町内会の仕事

 おそらく、日本中に「町内会」なるものがあるに違いない。団地などは、団地内での似たような組織があるはずだ。私が属している班は15戸で成り立っているので、15年に一度は班長なるものをしなければならない。具体的に何をしなければならないのかは、まだ十分に把握していないのだが、回覧板を廻すというのが、日常的には、もっとも目立つ仕事のようだ。そして、今日、最初の回覧板を廻してきた。そして、次は、会費の集金なので、その告知を含んだ回覧だった。
 別に班員の仕事というのもある。ゴミ収集のあとの掃除である。これは、一週間交代になるので、年に数回回ってくる。特に、生ゴミの収集の際に、しっかり網で覆うことをしないまま出すと、ほぼ確実にカラスが生ゴミをつつきにくる。そして、そのあとは、ゴミが散乱することになる。私の地域では、そうしたことは、あまりないが、皆無というわけではない。カラスは黄色を嫌うということで、黄色の網をかぶせるのだが、ゴミの量が多いと、どうしてもはみ出してしまう可能性がある。いずれにせよ、収集のあとは散らかっているので、掃除をするわけだ。週3回だ。

 私が勤めていた大学では、駅からしばらく飲み屋、スナック他の飲食店がならんでいる区域があり、そこは、朝大量の生ゴミを出すので、いつもカラスがたくさん群がってあさっており、恐怖を感じさせるくらいだった。
 
 とにかく、町内会の大きな仕事が、ゴミ対応だというのは、間違いないところだろう。しかし、そういうシステムは、国際的にみれば、どうなのだろう。
 私は、オランダに、一年ずつ、二年間住んだことがあるが、町内会にあたるものはなかったと思う。住民登録をして、近所つきあいもしていたからは、排除されていたわけではない。そして、ゴミ収集に関する限り、日本の町内会のような仕組みは必要ないと思った。ゴミ収集の方法が、まったく違うからだ。
 オランダは、ドイツ方式を取り入れたということだから、ドイツも同様だと思う。更に、20年前のことなので、変わっている部分はあるかも知れない。それから、集合住宅単位で収集する場合と、個別住宅に収集する場合とは違うのだが、個別の方法を説明しよう。(オランダの家は、ほとんどが長屋形式だが、一戸は3階建てでかなり広い。それをここでは個別の家としている。)
 まず、大きなゴミ用のボックスを入手する。私は、家を借りていたので、家主のボックスをそのまま使わせてもらったが、市からレンタルすると聞いた。オーガニック用とそれ以外のふたつのボックスがあり、隔週で週1の収集だった。つまり、生ゴミの収集は2週間に1度だから、一度出し忘れたりすると、一カ月後になってしまう。日本なら、腐敗して大変だが、オランダは気温が低いのと、庭にボックスをおくので、それほどこまることはないが、やはり、忘れたときがあって、難儀した。
 収集日には、時間の前に、所定の場所にそのボックスをだしておく。そして、時間になると、収集車がくるが、車を運転しないひとがおりてきて、ボックスを車の所定の場所にセットする。そして、あとは自動的にボックスが持ち上がり、180度回転して、ゴミが収集車に放り込まれる。その操作は車に残っている運転手が行なう。そして、ボックスが元に戻ってくる。この作業が繰りかえされるわけだ。私がみた限り、ゴミが外にこぼれることは、まったくなかった。ボックスには車がついているので、動かすのは特に力が必要ではない。日本の収集作業は、かなり汚れる感じがあるし、また、相当な力仕事だ。だから、ほとんど女性はみないが、オランダ方式だと、女性でもまったく楽にできる。そして、まわりが汚れることがないから、町内会の担当者が清掃をする必要もないのだ。
 日本でもできないのかと思ったが、正直難しいだろう。オランダの車道には、必ず広めの歩道があり、その歩道にボックスを置くのだが、私の町内のゴミ収集場所に、あのようなボックスをおくスペースはない。だから、小さめのポリ袋にいれて、週2回収集ということになっているのだろう。
 また、日本では、ゴミ収集の方法は、市ごとにけっこう違う。有料か無料か。分別の方法など、違うのだ。それを統一しないと、収集車の構造から統一していかないと、オランダ・ドイツ方式は、実現できない。
 それができないために生じる作業が、町内会に任されるわけだ。欧米では自治体が行なっている作業を、日本では、町内会が肩代わりしていることになる。しかも、無償労働で。
 
 ゴミ関係を除くと、町内会って何をしているのか。積極的に関わっていない人間としては、回覧板が回ってくるだけだ。積極的に関わると、祭に関与することになるが、それはかなり特別なことだ。
 では回覧板は、何を情報としてつたえるために、廻されるのか。ほとんどが市から、市民に対して伝えられる情報だ。メールで伝えたほうが、速やか、かつ確実に伝わるのではないかと、常々思っている。いまどき、メールをまったく使っていないひとは、どのくらいいるのだろう。
 現在、そういうひとは、おそらく、一人暮らしの高齢者で、あまり豊かではないひとだろう。そして、まわりとの交渉・接触もほとんどない。そのような高齢者は、町内会で把握するよりは、市の福祉関係でしっかりと連絡をつける必要がある。
 
 いずれにせよ、町内会が、特別な意味をもって存在しているというよりは、江戸時代以来の、住人たちを組織化することによって、統治してきた伝統が残っていること、市の仕事として行なうべきことを、町内会でやってくれるから、経費の節約になる、だから、市にとっては、極めて好ましい組織である。市民からすれば、町内会て行なうことを市の仕事として行なえば、その経費は税金に跳ね返る。
 熱心に班の上部になる組織の委員をしているひとたちにとっては、コミュニケーションの場として有効なのだろう。しかし、末端の班では、町内会があるから、住民の交流が進むというものではなく、あくまで、一般的な近所つきあいになっている。
 一年間、町内会の存続意義があるのかないのか、じっくり考えてみたいと思っている。日本社会の特質であるのだから。 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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