夏休みに行ったこと「障害児者のきょうだいについて」

 私は夏休みの間、「きょうだい児」の研究を進める為、文献を読むことと知人の障害児をきょうだいに持つ人物にインタビューを行った。

 まず文献から得られたことを以下にまとめる。
 障害児のきょうだい問題が着目されはじめてきた今日であるが、その問題の顕在化とその背景として、広川(2012)は家族形態の変化を挙げている。核家族化の進行と共に家族の養育機能が急速に低下していったことがある。また近年の医学・医療体制の進歩と整備も挙げられており、ハイリスクの新生児の救命率の向上と障害児の寿命が飛躍的に伸びたことにより、介護が親世代にとどまらすきょうだい世代にまで引き継がれる必然性を生じるに至ったことを示している。広川は、問題顕在化の低年齢化と長期化、学校に関する問題(いじめ、不登校)として表面化する点で過去のきょうだい児の問題と異なっており、検討を要するとしている。
 また、田中(2012)は、障害児者の家族は貧困問題とは無関係ではいられないとしている。それは、母親の就労困難により家計がシングルインカムで支えられていること、時には生計中心者さえも障害を理由に仕事の変更や、転勤などを断念しているケースも見られることにより、経済的貧困に陥るリスクが高いとしている。
 きょうだいの特徴として田倉(2012)は、以下のようにまとめている。
①幼少期から親の期待や思いに沿い「いい子」でいつづける、または、自己主張を積極的にせず対処しようとする傾向がある。
②日常的な同胞(障害児者本人のこと)とのかかわりの中で保護的役割を担い、同胞や親子関係に関して怒りや不満、不安などを抱いているがそれを抑圧して適応しようとする。しかし、ストレスが高まると抑圧していた感情が身体症状や問題行動等といった形で表出したり、同胞とのかかわりを避けるなどして対処しようとする。
③青年期は周囲に対する意識が強まる時期で、同胞に対する葛藤も大きくなる。自分自身を模索する過程で親やきょうだいと心理的距離ができると、同胞との関係も肯定的に認識できるようになるが、結婚や親亡き後の問題を考えざるを得ない青年期になると、また不安や負担感を感じる傾向にある。
④同胞に対して両価的な感情を抱いているが、日常的な関わりかわ同胞との関係を独自に意味づけている。葛藤しながら関係を築くことが、きょうだいの人格的な成熟にも繋がることにもなる。
 上記のことは比較的同胞との関係が良好である可能性が高いため、否定的側面も肯定的な側面も一義的に捉えることはできないと田倉は示唆している。
 また、親ときょうだいの間には同胞をめぐる思いにズレがあり、親はきょうだいに自由な選択を求めつつ、きょうだいは同胞の存在を抜きに考えられないなど、両者には思いのずれがあることも指摘されている(矢矧・中田・水野、2005)。これに対し戸田(2012)は、2012年1月に札幌市でおきた知的障害のある女性とその姉が自宅アパートで孤独死した事件をうけ、親はきょうだいに対し「障害児者のことを心配せずにあなたはあなたの人生を歩みなさい」というけれど、きょうだいは親の言葉の近協が不安定であることに気づき、言葉とは裏腹に「親は、本当は障害児者の面倒を見てほしいと思っているのではないか」と考えているのではないかと示唆している。
 また戸田(2012)はきょうだいの中には自分の年齢・発達段階には不相応な過大な役割を要請されるものもいることや、障害者の代わりに「勉強ができる子ども」「スポーツが万能な子ども」といった役割を期待される者もいると指摘している。また多くの役割が与えられるきょうだいは、遊びの時間が制限され、結果として友人と疎遠になったり、経験不足が不足する場合があるとしている。さらに戸田は、自分の担っている役割が他者に要請されたものか、生活の状況から「自分からすべき」と判断したものか、あるいは自分の本来的な欲求から出発したものかが区別できない者もいると論じている。また親がきょうだいに向ける期待・要求が転嫁し、それが「きょうだい自身の要求」として語られるなどのケースもあり、これは「不適応」を起こさなければ問題となることはないが、それの要求はきょうだい自身の本来的な要求・ねがいが相対的に低く抑え込まれた結果としての有り様ではないのかと問いかけている。また田中(2012)は、親たちであればもっといるネットワークをきょうだいは持っておらず、障害者ともども社会的に孤立する可能性も大いに考えられると論じている。
きょうだいに生じる問題を解決する為に必要な事として田中(2012)は、家族に障害者本人のケアの第一義的責任を強要する社会の在り方を変える他はないとし、その際に重要と思われる視点を3点挙げている。第一に障害者の生活を組み立てるに当たって、家族には家族以上のことを求めないことが必要で、そのためには障害者自身のライフサイクルに応じたノーマライゼーションの実現に向けた支援が必要であるとしている。また療育や訓練や医療的ケアなどの専門的知識や技術を要するケアは当該専門職によって担われるべきとも指摘している。
 第二に家族のバランスに配慮した支援と、それと同時にそれぞれの関係性とライフサイクルに応じた家族の全体性への着目も重要であると論じている。
第三に、家族が社会的支援を必要とする「当事者」である現状においては、「障害者の家族」として社会参加できる場面をつくることが必要であるとしている。父親やきょうだいなど、それぞれの立場に必要な知識や関わり方などを提供する学習会や、悩みや問題を共有できる自助グループなども有効であると論じている。

 次にインタビューで得られたことを以下にまとめる。
 夏休みのインタビューでは、2名の障害を持つ人物のごきょうだいに協力いただいた。協力者は筆者の知人である。
 1人目(Dさんとする)は弟が知的障害最重度であり、現在共に生活をしている。男性。
 2人目(Eさんとする)は妹がADHD(注意欠陥多動性障害)であり、現在一人暮らしの為に離れて暮らしている。男性。
 二人は知人同士であるため、同時にインタビューをさせていただいた。

 インタビューで聞いたことをまとめると①障害児者がきょうだいにいることで、良かったこと、嫌だったこと、困ったこと、②親からの期待はあるか、親への要望や不満はあるか、③将来や結婚について、④きょうだい児同士での交流はあったか、どんなことをしたか、⑤どのような支援があったら助かったか、というような内容であった。
 まず①障害児者がきょうだいにいることで、良かったこと、嫌だったこと、困ったことだが、一般家庭よりも障害児者に対して理解があるというところと両方の人物が語っていた。家族のつながりが強くなったという意見や、自分の進路選択のきっかけになったという意見もあった。
嫌だったことや困ったことでは、同級生の妹や弟を見ていて、自分のきょうだいとは違う発達で、他の子はできていることが自分のきょうだいはできないという差を感じるという意見や、お兄ちゃんとして、親がいない時とかに面倒を見なければならなかったという意見がでた。また同級生の子たちに心無いことを言われたということや、教師からの障害児本人へのいじめがあったということも語られた。

 ②親からの期待はあるか、親への要望や不満はあるかで、期待については面倒を見てほしいとかはあるけれど、多く期待されることはなかったと語っていた。Dさんは、面倒を見るのが当たり前で、それが特に苦であったことはないとも語っていた。また障害のあるきょうだいには勉強が望めないので、自分に期待されていたということもあったという意見もあった。親への要望や不満は、障害がある本人に絡んだ不満等は特に出てこなかったが、Dさんは父親があまり子どもの面倒を見ないので、自分が父親代わりになっていたと語っていた。

 ③将来や結婚については、結婚した場合、障害に対して理解のある人を見つけられるか、またパートナーが受け入れてくれても、相手方の家族が受け入れてくれるかわからないと危惧する意見が語られた。またその場合、施設に入れたりコーディネーターを付けたりということになるのではと語っていた。

 ④きょうだい児同士での交流では、2人ともあったと語っていた。友達ができるきっかけになり、母親同士の交流とかもあったので良かったという意見もあった。

 ⑤どのような支援があったら助かったかという話では、アドバイザーなど、障害への知識を得られる場が欲しいという意見や、地域理解がもっと広がると言いという意見、他にはきょうだい児自身が主催者としてセミナーのように、体験したこと等を発信していける場があればいいという意見があった。

 インタビューから、障害児のきょうだいである環境にいることにより、特有の悩みや問題があることを感じた。特に筆者が印象に残ったことは障害を持つきょうだいの面倒を見ることが当たり前で、苦痛に思ったことはないという意見である。これは文献の中にも出てきたことであるが、不適応を起こしていないので特に問題となることはないが、きょうだい自身の本来的な要求・ねがいが相対的に低く抑え込まれた故の結果であり、それは果たして良いことであるのかという疑問を抱いた。
 

 以上が夏休みの間に行ったことである。
 今後の課題として、「春学期に行ったこと」の方にも書いた課題に加え、上記にはないのだが今回のインタビューの際にでた「きょうだい児は姉や兄といった上の立場の人が多い」ということを踏まえ、可能であれば妹、弟の立場の人物にインタビューをしたいと考えている。

参考引用文献
・広川律子(2012) 障害児のきょうだい問題とその支援 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p2-9.
・田倉さやか(2012) 障害児者のきょうだいの心理的体験と支援 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p18-25.
・田中智子(2012) きょうだいの立場から照射する障害者のいる家族の生活問題 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p26-34.
・戸田竜也(2012) 障害児者のきょうだいの生涯発達とその支援 障害者問題研究第40巻第3号 2012年 p10-17.
・矢矧陽子・中田洋二郎・水野薫(2005) 障害児・者のきょうだいに関する一考察――障害児・者の家族の実態ときょうだいの意識の変容に焦点をあてて 福島大学教育学実践研究紀要,
48,9-16.

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。