはいかない。国賓としての招待に関しても、自民党内でかなりの議論があった。現在でも、当時の招待に反対する記事や書き込みは、多数残っていて、簡単に見ることができる。そうした、自民党内部ですら強かった反対を押し切って、安倍首相(当時)は、招待を決定した。そして、その日程は2020年4月の予定だった。

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鬼平犯科帳 密偵との連絡方法

 鬼平犯科帳は、今の時代でいえば、「刑事もの」だから、捜査や連絡の手法がたくさん出てくる。当然、江戸時代だから、科学捜査などはないし、連絡方法も原始的だ。捜査の手法なども、ほとんど現行犯逮捕が主で、証拠を積み重ねて犯人を割り出すなどということが、かなり難しい時代だった。行方不明だった同心の源八が発見されたが、記憶喪失になっていて、行き詰まってしまう。が、発見されたとき身につけていた破れた菅笠の文字から、藤沢あたりの街道にある茶店が特定されるというような例はあるが、他はほとんどが現行犯である。盗賊と思われる人のあとをつけ、居場所と押し込み先(引き込みとの連絡から探る)を探りあてて、押し込む現場を抑えるというやり方である。これが、火付け盗賊改めの本当のやり方だったかどうかはわからないが、指紋や遺留品の科学的分析、防犯カメラなどが使えなかった時代としては、わかりやすい設定といえる。
 しかし、連絡方法については、当時でもいろいろあったに違いない。そこに活躍するのが、密偵たちである。現在でも、スパイはたくさん活躍しているわけだが、実はスパイの連絡方法やものの渡し方などは、古典的な手法もたくさん残っているらしい。だから、鬼平犯科帳の密偵たちの活動のスタイルは、考えさせることが多々ある。

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