林壮一 『アメリカ下層教育現場』 光文社を読む

 著者はボクシングを中心とするライターであるが、たまたま最底辺層の高校生のためのチャータースクールに、非常勤講師として日本文化を教える経験をする。本書はその体験記と、その後かかわったボランティアの経験から、アメリカの下層の教育現場を考察した書物である。

 著者はボクシングを中心とするライターであるが、たまたま最底辺層の高校生のためのチャータースクールに、非常勤講師として日本文化を教える経験をする。本書はその体験記と、その後かかわったボランティアの経験から、アメリカの下層の教育現場を考察した書物である。
 アメリカは、経済的格差、文化的格差が日本とは比較にならないほど大きいといわれている。もちろん、教育格差も同様である。日本では、学力優秀で勉学意欲の強い子どもたちのなかでは、中高一貫の入試がある学校に通う者が少なくない。しかし、どんなに偏差値の高い学校でも、低い学校でも、基本的には学習指導要領で決められた教育内容を教えているので、当然内容の濃さは異なるとしても、全く違う内容を学習しているわけではない。学費も偏差値によって異なることはない。公立か私立かで違うだけだ。もちろん、日本の教育格差も小さいわけではないから、偏差値上位校と下位校では、学習だけではなく、スポーツや文化活動でも差があるが、それでもアメリカの教育格差に比べれば、その差は小さいといえるだろう。 しかし、アメリカでは、たとえば、教育熱心でお金持ちの子どもたちは、小学校から高校までの一貫教育を行っている私学に通うことが多いが、これは、寮生活が前提で、学費は年額数百万もする。映画『今を生きる』で描かれている。 それに対して、筆者の林壮一氏が、日本文化を教える非常勤講師として、一年間勤めたレインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールは、日本の底辺校ですら見られない、教育困難校である。チャータースクールは、公立学校の教育になじめない生徒、通常の伝統的なスタイルではなく、もっと独自の教育を行うことを可能にする、運営者と教育委員会の契約によって成立している公立学校である。設立者は申請書を提出して、認められれば5年間の教育費用を、公費として受け取ることができる。申請通りに成果が上がれば、さらに5年延長される。こうした学校類型である。民間の教育産業が経営する、進学競争に勝つための教育をしている学校もある。 レインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールに、林氏が赴任したのは前任者が、就任後すぐに辞めてしまったからであるが、とにかく、授業を成立させるこめに、多大なエネルギーを割かれる。週2回、一回2時間の授業を行うわけだが、どんなに準備して、生徒たちを惹きつける授業をしようとも、授業を聞くことにがまんができるのは、せいぜい30分であるということが、実感として分かっていく。それで、林先生は、毎回2時間目は、外に出て、スポーツをすることで、体を動かす時間にする。日本文化ということで、当初はかなり相撲をやったそうだ。 そうして段々と、生徒たちも、先生の熱意を感じ、また、同じ目線で話してくれる先生の態度に、心を開いていく。 アメリカの底辺高校で成果をあげている教師たちの声は、共通して、「徹底して生徒たちの興味関心に対して、共感すること、認めること」を通じて、生徒たちの意欲が形成されていくと、書いている。つまり、制度的に要請されている教育内容を、相当程度端折ったとしても、どんなに、学校での学習事項と無関係であっても、とにかく、生徒一人一人の感性に触れなければ、学校を荒らしたり、さぼったりする姿勢を改めさせることはできないということだ。 こうした実践によって、生徒たちの前向きの姿勢が形成されていくのだが、林先生は校長に疎まれ、結局1年で解雇されてしまう。もともとはジャーナリストで、教師として生活を支えているわけではないので、経済的に困るわけではないが、しかし、子どもたちとかかわることに、強い意欲をもった林氏は、ユース・メンターリングという奉仕活動を行うようなる。Big Brother & Big Sister  という100年続くボランティア団体が行う、孤立しがちな子どもと、「ともだち」として接するもので、教えたり、叱ったりしないで、ただただ対等な、共感的態度で話していくというものだ。最初に受け持ったヒスパニックの子どもは、林氏との交流で意欲をもつようにな結果、よりよい教育をしている学校に写ってしまい、接触が途絶えてしまう。 ある意味、底辺校での教育実践は、そこから逃げ出すためにエネルギーを注いでいる側面を感じる。 東井義雄が『村を育てる学力』のなかで、日本の地方の学校が育てているのは、「村を捨てる学力」であることを批判的に分析していたが、こうした状況は、国際的に共通のものなのだろうか。厳しい状況で学んでいる子どもたちに対して、教師は、努力してもっといい状況に脱出せよ、と励ますのが正しいのだろうか、それとも、間違っているのだろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。