春学期の調査まとめ「インクルーシブ教育」

春学期行った調査のまとめ

 

1.はじめに

今年度のゼミの共通テーマは「環境としての人間」というものである。まず、環境について考える。環境は、生物を取り巻く家庭・社会・自然などの外的な事の総体であり、狭義においてはその中で人や生物に何らかの影響を与えるものだけを指す場合もある。特に限定しない場合、人間を中心とする生物に関するおおざっぱな環境のことである場合が多い。環境は我々を取り巻き、我々に対して存在するだけでなく、我々やその生活と関わって、安息や仕事の条件となる。では、人間に適した環境とはどのようなものなのだろうか。私は、特別支援教育の視点から、障害を持った児童が快適に過ごせる環境について考えたい。

私は現在特別支援学校の教員になることを目指している。私の弟は自閉症という発達障害であり、弟のような障害を持った子どもたちが楽しく充実した学校生活を過ごすためにできることはないか、と考えたことが教員を目指すきっかけとなった。さらに、障害をもった子どもたちが快適な学校生活を送るための環境を作る1つの方法として、私は「インクルーシブ教育」が望ましいと考える。インクルーシブ教育(訳:包容する教育)とは、人間の多様性の尊重等の強化や、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者とない者が共に学ぶ仕組みのことだ。2012年に文部科学省の初等中等教育文科会から「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」が発表されており、以下のような考え方にもとづいて、特別支援教育を発展させる必要があるとされている。

  1. 医療、保健、福祉、労働等との連携を強化し、障害のある子どもの教育の充実を図ること。
  2. 障害のある子どもが、地域の同世代の子どもや人々の交流等により、可能な限り共に学ぶよう配慮すること。
  3. 次代を担う子どもに対し、学校において障害者理解を推進すること。

「インクルーシブ教育」について興味をもつきっかけとなったのは、あるデイサービス施設の合宿に参加したとき、施設の職員の方が健常の子どもと障害をもった子どもが生活をともにすると、障害をもつ子供は健常児の真似をして、生活力が上がると仰っていたのを聞いて、健常児も障害児も可能な限り関わる機会を増やしたほうがいいのではないか、と考えるようになったことだ。インクルージョン教育は今までに多く議論されてきたテーマであり、それだけメリットもデメリットも存在する。さきほどは、障害者側からのメリットを述べたが、健常児側からの視点でのメリットやデメリットも存在する。健常児と障害児が共に学校生活を過ごすことによって、健常児は障害に対して理解を深めることができ、思いやりや優しさが育つことが期待される。障害に対する偏見も減るのではないかと考えられる。逆に、障害児と生活を共にしたことによって差別的な考えが生まれてしまう児童もいる。障害児のお世話係りを任されたりなどしたことが負担になってしまい、障害に対して良い印象を持てなくなってしまったという例もある。

今までに述べたようにインクルーシブ教育は、メリット・デメリットが存在するため、良い結果だけを残すものではない。様々なメリット・デメリットを比較検討し、障害児・健常児にとって良いインクルーシブ教育の形とは何か、良い学校環境とは何かについて考え、研究していきたい。

 

2.インクルーシブ教育の成功例について

DINF(障碍者保健福祉研究情報システム)による国際調査から得られた重要な3つの所見。

インクルーシブ教育は有効であるが、その成功は依然としてその場限りのものである。

インクルーシブ教育は、重度の児童に対しても有効だ。親が子どもに期待を抱いて多様性を受容する教育や学校にアプローチしたとき、子どもが学校で個別のニーズと能力に応じた支援を受けるとき、教師が多様な生徒を指導できるようサポートされるとき、すべての子どもは学習し、成長することができる。多くの課題、問題がある中多くの事例がインクルーシブ教育の成功を実証してきた。しかし、学級および学校、地域社会、教育制度、そしてマクロな計画と政策が、インクルーシブ教育を全体的に推し進めるために一丸となって取り組んでいる例はごくわずかだ。「その場限り」というのは「事例だけ」という意味である。リソースや教育制度からの支援がないまま、インクルージョンを実現しようとする一人の教師や学校長の純然たる意志と献身によって達成されたものであることが多い。結果的に、必要な支援を受けながら普通教育を受けることができる障害児は少ない。

《成功例と言える事例》

◎武壮隆志・北村佳那子著「最重度・重複障害児 かなこちゃんの暮らし」明石書店

この本の中心人物である佳那子さんは、胎児期ウイルス感染による脳・脊髄膜炎の後遺症で、脳性まひ、小頭症、ノンレックス症候群(てんかん)などといった病名をあわせもっています。全面介助ですが、明るくおちゃめな女の子です。佳那子さんと触れ合うことを通じて子どもたちはいろいろなことを感じます。「障害って個性なんじゃないかなあ。」「障害っていう言葉がなくなったらいいのに。」「私は今まで障害についてよく理解しないまま差別していた。佳那子ちゃんと出会えてよかった。」「佳那子ちゃんへの見方を変えれば、佳那子ちゃんの気持ちも変わる。」「障害者だから、とか関係なく怒ったり笑ったり遊んだりするのが本当の友達」以上に述べたように佳那子さんに対するプラスの面での子どもたちの変化がわかります。きっと他の生徒には佳那子さんと接しても、障害に対してうまく関わりが持てない子もいるかと思います。しかし、障害に対して理解を深めた児童がいることも事実です。何と言っても、佳那子さん自身が通常学級での暮らしが充実していて楽しいということが本書から伝わってきます。読みやすいのでぜひ読んでみてください。

 

  1. ニュージーランドの障害児教育

ニュージーランドでは、特別な教育的ニーズのある子ども、健常の子どもなどすべての子どもたちが個人に適した環境で、ひとりひとりにあった教育を受けることを保障しようとしている。その結果、ニュージーランドにおいては、障害のある子どもたちの約96%が通常の学校で教育を受けており、インクルーシブ教育が進んでいる国の一つだといえる。(内訳 85%:通常学級、9%:特別学級と通常の学級、2%特別学級)ニュージーランドではSEN(Special Education Needs)のある子ども、健常な子どもなどすべての子どもたちが個人に適した環境下でひとりひとりにあった教育を受けることを保障しようとしている。ニュージーランド政府は、特別な教育的ニーズのある子どもたちに年間約283億円を投じている。このような政府によって保障された環境がひとりひとりの子どもたちが完全なインクルーシブ教育を受けることができる方向性を明示している。ニュージーランドのインクルーシブ教育は、障害のある子どもだけではなく、少数民族や、宗教的な違い、亡命者や難民、病弱の子どもたち、虐待を受けた子どもたち、他にも社会的に不利な立場にある子どもたちなど、非常に多様な背景にある子どもたちが置かれている不利な状況を改善することに焦点を当てているといえる。

 

 

4.理想的なインクルーシブ教育とは

まずは、インクルーシブ教育の定義について考える。先ほども述べたように、インクルーシブ教育とは、人間の多様性の尊重等の強化や、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者とない者が共に学ぶ仕組みのことである。インクルーシブ教育は、多様性を尊重し、バリアを克服しようとする人々と社会にかかわるものである。機会均等の考えに基づいているが、単にみんなを等しく扱うものではなく、前もってある違いを補強するにすぎない。最大限にする等しい機会をもつようにすることだ。

定義が広いため、様々な教育システムをインクルーシブと称することができる。つまり、常に同じ学級で学習や学校生活をともにすることだけをインクルーシブとするのではなく、通級や交流も意味に含まれる。障害をもったこどもの中には、聴覚障害など、専門的に学習を行わなくてはならない場合などは通常学級で生活することは難しい。しかし、そのような場合でも、普段は聴覚障害に応じた特別な教育を受け、健常児との交流の時間を設けるなどの工夫が大切だと考える。

障害をもつ児童のような特別なニーズをもつ子どもへの支援だけではなく、「教師の目から隠れてしまいがちな子」「教師に要求が伝えられない消極的な子ども」もたくさんいるため、そのような子どもに対しての支援も考えたい。

インクルーシブ教育における効果の1つとして、子どもたち同士の助け合いが期待される。たとえば、机の配置がグループの形にするという考えである。これによって、友達同士の学習援助の機会が増える(アメリカに比べ日本は少ないといわれている)、支援者の役割の縮小にもつながる(フェードアウト論)、子ども同士をつないできく働きかけが重要。支援者に求められるなどの効果が得られると考える。

展望としては、障害をもった子ども、不登校など排除の圧力にさらされる子どもたいちが参加、達成、出席することが目標だといえる。

 

 

《参考》

・荒川 智「インクルーシブ教育入門」クリエイツかもがわ

・武壮隆志・北村佳那子著「最重度・重複障害児 かなこちゃんの暮らし」明石書店

・愛甲 悠二、池本喜代正「ニュージーランドにおけるインクルーシブ教育の支援体制及び基金に関する研究」宇都宮大学教育学部

 

〚秋学期の課題〛

・春学期は様々な現在あるインクルーシブ教育について調べたため、それを踏まえ理想的なインクルーシブ教育を追及し、どのような方法をとれば実現できるかを考える。

・小学校の先生方にインタビューを行う。

夏休みまとめ 環境としての人間

今回、私は、重度の知的障害を持つ生徒の給料を上げるために、学校で行うことができる教育方法はあるのかということを研究したいと思い、このテーマを選んだ。  一つ目になぜ、知的障害者かというと、知的障害者は障害者の中で一番人数が多いということが挙げられる。就業率はほかの障害の人よりも高いとされているが、年齢階層別就業率 の平均は半分程度である。20歳は7割であるが、年齢を重ねるごとに、就業率は少しずつ低くなる。この最初の七割を継続すると、いいのではないだろか、と考える。 二つ目に給料が一般的な企業でも低く、また、就労移行、生活介護などはさらに低いという現状がある。これは、一日の仕事の量、時間が少なめや販売を行っているところでは物が売りきれない、などが考えられる。  三つ目に、少しでもお金が増えれば、家族への金銭的負担が軽減されるのではないか、と考えられる。現在は、国や地方自治体により、障害者への金銭的援助は行われている。児童生徒であれば、学用品や給食費 などの金銭的援助、18歳以降は障害者年金などにより、お金が貰うことができる。また身体障害者であれば、車いすを購入するときの補助など、障害によって、その援助は異なっている。また、これは地方自治体によっても異なってくる。障害者はある市では、市営の交通機関は無料である、など、地方自治体の財政事情によって異なっている。  国の財政事情、地方自治体の財政事情、によって障害者への援助は変わってくる。このことから、高齢者が増えている今、障害者への援助はよくならない可能性が高い。また、金額も減ることはあっても、増えることはないと考えられる。しかし、今は消費税が上がる予定、また物価自体が上がってきているということを考えると、同じ金額を受け取っていても、手元に残る金額が少なくなるのではないか、と考えられる。そうすると、今の高齢者の一部は貧困に陥っているが、その下の世代は年金が貰えるかわからない、もらえても金額が低いと考えられ、現在障害児の親、若い障害者の親はほかの親よりも生活が困難になるのではないだろうか、と考えられる。  また障害者の平均寿命が延びている、ということが聞いたことある。以前は階段が上がれなくなる前に、なくなることが多かったが、いまは階段で上がるのが困難になる年齢まで生きるため、二階に住んでいた障害者が困っている、ということを聞いたことがある。 高齢者が増加、障害児が増加、高齢者で障害を持つ方が増えている、しかし、労働者人口が減る、ということから、今は成立していても20年後、40年後がどうなるかはわからないだろう。 四つ目に障害児の生まれる数が増えている、ということが挙げられる。高齢者出産により、染色体異常をもつ障害児が生まれる確率が高い、医療の進歩により、以前であれば生き延びることができなかった子供が生き延びることができるようになった。しかし、同時に障害を持つことがある、ということが考えられる。晩婚化、高齢出産は女性も大学を出る割合が高くなった、また給料が安いことから安定した生活を送るまで結婚しないなどにより、これからも続いてくだろうと考えられる。そうすると、これから障害児が増える可能性があると考えると、これから障害者にも社会でなにかできるように今から働きかけができるといいのではないか、と考える。また、今回例に挙げた高齢出産は割合が高くなる、というものであり、高齢出産だから必ずしも障害を持つ子どもが生まれるとは限らない。若くても、妊娠中の過度なストレスや食生活による妊娠中毒症、大気汚染など環境ホルモンの影響も原因 となる。しかしどの原因と挙げられるものも現代生活には非常に密接なものである。  障害者への給料、賃金は総じて安い。学校という教育の場であるが、仕事につなげるために、何か行えることはあるのだろうかということである。  この研究のために、生活介護の施設で働いている職員の方、また特別支援学校(知的障害)の学校での進路担当の教員の方へのアンケート、また教員の方へのアンケートを行った。 (1)施設・作業所側から ① 生活介護とは そもそも生活介護とは何か。厚生労働省の障害福祉サービスの内容ではこのように定められている。  障害者支援施設その他の以下に掲げる便宜を適切に供与することができる施設において、入浴、排せつ及び食事等の介護、創作的活動又は生産活動の機会の提供その他必要な援助を要する障害者であって、常時介護を要するものにつき、主として昼間において、入浴、排せつ及び食事等の介護、調理、洗濯及び掃除等の家事並びに生活等に関する相談及び助言その他の必要な日常生活上の支援、創作的活動又は生産活動の機会の提供その他の身体機能又は生活能力の向上のために必要な援助を行います。 【対象者】 地域や入所施設において、安定した生活を営むため、常時介護等の支援が必要な者として次に掲げる者 (1) 障害程度区分が区分3(障害者支援施設に入所する場合は区分4)以上である者 (2) 年齢が50歳以上の場合は、障害程度区分が区分2(障害者支援施設に入所する場合は区分3)以上である者 (3) 生活介護と施設入所支援との利用の組み合わせを希望する者であって、障害程度区分が区分4(50歳以上の者は区分3)より低い者で、指定特定相談支援事業者によるサービス等利用計画を作成する手続きを経た上で、利用の組み合わせが必要な場合に、市町村の判断で認められた者 [1] 障害者自立支援法の施行時の身体・知的の旧法施設(通所施設も含む。)の利用者(特定旧法受給者) [2] 法施行後に旧法施設に入所し、継続して入所している者 [3] 平成24年4月の改正児童福祉法の施行の際に障害児施設(指定医療機関を含む)に入所している者 [4] 新規の入所希望者(障害程度区分1以上の者) 生活介護は働くというよりも、日常生活の支援、身体機能、生活能力の向上というものである。給料、工賃をあげるのではなく、支援を行う場と考えると、この研究は間違っているのではないか、と考えたが、生活介護の場であっても、何らかの製作、販売を行う、ポスティングを行うなどにより、工賃を得ている、という場もある。 ② 生活介護の職員にアンケートを行った理由 知的障害者の就業形態で授産施設・作業所等が59.1%である。身体障害者は約6%、精神障害者は約37% と知的障害者と比べると、低い値ということから、生活介護などの授産施設・作業所には知的障害者が高い割合でいるのではないかと。   また重度の障害を持つ人の多くは生活介護に行くことが多いので、今回の研究対象である重度の知的障害者が多くいるのではないか、ということで、生活介護の授産施設・作業所等にアンケートを行った。 ③ アンケート結果 学校で行っている教育が就労の場で行っているかという質問に対し、多くの方がはい、と答えている。人とのかかわり方や挨拶などが身についている、支援方法が同じであれば、学校以外の場でも落ち着いて行動ができる、集団生活に慣れている、規則正しい生活を送るという点が挙げられ、学校の教育で身に付けたことが卒業後でも行えることが多く、高評価であった。しかし、就労の場ではあまり、という声も少ないがあった。  学校で行ってほしいというものではソーシャルスキルトレーニングを行い、地域社会に出ていく機会を増やす、またコミュニケーション能力やスムーズな行動の切り替えができる、自傷他害ではなく自己表現ができるようになるといいという声もあった。 工賃を上げるためには複数の作業ができること、商品の価値を上げることができるような商品、また職員がつきっきりではなく、一人でできる、社会の理解ということが挙げられた。 また、情報が少ない、ということが多くあげられた。障害者にいる身近な職員には、障害者の情報が十分に届いていないことが挙げられた。 ④ アンケート結果を受けて この生活介護の施設にいる障害の方が年齢層がわからないため、養護学校時代なのか、特別支援学校時代なのか、わからないという問題点がある。しかし、多くは生活習慣をしっかり身につけていることを望まれていることがわかった。生活習慣は障害の状態によって、個人差があるため、一定の水準をつける、ということは不可能であるため、非常に難しい問題である。同じ重度の知的障害判定されても、自傷がある子もいれば、強いこだわりを持つ子がいるなど、同じ状態の子はほとんどいないからである。そのため、職員の方が望まれていることは、限界があるのではないか、と考えられる。  また一つの意見であったが、社会の理解、というものがあった。障害に対する理解、というものは低い、といえる。今は共生社会が謳われていることもあり、特別支援学級を学校に併設する、またクラスに学習障害の児童生徒がいるなど、障害を持つ子どもはかなり身近にいるという社会である。知識として教えられるのではなく、実生活に何らかの困り感を持つ子とかかわりによって、これから障害者への理解は進まるのではないか、ということも考えられる。 しかしながら、障害者が働く作業所などを建設するとなると、地域住民からは反対されることが多いということが挙げられる。  NHKニュースおはよう日本では障害者ホームの設置に“壁”という特集が組まれていた。 反対する理由としては“女性の後を付け回したりしないか”“ギャーとか、動物的な声が聞こえる”“地価など、資産価値が下がる”。このような反対理由を掲げる人のほとんど障害者に身近に接したことがない人だという。反対運動は5年の間にだいたい60件あり、36件が設置断念、予定地変更となったという。  ケアホーム運営のNPO 秦靖枝さん「インターネットで、すごくいろいろ出る。 突然に突き飛ばすとか、叩くとか、噛みつく。 不安感とか、分からないことに対する恐怖心、それが絶対、どんどん悪い方にエスカレートしていくのだと思う。」  このことから、健常者と言われる人たちへの障害に関する理解、知識、などが不足していると考えられ、そのような人をはじめとして、障害者が働く作業所で何かを買うということをする人は少ないのではないだろうか、と考えられる。工賃を上げるためには、障害児の教育も必要かもしれない。しかし、それよりも私たち、健常者と言われる人たちと障害者の双方の理解が必要なものなのではないだろうか、と考えられる。  また情報が少ないということから、学校側から貰う情報が十分でない、施設側での情報共有が不十分、また親などのかかわりが薄いため、情報を得られない、と考えられる。教育とは異なるが、情報が共有できるように、制度が整備されてきている。これが、しっかりと行われていく必要があると考える。 (2)特別支援学校側から ①特別支援学校について  今回は二校の特別支援学校にインタビュー、アンケートをお願いした。ともに知的障害児が通う学校であり、小学部から高等部まである学校である。  学校教育法施行令22条の3では、特別支援学校の対象となる障害の程度を定められている。 ① 知的発達の遅滞があり、他人との意思疎通が困難で日常生活を営むのに頻繁に援助を必要とする程度のもの ② 知的発達の遅滞の程度が前号に掲げる程度に達しないもののうち、社会生活への適応が著しく困難なもの しかしながら、学校によって、重度の児童生徒が多いところ、軽度の児童生徒が多いところなど学校で異なっている。今回インタビューした特別支援学校は、重度の知的障害児が多い学校、アンケートを行った特別支援学校は、軽度から重度までいるという学校である。 また生徒数はインタビューを行った特別支援学校は全学部合わせて120名程度、アンケートを行った特別支援学校は全学部合わせて200 名程度である。 ② インタビューまとめ 学校では日常生活で必要なことを身に付けるために、日常生活の指導で毎日行っている。あいさつや声掛け、順番を守るなどのマナー、まとまって歩くなどの集団行動は、毎日行い、定着させるということを行っている。また、日常生活とは別に、グループに分かれ、各目標に合わせて、日常生活から抽出したものを行っている。この目標は保護者との相談などにより決定している。  また授業でパズルをするなどのいろんな体験を行い、休み時間をひとりで過ごす時にできることを増やす、好きなことができる、卒業後の余暇活動に生かすようにしている、ということである。  また集中力を高めるために特性を探る、何であったら集中してくれるか、座っていてくれるか、ということを探している。  またつまづいていることを改善し、より安定するために行い、毎日できることが卒業後でもできるようにしていくことを日常生活の指導で行っている。  また、卒業後は進学、就労はほとんどおらず、多くが生活介護などであるということであった。生活介護では、いろんな活動を行っている、また制度上はどこでも行くことができる、ということである。しかし、一日のプログラムに乗れる人はプログラムがはっきりしているところ、その場の集団適応できるか、本人にあっているか、またどのように通うのか、ということを親、生徒などと何度も話し合って決めていく。例えば、バスで通えるのか、親の送迎か、施設側の送迎か、ということが挙げられる。このような環境によって条件を狭められてしまうことはあるが、基本的に本人や親などと相談し、適応できるところに行くこととしている。  つまり工賃などで、行き先決めて目標とするのではなく、卒業後どこで本人の力を活かせるのかということを判断しているという。そのため、高校二年、三年には体験、現場実習を行い、適応できるか、を見て折り合いがつくまで、本人に合う場所を見つけていく、ということである。  つまり、学校では就労にむけての教育は学校では行わない、ということであった。いかに、卒業後、適応できるか、そのために、日常生活を身に付けるのか、ということであった。また、障害の状態によって、さまざまである。自分で着脱できる子もいれば、難しい子もいる。その子に合わせて、日常生活の指導を行い、学校でその能力を最大限行っているということであった。  また高等部から日常生活の基礎からを身につけるのは困難である。小学部からの積み重ねの完成を高等部で行っているということである。  高等部では作業の時間がある。これは学校によって何を行うかは異なるが、この学校では農園、紙工芸、手工芸、工芸、環境に分かれている。農園では作物を育て、文化祭で販売を行う、また工芸品も販売を行っている。環境は缶をつぶすなど環境整備を行っている。これは実習につなげるためではなく、社会性、柔軟性を養うためで行っている。  また卒業後の作業所などとは、学校にもよるが、情報提供を行っている。しかし、職員まで届いているかまではわからない、という事だった。 ③ アンケートまとめ 掃除を行う、生活のゲームを行いルールを学ぶ、排泄、あいさつなど日常生活のことを定着するために行っている。まあ、そのようなことをとおして卒業後の進路のための土台作りを行っている、自分の意思を伝える、人とかかわる、待つ、情緒の安定コントロールをすることなどを行い、進路の幅を広げるようにしているということである。 また工賃を上げるためには、社会と障害者をつなぐコーディネーター的な人、環境がもっと増えないと、生活全体の自立度を上げるなどが挙げられた。  また工賃をあげるための教育は、いろんなことができるように、普段の生活がスムーズに勧められるような力をつける、ということが挙げられていたが、多くの教員の方はない、ということであった。 ④ インタビューアンケートを受けて 工賃を上げるための教育はあるのか、ということであったがそもそも教育の場ではそのようなことが考えられていないことがわかった。工賃はあくまで結果としてついてくるものであり、工賃のためになにかするということはないということであった。  しかし、この学校ででも児童生徒数は増えているが、作業所などはなかなか増えていないという現状を考えると、これから卒業後に適応できる作業所を探すということが、いまよりも困難になるのではないかと考えられる。  高等部では日常の生活の完成を目指しているということで、日常生活の定着を目指していると考えられる小学部にアンケートを行った。小学部であっても、日常生活の指導が卒業後にも適応できるように、という考えがあるのがわかった。小学部時代から毎日行うことで、定着したものが、その後の施設でも、行えているということが言われていた。卒業後にも適応できるように、というものは、しっかりと適応できている。ただ、情緒のコントロールなどは小学部から行っていても、卒業後までに身に付けられるかどうか、というのは難しいだろう。健常児と言われる子でも、コントロールをするのは難しいように考えられるので、これはできると理想、というものであると考える。  そして、ここでも挙げられたのが、社会とのことである。特別支援学校の児童生徒はそのまま作業所に行くことが多く、社会とのつながりが薄いと考えられる。 中間的なまとめ  工賃を上げるためには、ということで研究を始めたが、自分の浅はかなことがよく分かった。  工賃を上げる、ということは学校で行える教育法はとくにないのではないか、と考えられる。学校では、生活習慣を身につける、ということを行い、作業所などで、工賃を上げられるようにしていくのがいいのだろう。  また、障害児への教育を、というよりも、健常者と言われる人々への障害者などの理解を勧めることが必要だと考える。  これには、障害者が働ける場を増やすということが必要だからだ。今までは障害者は大人数をどこか郊外など人とは離れた生活を強いられていた。しかし、今は地域で暮らそうという考えがある。その証拠に、私の住んでいる地域には、住宅街の中に軽度の障害を持つ人々が働く作業所がある。しかし、これには反対運動がある。この状態では障害児が増えている現状に対応できないのではないか、と考えられる。障害児の理解をすること、そして、障害者の作業所を増やして、卒業後の行く先を増やすことと同時に、その作業所での買い物を行うようになると、工賃はあがるのではないだろうか、と考えた。

 

参考・引用文献

平成25年度版 障害者白書(全体版) 第一編 第1章 第4節 1.就業の状況(http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/zenbun/h1_01_04_01.html

特別支援学校への就学奨励に関する法律第2条第1項

発達障害の総合情報 知的障害に関して 8割は原因不明の知的障害(http://www.vastra.org/19_2/19_2_1.html

厚生労働省 政策について 福祉・介護 障害者福祉 障害福祉サービス等 障害福祉サービスの内容(http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/service/naiyou.html

内閣府 平成25年度版 障害者白書(全体版) 第1編 第1章 第4節1.就業の状況 図表1-21 1-22 1-23 (http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/zenbun/h1_01_04_01.ht

NHKニュースおはよう日本 特集まるごと「障害者ホームの設置に‟壁‟ 2014年1月26日(http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2014/01/0126.html

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環境としての人間ー家庭と学校ー 春学期におこなったこと

ゼミテーマ『環境としての人間』から、私は「家庭と学校」をサブテーマとして研究を進めることにした。

『環境としての人間』から、なぜ「家庭と学校」について関心を持ったのか。そもそもは自分自身の環境が動機の根本ともいえる。私は現在大学生、両親と弟2人の5人家族である。家に帰ると家族がいて、学校の出来事を話したり、会話を楽しんだりしている。一方で、兄弟や親の行動や指摘に不満を感じることもある。今でさえそうあるのだから、自分が高校生・小中学生、もっと幼い頃の家庭の様子や家族との関わりは色濃く表れ、その積み重ねも自分に影響しているだろう。また、私には兄弟がいる。同じ家庭環境で過ごすにも関わらず、性格や趣味が異なっていることも興味深い。

家庭環境が子どもに与える影響は大きく、子どもの能力の発達や人格形成等に深く関わっているのではないか。多種多様で、それぞれの家庭の中で、どのように子どもは育っていくのか傾向を掴み、考えてみたいと思った。さらに、今までの学校生活を振り返り、クラスには色々な性格の友達に出会ってきた。お互いに切磋琢磨に学校生活に励み、自己を高める、社会性を身につけていくことも重要な学校の学びである。しかし、成績不振、いじめ、学級崩壊、不登校等、学校における深刻な問題は後を絶たない。学校生活に見られる子どもの行動や様子だけでは、子どもの実態を把握しきれないと考える。そこで、子どもが生まれ育つ最も身近な「家庭」こそ、目を向ける必要があるのではないかと考える。教師や学校による一方的な指導や環境改善に限らず、子どもの家庭環境を理解した上での接し方や指導を変える必要性を感じる。学校生活でのつまずきの改善につながる、家庭と学校の関係を見出し、支援に活用したい思っている。

研究を進めるにあたり、研究概要を次のようにまとめた。①学校〔例:勉強に意欲が持てない・いじめてしまう・学級を乱す・不登校に陥ってしまう子〕(学校生活で見られる子どもの問題行動はなぜ起こってしまうのか。原因はどのようなことか。問題提起から、子どもの生まれ育つ「家庭環境、家庭教育」に目を向ける)→②家庭(家庭環境を背景に、問題行動を起こしてしまう、あるいは巻き込まれてしまう子の傾向を知る。様々な家庭環境から、その傾向になりがちな家庭を分析・推測する)→③家庭と学校(より良い家庭とは、改善のポイントを考察する。学校の家庭に応じた教育支援や家庭との連携、家庭事情を理解した上での子どもの対応についてまとめる。)

大まかな概要を立てたものの具体的に何から始めればよいか曖昧であったが、ともかく5冊の本を選び、手かがりを探すことにした。

文献で分かった事柄をまとめておく。

・家族の少子化・核家族化   家族の少子化と核家族が現代社会における家族の特徴である。少子化によって、兄弟姉妹が対等に何かに取り組んだり、二手に分かれて争ったりする経験が減少する。核家族により、親子関係が行き詰まったときに相談相手、逃げ場ともなり得る叔母や叔父・祖父母といった存在が少ない。少子化であれば、親は数少ない子どもに集中して子育てのエネルギーが与えられる状況である。しかし、子育てが母親一人に委ねられる、仕事との兼ね合いも難しくなる。母子密着状態も生じやすい。 (参考:家族の心理 家族の理解を深めるために 平木法子・中釜洋子 サイエンス社)

・いじめてしまう子   いじめの背景は何か。安らぎの場としての家庭が、ストレスの場になってしまっている背景も挙げられる。さらに時間・空間・仲間のない環境、大人に管理された生活の中では、家庭での安らぎが困難であり、子どもの心が育ちにくい。子どもの否定的な評価や条件付きの愛情から、自己の存在に自信が持てない子が育ってしまう。競争の気になる環境では、周りをいたわったり思いやったりする気持ちが持てず、自己中心的な未熟な性格や偏った人格になってしまう子もいる。心の発達、子どものストレスからいじめは深刻化しているのではないか。 (参考:友だちをいじめる子どもの心が分かる本 原田正文 講談社)

・親の言動   親の会話の仕方を分析。子どもが発する言葉を先回りするタイプは、自分の意向が漠然とし、相手に依存しがちになる。子どもを気遣って気持ちを代弁するタイプは、親と子の不一致が生じて、子ども自身が気持ちに確信が持てなくなる。子どもの発する言葉に親が過敏に反応してうろたえるタイプは、子どもが自分の気持ちをなかなか口に出せない。子どものコミュニケーション能力は、親の言葉がけに関係する。  英才教育は、親の押し付けになっていないか。放課後に外遊びが自由にできない環境から、塾や習い事は有意義な時間ともいえる。子どものこころの琴線に触れているかを考慮し、学力というより精神力を鍛えていくことの必要性を捉える。 (参考:良い子のこころが壊れるとき 山登敬之 講談社)

・不登校の要因   親による子どもへの暴力行為、きょうだい間虐待等の問題行動が挙げられる。不登校に陥る本人は、自己中心的、未熟、強迫的、緊張感、葛藤的などの性格傾向が見られる。また、家族の特徴として、母子の密着関係、父親の不在も指摘されている。きょうだいの減少により、同年代との社会化、学校での自己表現や上手な人間関係の構築が難しくなっている。 (参考:きょうだい メンタルヘルスの観点から分析する 藤本修 ナカニシヤ出版)

・家族時間の減少   共働きが増え、放課後の時間を組織化した活動に参加させる必要が出でくる。早期教育の可能性や一流大学による高い能力の要求から、塾や習い事に行かせることも増えいる。親も子も過密なスケジュールが負担に感じ、家族で過ごす時間は減少、家族の結びつきに危険が生じている。家族の時間の一つである食事も、子どもの学業成績の向上、精神的安定をもたらすのではないかと考察している。 (参考:家族の時間 子どもを伸ばすやさしい暮らし ウィリアム・J・ドハティ   講談社)

今や核家族、共働きが増え、放課後時間の習い事や塾に通わせる親も多い。また、早期教育の可能性、学歴社会による高い能力の要求等も理由に含まれる。親も子も多忙な生活に重荷を感じ、親と子の関係が希薄化している現状が伺える。家族同士のコミュニケーション不足や窮屈な家庭状況から、子どもはストレスや無力さを感じ、もう一つの「学校」という環境に気がつかなくとも行動に出てきてしまうと考えれる。

文献を読み、グループ内で話し合っていく中で、家庭のマイナス面を中心にするより、家庭環境が子どもを伸ばすプラスの面に注目したほうが良いのではと思うようになった。

そのため、研究概要にある①学校〔例:勉強に意欲が持てない・いじめてしまう・学級を乱す・不登校に陥る等〕から【例:勉強に意欲がある・友達に思いやりを持って接する・毎日元気に学校に通うといった、いわゆる学業成績や生活態度が良好な子】の家庭環境を主体にした研究へと変えることにした。例えば、共働きでありながら、親が子どもへの声かけや子育て法を工夫したり、家族との時間を大事にしようと努めたりすることで、子どもの学力の向上や心の安定につながるとも捉えられる。朝食を家族揃って食べる、家事の役割分担がしっかりできている、祖父母との出会いのような家庭生活の一部分に、学力向上や心の安定への要素が含まれていると考える。研究のねらいとして、家庭・家族が子どもに与える良い効果を多く見つけていく。そして、学校生活でのつまずきを感じてしまう子への、より有効な改善策や対応・支援について、家庭のプラス面を取り入れて考えることに決めた。 家庭の改善が学校生活の改善につながるよう、大人と子どもが共感し合い、子ども一人ひとりがのびのび過ごせる環境を知りたい。。

 

インタビュー調査において、自分の友人の協力を得て、話を聞くことにした。大変優秀で、憧れの友人である。

「幼少期における家族との関わりについて」を質問した。答えは以下の通りである。

・家に帰ると必ずお母さんがいた。誰もいないことがないように早めの時間に終わるパートを探して働いていた。

・無理に勉強させても身に付かないと思ったから、勉強しなさいを言わない。

・兄弟でよく遊んだ。友達と遊ぶ以外にもプラレールやミニカーで遊んだ。

・お父さんの仕事の都合もあったのが、基本的に家族揃って食事をした。

・学校から帰ってきたら、今日の出来事をお母さんによく聞いてもらった。

これらから、家族とのコミュニケーションが充実していると考えられる。お母さんの働き方、勉強しなさいと言わないといった声かけや気遣いにも着目したい点である。遊び相手、遊ぶおもちゃの種類との関わりについても気になる。

春学期に行ったことは以上である。

 

反省点・課題

研究の方針は固めたものの実践的な活動がほとんど行えなかった。優秀と優秀でない子の境目・対象者選びがまだ曖昧であること、インタビューの内容がきちんと決められていないことも原因の一つだと思う。研究の中身の明確化が必要である。また、親の声かけや教育、子どもの育つ「家庭」に次いで「学校」との関連へとどうつなげていくか、見通しを立てなければならないことも今後の課題である。

夏休みには、友人から詳しく話の続きを聞いて、インタビューを深めていく。良さだけに限らず、何か困難に直面したときにどう乗り越えてきたか、そのときの家族のはたらきかけにも触れながらインタビューを進めたいと思う。また、家庭環境、家族、子育て等のキーワードを含む文献を探し、情報収集・インタビューの手ががりにしていこうと考えている。

春学期におこなったこと 

私は、障害児の就労について、学校で行うといいことがあるのか、また賃金を上げるために行うといい教育はあるのかということを研究することに決めました。

そのため、最初に事業所で職員として働いている伯母に簡単なインタビューを行いました。そのインタビューでは、日常生活のスキルを中心に身をつけると職員からしても、働く障害者にしても、また事業所を運営していくうえでも、とても有効なのではないか、ということでした。また、職業的なスキルは就職、就労後に身につけていくものであって、学校では、基本的なことを身につけることに重点を置いてほしい、ということでした。また先行して行ったインタビュー内容を基にアンケートを作成しました。

次に、文献などを探しました。障害者に関する調査などは毎年行われているのですが、ひとくくりにされていることが多く、求めているような文献はまだ探せていない現状です。

最後に、学校また事業所へのインタビュー、アンケート依頼を行いました。学校はアンケート一校、進路担当の先生とのインタビューとアンケートが一校の二校が協力してくださることになりました。また、事業所は、アンケートがひとつ、またアンケートとインタビューが行えるか調整中が一つ、となりました。

以上が春学期に行ったこととなります。

夏休みに、アンケート回収、文献探しなどを中心に行う予定です。

 

卒業生インタビュー(鈴木静さん)1

卒業生第3弾は、現在幼稚園の副園長さんとして大活躍の鈴木静さんです。第2弾の西井さん(仮名)と同期で、この年度から、卒業論文をファイル化して、全員が持ち合うという方法をとるようになりました。鈴木さんは、在学中から外国にいって、将来の幼稚園教育に携わる準備を熱心にやっていました。当日は坂戸のあずま幼稚園に、私の妻と一緒に訪れて、幼稚園を案内してもらったあと、インタビューに応じていただきました。

文教大学入学の事情 幼稚園を継ぐためなのに?

お 文教大学に入った目的とか経過などはどうでしょう。
鈴 実は文教大学しか、オープンキャンパスに行ってないんです。幼稚園の先生になるという目的で大学選びをしていたんですよね。家庭科専修、人間科学部でもいいよねって終わったんですけど、当時は幼稚園の免許がとれなくて、園長の母に相談したら「幼稚園の先生の免許はとるな」ときっぱり言われたんです。「えっ!でも、幼稚園の先生になりたい」と言ったら、「教員免許の一種さえもっていれば、園長になれるから、もっと別のものを何か、他の先生がもっていないものを身につけていらっしゃい」というので、人間科学部の人間教育コースの名前に惹かれたのと、生涯学習とか幅広く勉強できる、社会の免許がとれるというので、公募推薦で入りました。
お それまでは幼稚園免許とらなければと思っていた。
鈴 はい、それで東京家政とか考えていたんですけど、とる必要ないと言われて、もっといろいろ勉強できるということなら、文教大学がいいということで決めました。
お 幼稚園を継ぐというつもりなのに、何故文教に来たのかなと前から思っていたんだけど、そういう事情だったんですね。今は教育学部心理教育で、免許とれるんだけど。
鈴 あったら、わたしが自分で選んでエントリーしていたんだと思いますけど、「幼稚園の免許よりも、小学校の免許をとったほうがいいんじゃないか」と、逆に言われたかも知れない。

大学時代にアートベースの教育と英語に目覚める

お 大学時代は、どんな勉強をしていたんですか。
鈴 東大の佐藤学先生の本ばかり読んでいました。教師の矯正についての内容が、新しい形のものが多かったので。それから、園長が、アートをベースにしたイタリアの教授法であるレッジョ・エミリアの教授法を講演できいて、自分がやりたかった保育がそこにあったと、彼女自身が爆発させたところだったので、私も勉強しました。東大の秋田喜代美の研究会に園長が加入したんで、私も出させてもらったり、オクスフォードの先生と講演に行かせていただいたりとか。それをやるなかで、園長に言われた、他の先生がもっていない何かということで、幼稚園での英語教育についてやろうと思って卒業研究に取りくみました。
お そのころは、この幼稚園で英語をやっていた?
鈴 やってました。だけど、ただ踊って歌っていただけで、「やってますアピール」だったので、私も園長も納得していなかったんです。2年生で文教大学のモナシュ大学の英語研修にいって、ホームステイをして、英語の面白さを知ったんです。最初「英語なんて、しゃべれなくていいじゃない、日本人なんだし」と思っていたんですが、向こうに行ったときに、そこでしゃべったとたんに、ホストブラザーと仲良くなって、すると彼の彼女とも仲よくなって、どんどん友達が増えていくんです。ひとつの言葉を話せると、これだけ友人ができるんだ、とそれを同じことを子どもたちにもさせたいと。大学4年生のときに、この幼稚園に就職しろと言われて、ブリティッシュカウンセルの協力で、イギリスの幼稚園との交流校を見つけたんです。
お 卒論でそのようなことを書いてましたね。

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鈴 卒論はほんとうにベースのところでした。教材研究のところからやっていたし、ロンドンの幼稚園に行って、保育をみて、その概略をまとめた感じでした。でも、あれがあったから、今の実践につながっていると思います。ハロウィンまだやっているし、英語使ったウォークラリアとか、今はそれが英語劇に変わって、年中年長が、超大作をやるんです。今年は年長がシンデレラ、年中が「長靴をはいた猫」を英語でやるんですけど。
お 台本は?
鈴 英語の先生にお願いして書いていただいて。
お 子ども用に?
鈴 はい。ナレーションも子どもたちが全部やるので、家にもちかえって、夏休みや冬休みに練習してきて、劇の構成を子どもたちと話し合って、2月に発表します。
鈴 こういう活動もイギリスと報告しあってきました。
お 実際に行ったり来たりは?
鈴 先生同士はあります。子どもは卒園児を2年前につれていって、日本の小学校というプレゼンさせたんです。

幼稚園の英語教育の改革

お 英語は幼稚園でやっていたけど、園長とその後継者がこれじゃだめだ、という教育が何故行われていたんですか。
鈴 私たちが、個人契約で教師を頼むのは、法的に難しかったので、委託の会社に派遣を依頼していたのです。でもそういう先生って、ほぼ観光でやってきて、1年やって、お金を稼ぐという意識なので、積み重ねの保育とか、教育とか考えて教えないんですよ。マニュアルありきですから。子どもとの関わりとか見ると、子どもが何話してもふんとかで終わってしまうし、課外をみても、お菓子食べていて、子どもに話しかけもしないし、こんなんでいいだろうかって。
お それでどう変えようと思った?
鈴 話せる英語に変えたい。一番気に入らなかったのが、what is it ?って聞くと、 apple って答えて、それで終わってしまうんですよ。でも日本語もそうですけど、正しい日本語ってあるじゃないですか。It’s an apple という形で教えてもらいたい。そういうこだわりで、4年ほど前、シェーンさんという人がみつかって、オーダーメイドの英語でお願いしています。マネージャーさんにも何度もきてもらって、教育プログラムを考えていただいて、今の先生は長く続けています。
お 一人?
す 今は一人です。去年は、正課一人の課外一人でした。ことしは両方をやっています。
お 園児は全員やるの、それとも選択?
す 正課に関しては全員で、年少が6月から、それ以外は4月から、週1で20分から40分。年長は、月1回です。
お 卒業後の状況は
す 卒業式の日に卒業証書もらったんですけど、学士じゃなくて、修士ほしいなって思って。(笑)でも幼稚園いかなきゃと思って、いろいろ勉強しながら、ずっと幼稚園にいる形です。
お イギリスには何度もいっているよね。
す かなりですね。年間4、5回で、今年は4回くらい。卒業3年後に理事長の祖父が亡くなりまして、幼稚園も施設がかわってきて、交際交流もベースができてきたので、その翌年に相続が落ち着いたときに、私が向こうに行って、向こうの先生がこっちに来て、何年も続けています。また、幼稚園が、エコロジーカフェという環境保護団体に所属していて、研究活動をしているんですが、その一環として、イギリスと交流の活動を東大の小柴ホールで発表させていただきました。幼稚園って、行事行事で一年がすごく速いんですよ。そういうなかで、何してきたんだろうと、あまり記憶がないんですね。忙しくて。震災のときだったか、すべてがストップしたときに、これでいいんだろうとと思うようになって、もう一度振り返って、精査して記録に残す、分析する作業の時間がほしいと思っていました。それでイギリスのイースターグリア大学に挑戦したんです。とてつもなく英語が苦手なのに。ある程度のスコアのぎりぎりとって、院ではなく学部であればということで、オファーをいただいて、行くばかりのときに、うちの職員がやめてしまって、私が行ってしまったら、園長ひとりで幼稚園は回せないということで、諦めるしかなかったんです。
お それで留学をやめたのか!知らなかった。

卒業生インタビュー(鈴木静さん)2

イギリスで日本の幼稚園教育の講演 学問に目覚める

す そうなんです。でも活動だけはしていて、イギリスのジャパンソサイティから、日本の幼児教育についての講演をイギリスでしてほしいと言われてしてきました。ロンドンにあるジェントルマンズクラブのひとつのオリエンタルクラブというところで、日本の幼稚園や学校制度とか、認定子ども園の制度がスタートしていて、震災の年に、第一号でとったばかりだったので、エデゥケアについて、講演しました。イギリスでは幼稚園という概念がないんです。チャイルドケアというのはあるけど、キンダーガーデンはない。
お イギリスでは幼児学校だからね
す そうなんですよ。だから、ちゃんとケアはあっても、ナーサリはあっても、日本のような幼稚園の感覚はない。またそこで、論文のような文章を書いて、翻訳はジャパンソサイティでやってもらったんですけど、英語でスピーチをしたので、勉強したいという気持ちがますます強くなって、埼玉大学なら、車ででも行ける今年から修士の一年生です。いましごかれています。週3でいってます。
お テーマは
す 修論に関しては、「子ども暮らし」をメインにしています。幼稚園の保育って何かというと、子どもたちの生活なんです。普通、子どもに教える、自分たちは何かしなくてはいけないと思うんですけど、逆に私たちは、子どもたちの生活にはいっている一人なんだということを自覚する。「子ども暮らし」を知らないと、子どもと一緒に学ぶことはできないだろうということですね。保育指針などに書かれているんですけど、ぼんやりなんですよね。子どもによりそうってどういうことなんだ、ということがとても大切ですが、うちの先生たちは、毎日保育日誌を書いているので、それを分析することろから読み解いていく。保育者の「ねばならない」ではなく、それをどう打ち破るかということです。

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お 従来の保育理論との関連は。双方があるの、ねばならない派の理論だけがあるの
す ねばならない派の理論はないです。
お 感覚的にということ?
す 理論というか、
お 研究だと、先行研究とかを調べるけど。
す 先行研究を調べなさいとはいわれているんですけど、こういう保育の研究って、なかなかみつけづらくて、ランゲフェルトとかをみています。コルチャックとか。
でも、修論に関しての授業が一度もないんです。先生お忙しくて、付属の校長なんですよ。ずっと休講で、夏休みに時間をとってやろうということになっています。
お 子ども暮らしといえば、子どもをビデオに撮って研究するとかは。

牛乳プロジェクト

鈴 イギリスやフィンランドの子どもも撮って、比較するというのは、研究方法としてだしてはいます。プロジェクト活動という、うちの独自の教育法があるんですけど、子どもに寄り添う活動を考えていこうと思っていたので、研究の柱のひとつになります。私も関わっていた一昨年「牛乳プロジェクト」という大きなプロジェクトがあったんです。
お どういう活動?
鈴 不可思議なタイトルなんですけど、「なんで牛乳は白いんだろう」という疑問を子どもたちに、ぽんと投げかけて、2年間にわたって研究していく活動をしたんです。
お 幼稚園の子どもが研究するの?
鈴 はい。年少さんのときに、近くの聾学校にいって、牛さんと触れ合って、乳しぼりをしたんですが、「でてくる乳は白いね、その白い乳を牛さんは、飲んでいるね」というところから始まって、農業大学校が近くにあるので、牛さんのお世話をしている先生や学生さんから、牛はどうやって育つのかとか、どうやって食べるのかを教えてもらったり。でもそれで牛乳が白い理由が分かるわけでもないし、どうしようという先生たちの葛藤がそ生まれて、そのなかで、どうしようとなって、じゃ、白い飲み物他にないか、牛乳以外にないか探そう。そうすると、カルピスとか、飲むヨーグルトとか、いろいろでてきて、水となにかが混ざったものだよね、と子どもたちが気づいていく。それじゃ、水と何かが混ざったものがものかも知れない、それなら子どもたちは、作れるっていうから、じゃ、つくってみようということになる。白い牛乳をつくるために、水に何をいれたらいいだろうという実験をすることになり、塩、白い絵の具、牛乳、ヨーグルト、なんかをいろいろ実際に混ぜてみて、色を比較してみたけど、結局できなくて、どうしようということになった。とにかく、水と何かをまぜるんなら、牛乳を分離させたらどうなるのかってなって、分離実験が始まる。それも分離の仕方もわからないから、東大で、研究している虫博士が知り合いでいたんで、虫博士に聞いてみようということで、メール送ったら、レモンとかオスをいれて、あっためるといいかも知れないという。それをみんなでやって、一回失敗したんですけど、二回目には、分離させて白いものと半透明のものがでてきた。じゃこの白い固形の何かが白い素だね、というところにもっていって、子どもたちに食べてもらったんです。白いこれ何だったといったら、バターかチーズかも知れないという話で終わったんですけど。
お テーマを決めたときに、それを決めたひとたちはわかっていたの?
鈴 いないです。そこが、みそだったんです。わたしがテーマをだしたんですけど、わたしも知らないし、その知らないことが大事だったんですね。知っていると、どこかで、先生は教えてしまって、それにあわせてしまうんです。でも、知らないからこそ、子どもたちは、分離実験までいったんですよ。年中さんです。4、5歳で、そこまでいくのは、かなり驚異的だったです。なんでもかんでも、答えだしたがる先生はどうなのという問いかけをしたんです。最後に、虫博士は、答えがでなくていいんだよ、分からないことがいっぱいあるから、僕らみたいな研究者がいるんだよ、という言葉を、子どもたちに残してくれたんですね。これが牛乳プロジェクトです。これが修論の、子どもに寄り添うとか、子ども暮らしにはいっていくシンボル的な活動になります。
お でも、さっき幼稚園をまわったときに、けっこう教えているよね。そうでもないの。
鈴 結果的にそう見えるんですけど、実際には、うちの教育方針のなかで、先生は答えをいってはいけないんですよ。

子どもたちが自分たちで学ぶ生活

お たとえば、字を書くとか。教えることはたくさんあるでしょう?
鈴 ベースに関してはそうなんですけど。
お その区分、構造はどうなっているのかな?
鈴 書き方については、年長さんからは教えていますけど、実際にその前に子どもたちは、字を書けるようになっているんですね。調べるときに、「書いて」と言うと、子どもたちの経験のなかで文字に触れているんですよ。シンボルとしてできているんです。だから読むことはできる。先生がやるのは、この文章を書くときに、こうやって書くんだよといって、見せるのではなく、あいうえおの五十音順の一覧をラミネーかけたカードをいくつか置いて、あと書いてというだけでやっているので、ワークシートのようなもので教えることはやっていないです。
お なるほど。
鈴 5歳からやるのは、書き順なんです。小学校にあがるときに、書き順を知っていることが必要なので。
お 家で教えるとかは。
鈴 それは、そこの家庭までみていないんですけど、絵本を読んだりとか、本との触れ合いとか、ちょっとしたサポートで、子どもたちが拾っていくという形はあると思います。生活のルールはこうしなさいと教えますけど、活動に関しては、答えをだしたり、こうだからというのは、ベースとしてないです。
お 知識としては?
鈴 臨機応変にはなるでしょうけど、ベースないです。何かをしているときに、先生がここは必要だと考えたら、子どもたちにその答えを導き出すために、話し合いをしてもらいます。こども同士で、子ども会議という形なんですけど。
お 会議らしくなるの?
鈴 はい。この前ビデオを撮って発表させていただいたんですけど、一対一、二人一組、三人一組になって、話し合いをしてもらうというのも、年中さんからやれるようになっています。年少は2学期くらいからできるようになるので、徐々にやっているんですけど、その答えを、導きだすように、先生がストーリーづくりとか、環境づくりというようなベース作りをして、先生がこうとダイレクトに言うのではなく、そこにもっていくために、先生がまわりから、外堀から埋めていくという方式でやっています。たまに、それが思ったようにいかないこともあります、でも、いかないから、先生が「こっち」というのではなく、いかなかったことを逆に楽しめるように、先生たちには、園長が指導しているので、別のことで盛り上がるように、こっちでいこうという感じでやっています。
お 先生もけっこう勉強が必要だよね。
鈴 はい。園内研究と、日々の職員会議です。
お 頻度と時間は?
鈴 園内研修は、園長の忙しさにもよるんですけど、年間で4、5回くらいで、職員会議は週1です。そのときには、各クラスの気になる子の状況とか、現在のクラスの状況を報告しあって、お互いに分析しあって討論をやっているので、それも研修みたいなものです。この間は、一年目の先生のだめなところを書きなさいって言って、一年目の先生には、なりたい理想の先生を書きなさいって言って、メモ書き書かせたんです。一年目これがだめ、これがだめ、読み上げて、それを分析するという、過酷なことをやっていました。
お 当人は?
鈴 何人かは、泣いていましたけど、なあなあでいくよりは、ここはできていないから、こうしてほしいという積極的なアドバイスとか、自分ならどうするというような分析もあるので、恨みつらみがあったりはしないですね。逆にそこからリセットされていく。ハードみたいですけど、そのあとすっきり、脱落者もなく、一般的には、そういうことをやると脱落する先生も多いかも知れないんですけど、うちでは、何か逆に明るくやっています。園長がうまくコントロールしてまわしたなって感じですけど。

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イギリスの子どもたちと共作の絵本

鈴 手作りの図鑑や創作物語なども作っているんです。てんとう虫の図鑑なんですけど、年長が書いたものです。最初は子どもたちが教室の日溜まりでてんとう虫を発見したんです。動かないので弱っていると勘違いして花壇に放してあげたんですが、そのあとで図鑑でどんなてんとう虫なのかを調べていくなかで、住んでいる所とか、食べ物とか色や模様を調べていって、ストーリーを作って、それをベースにして図鑑にまでまとめたものです。 発芽実験などもありました。3人がやっていた調べがクラス全員に波及した結果なんです。おいしいマメがとれたから、次の代に渡したい。豆のしわしわは何故できるんだろうか。イギリスの先生に相談したら、発芽実験に発展したりとか。いろいろなものをやっている特殊な幼稚園になります。
お イギリスの子どもたちとの共作の絵本なんかもあったよね。

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鈴 はい、第一作は「シュクルの冒険」という話になっているんですが、最初に1ページ書いたら、次の学校にまわすというお話リレーなんです。しかも日本語と英語です。幼稚園に住んでいるうさぎのしゅくるが鬼ごっこしたり、畑でいちごを食べたりして、初めてのことを経験していく話です。

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2番目は「ジューンと月竜」という題なんですが、けがして動けなくなっていた月竜をジューンやその友達が助ける話です。これも英語と日本語で書かれていますが、絵も子どもたちが描いたものです。
ふ 何歳の子どもたちの作ですか。
鈴 5、6歳の年長さんです。

ふ 子どもがいきていますよね。
鈴 園長は自分たちでまわせるクラスにしたいという理想をもってやっています。
ふ ただ、あまりに素晴らしい活動をしているので、小学校にはいったときこまりません?
鈴 それは、ずっといろいろな先生から言われていて、行きたくないということになっちゃう子どももいるし、「みんな、なぜできないの」という感じの子どももいる。アンケートでもわかっています。ただ、幼稚園としては、できることをやって、上に持ち上げる。
ふ 副園長先生がきらきら輝いていらっしゃるから。
鈴 日々畑仕事です。最近農家なんじゃないかと思うくらい農作業していて、今日もキュウリとって、幼稚園いってないんです。それで一日終わってしまうんじゃないか。副園長の肩書だけのような気がしますけど。
ふ プレ幼稚園もやっているんですね。
鈴 となりのキッズプレパークということでやっていて、かなりの人気がでてきて、ぱんぱんなんです。20人定員のところが36人。日毎に人数が違うんですけど。

将来は未来の幼稚園教師の教育を

お 大学院にいって、修士をとる。そのあと何か計画があるんですか。
鈴 そのあとは、また来年受験生をする予定です。修士論文書いて、その後の2月に連合大学院の試験があります。そこに行くことを意図して、埼大に入ったので、連合にいって、もう少し深めていきたい。現場の先生としてのレポートだけではなく、アカデミックな論文にしたいとういことで、博士に進みたいです。
お 普通の試験があるの?
鈴 はい。厳しいらしいです。口述と、修論の審査と、英語の翻訳があります。
お 修論の審査があるなら、試験は大分遅いということだよね。
鈴 はい、2月か3月ですね。埼大の指導教官が、連合の先生にもなっているので。それから、すこし気になっている先生がいるんです。太田先生も教科書に載せていた長野大学の付属の教科書のない学校でしたっけ。蛇の命という内容を教科書に載せていたと思うんてすけど。
お 記憶にないね。(笑)
鈴 あたしも記憶になくて。
お 伊那小のこと?
鈴 伊那小なんですかね。4ひきの蛇をかっている。
お 違う本じゃないの。それはないと思うよ。
鈴 サドベリバレイと一緒にはいっていた本なんですけど。大学の庄司先生に「牛乳プロジェクト」の話をしたら、感動してくださって、翌週、これ読んでといって、絶版になっている貴重な本を貸してくださったんです。蛇の命がすごくいいから読んでといわれて、読見ました。
お 博士をとったらその後はどうですか。
鈴 そのころは園長になれと言われて、なると思うのですけど、ここ最近の新しくはいってくる学生たちの様子をみていると、うーんというところがあって。

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お ウーンというのをもっと具体的に。
鈴 幼稚園の先生とか、教育者になる目的観があまり、見えてこない先生が多いと感じていて、先日、とある大学で講演を頼まれていくときに、学生たちが、今度くる幼稚園の園長先生に聞いてみたいことを書きなさい、と言われて、メモ用紙やポストイットになぐり書きで書いたもののコピーをもってきたんです。その学部で授業をうけている子はこれから実習をする子もいれば、幼稚園の先生になる子が集まっている3年生なんですね。だからすぐじゃないですか。その子たちの書いている内容が、「実習ノートが怖い」「園長先生の給与はいくらですか」「男性教員の待遇はどうですか」「手遊びを教えてほしい」とか、とてつもない内容が書いてあって、それを見たときに、何よりも、メモ用紙をつかっていることが理解できなくって。授業を受ける姿勢ができていない子たちが、幼稚園の先生や学校の先生になったときに、教わる子たちが、どうやって、成長するんだろう、と思って、すごいものがあるなあ、ということを感じてしまった。
お それで、入ってきた先生を鍛えようという意識ですか?
鈴 うちの幼稚園に入ってくる人だけではなく、これからいろいろなところに行くであろう学生と少し向き合ってみたいという気きがしてい増す。幼稚園がベースなんですけど、博士をとって、学生を多少指導できる立場になりたい。これまでは研究だけをという感じだったんですけど、指導する立場にたてるものがほしい、この子たちを指導できなかったら、あの子たちを指導する先生がいなくなってしまう、それがすごく怖いというところがあります。結局2足の草鞋を履くのかと言われたんですけど、いいんじゃないの、と延長が言ってくれたので、挑戦を。どうなるかわかりませんが。今のころは目標はそこまで。
ふ 学生さんを育てたいということはわかるんですけど、こうあらねばならない、という枠つけがあるんじゃないか。例えば、紙きれに質問書いたものを見たことがないということだったんですけど、こうあらねばならなぬ、ということを意識しているのかな。人をみるとき。そこはどうでしょう。
鈴 社会人としての礼儀とか、最低限のルールを守れるということです。紙に関していうと、授業を受ける態勢からまずかったような気がしたんです。先生になる以前の問題で、学ぶために大学に入ったのに、学ぶ目的、姿勢がしっかりしていないな、それすらないのに教員免許でちゃうのか、どうなるんだ。先生の自覚以前の、考えない状態できたので、ショックをうけたんです。それで、学生のなかにはいってみたいなと。
ふ 私は短大の底辺校で教えていたんですけど、そういうのは普通なんですよね。でも、そういう子に接していくと、豊かな子たちが多いので、礼儀とか、社会人として最低限とかにとらわれる必要があるのかな、もっと違うんでゃないかと思うんですけど。
ふたつめですが、鈴木さんが幼稚園に関わって、お母さまのを継ぐということですけど、幼稚園が鈴木さんにとって何なのか、いい方を変えると、お母さまの影響が大きいと感じるんです。だとすると、鈴木さん自身の教育観、どういう幼稚園にしたいとかを知りたいと思いました。あいうえおの表を渡して、調べさせるのはいいんですけど、そうすると、保育者とか教育者は、相当力量が必要だし、それを育てる園長もすごい指導力が必要だし、どういう風にやっていこうと思っていらっしゃるのか。
鈴 本当はなりたい別の職業があって、中学受験をしたんですけど、園舎が建って、園長がすごく苦労してたときに、この幼稚園を継ぐ人がいないと思ったのがきっかけなんです。母は自分の代で終わっていいというんですけど、ここ、今は住宅がたくさん建っているんですけど、全部森だったんですよ。裏の森もうちの森なんですけど、木が生い茂っていた。そこを園長と祖父が切り開くところからスタートしたんです。母も本当は美大に行きたかった、美大の二次まで受かっていたけど、お前は幼稚園をやれといわれて、やらなければならなかった。それで短大に行ったんですけど、学校にいるときに、呼び出されて幼稚園の仕事をするというような苦労しながら、彼女自身やってきた幼稚園なので、そんな1代2代でやめるようなものではないだろうと。祖父が亡くなったときに、最後のひとことが、「卒業証書ありがとうございました」だったんですね。祖父は頭がよかったのだけど、農家の長男なので、学校にいけなかったんです。兵隊にいって、流れ弾にあたって、耳から鼻に貫通しているので、耳が片方聞こえないということで、ものすごく学校や教育に執着心があった人で、そういう祖父がどうしてもやるといった幼稚園を「私がやる」といったのが、祖父との約束なんです。私にとっては、祖父との約束であって、目標とする母がいるということもあって、教育観については、必死に園長から学んでいるところです。設立から園長の教育方針でやっている。最初から最後まで、教育としては作り上げてきた。彼女のベースを勉強しながら、新たに修士や博士を研究していくなかで、自分なりに作り上げていきたいと思っています。でも本当のベースは母の教育方針で、まったく同じだと思います。付け加えるものはあるかと思いますが、それは私が園長になってからだと思います。教える教育から、学び合う教育へ。子どもが安心して学べる。
ふ 佐藤学ぶさんですね
鈴 そうなんですよ。だからあっちゃったんですよ。本当は母ではあるけど、師匠なんですよ。母とはいわず、おかあさんといっちゃいけないんですよ。そのなごりで、おかあさんなんていえないじゃないですか。母という言葉を使ったことがありません。他の幼稚園と比較すると、特殊なのかとは思います。教育についても特殊。
ふ これからの外での活動はどうですか。
鈴 ここ数年で少しずつ表にだすようにはなっています。大学院にいくようになって、指導の先生に、来年はあちこち発表しろといわれています。来年はタイにいって、国際幼児教育学会で発表します。今年はスペインにいくことになっています。

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未来の文教大生に

お 僕のほうから最後の質問で、文教大学に行こうと思っている受験生に一言。
鈴 文教にいきたいと思っているけど、躊躇している学生ですか。楽しいよ。楽しかったので、教育学で有名な学校ですが、人間科学部の場合は、幅広く学ぶことができたので、教育学だけではなく、心理学とか、生涯学習とか、面白かったので、迷っているくらいなら、入ったほうが、そのあとの、選択肢がたくさんあるので。
お 楽しかったと。
鈴 その先の目標の引きだしづくりにあった大学だと思います。将来の夢や希望にいいかてにあるのではないかと思います。

お ありがとうございました。

 

 

太田ゼミインタビュー(ゆうま・つるちゃん)1

今回は、小学校の教師をめざしているゆうま君と中学社会の教師をめざしているつるちゃんです。

こわがりとしっかりものだった小さいころ

お 小さい頃は、どんな子どもでしたか。
ゆ 自分は、割と怖がりだった。
お 怖い話を聞くと脅えてしまうとか?
ゆ それもそうだし、センタイものとかあるじゃないですか。
お センタイものって何?
ゆ 仮面ライダーとか、サンドレンジャーとか、敵が倒されるのが、あまり好きじゃなかった。(笑)
お それはアニメの世界でもそうだったということ。
ゆ そうですね。
お 実写ものではなくても。
ゆ 実写はきつかったです。怖がりでした。
お お化け屋敷は。
ゆ お化け屋敷はだめでしたね。今ちょっとましになりましたけど。

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お 肝試しなんてやるじゃない、暗い所にいって、何かとってくるというような。
ゆ だめですね。
お やったことはあるの。
ゆ あります。やらなきゃいけないときもあったので。
お そういうときはどうなるの?
ゆ ほんとに、しゃべらないです。
お どうしようかと、こういう感じ?(固まった風)
ゆ はい。
お 男の子としては珍しいよね。女の子ではたくさんいるけど。
ゆ たぶん。
お 怖い話しをするだけでもだめ?
ゆ そうですね。後々記憶に残ってしまうではないですか。そういう話は。
つ 私は、幼稚園のころだと、たぶん、妹と入園したこともあるのですが、妹が、手がかかる子だったので、その分、お姉ちゃんとして扱われたんですよ。保育所の先生とか、まわりの大人たちからも、みんなみたいに名前じゃなくて、お姉ちゃんと呼ばれていたので、しっかりしなければ、とずっと思っていて、友達と一緒にいても、しっかりして、リーダータイプでいようと、昔のほうがむしろ背伸びしてがんばっている感じだったです。
お いつごろからそれをしなくなったの。
つ 中学くらいまでは続いていて、我慢しているストレスがたまって、一時期悩んでいたんですけど。
お でも、お姉ちゃんとして、学校で振る舞わなければいけないというもあったの?保育園幼稚園はあったとしても。
つ 小学校は、ちょっと妹が騒いだりすると、呼びに来るとか、学校でも、そういう役割だったし。そういう面があるから、担任の先生が、学級委員やってくれとか、生徒会やってくれとか、任されてしまって。断れない性格なんで。
お そういうこと先生が決めるの?
つ はい、そういう感じだったんで、毎日気張っていました。高校はいってからは、今みたいに。
お 高校からは解放されたと。
つ はい。

悩み多き中高の部活

お 小学校や中学校はどういう子どもだったんですか。
ゆ 小学校は、バスケットボールを、ずっと週4で一生懸命やっていました。スポーツ少年団にはいっていたんです。
お バスケはいつまでやっていたの。
ゆ 高校3年と、大学のちょっと2年生になるくらいまでは、社会人のほうでやっていました。
お バスケ人生ですか。

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ゆ そんな感じですね。
お 日本はバスケ弱いよね。
ゆ まず身長が明らかに足りないのと、身体つきですかね。体格が違いますね。
お バレーは強いので、よく対比されるよね。ただ、バスケとバレーとでは、やる人のパーソナリティが大分違うという話もあるけど。
ゆ そうですね。バレーはネットを通して、相手と触れないので、そこは差がありますね。タフじゃないといけないです。
お やはり、意図的にバーンとぶつかったりするわけ。
ゆ ありますね。

つ 女子高って、変に女子でグループで悪口言うというのがなくて、みんなさっぱりしている感じだったから、そういう環境がすごくのびのびとしていて、よかったのかなって。
お 中高は部活は何をしていたの

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つ 中学は吹奏楽でした。高校は、最初希望はしたんですけど、ピアノ習っていたけど、楽譜読めないんで、辛い面もあったんです。
お ピアノやっていて、楽譜読めないって、めずらしいよね。バイオリンは、スズキメソッドでやるとそういう人が多いけど。
つ 集団のヤマハで習っていると、両手で弾く、つまり、一人が全部を弾くというのはあまりなくて、グループで一曲仕上げることが多いので、片手で済むんですよ。そうすると、楽譜読まなくても、先生がこう弾くんだよというのをみると、弾けちゃってたんです。中学では、それが辛かったんで、高校では、弓道部に入ったんです。友達がいたので。でも、音楽の先生が、私、声が低いから合唱にはいりなさいと、強く勧誘してもらって、弓道やめて、合唱に入ったんです。結局今も。その合唱も、関東大会めざしているような頑張っている部活だったので、毎日、勉強か合唱かというような生活をしていました。
お 楽譜読めないと、合唱はもっとこまらない?(笑)
つ 困ったんですよね。(笑)先輩とか、先生とかに、録音してもらって、それを聴いてやっていました。
お 古いイタリアオペラの歌手みたいだね。
ゆ そうなんですか。
お 今は音大の卒業生だけど、昔は声がいいと、口伝えで覚えて、舞台にたつようなスターがけっこういたといわれている。そんな感じだったの?
つ はい。大学でアカペラサークルはいっているけど、読めないんで、みんなに、助けを借りながら、やっています。
お 読めるというレベルが違うのかな。
つ 音はいいんですけど、リズムがだめなんです。3連符なんかが全然。
お 楽譜みると、ぱっとメロディーが浮かんでくるというのを、楽譜が読めるという意味で、そこまで達していないという意味で「読めない」というのではないの?すごい人は、楽譜見ただけで、頭に正確に音楽が。
ゆ 他の人よりは全然読めるってことですよね。
つ 音だけ読める、それと簡単なリズム。でも、アカペラって、簡単なリズムじゃないじゃないですか。それで読めない部類にはいっています。
お オケなんかやっていると、今マーラーやっているんだけど、ベートーヴェンとかブラームスとかだと、休みのとき、何かのカラミで入ることができるんだけど、マーラーって、全然そういうのがなくて、他の部分とこっちでやっていることが、全く違う。他がフォルテでやっているのに、こっちはピアノだとか、逆とか、リズムもメロディーもまったく違うし。そういう難しさと似たところがあるよね。アカペラって。
つ はい。
お 自分が自分の部分が相当分かっていて、尚且つ、他の人のも分かっていないといけない。でも引きずられてしまうとか。
つ そうですね。引きずられてしまいます。

教師をめざして文教へ

お 文教大学に入ったのは。これまでインタビューしたゼミの人は、「最後の」という感じだったけど。(笑)
ゆ 自分もどっちからいうと、そんな感じですね。
お 第一志望はどこだったの?
ゆ 東京学芸大でした。あるいは埼玉大学か。でもセンター試験で失敗してしまったので、私立かなっという感じだったんですけど、文教の教育は高いと聞いて、人科ならと。教員になれると書いてあったので。
お 教員は目指していた?
ゆ はい、そうですね。
お 教員を目指していたのは何故?
ゆ 教えることが好きだったのと、子どもが好きだったのと。
お 高校までで、いろいろと教えていたの?
ゆ そうですね。中学までは、けっこうできるほうだったので、同級生教えたりとか、近所の子どもを教えたり。
お 近所の子どもを教えるんだ。
ゆ 勉強もありましたけど、運動なども。バスケとか。
お そういうなかで、教えるのが向いているんじゃないかと思ったわけだ。
つ 私は、通いで行きたかったので、第一は宇大で、私立は文教って感じでした。文教は高校の先輩がたくさんいて。
お 宇大は何学部を受けたの?
つ 教育学部の社会で。教師になりたかった理由は、小学校一年のときから、学校の先生から仲良くしてもらったりとか、学校の先生自体が好きだったんです。誰先生というのではなく。
お 先生という存在が。
つ 勉強教えるって、かっこいいなとか。一緒に遊んでくれたりとか。そういうことが好きで、中学になったら、悩みが多かったりで、お世話になって、こういう風になれたらいいなって。でも、高校には入ったら、いい先生ばかりではなくて、なかには、適当な先生もいて、そういう先生への怒りじゃないけど。
ゆ いるいる。
お いいかげんというのは?
ゆ 高校の先生って、もともと教員になりたいと思っていた人は少なくて、「本当に教員にはなりたくなかったんだよ」って言われたんですよ。
お 高校の先生じゃなくて、何になりたかったの?
ゆ 数学の先生は研究者になりたかったみたいな。
お 数学者というのは、そうそうなれるものじゃないからね。
ゆ そうですね。
つ ことなかれ主義の先生が多くて、クラスに揉め事があるし、悩んでいる子がいるのに、それを放置したりという先生もけっこういて、信じられないなって。
お 大学の先生はどうですか。似たようなもの?
ゆ (笑)
お 大学の先生になりたくなかったという人は、あまりいないよね。たぶん。
ゆ 小中高とはちがいますね。
お ただ、やっていることは、自分が本当にやりたいこととかどうかと言えば、違うという意識の人は多いよね。特に理系なんかだと。理系だと授業したくないという人はけっこういるから。
ゆ それは。
お 研究したいからということだね。
つ いなくはないですね。たまに授業どころじゃないんだろうなって。

太田ゼミ生インタビュー(ゆうま・つるちゃん)2

勉強と部活に打ち込んでいる大学生活

お 大学に入るときに、期待感があったと思うけど、大学にいったら、こういうことをしたいというようなことはありましたか。
ゆ 大学に入ったら、勉強に関しては、人間科学部の説明をみたときに、小学校の免許をとれると書いてあったんですけど、試験があるとは思っていなかったんですよ。だから、まずはその勉強をしました。それからあまり聞いたことがないような社会教育とか、児童福祉などが、けっこう興味があったんで、その勉強をしたいなと思っていました。部活は、通いなんで、バスケは厳しいと分かっていたんで、ボランティアのほうをやってみたいな、思って、それもひとつでした。
お 僕も確かに、学生のときに、社会教育学と教育社会学があって、何だろうと思ったことはあったね。
ゆ 気になりますね。
お それで一応抱負は実現しつつある?
ゆ けっこう、興味をもって、授業を聴いているほうだと思うので。
つ 私は、国立がだめだったショックをひきずっていたので、入学した時点で、すごく勉強やらなきゃっていう義務感にかられていて、けっこうやっていました。サークルや部活も入らないで、勉強ばかりやろうと、一年間くらいそういう生活をしたんですけど、さすがに、孤独すぎて。
お それでアカペラはいった。

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つ はい。それで今は、3年になって、両立が難しかったりするんですけど、サークルも楽しいし、勉強も頑張れば、バランスをよくして、頑張ろうとはしていますね。
お 勉強に打ち込んでいたというのは、授業の勉強ですか。それ以外の。
つ 授業は、全部ダブルAとるぞ、みたいな勢いでやっていて、家に帰ってからも、がつがつやっていて。
お そういう人って、めずらしいよね。そうでもないの?。
つ 変だね、という感じでは見られていました。そんなに頑張るもんなのって。まわりはけっこう遊んでいたりする子が多かったので。塾講もやっていて、中学生に社会だけではなくて、英語とか、数学とか国語なんかいろいろ見ていたので、そのための勉強もしていましたね。
お 大学にはいったら勉強するというのは、抱負だったんですか。落ちちゃったショックによるリベンジとか。
つ 両方ありました。抱負もあるし、リベンジ精神もあって。
お そうなんだ。
つ すごいやりました。
お そこから自分の勉強の延長上に、こういうことが面白そうだから、もっとここを勉強したいなというようなことは出てきたの。
つ そういう勉強ではなかったです。どちらかというと、つめこみで、もう忘れたことをまた覚えたりというようなことばかりだったので、反省点もあるんですけど。
お まわりにこういう勉強熱心な人いた?(ゆうま君に)
ゆ いなかったですね。高校のときの勉強は、忘れていってしまうのは、もったいないなとは思いました。英語なんかは、明らかに大学のときより、高校のほうがレベルが高かったんで。
お そうなんだ。
ゆ 大学は英会話みたいなものだったんで。
お 英会話といっても、そこでやっていることはやさしいとしても、更に自分で勉強するということは。英語でコミュニケーションできるようになろうとか。
ゆ そうなら、力をいれられたんですけど。
お 大学の勉強は物足りないという感じなの。
つ 英語に関してはそうでした。

太田ゼミで自分の経験の背景を研究

お 太田ゼミは何故選んだんですか?しずさんのいうことには、消去法だったそうだけど。
ゆ そんなにたくさん考えなかった。教員になるから、それに関連して、新任の先生も気になっていたんですけど、太田ゼミは、忙しいということは聞いていたので、自分は、大学生になって、課題を出されないとできないので、強制的に活動できるゼミがいいかなと思って。
つ 私は。
お 迷っていたんだよね。
つ でも7割くらいは太田ゼミに決まっていて、やはり、私も教員になりたいのと、教育について重点的に調べたいということで、一番このゼミがあっているかなと。それから、忙しいのにそれでも来る学生たちがいるわけだから、意識高いところじゃないと、私は遊んじゃうなと。
お まわりが遊んでいるときに一人勉強していたんでしょ。(笑)
ゆ 意志が強い。
つ 2年からはあまり勉強しなくなって。サークルばかりになって、その反省もあって3年からはちゃんとやろうと思ったんです。忙しいけど。
お 太田ゼミではどういう勉強をしているかを教えてください。自分がやっていること。
ゆ 子どもの遊びと、その人間関係とか、性格とかに相関があるのかということと、昔の遊びと何がちがうのかについて研究しています。
お 昔とこういう風に違っているとかは、分かってきましたか。
ゆ うーん、そうですね。そんなにまだまとまっていないですけど、何かしら、違っているんじゃないかと。
お 昔のことは、どうやって知ろうとしていますか。
ゆ 昔のことは、文献と、あと、親には一応聞きましたね。おじいちゃん、おばあちゃんは、遠すぎるので。違うのは当然かなと思いますけど。
お 親の世代とも大分ちがいますか。
ゆ 親からしても大分違うと言っていて、不思議なことが多いと言われます。
お たとえば。
ゆ 親が一番いっているのは、スマートフォンのことです。そんなにたくさん機能が必要かとか。
お それは機能であって、遊びじゃない
ゆ 学校外で、そんなにコミュニケーションとる必要があるのかってことです。
お 家に帰ったら、家族と一緒に過ごせばいいではないかという感じですか。昔はそうだったと。
ゆ そんな感じですね。昔は、スマートフォンなかったんで、学校で充実した人間関係が作れていたというようなことを言われたんですけど、そうなんですか。
お 僕は、君らの親より上の世代だと思うけど、学校から帰ったらすぐに遊びにいって、みんなと遊んでいたよ。
ゆ 家にいるときのことですけど。
お 家にはほとんどいなかったよね。今は、家にいるときにも、ラインやったりとか?
ゆ そうですね。
お 小学生でもラインなんかやっているんだ。
ゆ 塾でやっているんですけど。
つ やっているよね。
お 遊びと人格の関係は何か分かった?
ゆ 大勢の人とつるむことがなくなってきた、いつも同じ人と遊んでいるので、それがコミュニケーション能力に悪い影響が出ているんじゃないかというのが、今のところ。
お よく、そういわれているけど、それはそうなんですか。
ゆ 高校とかでも、クラスメートって、仲いい人とそうじゃない人がいるじゃないですか。そうじゃない人とほとんど話さないとか、あったので、そういうのも、外遊びで普段遊んでいると、自然と互いに触れる機会も増えたりするんじゃないか。
お 外遊びといっても、場所がないとかもあるよね。それから、僕らの世代と違うのは、やっていることは同じでも、やり方が違う感じがある。バスケやるにしても、野球やるにしても、僕らは勝手に集まって、野原みつけて、それで、じゃ野球やろうといって、やっていたんだけど、今はリトルリーグに入る。僕らは川にいって泳ぐとか、たまに市民プールなんかもあったけど、そのときどきに行っていたけど、でも、今はスイミングスクールに入って、コーチがいて、という風に変わってきたというのはあるね。遊びが遊びじゃない、習い事になっている。
ゆ 確かにそれはありますね。

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お その影響も究明してほしいよね。場所にしても、リトルリーグだと、大人がとっていると思うけど、僕らは、まず場所とりからだから、朝星が出ているときに行くんだよね。
ゆ そうなんですか。
お 日曜日なんか。それで場所とって、一日やっている。そういう意味では、野球やる仲間は濃密という感じはあったね。コーチなんかいないから、勝手に同年代でやっている。
つ 私は、2年のときから、不登校について調べていて、自分が中学の教員をめざすこともあって、中学生の不登校とかを扱っていたんですけど、そのときには、中学3年生が一番不登校が多いというグラフなんかがあったんです。それで、中3に焦点あてて調べていたんですけど、よく調べると、小学校から中学にかけてが、不登校数が増えた割合が急激に高くなるんです。今度はそこに焦点をあてて、考えてみようかと思って、今回は中一ギャップについて考えています。最終的に、中一ギャッフが少しでも減るような学級作りを考えたかったので、それを研究しています。
お 中一ギャップが減る学級つくりというのは、どういうイメージなの。
つ まず、中一が気にすることは、友人関係か、勉強が難しくなるという学習面、あと、中学校に入るとたいがい部活に入るから、先輩後輩の人間関係の難しさがあると思うんです。私自身も中一になったときに、友達できるのか、勉強も小学校と違って、順位が出るとか、プレッシャーだなあとか、先輩も怖い先輩が多かったので、うまくやっていけるかなとか不安がありました。
お 順位がでるって、この間授業で、教育行政学で、順位が発表されたとか、成績が発表されたとか、ほとんどいなかったはずだけど。通知されたという意味?
つ 貼りだされはしないんですけど、通知されました。そういう面で悩んだんだけど、それをあまりまわりにいえなくて、友達関係で悩んでいるなんて、親にいえないなって。
お そうなの。
ゆ そうですね。
お 男は言わないけど、女はいうっていうけど。
つ 心配されてしまうのが嫌で。うまくやっていけてないのって。勉強の相談を先生に相談しても、親に相談しても、頑張るしかないでしょうってしか言われなかったり。問題解決になっていなくて。部活も、先輩が怖かったり、厳しかったりもあって、やりたくて入ったのに、つらいな、としばらく悩んでいる時期があって、そういう面をもっと担任の先生とか、いろいろな先生が、定期的に相談にのってくれたりとか、理解を深めてくれれば、もっと、よくなるんじゃないかなと。
お 成績の順位がつくというのは、中間とか定期とか、全部つくということ?
つ 全部つきます。
ゆ 順位、全部ついていました。貼りだしはしませんでしたが、通知はきますね。
お 通知表と違う評価が出されているんだ。逆に絶対評価になったから、そうした可能性があるね。中学で順位をつけるのは、そんなに普通なのかな。
つ 普通だと思います。
お 僕らのころは、相対評価なので、順位ではないけど、5は何%と決まっているから、ある種ラフな順位つけが、そのまま成績になっていたから、必要ないということだったのかも知れない。絶対評価になったから、それだと順位がわからないので、不安だというような声があるので、出すようになったかも知れないね。
ゆ 確かに。
お 順位つけはどう思う。
つ 私の場合は、上位校にいたということもあるけど、その順位によって、次も頑張らなければと、ポジティブにもなれるんですけど、逆に下がったらどうしようという不安も常にあったんで、私は、心配性だったり、不安だったりしたので、嫌でしたね。友達は、下のほうにいたんですけど、頑張っても、あまり上にいけないし、どうでもいいという感じでした。
お 気にしないというように。
つ 親同士で比べられる材料になってしまうので、嫌だなという話をしたことは、中学のときにあります。
お そういうのは、誰にもいわないの。俺何番だぜみたいな。
ゆ ありますよ。
お 隠していたりは。
つ 隠していてもばれますね。
ゆ 見せあいはしますね。仲がいいときには。
お 何故ばれる?
つ 上位10人くらいで、誰が、何位くらいだってことが、予め把握されていて、あとテストの点数で、だいたい分かってしまう。
お 小学校は。
つ ない。
ゆ ないです。

太田ゼミ生インタビュー(ゆうま・つるちゃん)3

塾はブラック?

お バイトは?
ゆ 大学1、2年生のときから、塾の講師をしています。個別も一斉もやっています。
お 個別の場合、子どもが休んだ場合、どうなるの?
ゆ その場合、事務になるので、事務やって帰る感じです。
お 別の日に代わりにやってくださいというような要求は。
ゆ ありますね。その場合やりますね。
お ただ働きになるよね。それともちゃんと払ってくれるの?
ゆ 一応くれます。
お やれば払ってはくれるんだ。この間、別の日にやっても、払ってくれないので、腹がたって、辞めたと言っていた人がいるけど。
ゆ 塾によっては、あります。ブラックのところがあるんで。
お 教員の世界もあるからね。そもそも、何時間はたらいても、給与同じという世界だから。他にやったことは?
ゆ 短期は、引越しの手伝いをやったことがあります。
つ わたしは、塾講師やっていたんですけど、3年になって辞めたので、今はバイトしていないです。
お それはうらやましがられる?
つ 周りからは、グズじゃんとか言われます。
ゆ バイトやっていないと、確かに
つ すごく批判されます。
ゆ 学生ニートみたいに。
つ そう。ニート扱い。「気楽でいいよね」という感じです。
お 気楽でいいよね、というのと、批判されているというのは違うでしょう。
つ でもけっこう傷つきますね。
ゆ それでも、その分忙しいということだから。
つ 3年になると、忙しくなるし、寺子屋(注 社会科教師をめざすサークル)もやりたかったので、けっこう時間とられたり、通学で時間をとられるので。
ゆ 塾って、時間外労働が多いじゃないですか。準備とか。そういうのが。
つ 私も、一コマでいくらという感じなんですけど、雑務は一切出ないんで、時給計算すると、500円くらいのときがあったんですね。

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お 雑務って。
つ 出勤の30分前にいなければいけなくて、書類とか、プリントの整理とかがあるんです。そして、授業が終わったら、一人一人の申し送りみたいを書くんですけど、それがすごく細かくて時間がかかって、わたしの場合、3人見なければならなくて、3人書いていると、すごく時間がかかるのと、、テスト期間だったりすると生徒から質問がでて、延々と質問タイムみたいな。
ゆ きついよね。
つ 授業終わっても2時間以上のこともあります。その分は出ないんで。
お 僕が学生時代の塾とは、全然違うな。開始時間に行って、教えて、はいさようなら、だったね
ゆ 生徒との対応なんかは?
お 全然ない。大学院までやっていたけど、そういう経験はないね。当時はほとんど一斉授業だったからかも知れない。
ゆ 授業以外にもけっこうやらされますね。エクセルに打ち込むとか。
お それも無給?
ゆ 一応事務給ででるんですけど、出ないときもあります。授業後にちょっとやって、というようなときにはでないです。
つ でないね。
お 生徒の払うほうは、たくさん払っているの?
ゆ 払っているんじゃないですか。
つ 高いと思う。
ゆ 個別は。高く払ってきてもらっている以上、中途半端にやるのは申し訳ないんで、忙しくなって、ある程度やめてしまうのも仕方ないですね。

教えることが好きだから教師に

お 将来の希望として、先生以外のことを考えたことはないですか。
つ ないですね。
ゆ ないです。
お 小学校の先生というのもずっと。中学とか、高校を考えたことない?(ゆうま君に)
ゆ 中高も、社会好きだったんで、、社会教えたいとは思ったですけど、どっちがいいか、と考えたとき、小学校がいいかなと。
お それは何故。
ゆ 小学生の年齢のほうが接しやすいというのと、教科を教える以外に生活とか、いろいろな部分で携われる部分が多いと思ったんで、小学校をやりたかったです。
お 小学校くらいの年齢のほうが接しやすいというのは。中学生くらいになると生意気になるとか。
ゆ ざっくりいうと、そんな感じですね。反応が違うので。
お 小学生は素直だとか。
ゆ しっかり反応が返って来る。中学生は個別で教えるときにはいいんですけど、教室で教えるのは、自分の手には負えそうにないなと思ったんで。
お それはないの?(つるちゃんに)
つ それも覚悟した上で、今は中学校がいいなと思っています。前はただ勉強を教えたかっただけで、高校の先生くらいがいいなと思っていたんですけど。偏見かも知れないけど、授業は教えるけど、小中ほど、生徒一人一人の進路とか、悩みについて、手厚いイメージがないから、それだけでは、教員になるには、物足りないなと思って。わたし自身が悩んだり、辛かったのは、中学生だったんで、そういう生徒に目を向けられる先生になりたいと思って、中学がいいと思いました。
お 社会が好きなのはどうして?
つ いままで、社会が好きだったのは、点数とれるから、得意なんだな、という意識だったんですけど、高校の後半あたりから、ただ暗記じゃなくて、こういういきさつとか、背景があって、戦争になったのか、というようなことを考えられるようになって、ちゃんとわかった上で、理解したり、教えたもらったりしたほうが楽しいから、ただ、詰め込みの授業ではなくて、考えたりする機会が多い授業をしたいなと、思ったんです。それが社会だと多いのではないかと。数学なんかだと、解くだけで。

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お 数学者からすると、違うらしいけど。数学は芸術だとか。
ゆ 各教科の先生こだわりがあると思うので。
つ 社会は一番人間みがあるじゃないですか。
お 社会に魅力を感じているということですね。いままで、そういう魅力を感じする社会の先生はいたの?
つ 何人かはいました。塾の先生ですけど、暗記よりも、人物どうしの関係とか、時代的背景を教えてくれたので、楽しかったです。暗記とかテストは二の次だった。あとは、高校の世界史の先生も同じ感じで教えてくれたので。
お 社会は読書が大切だけど、どんな本を読みますか。
つ 宗教的なことが好きなんで、そういう関係の本とか。大学での宗教学がすごく面白くて、一時期宗教関係の本をたくさん読んだ時期があります。
ゆ 先生が変わっちゃったんだよね。
つ そうね。残念ですね。
ゆ 去年までは、希望者が多かったので、抽選があったんだよね。
つ 人気で。
お どういう風に面白いの?
ゆ 題材が面白いですね。
つ 先生が面白いかたで。
お 面白い面白いといわれても、面白さは通じないので、具体的に語ってほしいけど。
つ 何気なくやっている身近なものをとりあげて、実は宗教的なものなんだよ、とか教えてくれたり、先生の言い回しが独特なので、更に面白いなと。

文教大学のよさ

お もし文教大学を受けようかと迷っている人に一言。
ゆ 自分の印象としては、お金のかけどころに気をつかっているという気がします。
お 逆に思っている学生が多いと思っていたけど。授業料高いのに設備が貧困じゃないかとか。
ゆ 設備はそうなんですけど、教科書とか、プリントがちゃんとしていたり、講座が頻繁にあったりして、それを有効活用すると、いいんじゃないですかね。施設は自分的に重視していない。
つ 一番いいなと思ったのは、学生がまじめだから、大学で学びたいという人にとって、価値観が同じ仲間が多いというのと、先生と学生の関係が築けている感じがします。他の大学にいっている友達は、講義系の授業ばかりで、先生と話す機会ないし、ゼミも出ているだけだから、深く先生と話す機会がないということを聞いているので、文教はけっこういいかな。
お マンモス大学だと、先生と口をきいたことがないという学生がいたりするよね。
つ 規模的にいいんじゃないか。
ゆ そう思います。
つ 友達関係とも。

お 大学に対する要望とかは。
ゆ 前のインタビューにもあったようですけど、他の学部の授業をとれるようにしてほしいです。
つ それはある。
ゆ 特別支援のことを勉強したいと思って、時間割組むときに、支援課に確認しにいったんですよ。特別支援の授業をとらしてくれませんかって。でもほとんど×で、だめでした。
お それは教育学部が決めることなので。
ゆ そうなんですか。人科の授業だと、他からきているじゃないですか。勉強したいと思ったことを学びやすくしたほうがいいと思います。
つ 呑気に生活していたので、ないです。