卒業研究
卒業論文、今は、卒業研究ということになっていて、論文以外でもいいのですが、ほとんどの人は卒業論文を書いています。卒業研究になったことは、とても積極的な意味があると思っていて、論文でなくてもいい、それから、共同研究を認めるという形になっているのですね。私も共同研究をおおいに勧めていましたが、なかなかやらないですね。演習で共同研究をしているので、卒業研究では、個人でやりたいということかも知れません。パフォーマンスでも一応いいことになってはいるのですが、実践した学生はまだいないとおもいます。
基本的に卒業論文にむかうときの、私の基本姿勢は、この学生たちは、研究者になるわけではない。研究者になるわけではないから、論文としてりっぱであることは求めない。いまは、大学院にいっても、修士論文くらいまでは、学術論文として認められることは、滅多にないわけです。修士課程でも修行時代みたいなもので、博士課程にいって書く論文が、ちゃんとした論文であるということだと思うのです。まして、学生であれば、そういうものは求めない。 “最終講義5 自伝と卒論” の続きを読む
最終講義4 演習でめざしたこと
次は演習です。
人間科学の基礎
まず「人間科学の基礎」です。人間科学部創設以来、ずっと1年生の必修科目として置かれていました。ただ、私は人間科学科にいたころには、たまにやっていたのですが、実は、どうやっていたか、よく憶えていないのです。臨床心理学科になって、当初は、私は担当していませんでした。というのは、私は一年生科目をたくさん担当していたのです。一年生とあまり接していない先生がやったほうがいいということで、私は、当初やっていなかったのですが、そのうちに、学科長が変わりまして、ローテーションにしようということなりました。それで2,3年に一度まわってくることになりました。臨床心理学科にいるけれども、まったく専門外である私が、臨床心理学科の学生の、最初のトレーニングをする演習科目で、どうしようかと相当考えました。臨床の専門の先生であれば、いろいろな技法を御存知なわけですから、いかにも、臨床心理的なことを、いろいろやれると思うのですが、私の場合には、まったくそういうものはないので、どうしようかということです。何ができるか、それは本を読むことだけだ、という考え、「人間科学の基礎」では、ただひたすら本を読みました。 “最終講義4 演習でめざしたこと” の続きを読む
最終講義3 評価のための工夫
評価のための工夫
授業が終わるとレポートを課したり、試験をしたりすると思うのですが、既に説明したように、掲示板を重視していましたから、レポートはあまり課しませんでした。ここでは、たぶん他の先生はやっていないだろうと思われることに関して、また自覚的な試みとして行ったことについて説明します。
まずテストです。ここにいる人も、私のテストを受けた人がいるかと思うのですが、たぶん、似たやり方をしたテストは、他にはなかったでしょう。私は、教育学概論という科目でのみ試験をして、他は一切テストをしませんでした。しかし、このテストのやり方は非常に奇抜でして、経験した人はよく憶えていると思います。何が違うかというと、3問必ずだします。論文の形式です。普通は書けない量です。かなり難しい論述で、普通の人でも2題書ければいいような問題です。その時間内で書かねばならないということですが、逆に、評価は厳しいものではなく、完璧に書けていなくてもいい。時間の制限もありますから、そこは考慮しながら採点はします。そして、3問のうち1問は、だしてほしい問題があるかを、事前に学生に聞きました。自分でだしてほしい課題ですから、当然書きやすい。だから、たくさん出てくるかと思うのですが、意外に出てこないですね。 “最終講義3 評価のための工夫” の続きを読む
最終講義2 予習・討論を促す試み
予習を促す試み
それで、これから、具体的にどうやってきたかということですが。まず最初に予習を促すための作業についてです。これはいろいろとやりました。
予習をしてもらうためには、教材がなければならない。簡単な方法としては、テキストを指定して買わせる。私は、どうも学生にテキストを買わせることに躊躇がありました。アメリカの大学では、100人の履修学生がいて、テキストを指定すれば、そのテキストを100冊大学が用意して、図書館に置いてくれるというのですね。そういうことは、日本の大学ではとうてい望めないので、自分で作るしかない。それで、授業の一回分くらいのものを、私が作文しまして、プリントを作って、研究室のドアの脇に、レターケースを置いて、2,3日前にプリントを入れておく。必ず事前にとって、読んで授業にでなさい、と言っていたわけですが、実行してくれた学生は、少数はいましたが、少数しかいない。僕が授業にでるために、ドアをあけて出ようとすると、そこに学生がたくさんプリントをとりにきているわけですね。だから当日とって、授業中読む、読みながら聴くという学生が多くて、予習にはなっていない。 “最終講義2 予習・討論を促す試み” の続きを読む
最終講義1 知的能力向上
1月25日に行った最終講義を、何度かにわけて掲載します。実際の講義そのままではなく、若干読みやすくする変更はしてあります。
最終講義の意図
ただいま紹介にあずかりました太田です。今日は、お忙しいところ、わざわざおいでいただき、ありがとうございます。最終講義というのは、最初は、やる気なかったんですけど、それでは、まずいかなと思いました。それでやることにしました。通常は谷口先生がやられるように、研究に関することを話すことが多いかと思うのですが、私は教育学者ということもありまして、教育学を研究しつつ、大学での教育活動をどうしていくかということは、絶えず考えていましたので、テーマに書いてあるように、「文教大学の教育活動で目指したこと」を、テーマにして話そうと思いました。めざしたことをひと言で言えば、「学生諸君の知的能力を向上させる」、そのために、「できることはなんでもやる」ということでやってきた。それを具体的にどういう風にやってきたか、どういう成果があったのか、あるいはなかったのかということについて、お話したいと思います。 “最終講義1 知的能力向上” の続きを読む
野村ノート(再論)
昨日、野村ノートの出版を望むと書いた。野村の書いた本を何冊か読んだが、念のためアマゾンをチェックしていたら、『野村ノート』という本が出版されていることがわかり、野村が日頃つけていたノートだというので、早速購入して読んでみた。しかし、予想通り、それは私のいう野村ノートではなかった。確かに、野村ノートを元にしているのだろうが、これはあくまでも、野村が書いた著作だ。私が考えているのは、野村のつけていたノートをそのままコピーするなり、写真製版したものだ。もちろん、だれかの解説が付されているほうがよいが、そのままでもよい。そんなものより、本人が書いた、整理された内容があればいいではないか、と思う人も多いかと思うが、やはり、取捨選択してかみ砕いたものは、たとえそれが本人が書いたものであっても、別物であり、オリジナルの書きつけたものには、それだけの価値がある。
音楽の世界で考えてみると、その違いがよくわかる。
たとえば、ベートーヴェンのピアノソナタの楽譜は何種類も出版されているが、実はみんな同じではない。音符そのものはほとんど違いはないとしても、強弱に関する記号、指使い、スラー、ペダルなどは、けっこう違いがあるのだ。 “野村ノート(再論)” の続きを読む
野村元監督の死 野村ノートの出版を願う
子どものころは、東京育ちだから普通に巨人ファンであったので、パリーグの試合を見ることは、駒沢球場がなくなってからはほとんどなかった。オリンピック会場が建設される以前は、駒沢には東映フライヤーズの本拠地の駒沢球場があり、そこはよく見に行った。小学校時代、友達とだ。思い出に残っているのは、山本八郎という捕手がいて、直ぐに暴力を振るって退場させられることが多かったのだが、その現場を2度くらい見た。また、近くにある合宿所で、新人のときの張本にサインをもらったこともあった。当時、新人の張本をよく知らなくて、ただうろうろしていただけなのだが、張本がこっちこいといって、自発的にサインをしてくれたのだ。小学生なので、ありがたみもわからずに、そのサインはすぐにどこかにいってしまったのだが。
そんななか、野村が出る試合を一試合だけ見たことがある。後楽園で巨人とのオープン戦で、どういう事情でチケットを手にいれたのか、まったく憶えていないが、ネット裏の特等席で、野村を間近に見たことははっきり憶えている。もちろん、まだばりばりの現役キャッチャーだった。長島や王が目当てだったが、ネット裏だったから、野村のほうが印象に残った。 “野村元監督の死 野村ノートの出版を願う” の続きを読む
指揮者のリハーサルビデオ フリッチャイ
最近、指揮者のリハーサルビデオをいくつか視聴した。クライバー、ベーム(ドン・ファン)、カラヤン(シューマン4番)、フリッチャイ(モルダウ)等。市民オーケストラで演奏していることもあるが、以前から指揮者に最も興味があるので、こうしたビデオはできるだけ見るようにしている。このなかでは、フリッチャイのものが、非常に興味深く感じられた。というのは、フリッチャイが病気に倒れて、極めて健康状態の悪いときになされたリハーサルだからである。
フリッチャイは、1958年に白血病と診断され、大手術を受け休養を余儀なくされたが、1959年夏に復帰したとされる。しかし、1962年に白血病が悪化、翌年3月に亡くなっている。このリハーサルは、1960年6月に行われているので、復帰後1年のときのものだが、前日は苦痛で睡眠もとれないので、よほどキャンセルしようかと思ったのだと語っていたそうだ。 “指揮者のリハーサルビデオ フリッチャイ” の続きを読む
信号機の除去で事故 環状交差点の拡大を
2月8日の京都新聞に、「12月に信号撤去、軽トラ同士が衝突し重体 市道の交差点」という記事が出ていた。滋賀県、見通しのよい道路で、それまで設置していた点滅式の信号を撤去してすぐの事故だったという。滋賀県では、2017年から、順次信号を撤去しており、これまでに70基を撤去しているという。
こんな感じの道路になっているという。(京都新聞掲載)事故が起きた時間帯が記事には書かれていないのだが、注意深く運転すれば、確かに事故は起きにくい道路であるとは思う。左右前後の見通しはとてもよい。にもかかわらず出会い頭の事故が起きた。それは、優先順位が一瞬あいまいになったのだろう。もちろ、「止まれ」のない方が優先道路であり、「止まれ」がある方は、その場合絶対に止まって、相手側が通ってから交差点にはいらなければならない。しかし、「止まれ」の信号は、普段の運転では見過ごされがちなものだ。とくにそれまで信号があったとすれば、とくにそうだろう。 “信号機の除去で事故 環状交差点の拡大を” の続きを読む
読書ノート『モーツァルトを聴く』海老沢敏(岩波新書)
クラシック音楽の聴き方に関して、「モーツァルトに始まり、モーツァルトに終わる」という言葉がある。私の場合、確かにそれが当てはまる。子どものころ、我が家にあった古いレコード、当時は既にLP時代に入っていたのではないかと思うが、我が家には、手回しの蓄音機とSPレコードしかなく、LPを買うようになったのは、2,3年後だった。そこで、ブルーノ・ワルターのSPを何度も繰り返し聴いたものだ。そこにモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジークとジュピターがあった。戦前のウィーン・フィルの録音だ。アイネ・クライネの演奏に関しては、いまだに、この演奏を越えるものを知らない。ただし、CDになったその演奏は、SP時代の潤いのある音質がなくなっている。SPは確かに針の音がはいって、聞き苦しかったが、回転数が速かったせいか、音そのものは悪くなかったのだ。とにかく、モーツァルトから始まったのだが、その後、ベートーヴェン、マーラー、ヴェルディとめぐって、やはり、モーツァルトが最高というところに戻ってきた。だからモーツァルト本は、できるだけ読むことにしていて、今回この本を読んでみた。 “読書ノート『モーツァルトを聴く』海老沢敏(岩波新書)” の続きを読む