日本は能力主義社会なのか1 疑問

 これまで、教育学は、日本の教育が競争主義的で、それが様々な格差を生み、いじめなどの問題を噴出させている、そして、その背景となっているのが、能力主義であるという批判を行ってきた。4回にわたって行った日教組教育制度検討委員会報告の検討も、報告が日本社会・教育の能力主義を克服することを、基本的な原理としていたことを示した。
 しかし、私は、ずっと長いこと、本当に日本の能力主義社会なのかという疑問をもってきた。むしろ、日本は、能力を正当に評価しない社会なのではないかと思わざるをえない面が多々あるように思われる。私自身の就職活動の経験でも、能力が正当に評価されたと感じたことは、極めて少ない。大学の教師としての公募に応募する機会は、いまの学生の就活と比較すると非常に少なかったのであるが、結局、コネなどで排除され、極端な例では、「業績がありすぎる」ということで否定されたことすらある。結局、採用してくれた大学は、正当に能力を評価してくれたのだと思うが、(多くの人が提出した指導教授の推薦状を、私は求められていなかったのでださなかったくらいだし、実際に面識のある人は、まったくいなかった)それは、例外的だと感じたものだ。
 就職活動をしている人たちで、自分が正しく評価されたと感じた経験は、どのくらいあるのだろう。
 ここで、分かりやすい例をあげてみよう。次にあげるのは、戦後の日本の総理大臣の出生である。

 
戦後の総理大臣
 指名   学歴  出生
幣原喜重郎 帝国大学 豪農の生まれ
吉田茂  東大  自由民権運動の闘士竹内綱の5男 竹内の投獄後に、実母が吉田健三の庇護の下で、茂を出産
片山哲  東大  ?
芦田均  東大  父は、国会議員 芦田鹿之助
鳩山一郎 東大  父は鳩山和夫 東京府会議員・衆議院議員・東京帝大教授
石橋湛山 早稲田 父は日蓮宗住職
岸信介  東大  父は山口県官吏
池田勇人 京大  ?
佐藤栄作 東大  実家は酒造業
田中角栄 中央工学校 農業・宮大工
三木武夫 明治大学 農業
福田赳夫 東大  父は町長
大平正芳 一橋  農家、父は村会議員
鈴木善幸 水産講習所 水産加工業の網元
中曽根康弘 東大 材木問屋
竹下登  早稲田 元庄屋・造り酒屋
--ここから平成--
宇野宗佑 神戸商大中退 造り酒屋 祖父は町長 (ソ連抑留の経験)
海部俊樹 早稲田 写真館 
宮沢喜一  東大 父は衆議院議員(戦前) 母方の祖父は、司法大臣・鉄道大臣の小川平吉
細川護煕  上智  細川家の長男 母は近衛文麿の次女 朝日新聞記者
羽田孜   成城  父は衆議院議員 最初は小田急バス勤務
村山富市  明治  網元
橋本龍太郎 慶応  父は大蔵官僚・衆議院議員 呉羽紡績勤務
小渕恵三  早稲田 製糸業・衆議院議員 
森喜朗   早稲田 父は町長 
小泉純一郎 慶応  祖父は廷臣大臣、父は衆議院議員
安倍晋三  成蹊  祖父は岸信介、父は安倍慎太郎 神戸製鋼に勤務
福田康夫  早稲田 父は福田赳夫
麻生太郎  学習院 父は衆議院議員 母方の祖父が吉田茂 麻生セメント
鳩山由紀夫 東大  父は鳩山井威一郎 祖父は鳩山一郎
菅直人   東工大 父は技術者
野田佳彦  早稲田 父は自衛官
菅義偉   法政  父はイチゴ農家 親族の多くが教師
 
 戦後の早い時期の首相は、戦前に育った人だけに、親や実家のあり方が多様だが、多くが、官界に身を投じて、政界に進出している。親が国会議員であった人も何人かいるが、戦前と戦後の選挙制度は異なるので、親が亡くなった後、すぐに地盤を引き継いで議員になった者は、ほとんどいない。生まれが恵まれていたとしても、実力で首相にまで上りつめたといえる。しかし、平成になると、様相が一変するのである。細川護煕あたりから、家柄がものをいっていると感じられるケースが多くを占める。父が有力国会議員で、亡くなったために、民間企業で働いていたが、呼び戻されて地盤を継いで出馬というケースは、羽田、橋本、小渕、小泉、安倍、福田、麻生と、有力首相の多くがあてはまる。鳩山由紀夫の場合は、親を継承したのは、弟の邦夫といえるので、ここでは除外する。もうひとつ、目立つのは、昭和の官僚あがりの首相の多くの東大卒であるのに対して、父親の地盤を継いだ平成の首相の多くが私学卒であることだ。こうして、首相に限らず、自民党の有力議員の多くが二世・三世議員で占められるようになり、議員になることも、また議員になったからも、厳しく揉まれ、競争を勝ち残って首相に上りつめたという印象がまるでないことだ。
 二世・三世議員の強みは、支持者たちの開拓を新しくする必要がなく、既存の支持層を固めること、既存の組織を維持することで、当選をすることができる。だから、議員の周囲にいて、議員から利益を得ているひとたちにとっても、安定した議席があることがプラスになる。既に、固定的な利益配分方式が確立しているから、議員の能力はあまり関係がないのだ。これは、日本の議員システム構造の特質が、影響している。一言でいうならば、自民党の議員とその後援会は、江戸時代の藩と大名のような性質をもっているのである。社会が停滞していると、こうした組織が機能する。いや、この程度の機能で、なんとかなると思い込む。
 
 もうひとつ目立っている分野は芸能界だ。これも平成になると、二世タレントが非常に目立つようになる。あるサイトで、女性の二世タレントのランキングがあったが、そこに登場した上位が以下のようになっている。
杏/渡辺謙 
松たか子/松本白鸚 
中川翔子/中川勝彦 
岡田結実/岡田圭右 
神田沙也加/松田聖子・神田正輝 
宇多田ヒカル/藤圭子 
杉咲花/木暮武彦・チエ・カジウラ 
Kōki,/木村拓哉・工藤静香 
香音/野々村真・野々村俊恵 
辺見えみり/西郷輝彦・辺見まり 
関根麻里/関根勤 
Cocomi/木村拓哉・工藤静香 
大原櫻子/林田尚親 
位趣里/水谷豊・伊藤蘭 
位福地桃子/哀川翔・青地公美 
秋元梢/千代の富士 
紅蘭/草刈正雄 
石橋静河/石橋凌・原田美枝子 
RIMA(NiziU)/Zeebra・中林美和 
IMARU/明石家さんま・大竹しのぶ 
 芸能界も、タレント本人だけではなく、支えるエイジェントや活用するメディアの利害が関わっている。したがって、当人にとっても、エイジェントやメディアにとっても、二世は安全パイとなっている。
 このふたつの分野で、二世が目立つようになったのは、昭和から平成に移るころからであり、日本の経済が下降線を描き始め、停滞社会になった時期である。政治の分野では、平成の後半を占めた安倍内閣のなかで、官僚の質的低下が否応なく目につくようになった。
 はっきりいえば、二世が幅を効かすようになるということは、能力が重視されず、親のもつ要素が子どもに適用されることである。
 
 他の分野も検討する必要があるが、重要な政治のリーダー、そして、日々多くの人が接する芸能界の人材が、二世によって占められてくるということは、そこに能力の競争によって、その地位を築くのではなく、能力以外の部分が大きく左右していることを予想させるわけである。これでは、素直に日本が能力主義社会であると認識することは、難しい。
 しかし、多くの論者は、能力主義が日本の社会をいきづらくしていると批判している。では、逆に能力ではなく、それ以外のことが人の評価の基準になるほうがいいのか。
 実は、能力主義の問題は、かなり複雑な構造をもっているのである。それを、少しずつほぐしながら、考察していきたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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