太田ゼミインタビュー(あくゆうちゃん・しず)1

今回は、一見まじめで実際にまじめで一生懸命取りくむあくゆうちゃんと、一見ふまじめなのに実はとてもまじめで課題をしっかりやっているしずさんふたりです。

小さいころ

お 小さいころどんな子どもだったのでしょうか。
し 記憶にないですね。
お 記憶を抑圧したいということですか?
し 単純に覚えていないですね。断片的なので。
あ やんちゃな子だったですね。それから親思いでしたね。親に対して何かできることはないかって。
お 親にやってあげたいと。
あ 小学校一年生のエピソードなんですけど、親にいつも学校にいくとき見送ってくれて、それが自分でうれしくって、それに対して、こたえてあげたいという気持ちがあって、おかあさんに、たんぽぽのプレゼントをしようと思っていたんですよ。帰り道にたんぽぽが咲いていたので、それを、たくさんつんで、おかあさんにもっていこうとしたんですけど、ランドセルにつめて、もって帰ったら、ランドセルがよごれちゃったんですよ。それに対して、親がすごく怒って、それでショックだったというのがあります。親を喜ばせようと思ったのに、怒らせてしまったというのが、印象的に残っています。
お 説明はしたんでしょ?
あ 説明はしました。けど、やはり、ランドセルにいれることはないでしょうって。(笑)
お もう少しわかってほしかったなあと。
あ そうですね。

yuta
お それ以来、そういう親切心はやめたの?
あ へへ。小学校6年生までは、トラウマがあって、6年生になって、母の日に花をあげるまでは、そういったプレゼントをしようという気持ちにはならなかったですね。
お 手伝いとかは。
あ 手伝いはしていましたね。父親が車好きで、毎週日曜日には洗車を手伝いましたね。
お 洗車は毎週するんだ。
あ しますね。
お いつもピカピカで。
あ ピカピカですね。雨降ると、父親は雨降っちゃったかって。
お よごれちゃうかと。うちと逆だよね。雨降ると、これで洗車されたって、喜ぶけど。(爆笑)
し うちは洗車すると、次の日に雨がふるというジンクスがありました。母親が洗車すると絶対次の日が雨で。
お 思い出しましたか。
し あまりなくて。幼稚園のときには、家で遊ぶ。外で遊ぶのではなくて、なかで遊ぶ。人形遊びがすごく好きで、おもちゃがいっぱいあったので、おもちゃでずっと自分の世界で遊んでいました。
お まわりは市街地だったの?
し 住宅地でした。まわりは家しかない感じでした。
お 公園とかは。
し それはあったんですけど、人が時間帯によって、あまりいなかったり、ほんとうにまわりに家しかないし、暗かったので。
お あやしいおじさんがいるから、遊ぶのやめなさいって感じですか。
し もともと外があまり好きではなかったんです。おもちゃがあったので。大きな家とか、レジ台とか。部屋にもジャングルジムとかブランコがあったんで、自分でしか遊んでいないです。

小中時代

お 小中くらいのエピソードは。
あ いま振り返ると、小学校のころは、すごく褒められたいと毎日思っていた子どもだったと思います。先生から「よくてきたね」と褒められるのが、生きがいといったら言い過ぎかも知れないですけど、今日も褒められたいな、なにかいいことしたいなっていう風に思って、毎日過ごしていましたね。その気持ちは、中学校にいったら、すこし反抗期で、素直になれない場面はあったんですけど、基本的には、何か褒められたいというのは、小中通して変わらなかったと思います。
お 褒められたいという気持ちはどこからきたんですか。本能ですか。
あ 僕の場合は親ですかね。いいことをすると褒められることが、強かったと思います。僕の家庭では。
お いいことをすると褒められて、悪いことをするとしかられる。
あ しかられます。
お それでよく褒められていた。学校で。
あ 学校ではよく褒められていました。
お 掃除をよくやるとか。
あ それもありますし、教室のごみを率先して拾ったりすると、先生が最後の帰りの会の場面で、「あくゆうちゃんは、ひとがやっていないところでごみ拾ってました」って言って、みんなの前で褒められる。そんなことが、自分のなかではうれしかったというか。快感だったと。
お あいつ、いい子ぶっているっていうような感じはまわりになかったの?
あ いや、それを聞いたら、僕も褒められたいという子どもたちが多かったので、だから、どっちがたくさん褒められるかというような。
お 褒められ競争。
あ そうですね。褒められ競争があったと思います。
お いじめなんかなかったの。
あ いじめというか、口が悪い子は、先生が徹底的な指導をしていたので、口の悪い子は省くというと、言い過ぎですけど、ちょっと、あの子悪いよねという雰囲気はありましたね。
お それは、いじめではないの?
あ いじめではないですね。ただ、家庭の事情でこれなくなっちゃった子はいるみたいですけど。
し 弟は、小学校低学年くらいまではかわいかったんで、家で弟の面倒をよくみていたんですけど、もともと、家の家事を手伝うほうではなくて、小中全然手伝わなくて、ただ、外ずらはよくて、外ではいい顔していましたね。
お ちゃんとお手伝いしているのよという雰囲気を、外ではだしている?

sizuno
し いやお手伝いしているかではなく、比較的いい子を装っている感がありました。
お そういう自覚があったの?
し あまり自覚はないですね。担任から、「外ずらいいよね」という感じのことを言われて、「あれ、そうかな」みたいな。自覚はなかったです。
お その先生は、内の顔は知っていたということ?
し 普段のちょっとした行動にでていたのかなあと。中学は、とにかくいい成績とりたいために、とりあえずあいそ振りまいていましたね。
お あいそ振りまくと、成績よくなるの?
し 関心意欲態度をあげるために、勉強はとりあえず頑張るしかないと思って、とりあえず関心意欲態度あげようと思って、先生には、いい風をしていました。
あ 内申点だよね。
し そうそう。
あ 内申点45点満点でつくじゃないですか。ひとつの教科で5点満点で。関心意欲態度で、いい評価がつくと、テストで点数が悪くても、先生が考慮してくれるという。たとえば、90点以上じゃないと5はつかないけど、関心意欲態度がいいと88点でも、日頃頑張っているから5にしてあげようというのは、僕の中学ではありましたね。
お そういうの、今教育的に考えると、どう思いますか。
あ 今考えると、その子のためになっていないと思いますね。
お なっていない。
あ はい。
お そうやって頑張ったことは、今にいい感じでつながっているのか、あるいは、偽善者だったという反省なのか、どっちです。
し そのときは、それが普通だったんで、なにも思わなかったですが、今にそれがつながっているかというと、つながってはいないですよ。そこで分断さている感じです。高校からはまったく気にしなくなったので、やった高校生だ、みたいに。
お じゃ一種の偽善者だったということになりませんか。(笑)
し そうかも知れないですね。(笑)とにかく、中学が嫌だったんで、そこから離れたかったんです。そこから離れるためには、いい成績をとるしかないと思っていたんです。
お でも時期がくれば離れられるじゃない。
し ある程度成績がないと、レベルの高い高校にいけない。レベルの低い学校だと、うちの中学からいく人が多かったんです。
お 中学の雰囲気を断ち切りたいということ?
し そうです。同じ高校では、うちの中学が3人だけだったんですけど、みんな同じような感じでしたね。
あ そういう気持ちはわかりますね。想像できる。そういう人が僕の中学もにいた。
お 中学校時代はどうでした。
あ 中学校時代はひたすら部活を頑張っていました。陸上をずっとやっていましたね。ひたすら。うれしかったんですよね、頑張りが記録に形として残るということが。自分が成長している感が、陸上の記録で実感できるという面が、自分のなかでは快感だったですね。

run
お 陸上は、一番それが強いかも知れないね。
あ そうですね。
お 球技なんかだと、たまたま相手がもっと強ければ、いくらこっちが頑張っても負けてしまうとか。走るというのは、自分の努力の直接の反映だよね。記録だから。それで陸上を選んだの?
あ 陸上選んだのも、小学校の陸上大会をやった際の先生の勧めもありまして、もともと小学校のときには、親に通えといわれたスイミングスクールで、水泳を極めていたんですけど、小学校の先生から「陸上もいいよ、水泳と陸上は、個人競技といわれていて、記録が形としてでるから、似ているから、陸上もいいんじゃない、センスあると思うよ」という言葉をいただいたので、中学校には、陸上で活躍している先輩たちがいたので、「あ、俺もああいう風になりたりない」ということで、選択しました。

高校時代

お なるほど。高校時代は。
あ 高校も陸上をそのまま続けていたんですが、高校のときに初めて、先生と考えが合わなくて悩んだ時期がありました。
お どういう風に合わなかったの。
あ 指導者は、子どもの状況とか、コンディションを常にみるんですけど、高校の顧問は、子どもの様子に応じてやるのではなくて、自分の教え方を忠実に守る方だったんです。同期がけがをいっぱいしたので、みんなが、先生に対して、「やはりあれはやり過ぎだ」と言ったんです。僕たちのことをしっかりみて練習メニューを組んでほしいし、言葉をかけてほしいと思ったんです。そういうことで、高校3年間は、陸上関係でちょっと葛藤がありましたね。
お 葛藤があって、どうしたの?
あ 先生に歯向かってしまうと、大会に出れらないので、陸上競技をやっていたいという決心があったので、先生のいいなりといいますか、少し我慢して、強くいえなかったという感じでしたね。
お みんなで言おうとかにはならなかったの。
あ いいました。でも、先生は、俺のやり方は間違っていないと。先生自身もインターハイ全国大会に高校時代出ていた実力者らしくて、まわりの先生からも評価はされている人だったので、なんともいえなかったんです。
お 高校時代の勉強は?
あ あまり裕福ではなかったので、親には国立にいけっていう無言の雰囲気があり、高校2年生のときから、地元の埼玉大学の教育学部を受験しようと思って、日々勉強していましたね。
お それは残念ながら、だめだった。
あ はい。体育専修受けたんですけど、だめでした。そこで一浪しようと思ったんですけど、高校の担任の先生、早稲田大学出身のベテランの文学部チックな先生だったんですけど、その先生が、文教大学の人間科学部受験しなさい、と。メリットとかよく知っている先生で、教育に特化するのではなくて、人間的にいろいろな教養を身につけてやったほうが、絶対にいい先生になれるよ、ということで、推してくれました。センター利用で願書をだして、こちらにきました。
し すごい。
お なるほど。先生になろうと思ったきっかけは
あ それは、小学校のときから、中学、高校を通して、総合的に思っていました。先生に、救われた面もありましたし、先生に嫌悪感いだいたこともありましたし、自分だったら、こうしたいと思ったんですね。
し 高校時代はとにかく遊びほうけていました。(笑)
お なにか、ポジティブな感じしないよね。(笑)
し 超ネガティブですよ。勉強すごくできなかったので、嫌なことあったんですけど、それ以外は、全然問題なく、青春という感じでもないけど、遊んで、一番楽しかった
お 遊びって何?
し 買い物したり、カラオケとか。
お 買い物するには、お金がいるでしょう。
し ウィンドーショッピングです。町田が近かったので、町田にでたり、大和にでたり、ぶらぶら遊んだり、友達の家でだべったり、けっこうみんなで、特になにをするわけでもないけど、しゃべるのが好きだったんで、しゃべったり、カラオケにいったりしていました。
お 太田ゼミと大分遠いイメージだよね。(笑)
し そうですね。(笑)まじめさはないですね。ほんとにネガティブで、中3のときには、鬱じゃないですけど、不登校でしたね。中2と高2の担任がいやで、不登校になり、中3で、勉強云々でいやで、不登校気味になったのを、高校で、ようやく、なくなったんです。高1と高3が同じ担任で、すごく放任主義で、高3の面談など、「僕に相談したい人だけ来てくれ」というような(笑)。強制しないから、4月の2者面談以後、相談していない人は、一切相談していない、私もしていないんです。中2と高2のときには、ほんとうに束縛するんですよ。あれしないさん、これしなさいって。それで不登校気味だったんですけど、それがなくなって。ずっと図書館司書なりたかったんですけど、将来就職するとき、現実的ではないなと思って、では、何しようというとき、突然教師がぽんとでてきて。じゃ教師になろう、みたいな。適度に生徒に接する先生って、ほんとうに好きで、そういう教師になれたらなあ、と思っています。
お 熱血教師はだめなんだ。
し 熱血はだめですね。わたしが受け入れられないです。
お なぜ突然教師になろうと思ったの。どこからきた?
し 大学にいった自分を想像したんですよ。数学ができないから、理系はないな。
お 経済もないね。
う そう。それで、政治って興味あるっていったら、全然ない。歴史には興味あったんですよ。だから、一応歴史学科受けたんですけど、落ちたんです。でも今思うと、歴史もそんなに好きなわけではなく、趣味程度。教育学部だと、予想が自分のなかでいいなって思って、友達に、教育学部志望の子がいたんで、一緒に教師めざそうかなあという感じですね。だから、小学校というのでもないんです。特別支援の先生になりたいと思ったときに、女子大は無理だと思ったので、文教と、あと3校くらい受けて、ここだけ受かったんですね。

太田ゼミインタビュー(あくゆうちゃん・しず)2

文教大学へ

お 文教大学にはいったときの印象はどうですか。
あ 僕は漠然と入学式の前の学科オリエンテーションのときに、ここでなにが学べるのという期待感と不安感がありましたね。あと、英語の授業があったんですけど、周りの人が極端にできなさすぎて、初回の英語の授業のときに、大丈夫かな、という印象をもちましたね。こんなに読めなくて大丈夫かなって。
し 確かにみんなできてなかったね。
あ チャペレンさんの英語は、会話に特化した授業だったんですけど、簡単なはなし、do で聞かれたら、I do とかで答えるじゃないですか。それを I can とか答える人がいて、大丈夫かなと思いましたね。
し たしかにみんな酷かったね。すごい差があったよね。
あ 差がありました。同じ高校から人間科学部にはいった先輩がいて、その先輩が杉原先輩(注ゼミの卒業生)だったんですよ。こんなにすごい人がいるんだ。それで、文教大学でやっていこうかなと思いました。
し 友達できるかなっていう不安ですかね。勉強はなんとかなるだろう。大学だし、一年生だし。とりあえず友人5人くらいは、頑張ろうって。
お 「友達100人できるかな」って感じですか?
し 100人はいらないけど、とりあえず、親しくなれそうなひとがいればいいなって。ボッチ生活はつらいじゃないですか。やろうと思えば、できるけど、そういう大学生活は望んでいなかったので、友達を捕まえようと思って、ガイダンスでとなりに座った二人と友達になりましたね。そのあとは、違う友達や、クラスの子と仲良くなったんですけど。あまり、勉強に対する不安は、単位とれるかなという不安はありましたけど、それくらいでした。

お サークルは?
あ サークルは、一年の後半から、「教師の卵サークル」に、いろいろといいことを教えてくれるというので、僕も行ってみようと思って入りました。それから「フットサル・リバティ」。そのふたつにはいっていました。
お 陸上部ははいっていないの?
あ 陸上部最初は行っていました。でも、バイトをたくさんしなければならないので。私立入ったので、学費を自分で、という風に言われていたので。
お 陸上は、あまりバイトができないの?
あ 自分でやりくりすれば、できると思っていたんですけど、週6で、短距離は、大会があると、週7になるよ、コンディションの調整なんかも、指導者がいないぶん、自分たちでやっていかなければならない。それで、続けられないなと陸上はやらなかったんです。
し Cフラの幽霊部員です。最初の一年は、入りたいパートの責任者と連絡がとれなくて。
お どのパートに入ったの。
し つくしなんです。障害をもった子と遊ぶんですけど、たまにいくみたいな。
お それって活動として大丈夫なの?
し つくし自体が緩くて、けっこうみんな、月1行くかみたいな。活動は2、3時から5時までなんですけど、5時は、家にいたいんです。
お 通学時間がかかるわけだから。通っているんだよね。
し はい。2時間以上かかります。5時に終わって、7時に家について、ご飯たべて、風呂はいって、家事して、一回やったらすごく疲れちゃう。今年こそ、いこうと思っているんですけど、課題が終わらなくて、どうしてもいく日がないです。

太田ゼミ

お ゼミにはどうして入ったんですか。
あ ひとつの理由としては、杉原先輩が推してくださったのと、先生の授業、教育学聴いたときに、先生の幅広い知識に美学を覚えたというか、テキストなど何も見ていないのに、あんなに話せるのは、なぜなんだというところですか。
お 他の先生はテキストみながら話すの?
あ けっこう資料とか見ながら。
し 資料とか、だいたい。
あ 誰かが意見をいうと、先生が必ずレスポンスを返すので、どんな頭しているんだろうと、興味がありまして、先生のゼミに入れるなら、はいってみて、そういうところを刺激してほしいなと、僕もそういう美学があるので。
お 美学ですか
あ 僕もそういう人間になりたいというのが、心のなかにあると思うんですよ。聞かれたら、何も見なくても、いろいろなことがいえるという。
し そういうかっこいいんじゃなくて、単純に消去法です。心理と臨床は実験があるから無理だ、名尾先生が障害児教育やっていると書いてあったんですけど、ゼミに入るには、とらないといけない授業があって、それはとれないだろう。人科で興味ある分野が、青山先生と太田先生で、どっちにすると考えたとき、青山先生は社会教育なんで、学校教育をやりたかったので、太田先生にしようみたいな。だいたいいつも、消去法で生きていますね。
お 相当きついよみたいなうわさはあったんでしょ?
し うわさとしては。
お それは特に障害にはならなかったの?
し きついのかあーと。きつすぎてもあれなんですけど、緩すぎても、自分は楽なほうにいっちゃうな、適度に厳しいといいなあって。
お なるほど。
し でも3年になって、こんなにきついとは思っていなかった。授業が増えて、こんなに大変になるとは思っていなくて。
あ 俺らの代は履修制限できついですね。
し ゼミで大変というよりは、いろいろな授業がまとめて課題だしてくるから大変。
あ みんなそう思っていると思いますね。太田ゼミならず、僕たちの学年で、特に小免とか、特支とか、資格をとっているひとたちは。
お 課題というのは、教職ででるということ?普通の授業ではでない。
し 必修関連は2年までで、必修科目は3年ではあまりないですね。
あ でも、選択科目が3年生でフルで残っていまして、人科人科の枠で。小免コースの学生は、日々課題に終われる状態です。
し 中高免許は専門科目とかぶっているので、そこまでは残っていないです。
お ゼミではどういう勉強しますか。
あ いろいろ勉強していて、まとめる力をつけています。
お 個人の課題としてはどうですか。
あ スクールカーストに関連するような映像をみています。「桐島、部活やめるってよ!」をみんなで見て、議論をしました。
し 障害をもった人の自立について研究しています。でも、ぶれはじめていて、重度にするか、軽度にするか。重度の人の就職とか、仕事につくことを研究したいなあと思いながら、それにゴールはあるのと、悩んでいます。

太田ゼミインタビュー(あくゆうちゃん・しず)3

バイト

お バイトは?
し 休職中です。1年生のときには、塾講師をやっていて、そのあと、キッチンでバイトしていて、2年になったときに、塾講師が時間割と合わなくなって、ほぼいない状態になって、皿洗いもやめたつもりが勝手に、休んでいる扱いにされていました。ピンチヒッターではやってました。それから肢体不自由者の介助をやっていて、一時期3職同時にやっていましたけど、3年生になる前に塾講師と皿洗いは辞めました。肢体不自由の人のバイトが、日曜日はいると休みがなくなってしまうので、夏休みなんかに入ろうかと。
お それはなにをやるの?
し 車椅子なんで、その人ができないことを代わりにやる。
お 世話っていうこと?

kaigo
し そうですね。求めていることをやる、ごはん食べたいときに、ご飯つくって、食べさせる。自分で食べられない人は食べさせてあげる。
お 雇い主は誰なの?
し 会社で、派遣です。
お 会社はどうやって、利益を得るわけ。障害者からお金をとる?
し たぶん一部と、国から補助があると思います。NPOなんで。
お 北欧だったと思うんだけど、そういうやり方はあまりよくないので、個人にお金を渡して、個人が自分で雇って、お金を渡す、その方がうまくというような話しをきいたことがある。NPO法人に雇われて、派遣されるということね。
し はい。
お その度に、相手も変わる。
し 私のところは基本的に固定で、この時間はこの人って、決まっています。
お この時間帯はこの人がきてという感じで、変わっていくわけだ。ずっと世話する人もいるの?
し 私の担当する人は、朝の1時間と夜の1時間だけ人がいない状態で、あとは全部います。脳性麻痺で自分ではなにもできないので。
お 何歳くらいのひと?
し 50くらいのひとです。
お じゃ、親はいない?
し います。おかあさんとお姉さんですけど、一緒には生活していない。一人暮らしをしたいんです。
お 一人暮らしをしたいんだ。施設でもない。
し はい。
お 何もできない人なんでしょう。
し はい。その人とは別の人ですけど、とにかく一人暮らししたい。でも、いざ一人暮らしをすると、自分では、何もできないと気づくというのを、聞いたことがあります。自分ではできるみたいに思っていたらしいんですけど。
あ 今は一番家から近い回転寿司でやっています。一年のときからやっているので、今年の4月からリーダーとして、昇給しまして、高校生の子が多いので、お寿司の作り方とか、店でのやり方とかを指導しています。
お 高校生がバイトをしいてるの?
あ 高校生が接客をしているので、接客を教えたり、キッチンでどうやって作ったり、どう動いたりしたらいいかというのを、リーダーとして教えてあげています。
お 店長とはちがうの?
あ 店長がいなくても、バイトだけで運営する日があるんですよ。すべて、バイトで。社員が一人しかいないので、バイトだけで運営できるシステムが、企業としてあるみたいで、店長がいないときには、クレームがきたらそれに対応して、レジ誤差もあったら、訂正して、本部に報告もします。発注もかけたりしています。
お そのお寿司屋さん、何時から何時まで?
あ 土曜日と日曜日は、ロングではいっているんですけど、5時から11時です。
お 深夜はないんだ。24時間営業のところで、夜中に一人になっちゃうときがあるとか聞いたことがあるけど。
あ あるみたいですね。昔は大学に入ったときには、学費とか、ずっとためていたので、ダブルワークしていました。塾講師を最初にやったんですけど、いろいろお金をもらえるように、補習を授業外にやっていたんですけど、それに対して、給料が払われなかったことがあるんです。ブラックだったんですよ。それはあなたの正規のシフトではないから、勝手に払うわけにはいかない、払うにも限度があるみたいな。最初は働いた分だけ、補習費がつくよっていう話だったんですけど。危ないなと思って、潔く辞めました。そのあとは、長期で、ロングではいれるバイトを探していたので、洋服屋さんで、洋服をたたんで売ったりする仕事をしていました。今はお寿司屋さんで、昇給して、お金もそこそこもらえているので、そっちのほう一本です。
お 回転寿司って、最近なかなか大変だという話しだけど、それは?
あ 大変ですね。アルバイトなのに、店長の代わりをしているとか、お金の管理とか全部しなければいけないとかは、どうなのって。
お 客があまり来なくなっているとか言われているけど。

susi
あ 客は回転寿司で安いので、たくさんきますね。ただ、おじさん、おばさんで、少しこだわりがあるひとが多いので、クレームはしょっちゅうですね。お酒、熱燗にできないかとか。
お なぜ、熱燗にできないの?
あ 温める器具がないので。お寿司屋さんに、クオリティの高いものを求めているお客さんが多くて。味噌汁の具とか、さびの量とか、そういったクレームもすべてバイトで対応しなければいけないんで大変です。
お そういう人は、ちゃんとしたお寿司屋さんに行ってよという感じですか。
あ そういう気持ちもありますけど、お金もらっている身なんで、謝って、そういうことがないようにと言います。
お 出しているお寿司って、おいしいなと思う?
あ 最初はこんななっているんだってびっくりでしたね。流れているお寿司って、時間がたつとかわいてきちゃうんですね。30分たつと、自動的に廃棄される仕組みになっているんですよ。
お 廃棄したものはどうするの?
あ 廃棄したものは捨てます。持って帰ることはできなくて。
お なにかの餌にするとか。
あ それはできないです。だめって書いてあります。
お システムとして、動物の餌にすることはないのね?
あ ないです。防犯カメラがあって、不正がないか本部の人が見ています。
し テレビでやっていた。司令塔の人が、「そこのひと何やっているんだ」って。
あ そういうことがあると、すぐ店舗に電話がかかってきますね。今何してたのって。
し そう、みた。
あ 僕の前の前のリーダーを勤めていて、辞めてしまった子がいたんですけど、その子が、お腹がすいたのか、我慢できなくなって、食べてしまったんです。それを本部の人に見られて、問題になって解雇されました。
お 捨てるくらいなら、お腹すいているひとが食べたほうがいいよね。
あ そうですねよ。ケーキなんか、30分たっても、全然食べられるんですよ。それでも捨てちゃうんですよ。
し もったいない。
あ そういうケーキは持ち帰って、食べたほうが。
お 福祉施設に寄付するとかね。お寿司は問題かも知れないけどね。
あ たまに、店長が気をつかってくれて、いつも頑張ってくれてるといって、寿司を買って、みんなに食べさせてくれたとことはありますね。今日は河童巻きもらったから、食べていいよって、感じで持って帰ります。

趣味

お 趣味とかは。
あ 運動と映画観賞が趣味です。映画はいろいろなものをみます。
お 映画館に行って。
あ はい。一人映画は平気です。この前やっていた、アメリカンスナイパーとか、ああいった洋画、アカデミー賞とった映画はどういう映画なのかって、評論家きどりで、いくんですよ。よかったなあ、とか、ちょっと微妙だとか、俺にはわからなかったなあ、とか、評価を自分でしていますね。自己評価ですけど。
お 批評書いて映画雑誌に送るとか。
あ ははは。そういうのって、できるんですかね。
お できるよね。だって、読者欄とかあるでしょう。採用されるとお礼もらえるし。
し お礼いいじゃん
あ そこまで考えてなかったんですけど。まあ、趣味程度ですね。それをしていると落ち着くとか、ストレスもなくなりますし。大学にはいってからは、本を読むようになりました。
し トレンド嫌いなんで。全部きらいなんで、最近はまっているのは、レベリング、キャラのレベルあげるというのが好きです。
あ こつこつやるのか。
し ずっとこつこつやっているとか、2、3時間ずっとやっているとか、プヨプヨとかも一人でやっているのが好きです。

game
お トレンド嫌いなのはいいけど、それなら、シェイクスピアみたいなクラシックの世界にいったら。
し ないですね。
お ないですねではなく、勧めているんだけど。(笑)
あ ははははは。
し 文体が翻訳文体がすごく苦手で。
お じゃ、源氏物語で。
し 読んでみようとは思いますけど。
お トレンドの正反対でしょう。
あ 源氏物語を面白く書いているのもありますね。ああいうのからはいっても全然いいと思うんですけど。
し 本も読むことは読むんですけど、有川浩みたいな、ああいう軽めのが好きで。
お それトレンディじゃないの。
し たまたま漫画をよんで、この人が好きってなると、その人の全部読むんですよ。だから、有川浩とか、宮部みゆきとか、読んでいます。自分的には流行には左右されていないです。

大学への注文

お 大学への注文はありますか。
あ 注文したいのは、学食を大きくしてほしいことです。学食が大きければ、喧嘩なんかもなくてすむと思います。
お 喧嘩がおきているの?
し 席のとりあいなんかあるよね。
お 教室で食べるとかは。
し 教室で、自分で買ってきたものを食べる。
お 学食の料理を教室に運ぶというのは。
し している人はしています。でも食器返すのが面倒くさい。
お 僕の大学のときの食堂からすると、こっちのほうがまだいいなという感じ。食券買うだけで、ずっと並んでいたような記憶がある。あれで、よく食べられたなあと。
あ 小学校免許とっているひとには、単位制限をとってほしいですね。自分で授業を組んでいくスタイルでいい。4年時に暇にしたいということではなくて、4年時につめたい人はつめていいし、そこらの調整は自分で行うようなカリキュラムにしたほうがいいなと。
し いままで緩かったじゃないですか。3年生になったときに、一気にきつくなっています。
あ 制限設けるのはいいですけど、32とか34くらいまでにしてほしいです。

お 今日はどうもありがとうございました。

 

卒業生インタビュー2 西井文子さん(仮名)1

今回は、人間科学科の在籍でしたが、現在臨床心理士としてカウンセリング業務に携わっている西井文子(仮名)さんにお願いしました。ただ、カウンセリング業務といっても、個人情報管理を厳しくしなければならない内容なので、職場名は出さず、名前も仮名にしました。西井さんは、太田ゼミ卒業生では二人目の博士号を取得しました。

−ドクター号取得おめでとうございます。
西 ありがとうございます。よかったです。
−大分苦労した?そりゃ苦労するよね。
西 修士までとは違うなという感じでした。
−スクーリングのようなものは?
西 それはなかったです。インターネットを使った授業で、録画された授業を聴講するんです。授業全部ではないのですけど、最低限のものはとれます。先生から課題が渡され、授業をみないと分からないような問題に答えるとか、レポートを学年末まで提出して、成績がつくというやり方でした。
−論文を書く前に単位をとっておく必要があるんですか。
西 はい必修科目や選択科目があるのは、学部と同じです。最低20単位必要でした。

高校時代、文教大学を選ぶきっかけ
−将来何になろうと思ったとか、どんなことを考えて、文教大学にきたんですか。
西 私はもともと大学に行く気がなくて、ずっと動物看護士になりたかったんです。そのために専門学校にいくことを中学生の頃から思っていました。専門学校も自分のなかでは決まっていたんですが、高卒でないと入れないというので、高校にいきました。高校3年になると、各大学の先生が一同に介して、体育館で説明会をする日があるんですよ。2コマあったんですが、全員参加しないといけないと言われて、自分のいきたい専門学校の説明をうけて、専門学校一本なので、抜け出そうと思ったら先生に見つかっちゃったんです。「どこにも行きたくないので部活に」と騒いでいたら、「どこでもいいから聞きなさい、そこ椅子があいている」と言われて、誰もいない大学のところに座ったのが、文教大学だったんです。

CIMG0885
−先生が来ていたの?
西 今思えば、先生なのか、事務さんなのか。人間科学部ではお会いしていないんですけど、50代くらいの男性が、座っていて、誰も生徒はいないから、よほど暇な大学なんだな、人気がないんだなと思ってました。座ってないと先生に怒られるから、おじさんと世間話をしようって。おじさんの方も、その経緯を見ているから、私が行きたくないのは分かっているんです。そのおじさん、すごく素敵な方で、「ちょっとお話して、時間つぶしましょう」という感じで、「何か大学興味ありますか」「興味ないんですよ」「ああそうですか、興味ないんですよね。でも大学生になると、一年のうちに6カ月も休みがあるんですよ。」「6カ月ですか!」って、そんな調子でした。
−当時はそうだったからね。
西 6カ月休みというので、すごく惹かれて、お話をしました。「うちの大学は、他の学部の授業を受けても、卒業単位になるから、比較的自由に自分の好きな勉強をして過ごせるんですよ」というので、「ああそうなんですか、楽しそうですね」と、こういうところもあるんだなあと、初めて大学が視野に入った瞬間でした。
−教室に分かれてやったんですか。
西 体育館にですね、ブース。
−ブースに誰もいなかったということね。
西 はい。会が終わったあと、担任とか親が強く大学にいくことを勧めたわけです。専門学校に行ってもいいけど、大学を終えてからでも行けるというので、「半年遊んでいられるのか。動物看護士になると、すごく忙しい。忙しい専門学校のあとすぐ社会人になるよりは、暇な時間に旅行なんか行けるし、大学に行ってみようかと思ったのです。でも文教大学しか知らないから、じゃ文教大学に行きますって、志望したんです。でも、後で分かったんですけど、わたしのときブースにいなかったは、人気があるからみんな第一志望で、一コマ目に行ったからで、そのときはブースにあふれていたんです。そのあと、進路指導に、文教大学に行きますって言ったら、みんなにとめられて、うちの高校から、過去5年か3年、誰もいった人がいない。受けた人はいっぱいいるけど、全員落ちている。私は高校の中でも成績がほんとうに下の下の下だったので、西井が受かるわけないから、やめなさいって、とめられました。
−それが何月ころ?
西 夏休みあけですね。夏休み中は吹奏楽部の全国大会に出ていて、受験する気なかったんです。そこから予備校に通いはじめたんですけど、普通に勉強しても間に合わないだろうと思って、浪人クラスにはいりました。代ゼミの浪人クラスってみんな必死だし、ぴりぴりして勉強しているじゃないですか。
−浪人生っていったら昼間だよね
西 浪人生といっても、コース全部ではなく、夜の部だけで、特に、歴史をやらなければならなかったので、そこから、すごく勉強しました。
−いざやるとなるとやるタイプだよね。(笑)
西 おいこまれると。(笑)
−一般の学力試験で入った?
西 A日程で3日間全部受けたんです。初日が補欠で、2、3日は合格でした。私の高校から5人くらい受けたんですけど、合格は私だけでした。人間科学部については。私は人間科学科の人間教育コースに所属しました。
−大学ではブラスにはいっていないですね。
西 高校のとき、すべての時間を部活に費やしたので、自由な時間をつくろうと思って入るのをやめました。結果的にバイトに熱中してました。(笑)和食レストラン藍屋です。

ホルン

 

大学に入学して
−大学時代はどういう勉強をしていましたか。
西 あまり勉強してないですね。必修はちゃんと受けていましたけど。当時は、資格取得をしなければ、2年生になると、ほとんど授業がなくて、週2日くらい行けば単位が足りていました。教職の資格をとっている人は大変そうでしたが。1年のころは、5限まで授業出ていましたけど、2年では暇でした。あとは興味がある心理学系の授業を聴講していました。
−臨床心理学科の秋山(邦久)ゼミを希望したの何故ですか?
西 本当に不純な動機なんですけど、私が、仲のよかった高校の吹奏楽部のお友達が、臨床心理学科を受けたんですね。その人は落ちてしまって、私はその時点で、臨床心理士が何かもわからなかったんです。大学に入って臨床心理学の授業をとって勉強しているうちに、こんなもんだということがわかってきて、友達がなりたかった臨床心理学をもう少し勉強してみたくなったんです。
−そういうことだったの。
西 自分が臨床心理士になれるとは全く思っていなかったんです。たくさん勉強して大学院に行って、その後更に試験を受けなければいけないから、高校からずっと成績が悪かった私が、そんなことができるとは思わなかったです。秋山先生って、現場から来たばかりじゃないですか。だから、学生にとって刺激的ですよね、面白いよな、友達が何故なりたいと思ったのか知りたいなという程度だったんです。
−じゃ、特に臨床心理士になりたいわけじゃなかったんだ。
西 はい、なりたいわけではなかったです。
−じゃ、秋山ゼミ落ちて、僕のところにきたから、この人は、臨床やりたいのだろうと思っていたんだけど、錯覚したということなのかな。
西 興味が全然ないというわけではなかったけど、臨床心理士になりたいというのではなかったです。太田先生のゼミに入ったときにも、動物看護士になる気まんまんでしたから。だから、秋山ゼミで臨床心理はどんなものかみて、動物看護士になろうと、ほんとうにモラトリアムしていただけという感じでした。
−そうなんだ。そういう話しって、僕にしたっけ?
西 動物看護士になりたいということは、言いましたよ。専門学校は確実に伝えて、4年生になって、ゼミに入ったとき「将来どうするのか」と聞かれて「専門学校にいくんです」と話しました。「社会勉強のために就活ちょっとやっているけど、本当に受からないし、このまま専門行きます」という話をしていました。
−就活もやっていたんだ。
西 やってました。ふざけた学生ですね。全部落ちましたけど。厳しさ知りました。つらかったです。なんで落とされたのか教えてくれないし、ほんとうに人格否定されたような感じでつらいもんだなって。でも、「どうせ、専門学校に行くんだし」って逃げていたら、「そんなに時間があるなら臨床心理学の勉強をしたらどうだい。」って、先生に言われて、それで勉強しだしたんです。
−そうなの。では、秋山先生に断られて、僕のところにきたのは、どうして?
西 太田先生の授業で、サドベリバレイの話なんかが興味があったんです。大学に入る前から、子どもたちのキャンプなんかやっていて、そういうことには、興味あったんですよ。子どもたちの体験などに。−でも、卒業論文でやったのは、「絶対音感」だったよね
西 そうですね。なぜ「絶対音感」やったんでしょうね。
−ブラスバンドだったからでしょう。
西 そうですね。音楽に興味があったんですね。

大学院受験のこと

−僕は西井さんは、秋山ゼミに申し込んだのだから、臨床心理士になりたいのかなと単純に思っていたんだけど、勘違いだったというわけなのか。でも、臨床心理の大学院にいく気持ちになったのは何故ですか。
西 そうですね。就活でさんざん落とされて、わけのわからない烙印押されている気持ちになっているときに、大学院でも受けようかと文教以外の大学院を軽い気持ちで受けたんですけど、それも落とされて、かなしい気持ちがくやしさに変わって、それから懸命に勉強するようになりました。最初は就活から逃げたかったというのがあったですね。就活はどうしたら受かるかわからないけど、大学院は勉強すれば受かるんじゃないかという気持ちがあって、それで大学院に受かれば、就活に落ちたというのも補填ができるかなと。
でも受けた大学院が全部落ちてしまって、来週には文教大学卒業式という時点で、何も決まっていなくて、浪人せざるをえない状況だったんです。その時、秋山ゆたか先生からA大学大学院の募集の口があるから行きなさいって言われて、臨床心理学科で、A大学大学院応募のとりまとめをしていた進藤先生の部屋に行ったら、私が臨床心理学科の学生ではないのでと断られてしまったんです。
−最初一人で行ったの?
西 はい、最初ひとりで行きました。そのまま太田先生のところにいって、「断られました」って言ったら、一緒に進藤先生のところに行ってくださって、「臨床心理学科が条件でないなら、受けられるでしょう、この人は秋山ゼミを志望していたし、臨床心理の授業はかなり受けているので、力はあるから受けさせてほしい」と言ってくださって、進藤先生が受験推薦名簿に加えてくださったのです。あのとき、文教から6人くらい受けて4人受かったのかな。
−ああそうなの。落ちた人もいるの?
西 はい。3次募集で、20人くらい、意外といっぱいいました。全員は受からないなと思いました。半分以上は落ちましたね。
−あれは自動的に受かる推薦なのかと思っていたんだけど。
西 私もそう思っていたんですけど、違いました。

大学院時代

−いろいろと錯覚がありますね。(笑)大学院時代はどういう勉強をしていたの。
西 まず基礎ができていないので、入学式のときに、あなたは他人の3倍勉強しなさいって言われました。でも3倍もなにも、課題が忙しくて、必死でしたね。
−宿題がたくさんでたの?
西 はい、でもついていきました。全部の授業が最初には分担をいわれるだけで、2回目からは分担者が発表形式でやっていくものばかりだったので、常に自分が分担している課題が5個以上あるような生活でした。毎日、授業やって、研究室に帰って課題をやって、レポートをやって、また授業にいって、また英語を和訳しなければいけなくって、毎日、研究室にぎりぎりの9時まで残ってやっていました。そして翌日また、朝8時くらいにきてという生活でした。あの2年間はよく勉強したなあと思います。
−一期生だよね。
西 一期生です。先生たちが張り切っていたこともあるんですが、実は、先生たちはすごく不安で、私たちが入った時点で、認可がおりていなかったんですよ。認可がおりるかもわからない、また、おりたとしても、臨床心理士受験の認定の一種か二種かもわからない。入試の時点で、もし認可がおりなかったから、あなたたちは、ここの大学院にいても、臨床心理士の受験資格はえられない。それでも学校を訴えませんかって聞かれたくらいなんです。だから、先生たちは、認可をとるために、学習状況がいい、きちんと実習にいっている、問題をおこさないとかをすごく気にかけていたし、第一期生がもし臨床心理士試験を受けることができた場合、合格率が80%を超えるとか、いっぱい目標があったんですね。だけど、集まったのが、認可がおりていない学校、しかも卒業式間際の受験でくるような人たちなので、あとからいわれたんですけど、「あんな馬鹿ばっか集めてどうするんだ」というようなくらい、みんなお馬鹿さんだったんですね。それで、鍛えていただきました。でも、結果的には、今10期生くらいまでいるんですが、一期生が一番合格率高かったんですよ。
それから、そんなギャンブルなことをするくらいエネルギーのある子たちが集まっていたんですよね。だから、すごく積極的で。授業中も分からないことばっかりなんですよ。ほんとうに初歩的な質問をするんですけど、それは別に恥ずかしいとは思わない。何度も何度も分かりません、分かりませんって、前期授業でわからなかったら、後期も受けさせてもらって、次の学年に混じって、「わかんないんです」と声を大にして言ってました。先生たちは、最初はあまりに馬鹿でこまっていたみたいなんですけど、だんだん、かわいくはなってきたみたいですね。(笑)後輩たちは、基礎ができていて、だからあまり質問もしなくて、優等生っぽいんですよね。

卒業生インタビュー2 西井文子さん(仮名)2

就職事情

−一期生の就職なんかはどうでしたか。
西 就職のための努力は大変でした。一期生で先輩がいないので、なんのルートもない。就職以前の問題として実習先がないんですよね。先生たちはいろいろな施設に依頼してくださるんですけど、あの時期は、臨床心理ブームなので、実習先がなかなか確保できなくて。実習できないと単位出せないから、自分で実習先を探してきて、自分で行けって言われて、みんなガッツで探して、だから、就職先もガッツで自分で探してきました。なんだかんで、みんな就職しました。それで臨床心理士試験うけて、7~8割は受かっています。
−西井さんは、最初からここだったの?
西 そうです。わたしは、M2のときから、ここで実習していました。大学院卒業のときに、就職が決まっていなかったんです。そしたら、ここの先生が、週1で、カルテをひたすらパソコンで入力するスタッフをとるので、来年来るかいって言われて。週1契約だったんですけど、本当に働くことになったら、週2に増やしてくれました。あと熊谷の児童相談所に週2で働いて、それからここの別のクリニックに勤めさせていただいて、週5で働いていました。
−けっこう忙しいね。
西 試験受けるのに週5は厳しかったですね。でも、3年くらいたったとき、嘱託常勤になれました。それで毎日ここで働いています。

弁当
−他のひとたちは、
西 一期生は、みんないろいろな経路、病院系、療育系、あるいはスクールカウンセラー、自衛隊の駐屯地で働いている人もいます。あと一人は、自分は臨床心理士にはむいていないことがわかったといって、臨床心理士にならなかった人がいます。心理学の予備校で働いている人もいます。
−最近臨床心理士とっても就職がないと、高校で言われる人が多くなって、就職面の不安で進学を考えてしまう高校生が少なくないと言われているけど、それはどうですか。
西 シビアな世界だと思うんです。ある人にはすごくあるし、ない人にはない。その差が大きい。
−その差はどこから来るんでしょう。実力、人柄、運?
西 運もありますし、あとはやはり、実力というか、心理療法の技量よりは、チームで仕事ができるひとかどうか、コミュニケーション力のほうだと思うんです。臨床心理でみている限りは。コミュニケーションに難しさがあって、チームで仕事するのが難しいとか、自分自身の感情がコントロールできなくて、患者さんを怒らせてしまう人がいるんです。病院系では、オープンな募集をしないで、知り合いをとるとか、関係の深い大学院の教授に紹介を依頼したりすることが多いんです。スクールカウンセラーとか、公的機関の病院はオープンに募集をかけますけど。
−医学部特有のなにか、閉鎖性ですか。
西 いえ、児童相談所で仕事したときにも、知っているひとを紹介してくれといわれました。だから、コミュニケーション力を高めて、学んでいるところで信頼されることが大切ではないかと思います。でも、一期生をみている限りは、心理の仕事がしたいのに、全く仕事がみつからなくて、働けない人はいないです。スクールカウンセラーや、保健所の検診の仕事もあるし。後輩でも、週1空いているので、どこかいいとこかないですかと聞かれることはありますけど、全部空いちゃって仕事できないんですという人は聞いたことないです。
−生活はどうですか。
西 それは仕事の選びかたでだいぶ変わるかなと思います。医師や弁護士のような高所得が期待できるライセンスではないですけど。それでも同期もみんな心理職で生活を成り立たせているので、食べて行くことはできると思いますよ。最初の1年は選べなくて、選ばれる、雇ってもらえればどこでもという感じですけど、試験に合格して資格とれれば、特に地方は臨床心理士の資格をもっている人はまだまだ少ないので、仕事は得やすいと思います。

仕事について

−仕事はどんなことをやっていますか。
西 ここでは、大人に面接を行うことと、親子のセラピーをやっています。大学病院で、研究業務があるので、研究枠で行うセラピーをやって、データをとります。それから非常勤職員や実習生のスケジュール管理や諸手続きの事務をやっています。
−ドクターをとって、仕事の内容とか身分が変わりましたか。
西 今のところ、ここでの仕事については何も変わっていません。今の仕事は面白みを感じているし、ウサギを飼うだけのお金はいただいているので、満足はしています。でもより広い領域では選択肢が出てくるという変化はあります。
−動物看護士の夢の一部は実現しているわけですね。
西 そうですね。獣医さんっていいなと思いますね。(笑)

うさぎ
−変化というのは。
西 日本の心理臨床って、アメリカから輸入して日本で応用するんですけど、それを事業化しているところがあって、そこを手伝わないかと言われたりしていますが、トレーニングが主になって、臨床時間が減ってしまうという不安もありますね。臨床やらないと下手になってしまう。
−どこかの大学で募集もあるので、そういうのに応募しようとかはどうですか。
西 学生さんに教えることが、自分にできるとはとうてい思えない。自分でやるのにも、精一杯なのに、どうして、そのとき、患者さんにそういう対応をするのかとか、臨床現場のことだけならいいけど、大学で教えるのは基礎的なこととか、理論的内容的なことなどもありますね。それから、大学院時代の自分と先生方を思い返してみても、自分は大学の先生になれる器ではないと思っています。非常勤で、授業だけを教えている先輩たちは何人かいて、多少興味がなくても教えていたら将来にはいいよ、という風には、言われています。
−教えることは、一番勉強になるからね。勉強する意味で教えるのはいいと思うけど。
西 そうなんですね。いま臨床のトレーニングという点では、教える立場になってきていて、面白いと思っているんですけど。
−西井さんって、いつも最初はだめとかいって、でも、結局やりとげているよね。(笑)
西 そうそう、今話していて思いました。全部の受験ステップが、どうせ私は受からないって言って、でもなんとか受かってしまって。
−できちゃう感じだよね。
西 ほんとうにまわりのかたに支えられてきたからだと思います。
−もし口があったら、週1くらいでやったほうがいいと思うけど

高校生に

−最後に、将来文教大学を受けたいと思っている高校生にメッセージなどお願いします。
西 文教大学ですか。とても楽しかったので、楽しいよ、越谷キャンパスはいいところだよって。
−どういうところがいいですか。
西 まず、先生方がやさしく学生に丁寧にみてくださって、他の大学入ったことないけど、距離が近いとか、よくみていただいている。私は、高校の先生の方がまだ遠かったような気がする。高校の先生よりも、かわいがってくれた。みんながすごく親切で、びっくりしました。あたりまえのことかも知れないんですけど、たとえば、物を落とせば、みんなが集まって拾ってくれるとか、雨が降っているときに、傘を忘れちゃったときなんか、歩いていると、自分の傘をどうぞってくれるひとがいて。家が近いのでどうぞって。カルチャーショックで、なんとやさしいひとばかりなんだろうと。
−傘を貸してくれるかはわかならいけど、物を落としたときに、みんなが拾ってくれるというのは、わかるよね。いまでもそうではないかな。
西 私の先輩が臨床心理の授業を、去年教えていたんですよ。職場の先輩が。別の大学の卒業生なんですけど、「あなた文教大学の卒業生でしょ、どんなとこ」って、聞かれて、「いやいいとこよ、のんびりして、犬の散歩とかしているし」みたいなことを言ったんですけど、最初の授業に行ったあと、いたく感動して帰ってきて、「学生も、先生もみんなにこにこしていて、すごく幸せそうな雰囲気の学校だ。自分の卒業した大学はもう少し、かりかりしている。あんなにのんびりした雰囲気ではなくて、あそこは、場所的にも桜の並木をとって、川をわたって、猫がいたり、犬が散歩していたり、学生が地べたでご飯たべていたり、のんびりして、にこにこしている、みんなひとがよくて、幸せそうで、いいとこだね」と言ってました。
−では、今日はありがとうございました。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)1

今回はこんちゃん(心理学科)と岳(人間科学科)のインタビューです。

小さいころの自分

お 小さいころはどういう子でしたか。小学生くらいまで。
岳 やさしい子だったようです。
お 男の子がやさしいというのは、どういうこと。
岳 母親がいうには、公園なんかにいって、夏場の最後になるとセミとかが、ひっくり返って死んでるじゃないですか。それに一枚一枚葉っぱをかけてあげて、「よく頑張ったね、おやすみ」みたいなことを言ってたらしいです。
お それ覚えているの?
岳 覚えていないです。
お 何歳のころ?
岳 小学3年生くらいですね。
お 小学3年生なら覚えているでしょう。
岳 あまり。

saeki

お 今から考えると、たしかに自分はそういうことをしそうな子どもだったと思いますか。
岳 たぶん、無意識ですね。
お 覚えていることでは、どんな子どもだったんですか。
岳 お祭が近くなって、やぐらを組んでいるときに、まだ骨組みくらいのときに、ここで遊ばないでくださいと書いてあっても、そこで遊ぶような子だったようです。覚えていることでは。
お 母親の像とは大分ずれがあるよね。
岳 小学校で大分変わったみたいですね。
お こんちゃんは?
こ 私は小さいころは、たぶんいい子でした。先生から見たら、たぶんいい子なんだろうなという感じの。ただ、すごく泣き虫でした。
お いじめられてというわけではなく。
こ そうではなく、なにか泣き虫でした。今自分の声低いので嫌いなんですけど、逆に小さいころは、声がすごく高かったらしくて、きゃんきゃんうるさいって、よくお兄ちゃんに怒られていました。
お 声変わりしたの?
こ はい(笑)
お 女の子は声変わりしないでしょう。
こ する人はするらしいですよ。少し低くなったりするらしいです。
お 身体が大きくなればね。共鳴体が大きくなるわけだから。
こ とにかく泣き虫でよく泣いていましたね。
お 悲しいドラマをみていると泣いてしまうとか。
こ どっちかというと、何か、強いことを言われてすぐ泣いちゃうという感じです。でも、小6くらいで、泣き虫で面倒くさいって言われて、そのときに、泣くのだめなんだと思って、泣くのをやめました。
お 泣くのは意図的にやっていたの?
こ いや、意図的ではないですね。
お 泣くと、いわれなくなったとか、そういうことがあった。
こ いや、特には。感情から泣くということだけでした。
お 言われて泣くんでしょう?
こ はい
お だから、言われて泣くと、言われるのがやむのか。
こ 余計に言われます。お兄ちゃんがそういうのを、泣いたら解決するのか、泣いて解決するわけじゃねえんだよ、とよく言われました。
岳 いいそうな感じですね。
こ うちは、上にふたりお兄ちゃんがいて、真ん中が年齢が近いので、よくけんかして、泣かされてました。
岳 学校でもそうだったの。
こ 学校でもけっこう泣き虫でした。

子どものころの遊び

お 子どものころは何をして遊んだ?
岳 子どものころは自分の近くに森があったので、木に登ったり、セミをとったり。
お 森というのは、公園みたいなの?
岳 そうですね。そこで夏祭をやったり、普段はおじいさん、おばあさんがゲートボールやっていたり。散歩のコースになったり。朝晩のラジオ体操もそこでやりましたね。そういう森があったので。
お アリエさんは、ケイドロをやりましたっていってたけど、ケイドロって知ってる?
岳 われわれはドロケイですね。
こ わたしも。
お ドロケイなんだ。
岳 派閥があるみたいですよ。(笑)ケイドロ派とドロケイ派と。
お 関東はドロケイで、関西はケイドロのような?
こ どうなんでしょう。
岳 千葉県のなかでも、派閥があるような。なんとか中学はケイドロだけど、なんとか中はドロケイと呼んでいるみたいな。
お ドロケイはやったの?
岳 やりましたね。
お 普通の鬼ごっこはしないの?
岳 そうですね。普通の鬼ごっこはつまらない。
こ わりとやっていました。
岳 あとドッチボールもボールをふたつにしてやっていました。
こ わたちたちもやっていました。
お ドッチボールはよくやったの。
岳 わりとさかんでした。
こ 休み時間の度に。
お 最近ドッチボールは?
こ 野蛮だみたいな。
岳 いってますね。
お 授業でやっちゃいけないみたいな。
岳 いま卵プロジェクトでいっている小学校では、普通にやっています。体育でドッチボール入っているし。
こ 今スポーツ心理学とっているんですけど、投げたり、チームワーク考えたりとか、発達にもよい影響するスポーツらしいです。
岳 あてるから野蛮だというのも、随分短絡的な感じだと思うんだけど。
お 言われてみれば、あてるスポーツってあまりないね。
岳 そうですね。
こ 人にあてるというのはたしかに。
岳 相手に害を与える目的があるわけだから。言われてみれば、ドッチボールくらいかも知れない。
お そういう趣旨なのかな、反対は。僕からすると、ボクシングのほうがよほど野蛮なスポーツだけど。

中高大での部活

岳 自分が入っている部活が強かったので、大変でしたね。
お それは何だったの
岳 テニスクラブです。
お 軟式?
岳 はい。軟式テニスです。総体での全国大会出場常連校で、顧問の人がずいぶん力が入っていました。とりあえず一年は、キコクラ(?)と20週するまで帰るなって。
お あつい人だったんだ
岳 あつい人でしたね。
お その反動として、今帰宅部なんですか?
岳 自分はあついの好きなんです。一生懸命練習するのが、好きだったんで、一生懸命身体動かして、うまくなるって、いいじゃんと思って、そういう側だったんですけど。一生懸命やりたかったんですけど、アクトテニスはちょっと違うなと。テニスじゃないな。活動の柱がお酒だなのと思って。
お 体育会なんかあるじゃない。
岳 そうなんですけど、大学では他にもアルバイトとか、旅行とか、やりたいことがあったんで、そんなに毎日は、でれないなと思って、じゃ、サークル、週2回くらい練習しようかと思って入ったんですけど。
お 物足りなかった。
岳 そうですね。2時間ちょっと練習して、よし飲みにいくぞって感じで、もう時間かあと思って。
お テニスは中高やったの。
岳 はい。高校は硬式になって。
こ テニスは全然できないので。
岳 テニスはまったくのど素人がある程度のレベルまでいくのが、一番速いスポーツだと思うんだけど。
こ えー。テニス本当にできない。教えてほしい。
お スポーツ一般はどうなの。
こ とにかく球技がだめです。水泳なんかも。
お 得意なのは何なの
こ 陸上系か、器械体操。中学で新体操していたので。

kondo
お 身体はやわらかいんだ。
こ 今は固いです。
お 当時は。
こ 当時もそんなにやわらかくなかったんですけど、幼稚園からやっていたので、
お 新体操って、ボール使うよね。
こ 使いますね。あのボールは大丈夫なんです。バスケとか、ボール奪い合うじゃないですか。
岳 競技スポーツとなるとということか。
こ だけど新体操は、自分で扱うだけ、自分で転がしたり、まわしたりして、自分の周りだけで使うだけなんで。
岳 相手を意識しないですむ。
こ それは大きいですね。
お 陸上系というのは。
こ 走るほうですね。
お 飛ぶとかは。
こ 高飛びは嫌いじゃなかったんですけど、幅跳びは嫌いでした。
岳 幅跳びが一番好きだった。(笑)
お 幅跳びって、走る延長でしょ。
こ そうですね。でも飛べなくて。
岳 踏み切りとか。
こ 踏み切りのタイミングがうまく掴めないですね。直前でダダダとなっちゃって。飛ぶの失敗してとか。
お 中高での部活は。
こ 中学ではさっきいったように、新体操で。
お 部活なの?
こ 部活です。
岳 新体操部って、あるのかなって。
こ 市内でも7校しかなくて、少ない部活でした。高校は、続けたかったんですけど、高校になかったので、ダンス部に入りました。
お 創作ダンス?
こ 今大学にあるダンス部や創作ダンスというのではなくて、表現のダンスをするんです。テーマ決め手、それをダンスで表現する。ヒップホップなんかもやっていました。あとは、地域のなんですけど、八木節を踊ってました。音にあわせて踊るのが、昔から好きなんです。本当にスポーツっていうと、球技が多いと思うんですけど、そういうのはあまり得意じゃないです。
岳 自分は体操が苦手ですね。
お スポーツの王者は陸上だからね。
岳 そうですね。体操、身体が固くて。身体固いとマット練習できないし、開脚前転なんて絶対起き上がれないし、だから今千葉県の教採の実技がマットなので、いま必死に柔軟体操しています。
こ 身体が柔らかいほうが怪我なんかもしないので、お風呂あがりに、柔軟するといいです。
岳 そういいますね。
こ でもやりすぎると、股のところを内出血して、真っ青になっちゃったりする人がいます。
お 僕も身体固いけどあまり怪我しないんだけど。
岳 それは激しい運動しないってことじゃないてすか。
お 自転車で激しく転んだときとかあるけど。一回転したことがある。
岳 自分も身体は固いけど、大きな怪我はしないですね。医者にかからないです。インフルエンザの予防接種くらい。
こ すごいね。
お 予防するの?
岳 予防しますね。
こ えらい。
お したことない。
岳 うち、父も母や教師なんで、感染源になってはいけないということで、みな必ずインフルエンザの予防注射うつようにということで、2本ブスってうつんですよ。
お 感染源になったとしても、ちゃんと予防注射はしていますと。
岳 建前ではないですけど。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)2

文教大学にはいって

お 文教大学はどうして入ったんですか。
岳 文教大学は落ち武者的な感じで。千葉大学の教育学部の初等社会を志望していたんですけど、見事にセンターでやってしまいまして、それからどうしようということで、今から文教の教育学部入れるほどの対策もできないし、この大学にいる先輩から、人間科学部にはいっても、小学校免許の取得のコースがあると教えてもらって。
お 先輩というのは。
岳 母の教え子ですね。
お その先輩の言葉がなければ来なかった。
岳 来なかったですね。
お 国立落ちても、いろいろ受けるでしょう。
岳 そうですけど、センター以外考えていなかったので。センターの模試でけっこういい成績とれていたので、もういけるんじゃないか、という油断があって。
お 普通滑り止めというのを考えるでしょう。世の中では。
岳 滑り止めもセンターセンター利用で。
お うちもセンター利用あるでしょう。
岳 文教大学の人間科学部を知らなかったんですよ。教育学部でしか、先生にはなれないと思っていたんです。で、文教大学教育学部のセンター利用もできず、日大もできず、あと東洋もひっかからなかったので、さて、どうしようということになって。
お では、何ではいってきたの?
岳 A日程ですね。
お でも、センター試験だめで、A日程の申し込みまで、ほんのわずかしかないよね。
岳 はい、ですから、センター終わって、母さん、どうしようかとなったときに、たしか先輩もこんな感じだったから、話を聞いてみたらということで、センターの次の日に話しをきいて、そこは速かったですね。
お なるほど。でも、B日程ではいってくる学生で優秀なのがいるんだよね。B日程というのは、すべてだめだったという人だから、できないイメージかも知れないけど、逆の場合が多い。
こ 私は、一浪しているんですけど、現役時代は、もともと教育学部志望で、群馬大学と、秋田大学を受けたんです。だめで、滑り止めでの大学では、幼稚園の免許がとれたんですけど、親が一浪していいよ、といってくれたので。浪人のときには、宮城教育大を志望していたんですけど、滑り止めで文教と東北福祉大学を。文教は、心理と特別支援でだしました。

EPSON DSC picture
お センター利用で。
こ はい、でも、文教の特別支援が落ちて、心理が受かって、心理でも特別支援教育の免許が今年からとれるということを知っていたので、心理でいいかと思っていました。宮城教育大は、特別支援が前期しかなくて、後期は地元の県立を受けたんですけど、そっちも落ちて、選択肢がここしかなかったんです。それでここにきました。
お それにしては、今は優秀だよね。
岳 そうそう。
こ 心理はとても楽しいので、それが向いているんじゃないかと思います。
お 高校の勉強と大学の勉強では、大分違うなあということですか。
こ 大分違いますね。お勉強というのは、あまり好きではないんで、センターもぼろぼろでしたし、特に英語ができないので。でも、心理や人間科学部の授業が楽しいので、大学ではそこそこの成績がとれているかなという感じです。
お 特別支援をやるきっかけというのは。
こ 私の母が、作業療法士なんですけど、職場が肢体不自由の人がくる養護園なんですね。そこにはいっている子とか、外来でくる子とかが、重複の子もけっこういて、職場によく遊びにいっていたので、そういう子がいることは知っていて、あと、小学校が、敷地内に特別支援学校が併設されている学校だったので。
お 特別支援学校が。学級でなくて。
こ 学校でした。
岳 それすごいとこだね。
こ 群大の付属だったんです。
お 群大の付属にいたの。
こ はい。
お そうなんだ。
こ なので、群大受けたかったんですけど。
お 群大の付属ってどこまであるの。
こ 中学までです。幼稚園、小学校、中学までは、付属だったんですけど、高校はないので、別のところにいきました。併設されていたので、ここで交流が総合の時間などにあって、自分でも聾学校に総合の時間にインタビューにいっていたんです。特別支援いいなあ、やりたいなと、思っていたのと、他にもうひとつ、理科が好きなので、理科でもいいかなと思ったんですけど、父と母の仕事の中間くらいなんですね、特別支援というのは。それでやりたいなと思って志望しました。
お 群大の付属は小学校から入ったの。
こ 幼稚園からです。
お それは入園テストがあるわけ?
こ あります。
お どういうの。覚えている?
こ 私は覚えていないんですけど、母からきいた内容では、受け答えができるとか、挨拶できるとか、簡単な数字書いたりとか。あとは、最後に商店街のガラガラってわかりますか、あのガラガラをひいて、それで金色の玉がでできたら合格という。
岳 え?
こ 最後は運ですね。
お 国立の付属ではよくあるんだよね。
こ たまたま幼稚園から入れたので。
お 中学まではそのままストレートでいける?
こ そうです。
お 高校は何故ないの。
こ なんでないでしょうね。わからないですけど。だいたい頭のいい子たちしかないので、上のほうの高校にはいります。群大の医学部に入るとか。
岳 すごいね
お 岳君は、小学校の先生には何故なろうと思ったの?またいつごろから。
岳 小学校に入ったときというか、自分の父親と母親の姿をみていたからかも知れないです。
お ふたりとも教師なんだ。
岳 はい。父は高校。教師をやって、家に帰ってまだ仕事をしていて、それがとても楽しそうだったので、教師って楽しい仕事なんだなあと。その反面、自分の小学校高学年になったときに、日本が不景気になって、過労死だとか、社会的な労働災害が問題になってきて、他の仕事がこんなになっているのに、母さんたちは、なんでこんなに仕事しているんだろうと思って。小学校の先生も様子をみていると楽しそうだなと。
お でも、最近の小学校は大変だよね。
岳 そうなんですかね。
こ 楽しそうだよね。うちの父親も楽しそうですね。
岳 また、自分は事務仕事があまり好きじゃなくて、もちろん、教師も事務仕事の固まりだと思うんですけど、そのなかでも、人間と接する面が多いなと。
お そういう面はね。
岳 同じ事務仕事をするにしても、自分は教育に携わりたいなと思って。小学校を選びました。

大学での生活

お 大学にはいってどうですか。
こ 大学、すごく今楽しいです。わたしは、内弁慶なので。
お まあ、内弁慶はそうだよね。そう思うよ(笑)
こ 人見知りがすごく、人と交わるのに時間がかかるんですよ。でも文教の人って、おおらかで、やさしい人も多くて、すごく居心地がいいなと思います。キャンパスも派手なところにないし、落ち着いているし、すごく好きです。

EPSON DSC picture
お 勉強とかは。
子 心理学は楽しくて、学んでいると、学校現場にいかせると思うので。本当は特別支援専修にはいりたかったんですけど、そっちにいるよりも、こっちにきてよかったと思っています。
岳 期末が近づいてきて、レポートださなきゃいけない、この日までにテスト勉強しなければいけない、来週の月曜日までに、ゼミの中間論文をまとめて、発表しなければいけない。そんなのがあって、いま勉強は大変ですけど、高校のときよりは、楽しいですね。自分は数学が嫌いだったので、無理やりやらされている感だったですね。
こ 大学では、自分の責任だもんね。
岳 そうだね。それに、心理とか、特支とかの分野でも、どこを勉強しても、将来教師として役立つだろうという内容なので、これもいいな、これもいいな、という風に感じて、これは嫌だというのはあまりないですね。
こ 人間科学科って、何やってるの?存在が謎なんだけど。
岳 何やってんだろう。全部やってるんじゃないかな。広く薄く。概説系はいっぱい受けた気がする。
こ 心理は心理メインだ、臨床は臨床で。人科人科って?
岳 教育学概論も、臨床心理学概論も受けたし、うーん。何やっているかと言われるとこまるか。
こ 福祉のところは、多いよね。
岳 そうだね。福祉の授業もけっこういったけど。あとはジェンダー論。どっちかというと、小免の色が強いかも知れない。~~教育論とか、家庭教育論とか。心理を混ぜつつ、ちょっと、教育に重きをおいた学科かな。どうですか。
お 僕は臨床心理学科なので、わからないね。(笑)
岳 そういう印象ですね。
お 小免の人って、固まる傾向があるね。
岳 志が具体的になったメンバーが集まるわけですから。全く同じような人間が集まっていると思います。
お 高校から大学にきて、一番違うなと思ったことは?
岳 自分の時間が増えたことですね。高校も部活だったし、一時間目から6時間目まであって、家に帰るのが7時を過ぎていたりして。大学は、日によっては、2時間目終わったら帰るみたいな。土曜日なんか。
お そういうときは、帰っちゃうの。
岳 そうですね。帰ってバイトしてお金をためて。別のことに使うとか。あとは、勉強するとか。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)3

学生だからできること

お 学生時代にしかできないので、こういうことをやっておこうという話がよくあるけど、それはどうですか。旅行にいくとか
岳 旅行はいってます。14カ国いきました。
こ 海外がメインなの?
岳 海外がメインです。
お 一人で?
岳 はい。
お 大変だよね。
岳 大変です。だからガイドさんとかも予め頼みます。インドなどは大使館に連絡とって。ガイドサービスなどはありますかね、って聞いて。

saeki3-1

お ガイドさんを頼むわけね。
岳 頼んで、空港まできてもらいます。ペルーに行ったときには、ガイドさんが現地語と英語しか話せなくて、自分は日本語とちょっとの英語しか話せないので、かなりぎくしゃくしたものになりました。何か飲み物が飲みたいというと、カレーが出てきたりとか。(笑)
お 日本人だから、ほしいのはカレーに違いないとか。
岳 トイレにいきたいというと、ずいぶん見晴らしのいいところにきてしまったり。
お レストルームとか言ったからじゃないの。
岳 そうですね。
お この人休みたいんだと。
岳 はい。
お ずっと一人旅で?
岳 友達が、俺もつれてってと、一回言われたので、一緒にオーストラリアにいったことがあります。そのくらいですかね。
お なんで一人で。
岳 ひとりだと自由時間がおおいし、ツアーだと、自分がここもう少しみたいと思ったときに、あと20分でいきますよっていうようなことか、嫌だったんで。
お ツアーのが安いでしょう。
岳 安いときもありましたが、基本は、そうでもないですね。自分でとった場合のほうが、安いことが多かったですね。
お 安いところに泊まったりするのかな。
岳 そうですね。
お ツアーはけっこういいところに泊まるからね。
岳 そうですね。インドでは、列車のなかにとまりましたね。
お 危ない目にあったとかは。
岳 危ない目は何度もあります。砂漠でテントに寝泊まりしているときに、砂嵐になったとか、インドの列車に乗っているときに、ガイドさんに飲み物買ってきてもらったときに、ガイドさんが戻ってくる前に列車が発車してしまったりとか。
お ガイドと分かれちゃったわけだよね。そのあとどうしたの。
岳 電車の次の駅でおりて、携帯にかけました。
お ガイドをつけず、自分でまわったとかは?
岳 3回あります。メキシコとロシアとカンボジアです。
お かなり際どいところだよね。なかなか難しいところだ。
岳 ロシアは自分で、単語帳片手にいきました。今わたしはどこにいます、というような例文です。一泊二日でした。
お 一泊二日でロシア?
岳 一泊三日ですか。
お 飛行機のなかで一泊だね。ロシアはどういうところにいったの。
岳 イルクーツクにいきました。バイカル湖の近く。バイカル湖が凍ると、凍っているところとそうでないところの間がきれいだ、というのを見たので、いってみようかと。きれいでした。
お 14カ国、あげてみて。
岳 ペルー、ボリビア、メキシコ、アメリカ、ロシア、カンボジア、オーストラリア、インド、ノルウェー、ザンビア、ジンバブエ、ナビビア、南アフリカ、今度カナダいって、14ですね。
お けっこう危険なところ行ってるよね。
岳 そうですね。フランスとか、イタリアは、行ってみたいんですけど、そこらは、年取って、定年のあとでもいけるかなと思うんですけど、さすがに、アフリカのジンバブエとか、3週間は年取ってからは無理かなと思った。
お そうだよね。
岳 今のうちに行けるなら行っておこうと。
お いままで一番危ない目にあったのは?
岳 アフリカですかね。襲われたというよりは、サイがかなり近くにきた。オープンカーで簡単な覆いがあるんですが、トイレ休憩にしましょうということになって、サファリのなかで、とまったんですけど、自分が荷物をとりにいこうと、後に行ったら、ふと前みると、距離1メートルくらいのところに、サイがいたんです。サイが茂みのようなところから、すっと現れたんで。(笑)
お 空腹じゃなかったんでしょう。空腹じゃないと襲わないから。
岳 大丈夫でしたけど、あのあと、ガイドさんは、誰か死ぬかも知れないと思ったというようなことを言っていた。でも、呼吸の鼻の動きまで見えましたね。バフーバフーという感じではなくて、スースーっていう。
こ 冷静に観察していたね。
岳 一瞬で冷静になった。「ああ、サイか」みたいな。(笑)
お 写真はないの?
岳 さすがにそのときの写真はないですね。
お 安全になってからは。
岳 いろいろ撮りました。
お こんちゃんはどうですか。
こ 旅行はあまりしないですね。
お 国内でもいいんだけど。
こ 遠出はしないです。せいぜい2泊3日くらい。近場くらい。旅行は好きなんですけど、誰かが一緒じゃないと動けないので、家にいて、本を読んだり、ゲームをしたりとかのほうがおおいです。
お 学生じゃないとできないというのではなくて。いつでも人生できるさって感じですか。
こ バイトはいろいろしたいと思っていますけど、今のところに落ち着いているし、部活が忙しいので。
お 部活ってなんだっけ?
こ 「なずな」です。りゅう君と一緒です。わりと忙しいので、休みでも、イベントがはいって、出かけるのが厳しくなります。今役職についているのもありますし、部活はとても楽しいので。(笑い)
岳 (何枚かのお札を見せて)お金です。いろいろあります。お金をメモかわりに使うインドとか。あとジンバブエドルって知ってます?
お 知らない。
岳 数年前に財政破綻して、スーパーインフレを起こしたんです。これは一体日本円でいくらだと思います。(ジンバブエドル札をだして)
お 0がいくつついているの。10こついているから、50億ドルだよね。いくらかっていうことね。どうせ、こういうこときいているんだから、1000円くらいかな。
岳 これは、12円です。
お 12円?へえー。
岳 だから、コーヒー一杯分もないそうです。
お でもこれ自体は、高く売れるよね。
岳 そうですね。だから、自分がいったときには、既に財政破綻していたので、これをおみやげ屋さんで売ってました。
お もう少したったら、歴史的な貴重な資料になるよね。
岳 第一次大戦後のドイツみたいに。
お そうそう。
岳 これもそうですね。これは10ドルでした。12円なのに、10ドルでした。
お お札としてではなく、記念品として10ドルね。
岳 ジンバブエにはいったときの入国ビザです。
お こんちゃんは、パスポートはもっているの?
こ もってないですね。だから、国外には旅行にいけないです。
お 申請すればいいじゃない。別にいかなくてももっていて損はないし。
こ 必要性がないので。身分証明も運転免許証でなんとかなるので。
お 免許はもっているんだ。
こ はい。もってます。
お それで長距離ドライブとか。
こ いや、そもそも免許とってから、一回も車乗ってない。(笑)9月にとったんです。だけど、こちらに住んでいるので。車はもてないし。

saeki3-2
お 実家にいればね。
こ 実家だと乗るんですけど、こちらだと必要性がないですね。
岳 実家だけど、迎えにきてとか、パシリとしてつかわれています。
こ うらやましい。でも、3年は忙しくてとれないと思ったので。
岳 この春休みとった。合宿で。
こ わたしより乗れると思う。
岳 話しきいていると、そうだなと。週3回くらいは乗っています。
こ いいな
岳 母親が運動会で忙しいと、ごめん、迎えにきて、なんて。はいいきます。みたいな。
こ 群馬は、ほんとうに車社会なんで、実家に車3台あります。車ないと生活できないから、群馬帰るなら、免許とろうと思って、とったんですけど、結局、こっちに。
お こっちだと、意外と近場で必要だよね。遠くにいくときには、公共交通機関を利用する感じで。
東京だと、どこいくにもバスとか電車だけど。
こ 群馬だとバスも電車も便利じゃないので、遠くも車です。こっちは駐車場ない店があるでしょ。群馬ではありえないので。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)4

仕事以外にやりたいこと

お 将来は先生になる希望だよね。それ以外に、何かそれだけじゃなくて、こういうこともやりたいということはありますか。
岳 ツアーガイドなんかはやってみたいですね。英語も好きだったので。
お あるいは、国連にはいっている国はすべて制覇するとか。
岳 いつかいってみたいのが、南極ですね。まだ行ってない大陸は南極だけなので。オーロラもみてないんだな。
こ オーロラ見たいな。
岳 オーロラはノルウェーでうっすら緑色の幕がかかっているかも知れないレベルでは、みたことがあるんですけど。
お オーロラは、今年卒業した学生が、オーロラ見るためだけのツアーにいって、4日間の猶予があったけど、2日間すばらしいオーロラを見ることができたって、すごくラッキナーだったらしいんだけど。
こ いいですね。下手すると見れないですもんね。
岳 見れないほうがおおいようね。
お こんちゃんは。
こ わたしは、幼稚園の先生か。やはり、先生ですね。

saeki4-1
お 先生やりながら、それ以外にやりたいことなんだけど。
こ あわせてですか。手芸とかミズクラフトがとても好きなので、そういうのやりたいなと思っています。ときどき作っているんですけど。
岳 デザイナーですか。
こ デザイナーというより、趣味程度でいいんですけど。絵を描くのも好きだし。
お こんちゃんっていうと、どこかに落ち着いて、なんか一人でこつこつというイメージ。
こ 外にいくのも好きなんですけど、それより、結局、自分のために動くのが面倒くさいんですね。誰かと一緒にお出かけというと行きたいですけど、自分一人でいくには、そんなにお金もかけたくないし、着替えたり、とかも面倒くさいし、それなら、家のなかでやりたいことをやれたらいいなというところがあるので。
お 群馬の女性というと、かかあ天下というのがあるけど、それとはちょっと違うよね。
こ そうですね。
お こんちゃんタイプのほうが、むしろ、かかあ天下の典型なの?
こ いや、わたしは違うと思います。
岳 亭主関白。
こ 母は福島の人なので、群馬とは違うかも。
お 群馬に住んでいて、ああ、あの人やはり群馬の女性だと思うような人はいる?
こ いますね。男より強くて、行動力もあって、主導権握っていて、ぐいぐいいくような人もいます。女性が強い。しっかりしているんです

大学への要望

お 大学に要望なんかありますか。こういうことがあるといいけどというような
こ 履修の制限が一番つらいです。
岳 そこかも知れないです。
こ 心理学科って、人科人科のひとよりも、単位をたくさんとらなければいけないんですよ。その分、自分の学科の授業がとれなくなるんですね。制限があると、1、2年で全然とれないので、3、4年が忙しすぎて、手がまわらない感じです。
岳 そうですね。
お 4年はそんなに忙しくないでしょう。
こ どうなんでしょうね。
お 特別支援は実習が2回あるからね。
こ 単位もまだけっこう、自分の学科のも3、4個残って、教職も3、4個残ってというような感じになっています。
お そのくらいいいんじゃないの。
こ たしかに週1しか学校にこない先輩もいるので、どうなのかな、とは思うんですよ。学費も払っているし。4年のほうが理解力あるので、そのとき勉強したほうがいいかと思うんですけど、今の3年の忙しさは、尋常じゃないです。
岳 忙しいね。
お そうなんだ。それは、再検討する余地はあると思うけど、君らの世代では無理なので、しっかりバランスとって勉強してください。では今日はありがとう。

ゼミ生インタビュー第一回(1)アリエ&りゅう

卒業生シリーズを始めたわけですか、現役生にも登場してもらうことにしました。今4年生は採用試験や就活の真っ最中なので、それが一段落つく秋に出てもらうことにして、まずは3年生から2人ペアで登場してもらうことにしました。今年度の3年生太田ゼミは、非常に珍しく男女同数なので、ペアがいいかと思いました。
最初は、アリエさん(ア)とりゅう君(り)です。
文教大学に入学したきっかけ

お 先陣をきって登場してもらったわけですが、まずは文教大学に入ったきっかけについて話してください。
ア 教師をずっとめざしていた関係で、教師になるといったら、文教大学を受けようかなと。特別支援の教師になりたかったのですが、人間科学部なら、選抜試験受かればなれるし、ここにしようと思いました。
お 新潟ですね、実家から遠いでしょう。家族の反対はなかったんですか。
ア ないですね。
お どこにでもいきなさいと。
ア そんな感じですね。(笑)新潟に教師になれる私立とかなくて、国立落ちたので、どこでもいいよという感じだったです。
り 僕も一緒で、教師をめざしていて、高校の先生に、文教を勧められて、国立も受けたんですが、結果的に文教にはいりました。
お 教師には何故なりたいと思ったのですか。
ア 私は、弟が自閉症で、特別支援学級だったんですが、先生が障害について十分配慮してくれなかったのです。それなら私がいい先生になって、できることないかなと思って、なりたいとおもいました。
お その先生は、障害について勉強したわけでもないし、自閉症をどう扱っていいか、普通の教師はわからなかったんじゃないかと思うけど。
ア そうなんですよ。その先生が悪いというわけではなくて、特別支援の免許もっていない先生が、代理でやるみたいな感じだったので、対応は難しかったのかなあ。小学校の免許の先生でした。
お そういうのはめずらしくないけどね
り 僕は、年が10歳くらい離れた弟がいて、その弟に接していたり、教えていたりするうちに、教えるというのは楽しいな、やりがいがあるなと感じるところから、教師をめざすように。
お 弟だと、どうしてこんなことわからないのか、というような教えるもどかしさなどを感じることはあるでしょう。
り もどかしいのはありますけど、それも含めて、できたときには、「できた」と、こっちも達成感があるし、相手も達成感があるので、楽しいなと思って。
お 僕も弟で、兄貴に教わったことなんかないんだけど、弟って、喜んでお兄さんに教わるものなの?
り 年が離れていたというのもありますね。一つ上に姉がいて、姉と一緒に弟をかわいがって教えていましたね。

文教大学について

お 文教大学に入ってどう感じましたか。
ア ちょっと田舎にあるせいか、学生みなが、静かというか、穏やかな印象をうけますね。やさしい感じがしますね。
お 自分が突出している感じですね。
ア ははは。それも感じますね。(笑)それから授業などもまじめな感じがします。教職に特化しているというか、教師を目指している学生がとても多い。

藤井
お 企業というと、競争社会にはいっていく感じだけど、そういうのには、むかないイメージですか。教師、福祉職、カウンセラーのような仕事が向いている?
ア 確かに。競争社会にむいていそうな人は少ない印象はありますね。
お 現代社会にはあまり適応できない感じという意味?
ア そうでもないんですけど、のんびりしている人が多いかなという印象かあるので
り 三学部あるじゃないですか。教育やる人は、教育学部だけだと思っていたんですけど、人間科学部にいざ入ってみると、先生やりたいという人がいっぱいいて、すごくよかったです。
お では、企業就職をめざしている人というのは、疎外感を感じているような?
ア 学科によるとおもいます。人間科学科だと、公務員、教師志望が多いんですけど、心理学科だと、企業就職が多いので、自分がいる場所によるかとおもいます。
お 心理学科には、就活ゼミというのがあって、そこには、学部としてかなりの力を入れているんだよね。

部活について

お 部活は何をしているんですか。
ア 私はCフラというボランティア部にはいっています。活動内容は、点字とか、手話を勉強したり、子どもたちと遊ぶことです。特別支援の先生になるために必要かなと思って入ったんですけど、実際の聾者さんと話す機会がもてて、入部して毎日とても充実していますね。
お 具体的にはどんな活動をしているんですか。
ア 手話は、週2で、単語勉強したり、ゲームをしたりとか、点字も週1で、点字の文字だけではなく、法則があるので、詳しい勉強とかしています。あとは、障害児と遊ぶ活動があります。
お 手話はいろいろな流派があるようなんだけど。独自の文法をもっているのと、日本語をそのまま置き換えているというのと。
ア 日本手話と日本語手話です。私は日本語手話を勉強しています。それは、日本語の文をそのまま単語ごと手話の単語に置き換えるんです。
お 私 いく 学校 へ とか
ア はい。それに対して、日本手話というのは、最初から耳がきこえない人がやるもので、独自の文法をもっている新しい手話の言語なんです。
お 双方の手話の間での会話は可能なんですか。
ア できます。なんとなく、構文が違うんですけど、できなくはないです。
お でも、微妙な表現は難しそうだけど。
ア 疑問の仕方などは、違うかも知れません。
お 前から手話に関して思っているだけど、英語にもあるしドイツ語にもある。各国にありますね。その通訳できる人はいるの?
ア そこはわからないです。確かにいるかも知れませんね。
お そういうをめざした人いないのかな
ア 私も考えたことないので、調べてみます。
お 前から卒論で手話をやるという学生がたまにいるんだけど、手話の通訳とかを研究してと言うんだけど、魅力を感じてくれないんだけど。
ア 気になりますけどね。
お そうだよね。そうしないと、国際交流はできないから
ア そうですね。しないといったら、それで終わりですからね。
り 僕は、学習ボランティアなずなに入っています。週1で児童養護施設で子どもたちと遊ぶのですが、部員が、予め出し物とか、遊びを用意してもっていきます。
お なずなは、部会は分かれているんですか。
り 三パートに分かれていて、障害をもった子どもと遊ぶパートが2つあって、児童養護施設の子どもと遊ぶパートがあります。
お 児童養護施設の子どもと接して、なにか感じることは?
り ほとんど普通の子どもと変わらないですね。ちょっとやんちゃだったり、やりすぎることがあるかな、遊びでも。
お 甘えが足りないとかよくいうじゃない。
り それはあります。一番最初にいったときでも、人見知りしないでなついてくる。一人を独占したがる傾向は強いですね。
お それで喧嘩したりというようなことは?

 

須田
り ありますね。でも、そこは学生がうまくおさめています。一人としか遊ばないという子どもも多いですね。一人の学生を毎回独占して、ずっと一人としか接していない。その学生が、活動にいかない日があると、今日はやらないといって、部屋に戻ったりとか。一人を独占するタイプの子どもは多いですね。
お 学生もたくさんいないと困ってしまうね。
り そこはうまく、学生がいろいろな子どもと接するようにして、一対一で遊びたい子ども同士を一緒に遊ばせるように配慮しながら、やっている感じですね。
お 今日はこの一対一をチェンジしてみようということはあるの?
り それは意図しなくても、けっこうやっています。
お 自然に。でもさっきの子どもだったら嫌がるでしょう。
り 嫌がりますね。そしたら、一緒になって遊んだりして、いろいろな学生とその子が遊べるようにしています。