豚の心臓移植について考える

 2022年1月7日、アメリカ、メリーランド大学で、人類史上初めて豚の心臓を人に委嘱する手術を行い、11日の報道では、3日間は生存しているとされている。
 日本では、和田教授の事件で、心臓移植そのものが、非常に遅れてしまったのだが、動物の臓器を使用した委嘱の研究は、あまり行われていないとされている。それに対して、国際的には、臓器が不足していることを解決するためには、動物の臓器を活用することが必要であるという認識で、盛んにその研究がなされており、着実に進歩してきた。今回の手術は、そうした研究と実験の積み重ねの上で可能になった成果である。
 尤も、日本のあり方が非難されるものかといえば、現在の日本の方向性としては、iPS細胞を使って、必要な臓器そのものを再生して移植する医療をめざしていると、私は理解している。自分の細胞から必要な臓器を再生できれば、多くの臓器移植上の問題が解決するわけだから、この方向性は正しいといえるが、ただ、研究の進展の速度は問題かも知れない。まだまだ再生できる臓器は限られているからである。

 動物の臓器を人間に移植するための研究は、1980年代から始まったとされている。しかし、これには、圧倒的な困難が伴うとともに、もし、困難を解決したら、臓器不足をほぼ解消することができるという、逆に圧倒的なメリットがある。
 困難は、二種にわかれる。
 第一は、可能性に関する困難である。移植しても、拒絶反応が起きたり、臓器が機能しなければ、患者は、ほぼ亡くなってしまう。
 第二は、倫理に関する困難である。
 第一の可能性については、私にはなかなか理解が難しいが、「困難性」の認識はできる。
 まず、機能性については、心臓や肺のように、臓器がある動作を繰りかえす機械的な役割のものは、動物の臓器でも、人の体内で機能する可能性が高いが、肝臓や膵臓のように、ホルモンなどの、人に必要な物質を生成する機能については、かなりハードルが高いそうだ。
 しかし、逆の面から考えると、人工心肺装置などをつければ、とりあえずは生き長らえることはできるが、完全に寝たきり状態になって、人間としての活動はできなくなる。だから、心臓や肺の移植は非常に有効なのだ。それに対して、腎臓の機能は、日常生活のなかで、自己管理できる透析装置も開発されているし、ホルモン等は外部から補充することが、ある程度可能なものもある。つまり、内分泌系の臓器移植は、それほど絶対に移植でしか解決できないというものでもないといえる。心臓と肺のような、機能回復の可能性の高い臓器が、移植による成功率が高いことは、好ましいことである。
 ただし、この機能性以上に深刻な壁は、やはり拒絶と感染症の問題である。動物の臓器を移植すると、瞬間的に拒絶反応が起きて、もちろん移植された臓器は機能せず、死に至ることになる。そして、瞬間的な拒絶が回避できたとしても、免疫機能による拒絶が起きる可能性は常に存在する。人間の臓器移植でも、免疫拒絶反応は起きるわけだから、免疫抑制剤を使用し、感染症との闘いをしなければならないから、同様のリスクを負うことになる。
 動物であるが故の拒絶反応に対しては、遺伝子操作で回避できる可能性が高まったことで、ヒヒから、人間への移植に踏み切ったわけだ。これまで、他の動物での実験的移植を繰りかえしてきた上での実施だった。
 このように、第一の困難は、日々技術の進歩等で改善していくだろう。
 だが、倫理の問題は、技術の進歩とは異なり、価値観の対立だから、解決はむしろ困難かも知れない。
 倫理の問題といって、人が関わる部分と動物に関する部分とでは、全く判断が異なると、私は考えている。多くの人がそう思うかどうかはわからないが、私は、人に関する部分について、インフォームド・コンセントが確実に実施されている条件で、移植を受ける患者の意志が受け入れれば、問題はないと思う。患者が嫌がることを強制することはできないし、また、ぜひ危険を承知でも移植を受けたいというのに、それを無視することも適切とは思えない。もちろん、危険性や生存可能性の冷静な判断を、きちんと伝えた上で、しかもある程度長期間判断に揺れがないことが必要だ。
 ところが、動物に関しては、インフォームド・コンセントは不可能である。動物愛護の人たちは、動物は事態を察して、抵抗しているというかも知れないが、もちろん、それを正確に理解することは、人間にはできない。だからそれぞれの動物観によって、判断が異なってしまう。私は、動物愛護精神が希薄なので、霊長類は人間に近いから、臓器提供させるのは倫理に反しているが、豚であれば、抵抗するような心象もないので、倫理的抵抗は少ない、というような感覚には、どうも共感できないのである。似た構造は、食料としての活用についてもいえる。私は、ベジタリアンではないので、動物性の食物をとることに抵抗はない。しかし、乱獲や動物飼育での環境破壊は避けなければならないと考える。そういう意味では、動物の臓器を、まったく問題なく、機能性においても、また免疫等の問題が生じない技術が開発されるならば、移植に疑問をもつことはない。倫理性でそうした研究を制限することには賛成できないし、患者がしっかり理解した上で、実験的でもある移植手術を受けるならば、それを妨げる必要はないと思うのである。
 しかし、結局、人と人以外の動物は、臓器を交換しても問題なく、長期間生存できるようになるとは思えないのである。結局、再生医療による移植が可能になるまでの「つなぎ」としての有効性なのではないだろうか。日本は、再生医療の研究に注力すべきだろう。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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