悠仁親王の高校進学問題は、いよいよ受験シーズンに突入して、ますます大きな話題となっている。これだけ、世間に晒させてしまったという点で、両親の責任は重いといえる。
題名のように、皇室特権という言葉で、語られていることが多い。秋篠宮は、本人のいきたいところに行かせたい、と語っているらしいが、そもそも受験の世界では、本人のいきたいところに無条件でいけるわけではない。いきたいという希望は大事だが、世間には「試験」という関門がある。まるで、秋篠宮のいい方は、「関門」は自分たちには存在しないと思っているかのようである。確かに、「学者」のなかには、皇族は行きたい学校にいけるという特権がある、と主張している人もいるらしい。
では、どうなのか。
結論をいえば、そんな特権は、どんな法令・規則にも書かれていないはずである。確かに戦前は、皇族は学習院で学ぶことが規定されていた。学習院は、天皇家のための学校として出発したのだから、皇族や華族が特別な地位を占めていた戦前においては、それは当然のこととして受け取られていたに違いない。
しかし、戦後は皇室に関する規則が変わって、私が知る限りは、皇族が学ぶべき学校が、法令・規則などで決められているわけではなく、自由である。しかし、伝統的に、学習院は、無条件に皇族を受け入れてきたようだ。特に学習院の小学校に入らなかったのは、悠仁親王が初めてである。大学はICUだった真子・佳子内親王も、高校までは学習院で学んだ。しかし、それは「伝統」であって、もしかしたら、学習院側で断ることもありうる。実際に、真偽はわからないが、悠仁親王の高校入学に際して、学習院からは断られたという情報もある。規則上、断ることができないならば、そうした情報もでないに違いない。それにもかかわらず、皇族が、学習院に入学する意志を示せば、学習院が断ることは、ないと私は解釈している。
問題は、学習院以外の学校における「特権」である。もちろん、そんなものは存在しない。とするならば、他の学校に入学したい場合には、一般国民と同じように、入学試験を受けるべきである。(公立小中学校は、ここでは除外する。皇族が一般の公立小学校に入学するケースは、これまでないし、想定しがたいが、実際に現れたら、無条件に指定の学区の学校に入学することができるはずである。)これまで、学習院以外の学校に入った皇族も、どの程度実質的なものであったかどうかは不明だが、形式的には、決められた形の試験を受けたはずである。
とこが、悠仁親王は、幼稚園入学から、極めて異例のはいり方をした。これらは、特権によってそうなったのではなく、「政治」によって実現したと考えるのが妥当だろう。つまり、確かに「特別」な地位にあった皇族という立場を利用して、紀子妃が働きかけ、一般人とは異なる「道」をつくらせた。そして、その特別な道を通って入園したということだ。それは、皇族として認められた正規のルートではなく、地位の悪用というべきことだった。具体的にはどういうことだったのか。
もともと、お茶の水女子大付属幼稚園は、「抽選」と「行動観察」「面接」のみっつの組み合わせて選抜を行うこと、親の送迎が条件で、公共交通機関を利用すること(つまり車の送迎は不可ということだろう)、幼稚園から半径3キロ以内に居住していること等の制限がある。
しかし、悠仁親王は、これらの条件のほぼすべてに反しているにもかかわらず、合格している。
もちろん、車で送迎されているだろうし、私が測定したところ、3キロ以内に居住していない。そして、3日かかる選抜であるのに、抽選は免除され、(実は抽選が最も厳しいのだ)訪問した即日に合格している。紀子妃がお茶の水女子大で心理学を研究していることから、一般入園とは別枠として、大学が前年創設した女性研究者を支援する特別入園制度を利用したが、その制度での入園は悠仁親王が最初であったし、また最後だったらしい。つまり悠仁親王のためにつくらせた「特別制度」なのだ。
入園したときのブログや報道をみると、非常によい選択をしたと、歓迎する文章が圧倒的である。お茶の水女子大で研究員をしていたために、その職員枠を使ったということを、何故一般と同じようなことをしなければならないのか、皇室なんだから特別枠で入れるのが当然というような文章もある。
しかし、今の時点で考えれば、これはやはり、そうとう問題なやり方だったが、男子の後継者を生んだ秋篠宮への「人気」が、我が儘を我が儘と認識させなかったといえる。しかし、事態を冷静に見ているひとたちには、眉をひそめるような行為に見えていたのである。
筑波大付属高校への進学はどうか。これはまだ正式に決まったわけではないようだが、ネット情報などによると、高校側の受け入れのためと思われる工事が進んでいるという。最も、古い学校なので、相当校舎が痛んでおり、単純にその改修という受け取りもあるようだが、現時点では事実はわからない。幼稚園のときには、肯定的な受け取りが多かったようだが、高校については、既に多くの批判が寄せられており、週刊誌などのメディアでも、決して好意的とはいえない。小室圭-真子結婚騒動が尾をひいているわけだが、特別措置をわざわざ設定させて、それにのって入学させようという方法に、国民の反感が巻き起こっているわけである。
特に、筑波大付属は、伝統校であり、かつ有数の進学校で、特に高校からの入学は枠の少なさもあって難しい。しかも、これはあまり知られていないが、中高一貫とみられているが、実は中学から全員高校に進学できるわけではなく、1割強が振るい落とされる仕組みになっている。このために、中学と高校の関係があまりよくないと、従来から言われているのである。そうした排除される生徒がいるにもかかわらず、まったくの無試験で、しかも学力は低いらしい生徒が入学できるということについて、生徒や保護者たちにとってもかなり不快なことだろう。
そして、この場合には、お茶大付属と筑波大付属の間で、提携校進学制度なるものがつくられ、それを利用することになっているらしいということだ。誰がみても、お茶の水女子大付属幼稚園の場合と同様に、悠仁親王のために、紀子妃の働きかけによってできた仕組みである。つまり、政治的圧力というべきものだ。正規の権限行使とは無縁の行為だ。それは受け入れた側への批判も当然起きる。
天皇は政治的権能を有しないと憲法で規定されている。つまり、政治的な権限をまったくもっていないわけである。それは皇族も同じである。しかし、政治的な権限をもたないことと、政治的な力をもたないことは、まったく違う。権力は、権限を超えた力だからだ。戦前は、皇族は政治家になったり、軍人になったりして、政治的権限をもつものがいたし、軍人になることは奨励もされていた。しかし、戦後の憲法はそれを禁じたわけである。もちろん、政治活動そのものを禁止する明文があるわけではないが、戦後の皇族は、すべての人が、積極的に政治的権力を行使しようとは考えなかったのである。政治的でなくても、軽々しい発言は慎むのが通常だった。上皇がまだ若いときに、メディアから、好みのテレビ番組を問われたことがあるが、そのとき、自分がそれを表明すると、関係者に余計な波紋を及ぼすから慎むと回答したのを覚えている。それほど、行動や発言に慎重なのが、戦後の皇族なのである。
この点でも、秋篠宮家は、極めて異例な行動を多数している。大嘗祭の費用問題など、内閣が決めることに口出ししたり、政治的な発言も皆無とはいえない。私自身は、皇族にも表現の自由があると思っているので、そのことを否定するつもりはないが、しかし、国民全員に開かれた制度に対して、特別な力を及ぼして、皇族にだけ便宜を図る「制度」を新設させ、それにのって、特別な利益をえるようなことをするのは、明らかに、皇族として、最もやってはいけない「政治」であると断言できる。
このような、やってはいけない「政治的圧力」を平気でかけるような人が、天皇になるということは、想像するだけで恐ろしいことだ。