教育の再政治化? 小玉重夫氏への疑問

 この間「教育的価値論」について、少々拘っているが、『教育』2月号に佐貫浩・佐藤広美新旧委員長の論争が出ていたので、興味深く読んだ。佐貫氏が、小玉重夫氏の論を「暴論」と決めつている文章があったので、そこから入りたい。それは
 
 「『教育的価値』概念が、『日教組系の教師たちの教育実践を支えていた民間教育運動とそれを支えていた革新系教育学も脱政治化し、教育的価値の中立性を担保する「子どもの発達」という概念が脱政治化のシンボルとなり、政治教育を促進しようという旧教基法8条2項の中立性を、教育を脱政治かするための中立性への転化させ、学校での政治教育を行うことをそれ事態を抑制させる効果を果たすことになった』という批判」を論理的に理解しがたい暴論というべきであろう。」(『教育』2022年2月号p64)
 
という文章に現れている。
 小玉氏の文章は、『岩波講座教育変革への展望1 教育の再定義』に収録されている「公共性の危機と教育の課題 教育の再政治化とどう向き合うか」という文章である。(以下の紹介はこの論文)佐貫氏の論文全体の趣旨に賛成するものではないのだが、確かに、この児玉氏の論は、理解しがたい文章である。そこで、児玉氏の検討から入りたい。

 小玉氏は、戦後の教育を3段階に区分する。
1 戦後改革から高度成長期の1960年代まで
 教育は「子どもの発達」という概念を軸に、社会の進歩を先取りする先進的な位置から社会を改革する役割をになっていた。
2 1970年代から90年代
 近代的な価値に対する疑いや批判が顕在化していく時代。大学紛争、中学校の校内暴力、不登校、高校中退の増加。教育学でも、教育神話の虚偽性を暴き、学校の支配・抑圧性を問う、不平等の再生産装置としての学校を批判的にとらえるものがあった
3 90年代後半から現在
 ポスト産業社会、ポスト近代、グローバリゼーション。教育が再政治化したととらえ、どう取り組んだらいいかを問題としている。
 佐貫氏が問題としているのは、1期の把握であろう。
 
 第一期を戦後改革から50年代と位置付けることは、少なくとも、これまで教科研ではまずみられなかった時期区分である。小玉氏が教科研のメンバーかどうかはわからないが、現在では、少なくとも常任委員ではない。だから、異なる視点を提示しても不思議ではないが、ここまで異なると、佐貫氏とは対立的にならざるをえない。
 もう少し小玉氏の主張をみよう。氏によれば、これまでの見方では、1950年代を、文部省と日教組の保革のイデオロギー対立の時代とみていだが、実は、それは単なるイデオロギー対立であり、脱政治化の時代だった。そして、脱政治化はイデオロギー対立から生まれたという。保革対立と見るのを、小玉氏は「逆コース史観」と呼んでいる。そして、戦後改革を民主的と位置付け、朝鮮戦争以後を逆コースとする認識し、その基礎には、リベラリズムと講座派マルクス主義の影響があったとする。そして、この時期の教育運動は、勝田を中心に、「教育的価値の中立性に依拠したリベラルな教育学が台頭し、それが教育学や教育実践の脱政治化を促していった。教育的価値の中立性を担保する理論的鍵が「子どもの発達」だったと分析する。そして、脱政治化の具体例として、旧教育基本法8条の空洞化をあげている。
 この時代認識については、佐貫氏ならずとも、かなり疑問をもつだろう。私も、不可解に思う。他の論文で、以下のような疑問については詳細に書かれているのかも知れないが、上記岩波講座の論文では、この程度の説明なので、まるで文部省と日教組が対立していたにもかかわらず、同じ穴の狢のように扱われている。ともに脱政治化の方向で共通していたという。通常、小玉氏のいうリベラル派からすると、戦後改革は、1951年以降の逆コースによって、時代が変化したと把握される。戦後改革がどれだけ民主主義の名に値したかは、検討の余地があるとしても、軍国主義的要素を断ち切って、民主主義的教育を作っていこうという姿勢があったことは間違いないだろう。それが、朝鮮戦争以降の戦後改革の清算によって、学校や教師の自主的な実践の奨励から、国家管理に移行させようと、文部省の行政が変化した。その象徴が、「参考資料」であった学習指導要領が「法的拘束力」となったことである。 
 しかし、小玉氏によると、こうした対立があったが、実は、脱政治化という時代の性格ともなるべき事態を生み出した共通基盤の勢力だったことになる。
 小玉論のもっとも分かりにくい点は、「政治」「脱政治」がどのような意味をもっているのかという点である。通常、政治とは、権力を行使して、みずからの価値観の実現を図り、抵抗する者は従属させるという過程のことだといえる。そういう意味で、文部省は、教育現場を従わせようとしたのだから、大いに「政治的」であり、脱政治化などとは正反対であったとみるほうが、事実に違いのではなかろうか。
 では、勝田の教育的価値論が、そうした中立性および脱政治化のための議論であり、その理論的鍵が「子どもの発達」であったという点はどうか。小玉氏が、現在、再政治化の状況になっているということの例として、旧教育基本法8条の政治的教養の尊重が、18歳選挙権の実現によって、復活していることをあげていることから考えれば、政治的主体の形成をもって、「政治化」ととらえていると理解するのが自然だろう。では、「子どもの発達」を鍵とする教育的価値論は、政治的主体に対して、否定的であったのか、という点は、勝田の旭ヶ丘中学の実践分析をみればわかるように、むしろ、政治的主体として育てることを、明確に肯定的に見ていた。小玉氏が、多様な見解を批判的に吟味して、政治的主体として自己形成できるような教育を、シティブンシップの名の下に構想しているが、同じ理屈で「政治的主体の発達」という観点を、勝田がもっていたことを否定することはできないのではないだろうか。
 そして、イデオロギー対決と単純にはいえないと思うが、こうした「子どもの発達」という視点は、決して、文部省と共有する「脱政治的」概念ではなく、文部省と鋭く対決する概念だったし、そうした実践を積み上げようと、教育運動は努力していたのではないか。だからこそ、文部省は、実際に、8条を無効にする通達を発する以前から、旭ヶ丘中学を弾圧するような、政治教育の抑圧をしていたのであり、教育運動がそれを追随していたとはとうていいえないのである。
 
 小玉氏の問題は、それだけではない。現在の見方も大きな問題をもっている。
 小玉氏は、再政治化の契機として、選挙権年齢を18歳に引き下げたことによって、高校生の半分が選挙権をもつことになり、これまでの、高校生の政治活動を禁止する通達を撤回せざるをえなくなり、むしろ積極的に政治的な教養のための教育を奨励するようになった。そして、シティズンシップ教育を実践するための環境が整うことになったと位置付ける。
 選挙権を18歳に引き下げたことは、歓迎すべきことであるし、そのことによって、文科省の政治的教養の教育に変化が生じたことは事実である。しかし、何故自民党が、選挙権の引き下げに踏み切ったのか。自民党という政党が、国民の人権を尊重して、人権の拡大をするとは、私には思えないのである。もし、そうなら、何故これまで頑なに、欧米で当たり前の18歳での選挙権を認めてこなかったのか。2015年になって、しかも、極めて保守的な政治家である安倍内閣が、それを決めたのか。私は、近年の若者が、圧倒的に政治的には、現状維持的になったことの認識がそうさせたと思っている。現在、高齢者の投票率が高く、いわゆる革新政党の支持率は高齢者において高い。若者が保守的になったばかりではなく、ネトウヨ傾向や、ヘイトスピーチ、そして、自己責任論など、高齢者よりは若者のほうにその傾向が強い。従って、安倍内閣は、安心して、選挙権の引き下げを実行したと考えるのが、妥当だろう。従って、その結果政治教育がさかんになれば、ともすれば、批判精神をもった民主的政治主体が形成されるよりは、むしろ草の根ファシズムの担い手が形成される可能性のほうが強いというべきだろう。だからといって、選挙権の18歳を否定するものではないし、また、政治的教養の重視は肯定させるべきだ。だが、本当に、様々な観点から批判できるような政治主体を育てるためには、十分な見識をもった教育が必要であり、しかも、それは弾圧される危険もあることを、認識しておく必要がある。小玉氏は、そこには、あまりに楽観的ではないかと思わざるをえないのである。
 そして、現状に対する過度の楽観論から、「逆コース史観」なるものを規定して、当時の教育実践の批判をすることについては、強い疑問を感じざるをえない。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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