日本では、教職は人気の職業だと言われている。団塊の世代が退職して、教師の大量採用が続いたころ、大学では小学校免許取得のコースがかなり新設され、志願者も多かった。中学・高校の免許取得の課程は、ほとんどの大学に設置されているが、小学校の免許取得課程は、かなり限定されていたからである。私の大学は教員養成で有名なので、学生募集で有利な状況だったといえる。
しかし、私自身は、やがて教職を目指す学生は減少してくるし、また、現場で教師不足になると危惧していた。ブログでも何度も書いたし、授業でも話していた。教職に就く魅力とされていたことが削られ(ex. 奨学金返済免除)、教師批判が強まり(M教師批判、いじめ問題の不手際)、そして、なんといっても殺人的な過重労働などが要因であろう。
そして、それは次第に現実となりつつある。
小学校の教員採用試験の倍率が2倍いかないところが、けっこうあるのだ。特に、地方は例外なく、教師になるのがかなり難しかったのであるが(だからこそ、大分県での不正事件なども起きた)、地方に倍率の低い県が少なくないのである。これは、民間企業の採用が増え、「売り手市場」になっていることも影響しているようだ。確かに、民間企業への内定は順調である。民間企業の採用が多いと、公務員や教員志願者が減り、不況になると逆になるのは、戦後ずっと続いている現象であるが、教職への志願者が減っているのは、ブラックと化した学校の実状が知られるようになったからだろう。
2017年11月28日付けの多少古い毎日新聞だが、「小中教員不足 『担任すら決まらず』自治体間で講師争奪」という記事で、教師不足が報じられている。2017年度当初の段階で、67教育委員会対象の調査により、357人の不足だとされている。そうでなくても、過重労働なのに、ますます酷くなっている。不足に輪をかけているのは、団塊の世代の退職による、若手大量採用の結果、育休・産休が増えたことである。確かに、私のゼミ生で、育休・産休の教師は何人もいる。長いと数年にわたる育休となっている。もちろん、こうしたことは、よいことであり、教師が育休をきちんととれるからこそ、まだまだ人気職業でいられるのである。育休をとりにくくなったら、ますます志願者が減るだろう。
しかしなんといっても、大きな理由は、教師の労働の大変さ、ブラックそのものの職場環境のせいだと思っている。「働き方改革」の議論が盛んだが、学校現場は無視されている。残業を減らすことが大きな課題になっている改革論議だが、そもそも「残業概念」を放逐してしまった学校現場では、それでは改革のしようがない。
ベルリンの教師不足と対応
さて、こうした状況の打開になると思って紹介するのではないが、ベルリンで教師不足が深刻で、こんな対応をしているのだが、という記事があったので紹介する。むしろ、こんな打開策をこうじる必要がでるまえに、なんとかすべきであるという意識で紹介する。
Lücken im Lehrerzimmer(教室の欠員)というDer Tagesspiegel 7 Jun 2019 の記事で、筆者はVon Sylvia Vogt。
まず「充分な教育を受けていない教師がベルリンの生徒たちを教えており、その多くの教師たちが、アビトゥアを取得していない。」という事態が指摘される。ドイツで教師になるのはかなり負担の大きなものである。州によって異なるが、一般的には、大学での教職課程を履修したあと、第一次国家試験を受け、合格すると、試補(1年半から2年)としての実際の教授活動と学習ゼミナールでの研鑽を行う。そして第二次国家試験に合格すると正式採用となる。ドイツの大学は、職業によって必要単位が指定され、その単位を取得して就職していくことが通常であるが、教職の免許を取得するための単位は、通常4年間かかる。したがって、正規の教員になるためには、最低6年必要である。正規の教育を受けていないということは、上記のことが満たされていないことを示している。アビトゥアは大学教育を受ける上で必要だから、高等専門学校で学んでいるということだろう。記事によれば、1000人資格をもっていない教師がいるが、これは年々増えているという。新年度、ベルリンでは、600名のフルタイムの教師が不足する。
この不足を補うために、正規の免許をもっていない者を採用しているわけだが、それらは
・教職課程を途中でやめてしまった者
・試補期間中にやめた者
・そもそも教育を受けておらず、他の職種から鞍替えしてくる者
・すでに退職している人(正規の資格をもっている者が多いだろう。)
などがいる。
鞍替え組では、元旅行業者だった人が地理を教えているなどがあるという。
こうした不正規の採用が増えるのは、仕方なくという理由だけではなく、事実上増やす政策もとられており、資格をもたない者は、これまで任期制だったが、任期を撤廃する計画がある。そうなると、正規に採用する枠が狭まるという指摘もある。期限を撤廃しないか、あるいは再教育して正規の資格をとらせるべきであるという意見である。
資格をもたない場合、ほとんどは非常勤になるので、多くの人数が必要であり、いったん採用してしまうと、正規のフルタイム教師の枠をとってしまうわけである。正規教員を採用できず、資格不十分の教師を採用せざるをえないとすれば、せめて、配置を適正にすべきという主張が紹介されている。つまり、非正規教員が少ないように、学校に散らばせるべきで、10%以内なら、同僚が面倒をみることができるが、半分以上になると、それが無理になってしまうというわけだ。
尤も、この記事は、なぜ正規の教員が不足しているのかは、書かれていない。不足しているので、資格をもっていない人で代用せざるをえないという内容だが、ドイツの場合、教職につくための負担が大きいこと、にもかかわらず、特に小学校などは給与が安いこと、(PISAの結果が悪かったので、改善されているが、以前は基礎学校は午前中しか授業がないので、給与が低かったのである。)そして、ベルリンの場合には、移民が非常に多く、教師の負担が大きいことなどが理由となっている。
日本では
このような現状は、日本ではどうなのだろうか。
実は、免許をもっていない人を採用できる仕組みは、かなり以前から設置されている。臨時免許、特別免許という制度だ。民間企業に務めていた人を校長として採用することを進める政策がとられたが、それを支えたのが、この免許制度だ。教師に社会経験が足りないことが、授業力を低めているという批判があり、だから、免許をもっていないが、教育的情熱があり、識見がある人を採用できるようにしたほうがいいのだ、という見解はもちろん根強くある。
記事でははっきりしないのだが、ドイツで、正規の資格をもたない教師は、フルタイムではないことが多いようだが、日本の臨時免許や特別免許で採用される場合、ほとんどフルタイムである。ただし、臨時免許と特別免許は期限がある。
多少例外的ではあるが、教員採用試験に合格したのに、教職資格に必要な単位を取り落とした場合、臨時免許を使って採用し、仕事をしながら、単位を何らかの方法で取得させて、正規の免許にさせるということもある。更に、特別支援学校では、特別支援教育の免許は不可欠の要件ではない。
日本の現状は、ドイツのように、教師が決定的に不足してしまったために、仕方なく資格のない者を採用せざるをえなくなっている、というわけではなく、むしろ、資格をもっていなくても、教師としての資質や能力をもっている人を、教職につける仕組みを作るというシステムだと解釈できないこともない。しかし、近年の教師志願者の減少は、近いうちに、深刻な恒常的教師不足をもたらす可能性が高い。
最大の理由は、教職の魅力を低下させた政策と社会にある。教師が不足すれば、教育水準は確実に低下する。そうならないためには、まず、政策として、教職の魅力を高めることをすべきである。このブログでは、それを「学校教育から何を削るか」というテーマで考察している。