春学期に行ったこと「いじめ発生における加害者の家庭環境的要因」

今年のゼミデーマである『環境としての人間』から、私は自身のサブテーマに「いじめ」を選んだ。またその中でも加害者に焦点を当て、「いじめ発生における加害者の家庭環境的要因」について研究を進めることにした。

『環境』と一口に言っても、その言葉が形容するものは様々である。その中で私が今回「いじめ」を取り上げるに至った理由として、過去の私自身の実体験がある。当ゼミやそれ以外の場でも既に自ら口にしているため特に言い淀むこともないのだが、私は中学3年生のときに同級生からいじめを受けていたことがあった。当時の私は、何故いじめを受けなければいけないのか、何故自分だけ辛い思いをしなければいけないのか、そう考えながら中学生活がただただ早く終わらないかと願う日々を過ごしていた。それから6年あまりが経過し、大学の講義にていじめについて学ぶ機会が増えていった。それと同時に、自身が受けていたいじめのことを、講義の内容に当てはめるかのように思い返すことが多くなった。当時は「どうしていじめるの」という当たり前に浮かんだ疑問を、加害者の同級生に聞けるはずもなかった。将来教師を志すにあたっていじめは絶対にあってはならないと考える人間として、より時間をかけてこの疑問について考える機会なのではないかと思い、今回「いじめ」を研究のサブテーマに挙げた。

日本では、学校におけるいじめは1980年代に校内暴力とともに増加し、近年までにかけて社会問題化してきた。特に有名なものとして、教師も加わっていた「葬式ごっこ」が原因で自殺した、東京都中野区立中野富士見中学校2年の鹿川裕史君の事件(1986年)が挙げられる。また、川に沈められたり、現金100万円以上をとられたりしていたと明かす遺書を残して自殺した、愛知県西尾私立東部中学2年の大河内清輝君の事件(同年)や、体育館内の運動用マットに逆さまに突っ込まれた形で亡くなった、山形県新庄市の明倫中学校1年の児玉有平君の「山形マット死事件」(1993年)など、まだ若い命を奪うような陰湿ないじめが学校現場にて発生し、社会に大きな衝撃を与えた。今年に入ってからも、2月には神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で、中学1年の上村遼太君が殺害され、遺体を遺棄された「川崎市中1男子生徒殺害事件」や、7月には岩手県矢巾町で中学2年の村松亮君が、いじめが原因で飛び込み自殺する事件など、いじめの極めて深刻な実態をあらわす事件が後を絶たない。これらの過激さを増し、陰湿で、残酷で、執拗と言える近年のいじめの様相が、加害者の人格や価値観などによって齎されているものとすれば、その加害者の人間性が養われてきた場、即ち育ってきた家庭環境に何かしらの誘因があるのではないかと考えた。一概にそうとは限らないかもしれないが、産まれてから極めて長い期間置かれている生活環境から、一切影響を受けないと考えるのは些か難しいだろう。これより、今回の研究においてはいじめの中でも「加害者の家庭環境」に着眼点を置くことにした。

研究方法として、過去に私をいじめていた同級生に直接インタビューすることを考えた。いじめというのは加害者、被害者ともにデリケートというか、容易に踏み入れない面があり、第三者にインタビューを行うことは難儀だと考えたが故の方法である。私自身が実際に体験したものなので、当時の様子を思い返しながらより意義のあるインタビューが出来るとも考えた。インタビューの内容としては、主に当時の家庭での状況(家庭内での会話はどれくらいあったか、食事は誰ととっていたか等)について伺う。長期的な家庭状況も可能な限り聞いていきたい。またこれも可能ならばという程度ではあるが、加害者の同級生の保護者にも、話を伺える機会があれば当時の家庭での状況について保護者の視点からも伺いたいと考えている。インタビュー以外に、学内でいじめについて取り扱っている教員の方に話を伺うことと、文献調査を研究方法として挙げた。文献に関しては、いじめの行動科学や心理学などの面からアプローチをかけた選定をしたい。

春学期中の研究の進捗として、インタビューを行えた同級生は2人、うち1人は保護者にも話を聞くことが出来た。内容に関しては、夏休み中にも数人に行えたインタビューに内容と似通った部分がおおいため、夏休みでの進捗を報告する記事の方でまとめさせて頂くことにする。若干断片的ではあるが、文献も何冊か目を通した。その中で分かった事柄をまとめる。

『イジメと家族関係』(中田洋二郎 著)

・現在の学校でのいじめは、観衆を意識し劇場化した要素が強まっている。例えばあだ名なんかは昔から存在し、決まり文句の悪口で互いを悪ふざけと了解した上で罵り合うことも多く、これは子ども同士のゲーム程度の認識である。しかし現在の子どもはこれを少し異なる目的に使っている。相手の弱点への目の付け所の巧みさ、発想のおもしろさ、その機知を周囲にアピール周りからうけを狙うためである。この種のいじめは、相手が傷つくことに頓着しない、身勝手で自己中心的な現代の子どもの特徴が反映されている。娯楽としてのいじめが発生する背景として、子どもの文化の変化、特に子どもがよく見るテレビの影響があると考えるのが自然である。メディアを通してあらゆる情報が選択無く子どもに伝えられてしまうが故に、大人の世界と子どもの世界の垣根がなくなり、大人向けのブラックジョークまで届くようになってしまった。

・家族が家族として機能するためには、「健康な家族」である必要がある。家族が健康という共通の目標に向かって努力し、まとまりを保とうとするときこそ、家族は有機体として機能することができる。家族の健康にとって大切な家族機能として、「家族の問題解決の能力」、「家族のコミュニケーション」、「家族の役割」、「感情的な応答性」、「感情的な関わり」、そして「行動の統制」が挙げられている。これらが瓦解してしまえば、所謂家庭崩にまで至ってしまう。

・健全な家族関係には、通常、心の傷を自分たちの相互作用によって自然に「癒していく」能力が存在する。心理学者であるラバーテの家族心理学の中核となる概念は「私も重要である―あなたも重要である」という相互の尊重を家族の健康性の指標とするところにある。この関係が崩れ「あなたは重要ではない―私は重要である」などと重要性の偏りの関係が生じたとき、ここにイジメ、甘え、過保護などの病理的な関係が生じる。「癒し」が実現しやすい状況をつくりだすことは人為的になされねばならない。そこで、相手を受容しつつ、不自由にしないで、援助する配慮が必要となる。

 

『ヒトはなぜヒトをいじめるのか』(正高信男 著)

・いじめの発端は二者間のトラブルであり、その諍いは親しい間柄ほど起こりやすい。攻撃に至る理由は何でもよく、いじめる側は「あいつが悪い」と理由付けして攻撃を加える。精神的に相手に痛手を与えることによって自分の強さを第三者にアピールする行為がいじめの芽生えの特徴である。大人も職場でもどこでも見受けられるもの。いじめは人間に動物としての生来の攻撃性と人間特有の欲望が備わっている以上、根絶することは困難を極める。

・子どもにとって安全基地の働きをする母性に対し、「自分の想い通りにいかないことがあることを教え、励ましたり助言したりしながら、家の外という社会へ押し出す力」である父性が、子どもの自立を促す。父親不在が子どもをいじめへ駆り立てる要因のひとつになり得る。母子密着型の日本では父親が疎外されている、ともとれる。被害者も加害者も同じ遊び仲間の内部で生ずるが、それでも仲間を離れられない「弱さ」がいじめの背景となっている。根本的に欠如しているのは「多様であること」への不寛容であり、この不寛容は即ち「周囲と同質でないこと」への恐怖の裏返しに他ならない。いじめは「一人」でいることをストレスとしか捉えられない人間の弱さの産物である。

 

『世界のイジメ』(清永賢二 著)

・アメリカのいじめ加害者は、性別に関係なく、身体的虐待や精神的虐待を受けた経験を有する、或いは一貫性のない躾を家庭で受けていた、等の家族間での問題を有している場合が多い。原因として、これらの家庭の多くは、親が子どもの日常に十分対応するだけの関心と愛情を持ち得ていないことによる対話の不足、親自身の健全な子育てについての知識や技術の不足、愛情を十分に注がれて育った経験がない、などが考えられる。逆に、親の無条件の愛情を幼児期に十分注がれた中でしっかりした躾と教育を施された子どもにいじめっ子は少ない。アメリカのいじめ対策を踏まえて強調される重要なこととして、いじめを許容しない社会を創造するためには、親や教師を含めたすべての大人が、責任ある問題解決者として積極的に行動することが求められる。規範となるべき行動をとることにより、子どもは許される行為・許されない行為の別を学ぶことができ、人としても尊敬され、愛情を注がれることにより他者を尊敬し思いやることが出来るようになる。

・オランダのいじめの発生に影響する環境的要因に、母親と保育園の関係、さらには親自身の子どもに対する関係が問題として挙がっている。子どもに対し建設的な愛情と自立に向けての発達支援に十分な配慮を持った親からは、将来のいじめ加害やいじめ被害の児童や生徒は生じにくい。子どもは親、特に母親の視線を介して他者を無償に愛することや他者から自立して生きていく強さを体験として学ぶ。逆に、父親や母親の幼い子どもに対する厳しい支配とお仕置きを伴った躾は、子どもの心の中に将来のいじめを含む反社会行動の芽を作り出してしまう。

 

春学期は文献調査が足りなかったため、今後より多くの文献に目を通し研究の幅を広げるよう努めたい。また、自身のテーマをしっかり決定するまでにかなりの時間を要してしまったため、研究自体に費やせた時間が少なくなってしまったことが反省点として考えられる。行えたこともインタビューと文献調査のみで、学内の教員に話を伺うことは出来なかった。太田先生からの助言として家族療法も視野に入れることを勧められたため、秋学期から家族療法の授業を履修することにし、その中で研究につなげられればと思う。文献調査に関しても、家族療法について扱った本も今後読み進めることにする。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。