党首公選を訴えた松竹氏が除名? 訴訟に訴えたらどうなるか考えてみる1

 毎日新聞によると、『シン・日本共産党宣言』を出版し、記者会見を行なって、党首公選を主張した松竹伸幸氏に対して、除名処分となる見通しであるという。そうした活動が、「分派活動である」という理由であるとされる。
「共産が党首公選制主張の党員を除名へ 規約違反の「分派」と判断」(毎日新聞2023.2.5)
 
 『シン・日本共産党宣言』については、読書ノートとして、ブログに書いたが、松竹氏の主張は、基本的に共感できるという立場で書いた。ただし、この本の出版と記者会見に対し、反論としただされた藤田健赤旗編集局次長の論説を読む限り、松竹氏は除名されるのではないかと予想はしていた。もっとも、毎日新聞によれば、まだ正式な決定ではなく、中間段階のようだが、これが、上部機関によって覆される可能性は、低いように思われる。

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同性婚否定で首相補佐官が更迭されたが 岸田首相と同じ考えではないのか

 荒井勝喜首相秘書官が、かなり迅速に、更迭された。昨年更迭された大臣たちと比較すると、そのスピードは驚くほどだった。
 そもそもの起りは、国会の答弁で、岸田首相が、選択的別姓制度と同性婚を認める意思はないかと問われて、選択的別姓については、世論が分かれているから、更なる議論が必要だと述べ、同性婚については、家族の在り方について社会を変えてしまうと、ともに否定的な見解を述べたことである。これが1月26日。「岸田首相「慎重な検討を要する」 ”夫婦別姓”や“同性婚”に… 代表質問2日目」(日テレニュース)
 この答弁に対して、2月3日に、記者10名ほどが、荒井秘書官に、首相答弁について質問をしたところ、オフレコで述べた見解を、毎日新聞が報道した。
 荒井秘書官の発言の詳細はわからないが、次のようなことを述べたとされる。

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五十嵐顕考察3 教育費2 個別分散的教育費

 五十嵐氏のそれぞれの概念の中身を吟味しよう。
 まず個別分散的教育費だ。これは、家庭教師などの支払いが典型であるが、現代でも「授業料」として生きているとする。しかし、授業料は、確かに、個々人が支払うものだが、より背景的なことを考慮すれば、本質的に異なる授業料の種類がある。
ア 家庭教師への支払い
イ 塾への支払い
ウ 義務教育公立学校以外への授業料としての支払い
エ すべての学校において求められる(個別には求められない場合もある)教材費、制服、行事の費用(修学旅行、宿泊行事等)給食費等
オ 習い事の講師への謝礼
 アイオは、確かに個別分散的教育費というイメージと合致するが、ウとエは、ほぼ強制的に徴収されるものであって、サービスや物品にかかる税と似た者といってもよい。しかも、それは強制的に買わされるものだから、望まなければサービスを受けることもない塾への支払いなどとは、本質的に異なる。

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五十嵐顕考察2 教育費1

 五十嵐顕氏は、教育費の講義を担当していたため、教育費とは何かを突き詰めて考えていた。そして、教育費が貨幣の形をとることに、つよい拘りをもって、そこから出発していたように思われる。
 五十嵐論による教育費の分類は、
・個別分散的
・社会的に組織された教育費
・国家によって組織された教育費
という三つの組織形態によるものである。形としてはすっきりしているが、私は、この分類は、教育費の「教育学的分析」にはあまり有効ではないように、ずっと思ってきた。確かに、そうした分類は、外見的に分かりやすいし、統計的にも処理しやすいに違いない。しかし、形式と量の相違を示すだけで、それが教育にとって、どのような意味をもつかは、明確に示すことができないのではないかと思うのである。

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ノート『天災から日本史を読みなおす-先人に学ぶ防災』磯田道史(中公新書)

 イタリアの歴史哲学者クローチェの有名な言葉に「あらゆる歴史は現代史である」というのがある。本書は、歴史書でありながら、現代史、あるいは未来史ですらあると感じさせる書物である。著者である磯田氏自身が、将来起きるかも知れない自然災害に、どう対処したらよいのか、それを今から準備するために必要なことを、歴史から学ぶという視点を貫いている。しかも、歴史的文書を丁寧に調査し、吟味しながら、当時の災害の起こり方、人々の対処のよかったこと、まずかったことを整理している。そして、ある災害には、こうしたことが必要だという教訓を、説得的に引き出している。最近、これほど役に立った感じを受けた本はなかった。

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高齢者は集団自決を? 成田祐輔氏への疑問

 最近話題の成田祐輔氏が、あちこちで「高齢者の集団自決」が必要だという主張をしているということを、その批判文で知った。特別に話題になったのは今年かららしいが、以前からの主張のようだ。最初に読んだのは、内田樹「『高齢者の集団自決』の提言 日本の国運の衰退の解決にはならない」〈AERA〉
であり、驚いて他の文章も探し、「成田悠輔氏「高齢者は集団自決」発言を“例え話”と笑っていられない理由」窪田順生を読んだ。
 いずれも、ヒトラーとユダヤ人撲滅などとひっかけて批判したものだ。
 では、本人はどう言っているのかと探したところ、abemaTVで語っていることが多いらしいが、youtubeにも出ているので、次のものをみた。
 
 私は、成田氏を著書と羽鳥モーニングショーにでているときしか知らないので、こうした過激な主張は知らなかったので、少々驚いた。

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チェロのトラブル 適切な湿度の必要性

 今年に入ったころからだろうか、どうもチェロの鳴りが悪くなったような気がしていた。これは昨年夏あたりから、左手の痛みが出て、そのことによって、うまく楽器が扱えなくなっているのかと思っていた。
 チェロをやったことがある人はわかると思うが、チェロは弦が太いので、かなり力がいる。そして、練習をあまりしない状態から、久しぶりに弾くと、腕や手が痛くなるものだ。しかし、この時の痛さは、逆で、毎日練習しているのに、弾き始めると、それだけ痛くなるのだ。いよいよ歳なのかという思いと、ひょっとしたら、コロナワクチンの副作用だろうかという思いもよぎった。私はまったく副作用がなかったのだが、どうもワクチンを打った左手だけが痛い。そして、それが楽器の鳴りに影響しているのかなどと思っていたわけだ。昨年の7月に4回目、今年の1月初めに5回目のワクチン接種をしたので、ありうるとは思う。

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再論 学校教育から何を削るか18 教師の懲戒権

 学校教育法には、教師の懲戒権が規定されている。ただ、そのことによって、教師が具体的な仕事を押しつけられているわけではない。懲戒権を発動しない実践は可能であり、その場合、教師の労働が増大することはない。しかし、多かれ少なかれ、教師は法で規定されている懲戒権を行使しながら、授業をしている。そして、そのことによって、付随的な仕事が付加されてくるという仕組みになっている。
 こうした状況に対して、私は常々「懲戒権」は、学校の教職員としては校長のみに付与されるべきであり、一般教師にとっては、余計な規定だと思っている。教育は、あくまでも非権力的な営みであって、権力は不要である。もちろん、組織である以上、権力が必要となる場面はあるが、その権力は校長に一元化していること、逆にいえば、校長がしっかりと懲戒権を適切に行使すれば、教師は、懲戒などという教育的ではない要素を、実践のなかに持ち込まなくて済むようになり、より教育らしい実践が可能になるのではないだろうか。
 それは、結局、教師の過剰労働を軽減することにもなる。では、より詳しくみていこう。

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五十嵐顕研究1 はじめるにあたって

 ある事情から、五十嵐顕研究をする必要に迫られた。五十嵐顕といっても、最近の若い世代には、ほとんど知られていないと思われるが、私が学生だったときの研究室の教授であった。私自身は、もう一人の教授であった持田栄一教授を指導教官としていたが、五十嵐教授にも指導を受け、院生としては、五十嵐研のひとたちのほうが、ずっと親しかった。
 もっとも、指導を受けたといっても、持田教授にしても同様だが、当時はまだ大学紛争の余韻がさめない時期ということもあったのか、両教授は極めて多忙で、連日のように講演に走りまわり、雑誌に原稿を書き、更に研究もしていたから、授業などは、滅多に行なわれなかった。特に大学院の演習などは、院生が勝手に、あるいは自主的に運営しており、たまに教授が参加するという状況だった。最近のように、授業がきちんと行なわれ、指導も丁寧になされる、などということは、むしろ例外的だったのではなかろうか。特に、両教授のように有名人は、社会的活動のほうが中心だったのである。

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裁判記録、紙の保存が原則か

 神戸の連続児童殺傷事件の裁判記録が、廃棄されていたという報道を、記憶している人も多いだろう。そのときにもブログに書いたと思うが、「99.9%消える司法文書「保存場所と人の確保を」 青山学院大元教授の塚原英治さん、デジタル化は「閲覧の手段」に」(元青山学院大法科大学院教授の塚原英治弁護士 神戸新聞)という記事がでて、紙の原本を残すのが大事で、そのための場所と職員を確保することが必要だ、という主張をしている。多いに疑問である。
 
 塚原氏は、デジタルではなく、紙で残す理由を2点述べている。
・スキャンした文書では、原本と同一か確認できない。
・デジタル化は簡単ではない。

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