スマホは脳に悪いという科学的説明があるが?

 ダイヤモンドオンラインに「スマホが頭を悪くすると断言できる科学的な理由とは」と題する文章が掲載されている。(川口友万 2021.7.7)https://diamond.jp/articles/-/275768?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20210707
 このような議論は多数あるが、これは、「5分間のスマホ利用で記憶に重大な障害(Mobile phone use for 5 minutes can cause significant memory impairment in humans)」(Hell J Nucl Med. Sep-Dec 2017;20 Suppl:146-154 Kalafatakis Fほか)という衝撃的(?)な論文の紹介である。原文の要約はウェブで読むことができるが、川口氏の紹介は、要約に基づいているようだ。簡単に紹介すると、(私も本文を読むことはできなかった)
・健常者64名、軽度認知障害者20人を実験群、健常者36人が対照群とする実験。
・実験群に対しては、最初に10個の単語を見せ、思い出して書いてもらう。
 スマホを使う前・スマホを5分使った直後・スマホを5分使ってから5分後でスコアを比較。

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雑感1 松坂の引退・子どものオリンピック観戦

 今日は昼間他のことに時間をとられたので、まとまったことを調べることができなかった。それで、雑感をいくつか書くことにする。
 
1 松坂大輔が引退をするという。平成の偉大な投手の引退を惜しむ声が彷彿として起こっているらしい。しかし、私は、遅すぎた引退だと思う。選手としては、晩節を汚したとしかいいようがない。甲子園の試合をほとんど見なかった私だが、松坂のときだけは、何度かみたし、例のノーヒット・ノーランをやってのけた決勝戦はずっとみていた。そのくらい、高校生のときの松坂をすごかったと思う。しかし、その後の松坂は、高校生までの遺産を食いつぶしていっただけで、激しいトレーニングによって、更なる高見に昇ったとは思えないのである。西部という球団は、大スター選手を甘やかす傾向があった。現場の監督やコーチではなく、球団経営者のことだ。鮮明に覚えているのは、まだ新人だったころに、松坂が車での交通違反をして、その身代わりに、付き人をしていた元オリンピック選手だった黒岩が警察に出頭したのである。こんなことは、黒岩の一存でやるはずがないので、球団の指示だったとしか思えない。もちろん、直ぐにばれたが、これで、私の松坂の印象は180度変わり、以後好感をもつことはなかった。

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メガソーラーシステムへの疑問

 熱海の土石流の災害の原因のひとつとして、メガソーラー設置がいわれているそうだ。もちろん、証明はされておらず、今後の調査にまつことだが、私は常々メガソーラーの設置に疑問を感じている。
 ドライブででかけると、メガソーラーの脇をよく通る。大きな施設ほど、山や森林を切り開いて設置しているようだ。しかし、ソーラーシステムは、火力発電における二酸化炭素排出を減らすとか、原子力発電の危険性をもたない等の利点、つまり、環境に優しい発電であるはずだ。それなのに、森林という二酸化炭素吸収の重要な資源を削って、メガソーラーを設置するのは、本末転倒ではないかと思わざるをえないのである。森林を削ることは、今回の熱海の災害がそうであるかは別としても、当然大雨による二次災害の原因になることは明らかである。
 森林を切り開いて設置するメガソーラーは、厳しく制限すべきであると思う。
 しかも、もうひとつの欠点がある。それは、発電した電力の消費地と遠いことである。規模が大きいものほど、おそらく大都市から離れているはずである。これでは、送電ロスや余計なコストがかかってしまう。

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1964年オリンピックと比較してみると

 菅首相が、党首討論で1964年のオリンピックを懐かしがった話をして、64年オリンピックが、また話題になっているようだ。そして、64年オリンピックが成功したから、その再現を夢みたいという人々がいるようだ。しかし、64年のオリンピックというのは、それほど、素晴らしいものだったのだろうか。もちろん、それをきっかけに、日本が高度成長を実現し、先進国の仲間入りが可能ではないかという自信をもたらしたことは事実だ。しかし、そんなに単純にいいきることはできないのだ。
 まず、ふたつの違いを確認しておこう。
 何よりも、大きなことは、開催の時期である。64年は10月10日が開会式であった。何故10月だったのか。それは、夏は暑すぎるので、秋にする、そして、過去の統計を調べて、最も快晴が続く時期を選んだのだ。そして、統計の通り、開会式は晴天のなかで行われた。大会中雨が降らなかったと思う。それに対して、今回は、真夏の酷暑のなかだ。真夏は暑いといっても、1960年代より、いまは平均気温が非常に高くなっているし、コンクリート化と冷房の普及で、更に実感の暑さが高くなっている。もし、予定通り、小学生がふたつの駅を歩いて会場に行き、数時間を競技場で過ごし、そして、また二駅を歩くとしたら、死者がでる危険すらある。実際に、数年前1キロの校外学習で歩いて、亡くなった小学生がいるのだ。観客をいれれば、観客のなかから、また、選手からも熱中症患者が多数でるだろう。

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官僚の劣化はなぜ起きたのか

 経産省の若手官僚が、省内で、しかも業務にかかわる内容での給付金詐取で逮捕され、官僚の劣化がまたまた話題になっている。安倍政権の下でさんざん言われたことだが、ここまでの「劣化」、まさしく劣等な意味での犯罪は、あまり例が内容に思われる。しかも、若手キャリアの犯罪だ。もっとも、彼等の経歴は、典型的なエリート官僚とは違っていて、二人とも、寄り道をしている。Aは、2浪して東大法学部に入学、大学院に進んで司法試験合格後に、入省している。Sは、私立の付属高校から、そのまま上の大学に進学して、メガバンクに就職、その後コンサルティング会社の経営者となったが、分裂して、退社、その後入省である。毎日新聞の報道で、少々不思議に思ったのは、付属高校と上の大学が慶応であることが伏され、銀行名も書かれていない。Aが東大であることは明記されているのに。
 それはさておき、この事件が、官僚の劣化の象徴として扱われていることである。確かにそうなのだろう。この背景として、官僚志望者が年々減少していること、そして、官僚になっても、近々辞めたいと思っている若手官僚が増加していることが、頻繁に報道されてもいる。
 なぜ、こうした官僚の劣化や、その前段階ともいうべき人気の低下が生じているのだろうか。中央公論は、2018年にいくつかの号からの文章を選択して、「徹底検証、官僚劣化--誰が霞が関を「三流劇場」にしたのか」という書物をだしている。様々な分析がなされているが、ここでは、多少異なる観点から私見を書いてみることにする。

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サロメ(オペラ)上演の難しさ 3つの要素

 イギリス、ロイヤル・オペラの「サロメ」を視聴した。フィリップ・ジョルダン指揮、ナディア・ミヒャエルのサロメだ。「サロメ」は、リヒャルト・シュトラウスの最初のヒットオペラで、現在でもかなり刺激的な内容、上演が非常に困難なものだ。カラヤンの極めて優れた録音があるが、これは、ベーレンスという、ついにカラヤンが発見した(といっても、ある人がカラヤンに伝えたということのようだが)歌手の出現によって可能になったものだ。クライバーの場合には、「サロメ」はやらないのかと質問されたとき、サロメ歌手がいればやると、と答えたという。だが、ついにやっていない。

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泥縄だらけのオリンピック運営 なぜそうなるのか

 子どもから「泥縄ってどういう意味?」と質問されたら、「オリンピックの準備のことをみれば、実際の「泥縄」がどんなことかわかるよ、泥棒を捕まえてから縄をなうということで、事が起こってから対策をとり始める、つまり、遅いのでちゃんとした対応がとれないことだよ」と教えることができる。実にわかりやすい実例を提供してくれている。
 オリンピックについては、開催か中止かではなく、有観客か無観客かが問題なのだそうだが、それは、スポンサーになっている大手新聞のまき散らしていることだということはさておき、この観客対応についてもいえる。
 この春先までは、中止論が強く、おそらく閣僚のなかにも、中止を建言する大臣がいたとされるのは、この時期だろうと思うが、聖火リレー強行によって、菅首相の開催強行姿勢が鮮明になったとき、組織委員会は、開催したとしても無観客だろうという意識が強かったとされている。そして、世間の風向きも同じだと、私は感じていた。無観客か有観客かは、実に多くのことが変わってくる。まず販売済みのチケットをどうするか。無観客なら代金の返却が必要だが、有観客なら、販売分全員入場させるのか、部分的なのか。部分的なら、どうやって区分するのか。抽選なのか、再度希望を確認するのか、等々。実はまだこのことが正式には決まっていないのである。泥縄対策すらできない状況だ。

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選択的夫婦別姓最高裁判決2 今回の判決は反対意見に価値がある

 前回の2015年判決を踏まえて出された2021年6月23日の判決は、結論はまったく同じであるが、補足意見や反対意見がかなりの相違をみせ、新聞報道では、ほとんど紹介されていなかった反対意見が極めて充実している。興味のある人は、ぜひ最高裁のホームページで全文掲載されている判決の本文を読むべきだろうと思う。結論は、ほとんど門前払いのようなものだが、かなりの量を占める反対意見は、おそらく、選択的夫婦別姓支持者が強く共感するような内容になっている。2015年判決では、反対意見を書いたのは一人の裁判官だけだったが、今回は、3人いて、原告勝訴と同等の判断を示しているのである。最高裁も、社会の動きにあわせて、確実に変化しているのかも知れない。因みに15名の裁判官の中で、共通して在籍しているのは3名だけで、12名が入れ代わっている。最高裁の判事はほとんどが60代で、定年が70歳だから、6年の間に、多数が退職し、新しいメンバーになっているわけである。それが、とくに補足意見と反対意見に反映されたに違いない。

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夫婦別姓訴訟最高裁判決のおかしさ1(2015年判決)

 6月23日に選択的夫婦別姓が争われた訴訟の最高裁判決がだされた。原告の全面敗訴だったといえるが、直ぐにブログに書いたが、そのときは、まだ判決文がネット公開されていなかったので、報道のみによって書かざるをえなかった。その後数日して公開されたので、読んでみた。いろいろ考えるところがあるが、23日の判決は、主要な理由説明が実に短い。あとは、補足意見が大部分を占めている。したがって、2015年に出された判決をまず検討する必要があると思い、まず、2015年の判決を、ここで考察の対象とすることにした。
 興味深いことに、23日に出された判決の訴訟では、憲法に関しては、14条と24条の違反という訴えになっている。私は、そのことに疑問で、13条がもっと重要ではないかと考えているのだが、2015年判決の訴訟では、13条も入っている。しかし、私の考えている13条解釈とは異なるものだった。(その点については、次回詳しく書く。)
 具体的にみていこう。(判決文は最高裁のホームページに掲載されているものによった。)
 最高裁の判事は、常識的にみて、日本で、法律や社会の争いに関して、最も深い知見をもっているひとたちであると思われるのだが、この判決文を読む限り、その論理の不徹底やごまかしが、どうしても眼について仕方ないのである。こんなレベルなのか、と。

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Pepperの販売停止

 Pepperの製造が中止されたという報道がある。「ソフトバンクG、「ペッパー」製造停止=販売低迷、ロボット事業縮小」(時事通信2021.6.29)だ。理由は単純で、あまり売れ行きが芳しくないということだ。仕方ないかなと思う一方、やはり残念である。
 実は、私がまだ大学に勤務していたとき、私が学科長や学部長に働きかけて、Pepperを購入した。本当はNaoがほしかったのだが、あまりに高額なので、なんとか手が届くPepperで我慢したということもあったが、キャンパス内で最初の購入だったので、けっこう話題にはなった。もっとも、教員たちが、もっと関心をもって使ってくれるかと思ったのだが、そうでもなかったのは残念だ。

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