スマホ規制 フランスとドイツの議論

 子どもが使うデジタル機器の是非は、多くの国で議論になっているし、また様々な対応がなされている。しかし、国によって問題とする仕方は微妙に違うようだ。2月14日に、フランスの新聞フィガロが、この問題で特集を組み、いろいろな側面から検討をしている。また、16日には、ドイツの Der Tagesspiegelという新聞が、スマホを通じて子どもがポルノにアクセスすることを問題にした記事を掲載している。そこで、これらの記事を参照しながら考えてみたい。

 フィガロの記事を読んで、最初に驚いたのは、フランス語では écranという語が使われており、スクリーンや画面という意味だが、これが、スマホだけではなく、タブレット、テレビゲーム、テレビ、パソコンなどを総称して課題にしていることである。因みに日本の「対策」をインターネットで検索すると、ほとんどがスマホのフィルタリングに関するもので、しかも、企業のアプリの宣伝が大部分である。タブレットなどが問題となっている雰囲気ではないが、フランスでは、言葉の問題だけではなく、総体として話題になっている。(日本語で似た使い方をしている語としては、ディスプレイだろうか。しかし、 écranという言葉では、画面そのものではく、画面をもった機具を指しているので、ここでは、 écranをそのまま使用する。)

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鬼平犯科帳ノート(1)はじめに

 いろいろな話題があっていいと思い、私がはまっているテレビドラマをふたつ、ひとつずつとりあげていくつもりだ。
 現在考えているのは、「鬼平犯科帳」と「Law & Order」のふたつだ。
 今回は「鬼平犯科帳を取り上げる理由とその魅力を書く。
 鬼平犯科帳は、1967年から1989年にかけて『オール読物』に連載された小説で、135話ある。文春文庫24冊で刊行されている。テレビでは4回ドラマ化されているが、最も多数の作品がドラマ化されて、また、作者の池波正太郎が気にいっていたのは、最後のフジテレビによる中村吉右衛門主演のものである。さらに、中村吉右衛門が主演のドラマは、おそらく時代劇のテレビドラマとしては、最高の質を誇っているように思う。原作も面白いが、ドラマは、原作を歪めない範囲で工夫を加えて、見るドラマとして非常に丁寧に作られている。

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教育行政学ノート(2)子どもは何故学校にいくのか

 教育行政学は、通常、義務教育、あるいは「教育権」から入る。しかし、教育学としての教育行政学の構想のために、もうひとつ前の問いから入ろう。義務教育とか、教育権という概念は、やはり、教育の外からみている、あるいは外部的存在である。そこで、問いは次のようになる。

Q 我々は、子どもたちは、何故学校に行くのか? 現在の大きな学校教育上の問題である「不登校」を考察するとき、「何故学校に行かないのか」「何故学校に行けないのか」という問いをたてて、答えを見いだそうとする。しかし、不登校は、通常前の段階とて登校していた事実がある。学校に行っていたのに、行かなくなる、あるいは行けなくなるわけである。したがって、まずは、学校に行っていた時期の「行っていた理由」をきちんと理解しておくことが必要だろう。不登校は、その「学校に行っていた理由」が揺らいだ、あるいは消えてしまったが、その原因であると考えられる。

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イギリスの若者がメンタルヘルスの改善を求めて活動

 イギリスの10代の若者たちが、グループを作って、メンタル・ヘルスを必要としている若者へのサポートを、確実に実行させるための働きかけをしたという記事の紹介です。Mental health The students who helped themselves when support was too slow comingというThe Guardian2019.2.12の記事で、作者はLouise Tickleです。

 イギリス全土かどうかはわかりませんが、ここで紹介されている地域は、Cumbriaという地方で、元々医療・福祉体制が遅れていると思われます。イギリスに限らず、先進国のほとんどでは、若者たちは、試験競争にさらされ、常に誰かと比較され、いい評価をえないと上級への進学に不利になり、人生そのものがやりにくくなるというストレスをかかえながら生きることを余儀なくされます。もちろん、そのことによって、誰もが精神的な疾患をかかえるわけではありませんが、どこでもサポートを必要とする若者が増加しています。それだけではなく、この記事では、治療を申請したのに、ウェイティング・リストに載せられて、3カ月も待たされ、そのうちに、すっかり参ってしまった若者が紹介されています。彼女はそのために学校にいくことができなくなりました。いろいろなことを真剣に受けとめながら生活していれば、誰でもそうした危機に陥る危険があると、彼女は述べています。

 そんななかで、何人かの若者が集まって、We Willというグループを作り、精神的な問題を抱えている若者に、サポートをするように働きかける活動を始めます。集会を開き、そこで強調されたことは、今の若者が生きている世の中は、古い世代が若者だったときとは違うのだ、ということです。まずは試験の圧力、そして、ソーシャル・メディアの中毒的な関わりからくるストレスです。

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教育行政学ノート(1)教育学と教育行政学

大学での講義は、新年度が最後になる。教育行政学も当然最後だが、テキストをかなり書き直したいと考え、ノートという形で書きためていきたい。最も、新年度には間に合わないので、これまでのテキストと併用する予定である。


1 教育行政学のように、ふたつの学問領域が併記されている場合、どちらの領域に属する学問なのかが問題となる。教育学として、行政分野を扱うのか、行政学の対象領域が教育であるのか。これは単なる言葉の遊びではなく、学問の性格を決めるほどの重要性をもっている。 教育学の分野として、行政の教育的あり方を追求する学問と考えるならば、制度としての教育、あるいは学校の管理・運営・行政が、教育者や学習者の活動を促進するようなあり方を考えることが課題となる。他方、行政学としての対象が教育であるならば、それぞれの対象の固有性よりは、行政としての効率性、有効性のありかたを課題とするだろう。 例をあげてその違いを考えてみよう。

Q1 教科書を選ぶのは誰がよいか。日々の教育計画を立案するのは誰がよいか。

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林壮一 『アメリカ下層教育現場』 光文社を読む

 著者はボクシングを中心とするライターであるが、たまたま最底辺層の高校生のためのチャータースクールに、非常勤講師として日本文化を教える経験をする。本書はその体験記と、その後かかわったボランティアの経験から、アメリカの下層の教育現場を考察した書物である。

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道徳教育教材分析を始めるにあたって

 私自身は、道徳教育を「教科」として、あるいは毎週特定の時間を使った「特設道徳」は必要だと思っていない。1958年に、道徳が時間設定されたときに起きた論争でいえば、道徳は教育全体のなかで行われるもので、教科としては、国語や社会のなかで、そして広く学校行事などで行われるものだと考えている。さあこれから道徳を勉強しましょう、などといって、道徳が身につくとは思えないのである。

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クラウディオ・アバドのボックス

 2014年になくなったアバドは、現代最高の指揮者の一人であったし、私のもっとも好きな指揮者の一人だった。自分で勝った初めてのオペラのレコードが、アバドの「セビリアの理髪師」だったが、すべてとはいえないが、かなりのCDを所有している。交響曲ボックス、オペラボックス、ソニーのボックス、そしてDVDボックス(25枚組)である。新しく購入したオペラボックスとDVDボックスについて、感想を書いておきたい。

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空き家のようになってしまいましたが

私も本当は定年の年齢になりました。尤も、教員免許の課程申請の関係で、もう一年勤めなければならないことになったのですが、いよいよ定年後にむけて、どのように活動していくかを、真剣に考えなければならないようになりました。そこで、ひとつが、ブログを再開しようかと思っています。もちろん、もうひとつ、主要なブログをもっていて、そちらで普段は活動しているのですが、定年後は、違う形での情報発信をしていこうと考えており、それには、wordpressを使うのがいいようなので、少しここで肩慣らしをしようと考えたわけです。

夏休みに行ったこと「他国の教育・特別活動についてーフィンランドー」

Ⅰはじめに

学校の教育の現場において特別活動は、「よりよい人間関係の形成」を育てる授業としてなくてはならない教科の一つであると言える。また、その内容が道徳と結びついている。特別活動と道徳が深く密接している点として、「総合的な学習の時間及び特別活動における道徳教育と密接に関連を図りながら、計画的、発展的な指導によってこれを補充、深化、総合し、道徳的価値の自覚及び自己の生き方についての考えを深め、道徳的実践力を育成するもの」という目標からも見られる。つまり日本においては、道徳の時間などに、資料や読み物を通して考えてたり話し合ったりしたことを、特別活動の学級活動や集団活動で実践して振り返り、「なすことにより学ぶ」道筋が成り立っていることがわかる。

では、外国ではこのような特別活動・道徳の取り組み、指導方法はどういったものだろうか。日本を基準として示唆していこうと考える。

 

Ⅱ研究内容

主に、教育の先進国といえる「フィンランド」に注目し、日本の特別活動の目標や内容などを比較、考察する。

なお、上記に挙げたフィンランドは「OECD学習到達度調査(PISA)」という国際的な生徒の学習到達度調査のことで、主に「数学的リテラシー」「読解力」「科学的リテラシー」によるテストの結果が平均的に高かったため、取り上げることとした。

日本におけるPISAの順位は2012年度において「数学的リテラシー」…7位、「読解力」…4位、「科学的リテラシー」…4位であった。

 

Ⅲ研究結果

まず、フィンランドの国を挙げての教育に対する考え方に注目する。フィンランドは7歳〜16歳までが義務教育であり、授業料、通学時の交通機関、給食、教科書や学用品等が全て無償化されている。また、学級は20人以下でPISAを実施した国々の中で最も年間の授業数が少ない。すべての教師を大学院で養成し修士号取得を義務とし優秀な人材が集まるため、社会的地位・信頼が高い。このように大学院での教師を専門とした養成をおこなっているのはヨーロッパの中でフィンランドのみである。

教育の理念としては、「社会主義的学習概念」をあげている。つまり、知識を教え込むのみならず、その知識を自分のものとし、社会進出時にどのように生かすか、使いこなせるか、自ら追求していく教育を行っていることが考えられる。

結果的に述べると、フィンランドには「特別活動」という授業は存在しない。しかし、「アヤトゥス・カルタ」という「マインドマップ形式」のノート手法が国語の授業で取り上げられていた。マインドマップ形式とは、連想ゲームのようにあるメインテーマから考えられる事柄を次々と地図のように書き足していく脳の思考を引き出す技法である。これにより、思考が整理され、記憶力が高まることはもちろん、「発想力」「論理力」「表現力」「批判的思考力」「コミュニケーション力」が飛躍的に向上するという。このマインドマップにより、子供達の「道徳的価値」が養われているのではないかと感じた。

 

Ⅳまとめ

今回はフィンランドに注目したが「特別活動」における資料が僅少であり、まだまだ研究の余地があった。しかし、教育に対する理念や考え方などを知るきっかけにもなり、多くの学びがあった。さらにフィンランドの教育について研究していくとともに、他国における「特別活動」の指導法についても取り上げていきたいと考える。

 

Ⅴ引用文献

阿部 敬信(2015),「小学校の教育課程における特別活動の意義と課題」別府大学短期大学部紀要

秋山 麗子(2014),「特別活動を中心にした小学校の学級集団形成に関する研究」関西学院大学教育学論究

トニー・ブザン著・近田美季子監訳(2008),「マインドマップ超入門」ディスカバー・トゥィワン

藤村宜之、鈴木豪(2015)「フィンランドの児童の思考に影響を及ぼす環境要因の検討 : フィンランドの教師の授業観の分析」東京大学大学院教育学研究科紀要

米澤 利明(2010)「求められる学力と教員養成―フィンランドとの比較を通して―」教育デザイン研究

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/detail/1344310.htm

https://www.tfu.ac.jp/liaison/edu/navi_PDF/navi06-03.pdf

http://www.ne.jp/asahi/harmas/biocosmos/finland.html