鬼平犯科帳ノート(1)はじめに

 いろいろな話題があっていいと思い、私がはまっているテレビドラマをふたつ、ひとつずつとりあげていくつもりだ。
 現在考えているのは、「鬼平犯科帳」と「Law & Order」のふたつだ。
 今回は「鬼平犯科帳を取り上げる理由とその魅力を書く。
 鬼平犯科帳は、1967年から1989年にかけて『オール読物』に連載された小説で、135話ある。文春文庫24冊で刊行されている。テレビでは4回ドラマ化されているが、最も多数の作品がドラマ化されて、また、作者の池波正太郎が気にいっていたのは、最後のフジテレビによる中村吉右衛門主演のものである。さらに、中村吉右衛門が主演のドラマは、おそらく時代劇のテレビドラマとしては、最高の質を誇っているように思う。原作も面白いが、ドラマは、原作を歪めない範囲で工夫を加えて、見るドラマとして非常に丁寧に作られている。


 ドラマの面白さは、内容がある程度事実を素材にしているからだろう。鬼平こと、長谷川平蔵は、最も長く火付け盗賊改めの長官を勤めた人物であるだけではなく、現在では判例にあたる文書を、最も多数執筆した長官でもあったそうだ。判例に当たる文書だから、事件の経緯を記した上で、処罰の内容とその理由を書いてあるわけで、それを基にして、作者の池波正太郎は小説を書いている。もちろん、小説だから、かなり創作がはいっているだろうが、まったくの事実無根の、ありえないような話ではないのである。そこが、「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」とは違うところだ。
 また、池波の小説は、当時の江戸の生活や習慣、地域の事情をかなり調べているので、食べ物、交通など、すっかり今の東京と異なっているわけだが、ドラマはできるだけ当時のあり方を再現しようとしている。中村吉右衛門ドラマは、京都で撮影されているが、江戸が水陸がかなり利用されていたことを再現するために、琵琶湖の、当時を思わせるような雰囲気を残す地域で、かなり撮影しているそうだ。
 さらにこのドラマの魅力のひとつは、小説の登場人物と、ドラマの登場人物が、非常によくマッチしていることである。長谷川平蔵は、実は小説とは体系が違うのだが、(原作では、中肉中背で小太りということになっている。逆に、江守享演ずる岸井左馬之助が背が高く引き締まった体系となっているが、ドラマでは逆になっているのが少々残念だが、むしろ、これは、最初のドラマを松本幸四郎を想定して書いたからかも知れないと思う。中村吉右衛門は池波たっての願いで実現したキャストだそうだから、身体的特徴以外は、ぴったりしている。)小房の粂八の蟹江敬三、相模の彦十の江戸家猫八、おまさの梶芽衣子、五郎蔵の綿引勝彦等々実に原作のイメージとよくあっている。これ以外のキャストはありえないほど自然である。だから、途中で俳優が死亡してしまったとき、代役になるのではなく、登場人物そのものを変更する形での処理がなされていることが多い。それだけ、作中人物が小説とドラマで一致していたということだろう。
 さて、最後にこのドラマの魅力は、時代劇によく見られる「勧善懲悪」ではなく、平蔵が失敗したり、重要な平蔵の手下が殺されたり、実際の事件をもとにしているからでもあるが、リアリティがあり、まさかそんなことはあるまい、というような要素がほとんどないことである。もちろん、長谷川平蔵があれほど剣の達人で、多数と切り合っても負けなかったというのは、少々割り引く必要があるが、しかし、危険な職務であるにもかかわらず、病気で亡くなったことは事実だから、修羅場を切り抜けてきたのだろう。長谷川平蔵だけではなく、与力・同心や密偵たちも、懸命に犯罪に取り組みながら、人間的な弱さや悩みももっていて、複雑な人間関係を作り出すことがある。平蔵のミスで密偵を死なせてしまうこともあるほどだ。
 このような時代劇ドラマは、今後作られる可能性は極めて少ない。そこで、原作とドラマを比較しながら、いろいろと考えてみたいと思っている。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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