トマス・シッパース 不当に低く評価された指揮者2

 トマス・シッパースの名前は知っていたが、ほとんど注目することなく、ほぼ最近まできた。注目したきっかけは、1967年に日本で開催されたバイロイト引っ越し公演(といってもオーケストラはNHK交響楽団)の録音が発売され、ブーレーズ指揮の「トリスタンとイゾルデ」は以前発売されていたが、もうひとつの演目であった「ワルキューレ」も発売され、その指揮者がトマス・シッパースだったことだ。しかも、どうやら、シッパースはN響とおおげんかをしたらしく、オケ団員から総スカンをくったと書かれていた。しかし、HMVのレビューでは、シッパースのほうがずっとブーレーズよりも、オペラ指揮者としては経験豊富で、演奏も灼熱的な名演だと書かれている。更に、この来日をきっかけに日フィルとも演奏会が行われ、それが非常に優れた演奏で、当月のベスト演奏会になったとも書かれていた。何か小沢征爾事件を思い出させる内容だ。小沢征爾もN響にボイコットされ、日フィルが救いの手をさしのべ、マーラーの復活で圧倒的な演奏を行ったとされている。おそらく、二人とも若手で、人間的にもきさくな性格、社交的だったのではないだろうか。N響はドイツ風の重厚な指揮者を好み、シッパースや小沢はちゃらちゃらしているという感じで嫌悪したのではないかと思われる。しかし、それは完全にN響にとってマイナスだった。小沢はその後50年間、N響を一度しか指揮しておらず、その一度も、メインプログラムがロストロポーヴィッチ独奏のドボルザーク「チェロ協奏曲」だった。いかにも、ロストロさんのために一肌抜いただけだ、という感じだった。そのときのN響のある団員の言葉を、よく覚えている。「私たちは、はじめて世界的大指揮者の指導を、日本語で受けることができた。」もっと頻繁に、日本語で大指揮者によって指導されていれば、ずいぶんとN響も変わったに違いない。

 トマス・シッパースについて注目して調べてみると、とにかく、若いころからすばらしい経歴をもっていた。21歳でオペラを正式に指揮して、23歳ではメトロポリタン歌劇場で指揮をするようになり、その後頻繁に登場する。現在、メトロポリタンでのライブCDが多数入手できるようだ。こうした若いころからトップクラスの歌劇場で、日常的に指揮をするなどということは、希有のことだ。指揮を学んでいる学生でも、オーケストラを実際に指揮する機会などは、極めて限られている。シッパースは幸運に恵まれたのだろう。10代半ばから、自分のオケ(ユースオケだが、極めてうまい)をもったドゥダメルと同じような環境を与えられたのだといえる。今回紹介するシッパースのオペラ全曲録音も、すべて30代のものであり、しかも、メジャーレーベルであり、出演している歌手はトップクラスのひとたちである。そして、指揮は若さより、老練ささえも感じさせるものだ。やはり、歌劇場での経験がものをいっていたのだろう。しかし、本当に残念なことに、47歳という若さで癌で亡くなってしまう。大指揮者とみなされるのは50代からだから、その前に亡くなったにもかかわらず、残れた録音は、みな大家のように巧みな指揮ぶりだ。
 シッパースも、個別に購入したものはなく、ボックスセットのなかにはいっていたものばかりだ。
 プッチーニ「ボエーム」、ベルディ「エルナーニ」、ビゼー「カルメン」、ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」である。
 
ボエーム
 はじめてトマス・シッパースという名前を知ったものだった。たぶん私が高校生のときに発売されて、既にセラフィン、テバルディ、ベルゴンツィのレコードをもっていたので、買うことはなかったのと、フレーニのミミには注目したが、シッパースという指揮者はまったく知らなかったので、あまり興味をもたなかった記憶がある。
 そして、EMIからプッチーニボックスのCDが発売されて購入したときに、この「ボエーム」が入っていたので、それで初めて聴いた。そのときには、現在のシステムではなかったせいか、あまり印象が残らなかったのだが、今回改めて聞き直して、そのすばらしさに感心した。フレーニのミミは当然として、シッパースの指揮が実にいいのだ。場面場面の強調点や波の置きかたが、実に適切だ。ボエームの出だしは、あまり聴き込んでいない人にとっては、けっこう退屈な場面がつづく。それをシッパースは快適テンポで飛ばして、退屈さを和らげる。そして、ミミが登場して、しっとりした場面になると、たっぷりと叙情性を利かせる。
 ロドルフォの「冷たい手」は、最高音のCに向かって登っていくが、これをたっぷり歌わせると息切れしてしまい、Cを長く伸ばすことができなくなる。登る部分はテンポを速めにとり、そして、Cに到達すると、十分に伸ばすのである。こういう歌手との呼吸のとり方が実にうまいと感じた。2幕以降も、そうした配慮をいたるところで感じさせ、歌手たちが心地よく歌っているのがわかる。シッパースは、生粋のオペラ指揮者なのだ。
 主なキャストは次のとおり。
ロドルフォ:ニコライ・ゲッダ
ミミ:ミレッラ・フレー二
マルチェッロ:マリオ・セレーニ
ショナール:マリオ・バジオラJr.
コッリーネ:フェルッチョ・マッゾーリ
ブノワ:カルロ・バディオーリ
アルチンドロ:パオロ・モンタルソロ
ムゼッタ:マリエッラ・アダーニ
 戦後最高のミミ歌いであるフレーニにとっての、最初のミミの録音だから、実に初々しい。しかも、カラヤンとの共演による、歴史的なミラノ・スカラ座での上演の前だ。音楽的表現力では、カラヤン、パバロッティとの共演が多少上まわっているが、ここでのミミらしい可憐さは、比類がない。
 ロドルフォのニコライ・ゲッダは、すばらしい歌を聴かせるのだが、私の趣味には合わなかった。ゲッダは、戦後を代表する偉大なテノール歌手だと思うが、基本的には知的な雰囲気の役が似合う。ところが1960代までは、トップクラスの歌手は、声にあわない役も歌っており、そのために歌手寿命が短かった。ゲッダは、マルチリンガルの語学力をいかして、様々な言語のオペラを歌うことができたが、やはり、後の歌手に比べると、最盛期を過ぎるのも早かったように思う。
 ゲッダに向いていると思うのは、「魔笛」のタミーノとか、グノーのファウストなどだ。ロドルフォのような、はみ出し気味の詩人・芸術家は、どうしても知的抑制力が働いてしまうような気がする。ドン・ホセ(カルメン)、ピンカートン(蝶々夫人)なども、激しさや能天気さがあまり出てこないのだ。しかし、りっぱなロドルフォであることは間違いない。
 マリオ・セレーニのマルチェルロは、マリエッタ・アダーニのムゼッタも魅力的だった。
 以前は、ボエームは、セラフィン盤とカラヤン盤があれば、他はいらないと思っていたが、もちろん、これに及ぶ演奏はいまでもないと思うが、他にも素敵な演奏がたくさんあると思うようになった。このシッパース盤もそのひとつであることは間違いない。
 
カルメン
 このカルメンは、とにかく異色というか、かなり特異な演奏だ。バーンスタインのカルメンも異様だという話だが(実は聴いたことがないし、聴く気にもなれない。)アメリカ人が指揮すると、と思ってしまうが、シッパースの指揮はまともだ。特異な情感を生みだしているのは、もっぱらドン・ホセ役のデル・モノコだ。
 オペラ録音に参加しているスイス・ロマンド管弦楽団のは、非常に珍しい。私は他に例を知らない。
 マリオ・デル・モナコ(ホセ)
 レジーナ・レズニク(カルメン)
 トム・クラウゼ(エスカミリオ)
 ジョン・サザーランド(ミカエラ)
 これは、極めて独特な演奏だ。録音は1963年。
 デル・モナコのドン・ホセは、好きにはなれない。やはり彼は、強靱な神経の持ち主で、まわりを支配しなければすまないような人物像が似合っている。オテロはその典型だし、パリアッチのカニオもそうだ。ところが、ドン・ホセはちょっと違う。カルメンに引きずられ、身を持ち崩してしまう。許嫁のミカエラにはとにかく優しい。ところが、デル・モナコのホセは、ミカエラにも、カルメンにも命令口調なのだ。そして、テンポを煽る。シッパースはよくそれについていっているが、この二人は内心どう思っていたか、けっこう衝突があったのではないか。もっとも、シッパースは若干33歳だから、デル・モナコがリードしていたのだろう。なんといっても、世界的大スターだから。しかし、そういうデル・モナコが、迫真の歌唱をするところがある。カルメンによりを戻そうと懇願したあと、拒絶されて殺害を決意するあたりからだ。ここでは、カルメンを押さえつけて、最後には刺し殺してしまうのだから、デル・モナコの得意の場面といえる。ここだけは、他のドン・ホセを寄せつけない。
 レズニクのカルメンは、とてもすばらしい。私は、カラヤン盤のレオタイン・プライスよりいいと思った。もっとも、カラヤン盤は、もともとRCAビクターとデッカの共同制作で、プライス売り出しの一環だったし、プライスはカラヤンがウィーンに抜擢した歌手だから、彼女の採用は規定路線だったのだが。
 トム・クラウゼのエスカミリミは、堂々として、いかにも勇敢な闘牛士であり、文句ない。問題はやはり、サザーランドのミカエラだ。前にも書いたが、ミカエラという役は、大歌手が歌うと不自然で、ミカエラの純情さや必死さがでない。サザーランドは大歌手といっても、線の細い声だから、ミカエラに向いているのだが、なんといっても、懸命さよりは、貫祿が覗いてしまうのだ。
 スイス・ロマンド管弦楽団がなざ起用されたのかはわからないが、一応、ジュネーブ劇場でのオペラ上演に参加するオーケストラなので、不自然ではないが、正直あまり上等な演奏とはいえない。そういう中で、シッパースは、非常に細かく表情つけをおこない、モナコの暴走にもしっかりとつけていく技術は、既に高いものがある。
 
ランメルモールのルチア 
 「ランメルモールのルチア」は、聴くといい曲だなあと思うのだが、どうもあまり全曲を聴き通すことがほとんどない。モーツァルトやベルディ、プッチーニのように、ドラマが進展し、音楽がドラマを追い立てるような構成と違って、歌が始まるとドラマが止まってしまうのだ。さあ、これからは歌ですよ、という感じで、確かにその歌は魅力的な音楽の連続なのだが、数曲聴くと、十分だという感じになってしまうのだ。しかし、この盤は、シッパースの文章を書くという目的もあったが、シッパースの指揮が、それでもドラマを感じさせるものなので、聴き通した。
ベバリー・シルズ(ルチア)
カルロ・ベルゴンツィ(エドガルド)
ピエロ・カプッチルリ(エンリーコ)
オーケストラはロンドン交響楽団だ。
 最近は、映像で評価の高い演奏がいくつもあるが、1970年のこの録音までのものでは、カラスとサザーランドの盤が双璧とされていた。その後グルベローバなどがあるが、この盤が特に目立って評価されることがないのは、シッパースとルチアのシルズの知名度によるものだろうか。とにかく、高度なコロラトゥーラの技法を駆使して歌う必要があるので、特別なテクニックをもっていないと歌うことができない。そして、勢いそのテクニックのほうを注目しがちで、なにか、人間ではないような声を感じさせる、あるいは、そこまで達していないと、満足しないような傾向がある。事実、サザーランドのルチアを聴いていると、人間が歌っているのかと一瞬疑いが生じるほどだ。サザーランド自身が、そうしたテクニックを誇示しているようにも感じる。
 それに対してシルズのルチアは、とても人間的な感じがする。声も澄んできれいだし、コロラトゥーラもしっかりとしているが、コロラトゥーラのすごさに関心が向くよりは、そこで歌われる「音楽」そのものに惹かれる。もちろん、サザーランドのルチアは圧倒的だし、すばらしいが、シルズはまったく違う路線で、とても美しい歌だ。
 ベルゴンツィやカプッチルリが悪いはずもなく、オケもすばらしいので、これは、もっともっと高く、ルチアの代表盤のひとつと評価されてよいのではないだろうか。
 
 さて、何故トマス・シッパースは、日本でほとんど評価されなかったのだろうか。
 上記の録音は、一部には高い評価を獲得していたと思うのだが、どうも、「指揮」ではなく、歌手たちに注目が集まり、とにかく若手であった指揮者シッパースは、単なる伴奏者のようにみられたのではないか。23歳でメトロポリタン歌劇場で指揮を始めたのだから、コンクールなどに出る必要もなかった。そして、当時は日本でのオペラファンは少なかったし、評論家もオペラを深く理解しているひとは少なかったのではないだろうか。シッパースの活動の中心は圧倒的にオペラだった。アメリカ生まれの指揮者としては、バーンスタインと並ぶ存在だったといえる。仲もよかったらしい。とにかく、早い死が残念だ。
 指揮者が巨匠と評価されるようになるのは、50代になってからが普通だから、47歳で亡くなったシッパースは、カラヤンやクライバーの40代までの活躍に比較して、けっして劣るものではなかったと思うが、巨匠と評価されるまで生きることはできなかった。本当に残念だ。「エルナーニ」はまだ全部は聴いていないが、全部聴くつもりだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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