日本は本当に能力主義社会なのか2 日本経済の停滞と二世政治家

 能力主義原則は、近代社会の原則のひとつであり、古代や封建時代への復古主義者でもない限り、だれでも原則的には積極的に認めるものである。しかし、他方、その弊害もずっと指摘されていた。そうした検討は、次回以降に譲るとして、今回は、能力主義が、日本では徹底しているどころか、軽視されていることを示す。
 
 まず次のグラフをみてほしい。

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日本は能力主義社会なのか1 疑問

 これまで、教育学は、日本の教育が競争主義的で、それが様々な格差を生み、いじめなどの問題を噴出させている、そして、その背景となっているのが、能力主義であるという批判を行ってきた。4回にわたって行った日教組教育制度検討委員会報告の検討も、報告が日本社会・教育の能力主義を克服することを、基本的な原理としていたことを示した。
 しかし、私は、ずっと長いこと、本当に日本の能力主義社会なのかという疑問をもってきた。むしろ、日本は、能力を正当に評価しない社会なのではないかと思わざるをえない面が多々あるように思われる。私自身の就職活動の経験でも、能力が正当に評価されたと感じたことは、極めて少ない。大学の教師としての公募に応募する機会は、いまの学生の就活と比較すると非常に少なかったのであるが、結局、コネなどで排除され、極端な例では、「業績がありすぎる」ということで否定されたことすらある。結局、採用してくれた大学は、正当に能力を評価してくれたのだと思うが、(多くの人が提出した指導教授の推薦状を、私は求められていなかったのでださなかったくらいだし、実際に面識のある人は、まったくいなかった)それは、例外的だと感じたものだ。
 就職活動をしている人たちで、自分が正しく評価されたと感じた経験は、どのくらいあるのだろう。
 ここで、分かりやすい例をあげてみよう。次にあげるのは、戦後の日本の総理大臣の出生である。

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日教組制度検討委員会報告の検討4 子ども主体の選択と学習

  前回以下の課題を提示して終わった。
 第一に、競争的な試験ではなく、子どもが選択することに、教師たちが賛同できるかという点。
 第二に、競争的な試験なくなって、子どもたちは勉強するのだろうかという点である。
 第一の問題を考えてみよう。これについては、ふたつの大きな転機があった。ひとつは、教師に対する生徒・学生からの授業評価の普及であり、近年は下火になったが、公立小中学校の選択制度である。大学では、学生による授業評価は、ごく当たり前になっている。しかし、それが実際に、何か具体的な対策として活用されているかどうかは、かなり疑問である。私の大学では、本人に結果を知らせる学部がほとんどで、結果を教員全体が共有して、議論する学部はひとつだけだったと思う。しかし、そこでは、評価の高い教員はますます高くなり、低い教員はその逆で、格差が埋まるよりは、拡大することが多く、もっとも重要な評価の低い教員の授業改善には、そうした討議をしても、意味ある結果が出ていないと聞いている。だから、これらはあくまでも形だけの評価にとどまっており、実質的な変化をもたらす評価ではない。例えば、担任を子どもたちが選ぶとか、学校を選ぶという、明確に結果がでることについては、これまで教師たちは拒絶反応を示してきた。学校選択制度が提起されたときには、明確にそうした対応をとった。

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野球話題 高校野球の経済状況と中田翔問題

 高校野球について、興味深い記事があった。高野連の経済状態がきついので、クラウドファンディングで資金協力を募ったが、あまり集まっていないというところから始まって、夏や春の甲子園大会が、どのように資金的に運営されているか、あまり考えたことがなかったので、とても興味深かった。
 驚いたのは、NHKなどの放映が、無償だというのだ。IOCの運営資金の多くが、NBCの放映権から出ていることを考えれば、NHKの放映権でかなりの収入を得ているのだろうと思っていた。出場するチームの正式メンバーや指導者は、高野連から交通費や宿泊費がだされることは知っていたので、かなりの費用がかかるわけだ。球場の使用料や管理費用、審判などの謝礼等々と思っていた。しかし、ここでも驚きなのは、甲子園球場の使用料は無料だという。そして、甲子園球場は、そもそも戦前の中学野球の全国大会のために建設されたのだとか。そのために、使用料が無料だというのだ。暑い時期に、ひとつの球場で行うのではなく、エアコンの効いたドーム球場でやればいいではないか、と考えていたが、どうやら簡単ではないようだ。
 地方大会では、地方の野球連盟が運営しているのだが、事情は似たようなものだろう。ただ、甲子園に全国からくるような費用は、地方大会ではかからないので、規模は小さいだろうが、それでもそれなりの費用がかかるだろう。

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横浜市長選の結果 新市長も多難な前途が待っている

 8時に投票が締め切られた途端に、山中竹春氏の当選が確実になった。大規模な選挙、総選挙や参院選挙などでは、開票時間と同時の当確がでることはあるが、これだけ乱戦になった首長戦では珍しいのではないか。それだけ、山中氏の人気が高かったのではなく、菅首相の不人気が際立っていたということだろう。
 8時22分に公表されたNHKのニュース記事では、既に山中氏が、小此木氏を倍以上離している。圧倒的な差がついたということだ。
 私は横浜に住んだこともないし、学校や職場に通ったこともないので、よく分からないが、横浜の事実上の市長といわれる菅首相のお膝元で、しかも、長年の盟友である小此木氏が、大差で敗れるというのは、やはり、今後自民党における総裁選に影響せざるをえないだろう。
 それにしても、今回の横浜市長選は、奇々怪々な様相を呈していた。

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クライスラー「美しきロスマリン」聴き比べ 髙木凜々子に共感

 今や押しも押されぬ大バイオリニストである五島みどりを、はじめて聴いたのは、15歳のときに日本で行ったリサイタルを、NHKが収録して放映したものだった。既に、音楽雑誌で紹介され、「五島みどりが京都で、ブラームスの協奏曲を弾いた」というような記事が出ていたのだが、まだ子どもなのにそんなに騒ぐのか、と思っていた。しかし、NHKの放送を見たときには、心底びっくりした。これが15歳の演奏家か、と。大人の演奏としても、唖然とするほど見事なものだった。そして、そのなかでも感心したのが、クライスラーの「美しきロスマリン」だった。それまでに、他の演奏でいろいろと聴いていたが、こんなに素敵な「美しきロスマリン」は初めて聴いたと思った。そして、音楽雑誌の評で、だれかが、五島みどりの「美しきロスマリン」を特別にすばらしかったと評価していた。早速、家にあったパールマンの演奏を聴いてみたが、何かつまらないのだ。あまりに整い過ぎた演奏だ。この曲では、控えめだが、自由にテンポが動くこと、あくまでも軽やかであること、そして、妙な強調をせずに、自然な躍動感があること、そして、上品であること、などが必要だ。テクニックはそれほど難曲ではないのだろうが、表現が非常に難しい。五島みどりの演奏は、それをすべてもっているように思った。

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コロナ用錠剤の早期の認可を

 コロナの感染爆発が続いており、酸素センターとか、パラリンピックの学校連携観戦、自宅療養者の死亡とか、多岐にわたった議論が行われているが、この第5波に限っていえば、不思議と出てこないのが、治療薬だ。入院することができれば、かなりの薬を投与することが可能になるので、かなりの確率で助かるようになっているが、入院できない人が東京だけで3万数千人もいるのだ。このなかで、死亡するひとたちが、今後増えてくることは間違いない。当然、病床の拡大、そして、野戦病院などが緊急に必要だと思うのだが、それと同時に、家庭で簡単に服用可能な薬が絶対に必要である。抗体カクテルがいかに有効だとしても、家庭で使用することは、極めて難しい。やはり、家庭での服用は錠剤である。そして、この議論が、5波にはいって、ほとんどなされていない。今こそ緊急に必要であるのに。
 実は、これまで錠剤としての薬の候補として、アビガンとイベルメクチンが話題になった。政府も表向きは、積極的な姿勢を見せているが、いまだに認可されていない。アビガンは、安倍首相が、昨年の5月中に認可したいと国会で述べていたにもかかわらず、いまだに認可されていない。イベルメクチンは、菅首相が積極的に推進したいというようなことを述べたが、同様に認可されていない。

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パラリンピックは中止すべき、パーソンズ会長の発言に怒りが

 オリンピックの開催については、事前にあれほど議論があったのに、パラリンピックについては、主要メディアは沈黙している。ネットでは中止論もあるが。オリンピック開催前には、コロナ感染は、東京で、7月始めの週平均感染者数(1日あたり)500人であるが、8月15日では4000人を超えている。しかも、8月になってからの公表された感染数は、以前にも増して、実際の数よりは、かなり低くなっていると想像できる。それは、陽性率の異常な高さ(4割を超える日がある)と、実際に積極的疫学調査を縮小するという都の方針がだされていることによる。陽性率4割で4000人という数字は、検査数を適切なだけ引き上げれば、1万とか2万人の感染があると想像できる数字である。積極的疫学調査をやめるのならば、感染数の実態をより正確に把握できる、別の方策を提示し、実行する必要があるが、そういうことはまったくしない。パラリンピックに対する反対が強くならないように、感染者数の見かけを少なくするための措置としか思えない。
 オリンピック開始前の中止論が盛んだったころよりも、感染は10倍以上に拡大しているのだ。にもかかわらず、メディアがなぜ、パラリンピックをやるべきか否かの議論すらしないのか。

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甲子園大会への疑問

 毎年、甲子園大会の季節になると、疑問が再燃する。甲子園大会というのは、日本のスポーツをだめにしている象徴だとすら思う。とにかく、あまりにひどい環境で行われている。これまでは、酷暑と日程が問題だったが、今年はそれに豪雨が加わっている。今日朝のニュースを見ていたら、昨日の甲子園の試合の模様が放映されていた。とにかく、酷い雨が降り続いているのに、試合が継続され、グランドが水浸しになって、痛烈なゴロか内野手の前で止まってしまうほどに、水たまりが大きくできており、とにかく泥水のなかでプレーをしている状態だ。投手が投げたボールが、捕手が飛び上がって取るような高い球になってしまう。いくらなんでも酷すぎると思っていたら、8回コールドゲームになった。ずっと大雨のなか、泥水のなか、8回までプレーさせたのだ。これなら、グランドでの50度でも、当たり前のように試合をすることは、なんとも思わないのだろう。無観客だから、ここまで引っ張ったのだろうか。とにかく運営する側の、選手に対する配慮の気持ちがまったく感じられないのだ。

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ロックダウンは間違った方法だ

 尾身会長が、ついにロックダウンを可能にする法改正を求めるかのような発言をしたと報道されている。しかし、この一年半、コロナと向きあってきて、政府そして、尾身委員会が、本当に意味のある提言をして、それを実行したということに思い至らない。唯一、ワクチン接種が始まったときに、そのスピードを途中からあげたことくらいか。そのワクチンすら、当初は非常に遅れて、欧米ではかなり進んだ段階で、日本はやっと始められたという体たらくだった。
 八割おじさんこと西浦教授の人流削減政策ばかり強調されて、本当に必要なことは、政策化されてこなかったわけである。それが今でも続いている。
 これまで何度も書いたように、必要なこととは
・検査と陽性者の隔離
・発症者の早期の入院治療
・ワクチン
・家庭で服用できる薬
 こうしたことが政治・行政で行うべきことである。国民は、マスク・三密を避ける・手洗いなどの感染予防を徹底すること。このように、両方がやるべきことをやっていれば、感染はかなり防げるし、また、発症しても、重症化を減らせる。

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