太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)2

文教大学にはいって

お 文教大学はどうして入ったんですか。
岳 文教大学は落ち武者的な感じで。千葉大学の教育学部の初等社会を志望していたんですけど、見事にセンターでやってしまいまして、それからどうしようということで、今から文教の教育学部入れるほどの対策もできないし、この大学にいる先輩から、人間科学部にはいっても、小学校免許の取得のコースがあると教えてもらって。
お 先輩というのは。
岳 母の教え子ですね。
お その先輩の言葉がなければ来なかった。
岳 来なかったですね。
お 国立落ちても、いろいろ受けるでしょう。
岳 そうですけど、センター以外考えていなかったので。センターの模試でけっこういい成績とれていたので、もういけるんじゃないか、という油断があって。
お 普通滑り止めというのを考えるでしょう。世の中では。
岳 滑り止めもセンターセンター利用で。
お うちもセンター利用あるでしょう。
岳 文教大学の人間科学部を知らなかったんですよ。教育学部でしか、先生にはなれないと思っていたんです。で、文教大学教育学部のセンター利用もできず、日大もできず、あと東洋もひっかからなかったので、さて、どうしようということになって。
お では、何ではいってきたの?
岳 A日程ですね。
お でも、センター試験だめで、A日程の申し込みまで、ほんのわずかしかないよね。
岳 はい、ですから、センター終わって、母さん、どうしようかとなったときに、たしか先輩もこんな感じだったから、話を聞いてみたらということで、センターの次の日に話しをきいて、そこは速かったですね。
お なるほど。でも、B日程ではいってくる学生で優秀なのがいるんだよね。B日程というのは、すべてだめだったという人だから、できないイメージかも知れないけど、逆の場合が多い。
こ 私は、一浪しているんですけど、現役時代は、もともと教育学部志望で、群馬大学と、秋田大学を受けたんです。だめで、滑り止めでの大学では、幼稚園の免許がとれたんですけど、親が一浪していいよ、といってくれたので。浪人のときには、宮城教育大を志望していたんですけど、滑り止めで文教と東北福祉大学を。文教は、心理と特別支援でだしました。

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お センター利用で。
こ はい、でも、文教の特別支援が落ちて、心理が受かって、心理でも特別支援教育の免許が今年からとれるということを知っていたので、心理でいいかと思っていました。宮城教育大は、特別支援が前期しかなくて、後期は地元の県立を受けたんですけど、そっちも落ちて、選択肢がここしかなかったんです。それでここにきました。
お それにしては、今は優秀だよね。
岳 そうそう。
こ 心理はとても楽しいので、それが向いているんじゃないかと思います。
お 高校の勉強と大学の勉強では、大分違うなあということですか。
こ 大分違いますね。お勉強というのは、あまり好きではないんで、センターもぼろぼろでしたし、特に英語ができないので。でも、心理や人間科学部の授業が楽しいので、大学ではそこそこの成績がとれているかなという感じです。
お 特別支援をやるきっかけというのは。
こ 私の母が、作業療法士なんですけど、職場が肢体不自由の人がくる養護園なんですね。そこにはいっている子とか、外来でくる子とかが、重複の子もけっこういて、職場によく遊びにいっていたので、そういう子がいることは知っていて、あと、小学校が、敷地内に特別支援学校が併設されている学校だったので。
お 特別支援学校が。学級でなくて。
こ 学校でした。
岳 それすごいとこだね。
こ 群大の付属だったんです。
お 群大の付属にいたの。
こ はい。
お そうなんだ。
こ なので、群大受けたかったんですけど。
お 群大の付属ってどこまであるの。
こ 中学までです。幼稚園、小学校、中学までは、付属だったんですけど、高校はないので、別のところにいきました。併設されていたので、ここで交流が総合の時間などにあって、自分でも聾学校に総合の時間にインタビューにいっていたんです。特別支援いいなあ、やりたいなと、思っていたのと、他にもうひとつ、理科が好きなので、理科でもいいかなと思ったんですけど、父と母の仕事の中間くらいなんですね、特別支援というのは。それでやりたいなと思って志望しました。
お 群大の付属は小学校から入ったの。
こ 幼稚園からです。
お それは入園テストがあるわけ?
こ あります。
お どういうの。覚えている?
こ 私は覚えていないんですけど、母からきいた内容では、受け答えができるとか、挨拶できるとか、簡単な数字書いたりとか。あとは、最後に商店街のガラガラってわかりますか、あのガラガラをひいて、それで金色の玉がでできたら合格という。
岳 え?
こ 最後は運ですね。
お 国立の付属ではよくあるんだよね。
こ たまたま幼稚園から入れたので。
お 中学まではそのままストレートでいける?
こ そうです。
お 高校は何故ないの。
こ なんでないでしょうね。わからないですけど。だいたい頭のいい子たちしかないので、上のほうの高校にはいります。群大の医学部に入るとか。
岳 すごいね
お 岳君は、小学校の先生には何故なろうと思ったの?またいつごろから。
岳 小学校に入ったときというか、自分の父親と母親の姿をみていたからかも知れないです。
お ふたりとも教師なんだ。
岳 はい。父は高校。教師をやって、家に帰ってまだ仕事をしていて、それがとても楽しそうだったので、教師って楽しい仕事なんだなあと。その反面、自分の小学校高学年になったときに、日本が不景気になって、過労死だとか、社会的な労働災害が問題になってきて、他の仕事がこんなになっているのに、母さんたちは、なんでこんなに仕事しているんだろうと思って。小学校の先生も様子をみていると楽しそうだなと。
お でも、最近の小学校は大変だよね。
岳 そうなんですかね。
こ 楽しそうだよね。うちの父親も楽しそうですね。
岳 また、自分は事務仕事があまり好きじゃなくて、もちろん、教師も事務仕事の固まりだと思うんですけど、そのなかでも、人間と接する面が多いなと。
お そういう面はね。
岳 同じ事務仕事をするにしても、自分は教育に携わりたいなと思って。小学校を選びました。

大学での生活

お 大学にはいってどうですか。
こ 大学、すごく今楽しいです。わたしは、内弁慶なので。
お まあ、内弁慶はそうだよね。そう思うよ(笑)
こ 人見知りがすごく、人と交わるのに時間がかかるんですよ。でも文教の人って、おおらかで、やさしい人も多くて、すごく居心地がいいなと思います。キャンパスも派手なところにないし、落ち着いているし、すごく好きです。

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お 勉強とかは。
子 心理学は楽しくて、学んでいると、学校現場にいかせると思うので。本当は特別支援専修にはいりたかったんですけど、そっちにいるよりも、こっちにきてよかったと思っています。
岳 期末が近づいてきて、レポートださなきゃいけない、この日までにテスト勉強しなければいけない、来週の月曜日までに、ゼミの中間論文をまとめて、発表しなければいけない。そんなのがあって、いま勉強は大変ですけど、高校のときよりは、楽しいですね。自分は数学が嫌いだったので、無理やりやらされている感だったですね。
こ 大学では、自分の責任だもんね。
岳 そうだね。それに、心理とか、特支とかの分野でも、どこを勉強しても、将来教師として役立つだろうという内容なので、これもいいな、これもいいな、という風に感じて、これは嫌だというのはあまりないですね。
こ 人間科学科って、何やってるの?存在が謎なんだけど。
岳 何やってんだろう。全部やってるんじゃないかな。広く薄く。概説系はいっぱい受けた気がする。
こ 心理は心理メインだ、臨床は臨床で。人科人科って?
岳 教育学概論も、臨床心理学概論も受けたし、うーん。何やっているかと言われるとこまるか。
こ 福祉のところは、多いよね。
岳 そうだね。福祉の授業もけっこういったけど。あとはジェンダー論。どっちかというと、小免の色が強いかも知れない。~~教育論とか、家庭教育論とか。心理を混ぜつつ、ちょっと、教育に重きをおいた学科かな。どうですか。
お 僕は臨床心理学科なので、わからないね。(笑)
岳 そういう印象ですね。
お 小免の人って、固まる傾向があるね。
岳 志が具体的になったメンバーが集まるわけですから。全く同じような人間が集まっていると思います。
お 高校から大学にきて、一番違うなと思ったことは?
岳 自分の時間が増えたことですね。高校も部活だったし、一時間目から6時間目まであって、家に帰るのが7時を過ぎていたりして。大学は、日によっては、2時間目終わったら帰るみたいな。土曜日なんか。
お そういうときは、帰っちゃうの。
岳 そうですね。帰ってバイトしてお金をためて。別のことに使うとか。あとは、勉強するとか。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)3

学生だからできること

お 学生時代にしかできないので、こういうことをやっておこうという話がよくあるけど、それはどうですか。旅行にいくとか
岳 旅行はいってます。14カ国いきました。
こ 海外がメインなの?
岳 海外がメインです。
お 一人で?
岳 はい。
お 大変だよね。
岳 大変です。だからガイドさんとかも予め頼みます。インドなどは大使館に連絡とって。ガイドサービスなどはありますかね、って聞いて。

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お ガイドさんを頼むわけね。
岳 頼んで、空港まできてもらいます。ペルーに行ったときには、ガイドさんが現地語と英語しか話せなくて、自分は日本語とちょっとの英語しか話せないので、かなりぎくしゃくしたものになりました。何か飲み物が飲みたいというと、カレーが出てきたりとか。(笑)
お 日本人だから、ほしいのはカレーに違いないとか。
岳 トイレにいきたいというと、ずいぶん見晴らしのいいところにきてしまったり。
お レストルームとか言ったからじゃないの。
岳 そうですね。
お この人休みたいんだと。
岳 はい。
お ずっと一人旅で?
岳 友達が、俺もつれてってと、一回言われたので、一緒にオーストラリアにいったことがあります。そのくらいですかね。
お なんで一人で。
岳 ひとりだと自由時間がおおいし、ツアーだと、自分がここもう少しみたいと思ったときに、あと20分でいきますよっていうようなことか、嫌だったんで。
お ツアーのが安いでしょう。
岳 安いときもありましたが、基本は、そうでもないですね。自分でとった場合のほうが、安いことが多かったですね。
お 安いところに泊まったりするのかな。
岳 そうですね。
お ツアーはけっこういいところに泊まるからね。
岳 そうですね。インドでは、列車のなかにとまりましたね。
お 危ない目にあったとかは。
岳 危ない目は何度もあります。砂漠でテントに寝泊まりしているときに、砂嵐になったとか、インドの列車に乗っているときに、ガイドさんに飲み物買ってきてもらったときに、ガイドさんが戻ってくる前に列車が発車してしまったりとか。
お ガイドと分かれちゃったわけだよね。そのあとどうしたの。
岳 電車の次の駅でおりて、携帯にかけました。
お ガイドをつけず、自分でまわったとかは?
岳 3回あります。メキシコとロシアとカンボジアです。
お かなり際どいところだよね。なかなか難しいところだ。
岳 ロシアは自分で、単語帳片手にいきました。今わたしはどこにいます、というような例文です。一泊二日でした。
お 一泊二日でロシア?
岳 一泊三日ですか。
お 飛行機のなかで一泊だね。ロシアはどういうところにいったの。
岳 イルクーツクにいきました。バイカル湖の近く。バイカル湖が凍ると、凍っているところとそうでないところの間がきれいだ、というのを見たので、いってみようかと。きれいでした。
お 14カ国、あげてみて。
岳 ペルー、ボリビア、メキシコ、アメリカ、ロシア、カンボジア、オーストラリア、インド、ノルウェー、ザンビア、ジンバブエ、ナビビア、南アフリカ、今度カナダいって、14ですね。
お けっこう危険なところ行ってるよね。
岳 そうですね。フランスとか、イタリアは、行ってみたいんですけど、そこらは、年取って、定年のあとでもいけるかなと思うんですけど、さすがに、アフリカのジンバブエとか、3週間は年取ってからは無理かなと思った。
お そうだよね。
岳 今のうちに行けるなら行っておこうと。
お いままで一番危ない目にあったのは?
岳 アフリカですかね。襲われたというよりは、サイがかなり近くにきた。オープンカーで簡単な覆いがあるんですが、トイレ休憩にしましょうということになって、サファリのなかで、とまったんですけど、自分が荷物をとりにいこうと、後に行ったら、ふと前みると、距離1メートルくらいのところに、サイがいたんです。サイが茂みのようなところから、すっと現れたんで。(笑)
お 空腹じゃなかったんでしょう。空腹じゃないと襲わないから。
岳 大丈夫でしたけど、あのあと、ガイドさんは、誰か死ぬかも知れないと思ったというようなことを言っていた。でも、呼吸の鼻の動きまで見えましたね。バフーバフーという感じではなくて、スースーっていう。
こ 冷静に観察していたね。
岳 一瞬で冷静になった。「ああ、サイか」みたいな。(笑)
お 写真はないの?
岳 さすがにそのときの写真はないですね。
お 安全になってからは。
岳 いろいろ撮りました。
お こんちゃんはどうですか。
こ 旅行はあまりしないですね。
お 国内でもいいんだけど。
こ 遠出はしないです。せいぜい2泊3日くらい。近場くらい。旅行は好きなんですけど、誰かが一緒じゃないと動けないので、家にいて、本を読んだり、ゲームをしたりとかのほうがおおいです。
お 学生じゃないとできないというのではなくて。いつでも人生できるさって感じですか。
こ バイトはいろいろしたいと思っていますけど、今のところに落ち着いているし、部活が忙しいので。
お 部活ってなんだっけ?
こ 「なずな」です。りゅう君と一緒です。わりと忙しいので、休みでも、イベントがはいって、出かけるのが厳しくなります。今役職についているのもありますし、部活はとても楽しいので。(笑い)
岳 (何枚かのお札を見せて)お金です。いろいろあります。お金をメモかわりに使うインドとか。あとジンバブエドルって知ってます?
お 知らない。
岳 数年前に財政破綻して、スーパーインフレを起こしたんです。これは一体日本円でいくらだと思います。(ジンバブエドル札をだして)
お 0がいくつついているの。10こついているから、50億ドルだよね。いくらかっていうことね。どうせ、こういうこときいているんだから、1000円くらいかな。
岳 これは、12円です。
お 12円?へえー。
岳 だから、コーヒー一杯分もないそうです。
お でもこれ自体は、高く売れるよね。
岳 そうですね。だから、自分がいったときには、既に財政破綻していたので、これをおみやげ屋さんで売ってました。
お もう少したったら、歴史的な貴重な資料になるよね。
岳 第一次大戦後のドイツみたいに。
お そうそう。
岳 これもそうですね。これは10ドルでした。12円なのに、10ドルでした。
お お札としてではなく、記念品として10ドルね。
岳 ジンバブエにはいったときの入国ビザです。
お こんちゃんは、パスポートはもっているの?
こ もってないですね。だから、国外には旅行にいけないです。
お 申請すればいいじゃない。別にいかなくてももっていて損はないし。
こ 必要性がないので。身分証明も運転免許証でなんとかなるので。
お 免許はもっているんだ。
こ はい。もってます。
お それで長距離ドライブとか。
こ いや、そもそも免許とってから、一回も車乗ってない。(笑)9月にとったんです。だけど、こちらに住んでいるので。車はもてないし。

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お 実家にいればね。
こ 実家だと乗るんですけど、こちらだと必要性がないですね。
岳 実家だけど、迎えにきてとか、パシリとしてつかわれています。
こ うらやましい。でも、3年は忙しくてとれないと思ったので。
岳 この春休みとった。合宿で。
こ わたしより乗れると思う。
岳 話しきいていると、そうだなと。週3回くらいは乗っています。
こ いいな
岳 母親が運動会で忙しいと、ごめん、迎えにきて、なんて。はいいきます。みたいな。
こ 群馬は、ほんとうに車社会なんで、実家に車3台あります。車ないと生活できないから、群馬帰るなら、免許とろうと思って、とったんですけど、結局、こっちに。
お こっちだと、意外と近場で必要だよね。遠くにいくときには、公共交通機関を利用する感じで。
東京だと、どこいくにもバスとか電車だけど。
こ 群馬だとバスも電車も便利じゃないので、遠くも車です。こっちは駐車場ない店があるでしょ。群馬ではありえないので。

太田ゼミインタビュー(こんちゃん・岳)4

仕事以外にやりたいこと

お 将来は先生になる希望だよね。それ以外に、何かそれだけじゃなくて、こういうこともやりたいということはありますか。
岳 ツアーガイドなんかはやってみたいですね。英語も好きだったので。
お あるいは、国連にはいっている国はすべて制覇するとか。
岳 いつかいってみたいのが、南極ですね。まだ行ってない大陸は南極だけなので。オーロラもみてないんだな。
こ オーロラ見たいな。
岳 オーロラはノルウェーでうっすら緑色の幕がかかっているかも知れないレベルでは、みたことがあるんですけど。
お オーロラは、今年卒業した学生が、オーロラ見るためだけのツアーにいって、4日間の猶予があったけど、2日間すばらしいオーロラを見ることができたって、すごくラッキナーだったらしいんだけど。
こ いいですね。下手すると見れないですもんね。
岳 見れないほうがおおいようね。
お こんちゃんは。
こ わたしは、幼稚園の先生か。やはり、先生ですね。

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お 先生やりながら、それ以外にやりたいことなんだけど。
こ あわせてですか。手芸とかミズクラフトがとても好きなので、そういうのやりたいなと思っています。ときどき作っているんですけど。
岳 デザイナーですか。
こ デザイナーというより、趣味程度でいいんですけど。絵を描くのも好きだし。
お こんちゃんっていうと、どこかに落ち着いて、なんか一人でこつこつというイメージ。
こ 外にいくのも好きなんですけど、それより、結局、自分のために動くのが面倒くさいんですね。誰かと一緒にお出かけというと行きたいですけど、自分一人でいくには、そんなにお金もかけたくないし、着替えたり、とかも面倒くさいし、それなら、家のなかでやりたいことをやれたらいいなというところがあるので。
お 群馬の女性というと、かかあ天下というのがあるけど、それとはちょっと違うよね。
こ そうですね。
お こんちゃんタイプのほうが、むしろ、かかあ天下の典型なの?
こ いや、わたしは違うと思います。
岳 亭主関白。
こ 母は福島の人なので、群馬とは違うかも。
お 群馬に住んでいて、ああ、あの人やはり群馬の女性だと思うような人はいる?
こ いますね。男より強くて、行動力もあって、主導権握っていて、ぐいぐいいくような人もいます。女性が強い。しっかりしているんです

大学への要望

お 大学に要望なんかありますか。こういうことがあるといいけどというような
こ 履修の制限が一番つらいです。
岳 そこかも知れないです。
こ 心理学科って、人科人科のひとよりも、単位をたくさんとらなければいけないんですよ。その分、自分の学科の授業がとれなくなるんですね。制限があると、1、2年で全然とれないので、3、4年が忙しすぎて、手がまわらない感じです。
岳 そうですね。
お 4年はそんなに忙しくないでしょう。
こ どうなんでしょうね。
お 特別支援は実習が2回あるからね。
こ 単位もまだけっこう、自分の学科のも3、4個残って、教職も3、4個残ってというような感じになっています。
お そのくらいいいんじゃないの。
こ たしかに週1しか学校にこない先輩もいるので、どうなのかな、とは思うんですよ。学費も払っているし。4年のほうが理解力あるので、そのとき勉強したほうがいいかと思うんですけど、今の3年の忙しさは、尋常じゃないです。
岳 忙しいね。
お そうなんだ。それは、再検討する余地はあると思うけど、君らの世代では無理なので、しっかりバランスとって勉強してください。では今日はありがとう。

ゼミ生インタビュー第一回(1)アリエ&りゅう

卒業生シリーズを始めたわけですか、現役生にも登場してもらうことにしました。今4年生は採用試験や就活の真っ最中なので、それが一段落つく秋に出てもらうことにして、まずは3年生から2人ペアで登場してもらうことにしました。今年度の3年生太田ゼミは、非常に珍しく男女同数なので、ペアがいいかと思いました。
最初は、アリエさん(ア)とりゅう君(り)です。
文教大学に入学したきっかけ

お 先陣をきって登場してもらったわけですが、まずは文教大学に入ったきっかけについて話してください。
ア 教師をずっとめざしていた関係で、教師になるといったら、文教大学を受けようかなと。特別支援の教師になりたかったのですが、人間科学部なら、選抜試験受かればなれるし、ここにしようと思いました。
お 新潟ですね、実家から遠いでしょう。家族の反対はなかったんですか。
ア ないですね。
お どこにでもいきなさいと。
ア そんな感じですね。(笑)新潟に教師になれる私立とかなくて、国立落ちたので、どこでもいいよという感じだったです。
り 僕も一緒で、教師をめざしていて、高校の先生に、文教を勧められて、国立も受けたんですが、結果的に文教にはいりました。
お 教師には何故なりたいと思ったのですか。
ア 私は、弟が自閉症で、特別支援学級だったんですが、先生が障害について十分配慮してくれなかったのです。それなら私がいい先生になって、できることないかなと思って、なりたいとおもいました。
お その先生は、障害について勉強したわけでもないし、自閉症をどう扱っていいか、普通の教師はわからなかったんじゃないかと思うけど。
ア そうなんですよ。その先生が悪いというわけではなくて、特別支援の免許もっていない先生が、代理でやるみたいな感じだったので、対応は難しかったのかなあ。小学校の免許の先生でした。
お そういうのはめずらしくないけどね
り 僕は、年が10歳くらい離れた弟がいて、その弟に接していたり、教えていたりするうちに、教えるというのは楽しいな、やりがいがあるなと感じるところから、教師をめざすように。
お 弟だと、どうしてこんなことわからないのか、というような教えるもどかしさなどを感じることはあるでしょう。
り もどかしいのはありますけど、それも含めて、できたときには、「できた」と、こっちも達成感があるし、相手も達成感があるので、楽しいなと思って。
お 僕も弟で、兄貴に教わったことなんかないんだけど、弟って、喜んでお兄さんに教わるものなの?
り 年が離れていたというのもありますね。一つ上に姉がいて、姉と一緒に弟をかわいがって教えていましたね。

文教大学について

お 文教大学に入ってどう感じましたか。
ア ちょっと田舎にあるせいか、学生みなが、静かというか、穏やかな印象をうけますね。やさしい感じがしますね。
お 自分が突出している感じですね。
ア ははは。それも感じますね。(笑)それから授業などもまじめな感じがします。教職に特化しているというか、教師を目指している学生がとても多い。

藤井
お 企業というと、競争社会にはいっていく感じだけど、そういうのには、むかないイメージですか。教師、福祉職、カウンセラーのような仕事が向いている?
ア 確かに。競争社会にむいていそうな人は少ない印象はありますね。
お 現代社会にはあまり適応できない感じという意味?
ア そうでもないんですけど、のんびりしている人が多いかなという印象かあるので
り 三学部あるじゃないですか。教育やる人は、教育学部だけだと思っていたんですけど、人間科学部にいざ入ってみると、先生やりたいという人がいっぱいいて、すごくよかったです。
お では、企業就職をめざしている人というのは、疎外感を感じているような?
ア 学科によるとおもいます。人間科学科だと、公務員、教師志望が多いんですけど、心理学科だと、企業就職が多いので、自分がいる場所によるかとおもいます。
お 心理学科には、就活ゼミというのがあって、そこには、学部としてかなりの力を入れているんだよね。

部活について

お 部活は何をしているんですか。
ア 私はCフラというボランティア部にはいっています。活動内容は、点字とか、手話を勉強したり、子どもたちと遊ぶことです。特別支援の先生になるために必要かなと思って入ったんですけど、実際の聾者さんと話す機会がもてて、入部して毎日とても充実していますね。
お 具体的にはどんな活動をしているんですか。
ア 手話は、週2で、単語勉強したり、ゲームをしたりとか、点字も週1で、点字の文字だけではなく、法則があるので、詳しい勉強とかしています。あとは、障害児と遊ぶ活動があります。
お 手話はいろいろな流派があるようなんだけど。独自の文法をもっているのと、日本語をそのまま置き換えているというのと。
ア 日本手話と日本語手話です。私は日本語手話を勉強しています。それは、日本語の文をそのまま単語ごと手話の単語に置き換えるんです。
お 私 いく 学校 へ とか
ア はい。それに対して、日本手話というのは、最初から耳がきこえない人がやるもので、独自の文法をもっている新しい手話の言語なんです。
お 双方の手話の間での会話は可能なんですか。
ア できます。なんとなく、構文が違うんですけど、できなくはないです。
お でも、微妙な表現は難しそうだけど。
ア 疑問の仕方などは、違うかも知れません。
お 前から手話に関して思っているだけど、英語にもあるしドイツ語にもある。各国にありますね。その通訳できる人はいるの?
ア そこはわからないです。確かにいるかも知れませんね。
お そういうをめざした人いないのかな
ア 私も考えたことないので、調べてみます。
お 前から卒論で手話をやるという学生がたまにいるんだけど、手話の通訳とかを研究してと言うんだけど、魅力を感じてくれないんだけど。
ア 気になりますけどね。
お そうだよね。そうしないと、国際交流はできないから
ア そうですね。しないといったら、それで終わりですからね。
り 僕は、学習ボランティアなずなに入っています。週1で児童養護施設で子どもたちと遊ぶのですが、部員が、予め出し物とか、遊びを用意してもっていきます。
お なずなは、部会は分かれているんですか。
り 三パートに分かれていて、障害をもった子どもと遊ぶパートが2つあって、児童養護施設の子どもと遊ぶパートがあります。
お 児童養護施設の子どもと接して、なにか感じることは?
り ほとんど普通の子どもと変わらないですね。ちょっとやんちゃだったり、やりすぎることがあるかな、遊びでも。
お 甘えが足りないとかよくいうじゃない。
り それはあります。一番最初にいったときでも、人見知りしないでなついてくる。一人を独占したがる傾向は強いですね。
お それで喧嘩したりというようなことは?

 

須田
り ありますね。でも、そこは学生がうまくおさめています。一人としか遊ばないという子どもも多いですね。一人の学生を毎回独占して、ずっと一人としか接していない。その学生が、活動にいかない日があると、今日はやらないといって、部屋に戻ったりとか。一人を独占するタイプの子どもは多いですね。
お 学生もたくさんいないと困ってしまうね。
り そこはうまく、学生がいろいろな子どもと接するようにして、一対一で遊びたい子ども同士を一緒に遊ばせるように配慮しながら、やっている感じですね。
お 今日はこの一対一をチェンジしてみようということはあるの?
り それは意図しなくても、けっこうやっています。
お 自然に。でもさっきの子どもだったら嫌がるでしょう。
り 嫌がりますね。そしたら、一緒になって遊んだりして、いろいろな学生とその子が遊べるようにしています。

ゼミ生インタビュー第一回(2)

バイトについて

お バイトなどは
ア 私は焼き肉屋さんで働いています。個人経営なんですけど、ゼミのならちゃんも一緒に働いています。
お そういうところは、面白い話がありそうだけど。
ア けっこう店長がユニークなかたなんですね。シャンパンのコルクをあけるときに私にあててきたりとか。持ち込みも自由で、お客さんもユニークなんですよ。毎回床をケーキだらけにしていくお客さんとかいます。
お ケーキだらけってどういうこと?
ア 誕生日会を毎月やるんですよ。それで、顔面にケーキをなげる祝い方あるじゃないですか。
お 実際に見たことないけど。
ア うちは毎月いらっしゃるんです。毎月投げて、床を掃除しなければならない。でも、うちぐらいしか、やるとこないんですよ。

cake
お そういうのやる人って、やられるのが好きなの?
ア 仕方なくやられているんだと思います。やるほうが楽しいんですよ。
お 誕生日はどっちなの?
り やられるほうです。
お それって、どこの習慣なの?
ア 学生はけっこうやるんですよ。どこからきたのかはわからないですけど。
り やりますね。
ア パイ投げって呼んでます。
り パイ投げのケーキ版。
ア 学内にケーキ散乱していることありますよ。
り けっこうやられています。
お どこで?
ア 中庭のあたりとか。豆腐とかもありますね。
お 掃除はどうするの。掃除のおじさんにまかせてしまうの?
ア 新聞紙を敷いて、あとで回収します。
お 先生でも知っている人いる?
ア どうなんでしょうね。あまり好ましい事実ではないですよね。
お たとえば、アフリカに飢えた子どもがいるのにとか。
ア ははは。こんなことに使ってしまうのは。
お 野球のビールかけってあるでしょう。あれも、我々世代はもったいないという感覚なんだよね。
ア ああいう感じですよね。
お りゅう君はバイトは?
り 僕は居酒屋で。アリエさんの近くです。
ア この前もきてくれて。
お 先生なんかもよく来るの
り 青山先生が月1くらいで。
ア 私も青山先生がきてくれました。
り 青山先生のゼミ生とかが、わりと常連さんで。あとは吹奏楽部の先生が。
お 柳田先生だよね。

ゼミでの勉強

お 太田ゼミではどういう勉強をしていますか。
り 太田ゼミでは、自分の興味関心のあるテーマについての研究(特別支援、家庭教育、学級など)のメインのゼミに加え、サブゼミがあります。社会科、特別支援、埼玉セミナー、メインサブゼミが開講されています。私は、特別支援ゼミ、埼玉セミナーゼミ、メインサブゼミの3つのサブゼミに参加しています。特別支援ゼミでは、オリバー・サックスの「妻を帽子とまちがえた男」という神経学者のオリバー・サックスがみた患者の記録を読み感想を出しあっています。埼玉セミナーゼミは、主に論文練習で、他の人の文章にコメントをしたりしています。メインサブゼミでは、勝田守一の『能力と発達と学習-教育学入門』を読み、章ごとにまとめを発表し、議論したり、疑問点を出しあうということをしています。
私は、メインゼミで「自閉症の子ども」について、研究しています。対人関係の築きが困難な自閉症児がどのような人間関係の環境に身をおいているのか調べようと思っています。毎週グループごとに各自の研究の進行を発表しあい、議論したり、課題を見つけていくという作業をしています。
今は、自閉症についての基本的な特徴を文献や論文から勉強しています。また、自閉症の人が書いた自伝や、対話録などを読んでいます。
ア 私は将来特別支援の教員になることを目指しているので、そのために必要な知識はもちろんのこと教師としての質の高い教養・知識を身に着けたいと考えています。また、研究を通してインクルーシブ教育を中心とした特別支援に関する深い知識を学びたいです。

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太田先生のゼミでは、月曜に行われるメインゼミと、他にもサブゼミと呼ばれる勉強会も行っています。本ゼミは、自分の研究したい分野に別れてそれぞれ研究を進めています。私は「地域」のグループで「インクルージョン教育」について研究を進めています。今は文献を読み進めたり問題提起を整理したりしています。そのうち生徒にインタビューに学校訪問をしたりする予定です。グループで質問しあったり指摘しあったりするので大変勉強になります。サブゼミは、複数ありゼミ生がそれぞれ自分の勉強したいサブゼミに入って専門性を高めています。私の場合は、特別支援のサブゼミとゼミ生の全員が対象となるメインサブゼミの二つに入って勉強しています。どちらも文献を読み進める勉強ですが、特別支援のサブゼミは、メーリスで行っており、主にオリバー・サックスの書いた書籍をみんなで読み進めて、意見交換しています。メインサブゼミは木曜の2限に集まれる人が勉強しています。ゼミ生一人一人が分担して内容を要約したり、みんなでわからないところを話し合ったりしています。他のゼミ生のレポートを読んだりみんなで討論したりするので大変刺激になります。ゼミでは充実した時間を過ごせています。

特別支援教育について

お 卒業後は教師になるということですが、それ以外は考えたことはない?
ア 聴覚障害児の指導という授業を受けていまして、文教大学卒業生は一年群馬大学に通うと特別支援の聴覚障害の分野もとれるよと言われて、そういう道もあるのかと。
お それは、今の教員免許法だと、特別支援教員の免許では、視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由、病弱等の領域を扱うためには、それぞれ指定された単位をとる必要があるんだけど、今の人間科学部でとれる特別支援の免許では、そこまでカバーしていないということですか。
ア はい、そうなんです。私たちは、社会科を基礎免許にして、特別支援の免許をとるので、聴覚障害の授業はあるんですけど、その領域の担当になるための必要な単位には不足しているんです。手話を勉強していて、ちょっと聾学校も興味があって、行きたいなと思ったですけど、そのためには更に専攻科で学ぶ必要があるんです。
お 以前、特別支援の勉強会で、オリバー・サックスの『手話の世界』という本をみんなでじっくり読んだんだけど。
ア ゼミにはいる前に先生に勧められて読んで見ようと思ったんですけど、まだ読んでいないです。
お 難しいけど、面白い本だよね。手話は音声言語より優れているという。
ア けっこう突飛ですね。
お 音声言語は二次元だけど、手話は三次元だ。だから表現力が優れているという説なんだけど。
ア 手話は盲聾のひとたちって、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりしても、触って会話したりもできるので、有効かも知れないですね。
お りゅう君も特別支援には興味があるみたいなんだけど、
り きっかけは、補助教ボランティアに入ったことがあって、そこにふたり発達障害の子どもがいて。
お どういう障害?
り 自閉ともうひとりは、重複していて、重い感じです。特別支援学級に入ったほうがいいような子どもだったんですけど、親が反対していて、入れなかったんです。そういう子どもをみていて、通常学級でも、発達障害の子どもが普通にいる時代だから、特別支援教育は大事だなと思った。
お ボランティアとしてみていると、あまりうまくいっていない感じですか。
り うーん、2学期から、軽度の子どもは、特別支援学級に通うようになって、すごくいい影響があったみたいで、様子みると、活発になったし、いろいろと話すようになってくれたんで、それをみて、特別支援教育ってすごいなと。うまくいっていなかたったというわけではないです。
お 将来そちらの方向にいこうというわけではない?
り 考え中ですね。そっちにも興味がでてきたので。

ゼミ学生インタビュー第一回(3)アリエ&りゅう

小さい頃のこと

お 小さいころはどういう子どもだったんですか
ア 目立ちたがり屋。まわりのひとより、自分はお姉さんだと思っていて、読み聞かせをするような感じでしたね。そんなに大人びているわけではなかったんですけど。
お 同年代であっても、。
ア ひとつ下でも面倒みたがるような感じだったので、教師になりたい感覚は小さいころからあったんですね。保母さんなんかにもなりたかった。
お おかあさんがそうだったとか。
ア おかあさんに面倒みてもらえなかった感じなんです。仕事がいそがしくて。むしろおばあちゃんに面倒みてもらっていたんです。でも弟がいたのが大きかったですね。私が弟の面倒みなきゃって感じですね。
お こういう風にして遊んだというのは?
ア 本読んだり、アニメの主人公になりきるとか。幼稚園のときに、アルプスの少女ハイジが好きだったんです。私は今日クララなのといって、園に入っていって、一日クララとして過ごすとか。ハイジとして、あるいは今日私はトトロよっていって、トトロになりきって過ごすとか。

kindergarden
お まわりもそのつもりで応対してくれる?
ア そうだったんじゃないでしょうか。先生とかも。友達もけっこうなりきりごっこが多くかったです。少女まんがの人物になったりとか。
お それは幼稚園ですね。小学校ではどうだったの。
ア 小学校は、ふつうにケイドロとか。警察と泥棒という遊びなんですけど、檻の場所を決めて、そこに泥棒と警察がいて、泥棒が警察に捕まえられたら檻にいれられるという遊びです。
お 鬼ごっこみたいに逃げるわけ
り でも泥棒が檻にいる泥棒をタッチしたら逃げられる。よくやっていましたね。
お けっこう足が速かった?
ア いや。全然速くなかったです。私が警察なんかやると、みんな泥棒逃げちゃうんですよ。
お スポーツはどうなんですか
ア あまりできなくて、でも、親がスキーをやっていて、小三から一対一で教えてもらったので、大丈夫です。あとスノボもやってみたらできたので。
お 今年卒業した学生で、運動オンチで、運動会が大嫌いだったけど、スキーはすごく上手だという人がいました。スキーは独特なものなのかな。
ア 私はたぶん、一対一で教えてもらったことが、大きいです。
お 他も一対一で教えてもらえればできたに違いないと。
ア たぶんそうだと思います。去年、水泳をやっていたんですけど、知らないおじさんが、泳ぎ方をおしえてくれて、それで泳げるようになりましたね。
お 運動部に入ったことは?
ア ないです。
お 地域のスポーツクラブなんかは
ア ちょっとバレーとテニスを隔週でやるところにはいっていたんですけど、なかなかできませんでしたね。
り 子ども時代はずっと野球少年だったです。リトルリーグ。

baseball
お 硬式を?
り 硬式はやっていないです。中学までずっと野球やっていました。
お リトルリーグのチームはどの程度だったの
り そんなに強くないですけど、市で二部のところで。
オ リトルリーグも部にわかれているの?
り 市単位でわかれていてて、四部までありました。大学と同じ感じで。トーナメントだったり、部内部でのリーグ戦だったりがありました。
お 中学では野球部?
り はい。
お りゅう君の年代の野球のアイドルはだれなの
り 斎藤佑樹、ダルビッシュ、まーくんとかが一番はまる感じですね。あとは清原、桑田とか。
お 清原と桑田って、すごく分かれるじゃない。ファンも。どっち派なの。
り 小学校のときピッチャーだったので、桑田派ですね。
お 僕もずっと桑田派なんだけど。なんで世間はあんなに清原をもちあげるの?って思っていたけどね。
り 日本はすごいバッターがあまりないような気がするんです。ピッチャーなら野茂とかいるんですけど。ホームランバッターはいない。
お 王とか野村とかいるじゃない。僕らの世代だとアイドルは長嶋と王、それから金田。
り バッターってあまりいない気がします。いま考えても
お 高校にいったら?
り 違うのをやろうと思って、ハンドボールやっていました。
お 野球とハンドボールって似ているよね。
り いや、全然違いますよ。投げ方が全然違うんです。野球は肘じゃないですか。ハンドボールって、投げる競技で一番重いボールなんです。
お 砲丸投げとかバスケは、投げるという感じではないからね。あれ、重いんだ。
り けっこう重いです。肩からいかないとけがする。肘はまげない。しなる感じです。けっこうむずかしかったです。ジャンプ力も必要だし。
お ハンドボールって、日本はあまり強くないよね
り そうですね。
お それは何故だと思う
り 競技人口が一番、すくない。富岡が国体があったところで、群馬ではさかんで、そこしか強くないです。
お 会場をとりにくい気がするけど。
り そうです。ちょっと、大きいんですよ。体育館でも足りない。バスケ2面とるじゃないですか。でもその大きさだとむずかしいんですよ。余白がなくなって、危険なんです。
お 勢いあまって、ぶつかるとか。それで大学にきて、なずなというのは、また大きな変化ですね。
り 独り暮らしで、運動部にはいっていたら、やっていけないという心配があって、おとなしめの部活にはいって。運動すると疲れるし、身体がもたないです。
ア バイトもしてだしね。

大学に望むこと

お 大学で過ごしていて、こんなことを望みたいということがあれば。
ア もっと自由に授業がとれたらいいなと思いますね。かぶったりするし。単位制限もある。そもそも聴講できないのがあったりして。
お 講義科目でも?
ア そうですね。自由じゃないのかなあと、もっと自由に。
す 僕らの一つ上の学年は、単位制限がなかった。申請書出せば全員とおる。僕らは、教職が卒業単位に含まれないのに、それを含んで単位制限28単位なので、それがちょっと厳しいですね。3年生になって、すごく授業をこなさなければいけない。
お それは4年でとらないと思っているからというのもあるんじゃない?
ア 私は10単位くらいは4年にまわしているんですけど、実習のことを考えると、それが精一杯かな。
お 実習は、別に考慮されるはずですね。
ア でも勉強したりという意味では。
お 授業とるからには、ちゃんと勉強したいと
ア はい。
お では、今日はどうもありがとう。ゼミだけでなく、大学生活全般頑張ってください。

 

宮地さつきさんのインタビューを掲載

太田ゼミの卒業生で、スクール・ソーシャル・ワーカーの草分け的存在であり、現在法政大学で後進の指導にあたっている宮地さつきさんのインタビューを掲載しました。 順番が違ってしまったのですが、1→2→3の順番で読んでください。 これからも、卒業生インタビューだけではなく、現在の学生インタビューも掲載していきたいと思います。

今年度のゼミが開始されました

今年度の共通テーマは「環境・環境としての人間」です。少々わかりにくいのですが、教育は人間にとって「環境」そのものであるし、また、教育によって形成された人間が、更にまた環境としての意味をもってきます。家庭環境や学校の人間関係などは、それ自体が環境でもあります。

今、統一テーマの下に、個別のテーマを明確にする作業をしています。実際に研究が始まるのは、まだ少々先ですが、今年は、ぜひこのブログも活発に運営していきたいと考えています。

八ヶ岳セカンドスクールを終えて

先日4泊5日の林間学校(セカンドスクール)に補助員として参加してきた。実際には台風の影響で3泊4日になってしまったが、子どもたちとともに過ごす4日間はとても充実したものだった。子どもと接することができる機会は沢山あるが、朝から晩まで、それも約4日間一緒にいられる機会はなかなかない。昨年も参加させてもらったが、今年はできるだけ「教師として」参加しようと決めていた。補助員はどうしても「遊んでくれるお兄さん」として子どもたちから見られがちだ。先生とは違う大人だし、補助員自身も先生とは違うという意識を持ってしまう。昨年参加させてもらったときは、私もそう思っていた。「先生」と呼ばれなくても何も言わなかったし、友達のように接していたため、あまり注意をすることはなかった。今回はあだ名を付けようとする子に対しても、必ず「先生」と付けさせた。それだけで何かが変わるかはわからないが、自分の覚悟を確かめることができたのは確かだ。先生として子どもと接しつつ、信頼関係を築きながら時にしっかりと叱るのは難しかった。短期間のため一度叱るとまた心を開くのに時間がかかった。しかし先生方は日々これを繰り返して子どもたちを指導しているのだと体感できて、将来の予行演習になった。

当然ゼミの研究のことも考えながら日々を過ごした。子どもたちを観察しながら、多動傾向などの特徴を持つ子どもを注意深く観察した。先生方と話したときに、ADHDの子は実際にいるし、疑わしい子もいるという話を聞いた。もちろん誰がとは聞かなかったが、自分なりに目星をつけて接した。去年とは違い多動傾向の強い子ども少なかったが、不注意傾向の強い子どもが多かったように思える。落し物や紛失物が後を絶たず、驚くほどたくさんの落し物が集められた。もちろん落し物をした子全員が障害を抱えているわけではない。ふとした拍子になくしてしまったり、なくす回数が少なかったりした子は特に問題がなさそうだった。しかしかなりの頻度で落し物をする子がいた。多動傾向はないが、片付けがすごく苦手で、部屋にいても何かを無くすことが多かった。みんなが荷物の整理をしているときに、その場にいることができても一向に片付けが進まない。服をたためなかったり袋が縛れなかったりするだけであれば、ただのスキル不足ということで指導ができるが、彼はそのレベルではなかった。しまっては出し、しまっては出し、挙句目についたトランプをいじりだす。その子の荷物の周りだけいつも異様に散らかっていた。一緒に片付けをしながら観察していると、一つ一つしまっていくのではなく、次から次へと、「あれもしまわなきゃこれもしまわなきゃ」となっているのがわかった。私は周りに散乱しているものを一度集めさせて、まずは着たシャツ、次にズボン、靴下、寝間着、遊び道具のように順番をその都度指示しながら片づけさせた。すると、丁寧に畳んだりまだ使うものを考えないで入れたりしたものの、荷物をまとめ上げることができた。家庭でも片付けの習慣があるのかどうかが気になるところだが、私は自分でやっていないと思う。彼は片付けのノウハウが身についていなかった。普通であれば教えなくても自然と身に付けていくのかもしれないが、特に苦手な子であれば一から段取りを教えてあげる必要がある。片付けは色々な場面で必要になるスキルだし、整頓された場所で生活するのと散らかった場所で生活するのとでは精神的な違いが出てくる。

去年とは違うタイプの問題を抱える子どもたちに出会えたことで新たに学ぶことが沢山あった。しかしこの点も考えるべきことがある。子どもたちは常に同じではない。違う学年や違う学校の子どもたちを指導するときには、また新たな問題を抱えた子どもや集団に出会うはずだ。過去から学ぶことはもちろんある。しかし過去と同じことは必ず通用するわけではない。常に新しい指導法を模索しながら進む貪欲さが必要だと感じたセカンドスクールだった。

先日4泊5日の林間学校(セカンドスクール)に補助員として参加してきた。実際には台風の影響で3泊4日になってしまったが、子どもたちとともに過ごす4日間はとても充実したものだった。子どもと接することができる機会は沢山あるが、朝から晩まで、それも約4日間一緒にいられる機会はなかなかない。昨年も参加させてもらったが、今年はできるだけ「教師として」参加しようと決めていた。補助員はどうしても「遊んでくれるお兄さん」として子どもたちから見られがちだ。先生とは違う大人だし、補助員自身も先生とは違うという意識を持ってしまう。昨年参加させてもらったときは、私もそう思っていた。「先生」と呼ばれなくても何も言わなかったし、友達のように接していたため、あまり注意をすることはなかった。今回はあだ名を付けようとする子に対しても、必ず「先生」と付けさせた。それだけで何かが変わるかはわからないが、自分の覚悟を確かめることができたのは確かだ。先生として子どもと接しつつ、信頼関係を築きながら時にしっかりと叱るのは難しかった。短期間のため一度叱るとまた心を開くのに時間がかかった。しかし先生方は日々これを繰り返して子どもたちを指導しているのだと体感できて、将来の予行演習になった。

当然ゼミの研究のことも考えながら日々を過ごした。子どもたちを観察しながら、多動傾向などの特徴を持つ子どもを注意深く観察した。先生方と話したときに、ADHDの子は実際にいるし、疑わしい子もいるという話を聞いた。もちろん誰がとは聞かなかったが、自分なりに目星をつけて接した。去年とは違い多動傾向の強い子ども少なかったが、不注意傾向の強い子どもが多かったように思える。落し物や紛失物が後を絶たず、驚くほどたくさんの落し物が集められた。もちろん落し物をした子全員が障害を抱えているわけではない。ふとした拍子になくしてしまったり、なくす回数が少なかったりした子は特に問題がなさそうだった。しかしかなりの頻度で落し物をする子がいた。多動傾向はないが、片付けがすごく苦手で、部屋にいても何かを無くすことが多かった。みんなが荷物の整理をしているときに、その場にいることができても一向に片付けが進まない。服をたためなかったり袋が縛れなかったりするだけであれば、ただのスキル不足ということで指導ができるが、彼はそのレベルではなかった。しまっては出し、しまっては出し、挙句目についたトランプをいじりだす。その子の荷物の周りだけいつも異様に散らかっていた。一緒に片付けをしながら観察していると、一つ一つしまっていくのではなく、次から次へと、「あれもしまわなきゃこれもしまわなきゃ」となっているのがわかった。私は周りに散乱しているものを一度集めさせて、まずは着たシャツ、次にズボン、靴下、寝間着、遊び道具のように順番をその都度指示しながら片づけさせた。すると、丁寧に畳んだりまだ使うものを考えないで入れたりしたものの、荷物をまとめ上げることができた。家庭でも片付けの習慣があるのかどうかが気になるところだが、私は自分でやっていないと思う。彼は片付けのノウハウが身についていなかった。普通であれば教えなくても自然と身に付けていくのかもしれないが、特に苦手な子であれば一から段取りを教えてあげる必要がある。片付けは色々な場面で必要になるスキルだし、整頓された場所で生活するのと散らかった場所で生活するのとでは精神的な違いが出てくる。

去年とは違うタイプの問題を抱える子どもたちに出会えたことで新たに学ぶことが沢山あった。しかしこの点も考えるべきことがある。子どもたちは常に同じではない。違う学年や違う学校の子どもたちを指導するときには、また新たな問題を抱えた子どもや集団に出会うはずだ。過去から学ぶことはもちろんある。しかし過去と同じことは必ず通用するわけではない。常に新しい指導法を模索しながら進む貪欲さが必要だと感じたセカンドスクールだった。

子どもの貧困 インタビュー

先日、私は埼玉県の社会福祉課にインタビューに行った。本当は生活保護を受けている子ども達を支援する団体に直接インタビューに行きたかったのだが、その団体を設立させた埼玉県の社会福祉課にならインタビューすることを許可して頂いたので、埼玉の社会福祉課に行くことになったのだ。今回はインタビューに言って知ることができた、その団体の概要など大まかな部分の報告をしていきたい。ここでは、その団体のことをAとする。

Aとは埼玉県にある教育・就労・住宅の3つの分野から、生活保護を利用している人を支援する民間団体だ。中でも私は子どもの貧困というテーマで調べているため、今回は教育支援のことについてのインタビューを行った。

Aは生活保護受給家庭の子どもだけを対象に、高校進学を目標に主に中学生に勉強を教えている。なぜ高校進学が目標かというと、やはり、高校を卒業しないと就職ができないからだ。生活保護を受けている子どもは、受けていな子どもより高校進学率が低い。つまりこの自伝で「貧困の連鎖」が発生しているのだ。高校へ行けない、きちんと給料のもらえる仕事に就けない、生活保護を貰わざる負えない、と保護世帯で育った子どもは大人になって再び保護を受けているのだ。

AはH21に始まった。それまで保護世帯の高校進学率は86.9%であったが、H22 には97.5%と、たった1年で保護世帯でない子ども達とほぼ同じレベルまでもっていくことに成功した。「事業を始めた当初、子ども達が本当にきてくれるか不安だった。しかし実際ふたを開けてみると、みんな待っていた。勉強したがっていた。保護世帯の子どもは様々な要因により勉強苦手な子どもが多い。今まで『勉強が出来ない』と親や先生からレッテルと張られている。そもそも『勉強ができない』なのではなく『勉強が嫌い』なんだ、と思われている。しかし実はそうではないのだ。やっぱり本人は勉強したかったのだけど言いだせなかった、ただそれだけだったのだ。」

 

Aは埼玉県に24か所存在する。利用数は500人ほど。対象は主に中学生で、小学生は対象外である。対象の子どもは、生活保護受給者の子どものみなので、正確な位置は秘密だそうだ。子ども達にもそれはきつく言ってあり、子ども達は「塾に行く」といったように、Aのことは口にださないようにしている。場所は特別養護老人ホームを借りて行っている。「なぜ特別養護老人ホームなのかというと、ここではスタッフが働いている姿がみられる。ここに来る子どもたちの親は働いていない人もいる。そうすると、働いている姿がみられるため将来の働く姿を想像することができる。また、お年寄りの行事(例えばクリスマスパーティー、夏祭りなど)も一緒に参加したりして、年寄りの人とも関わることができる」

指導者は支援員という元教員の人であるが、人が足らないため、大学生のボランティアがいて、支援員よりも大学生ボランティアの方が多い。指導者が多いのは、子どもたちに学力の差があり、マンツーマン指導が必要とされているからである。

 

以上、大まかなAの情報である。今回インタビューにいって、貧困についてより関心をもつことができた。他にも聞いてきたことや本や書類も頂いたので、夏休みを利用して自分なりにしっかりまとめたい。