ChatGPTを使ってみた感想を前に書いた。その後も議論は盛んに行われている。そして、新学年が始まって、大学では、ChatGPTをどのように扱うか、かなり議論がされているようだ。端的には、ChatGPTを使って書かれたレポートをどうするかということだ。
私から見れば、そのことは原則としては簡単だと思う。ChatGPTを使ってでてきた文章を、ChatGPTが提示した文章であると、きちんと示し、通常の引用のように扱っているだけならば、いくらChatGPTの書いた文章といえども、不可とするわけにはいかない。他の人が書いた書籍からの引用と、なんら変らないはずである。
そういうことは、大学教師ならば、誰でも思っているだろう。だから、問題は、別のところにあり、ChatGPTが書いた文章を、あたかも自分が書いたようにしてまとめるということだ。それは、剽窃であり、著作権の違反だから、当然認めるわけにはいかない。しかし、認めないためには、ChatGPTが書いた文章だということを、見分けなければならない。ここが最大の問題だろう。こうしたAI技術がなかった時代にも、当然剽窃レポートはあった。それは、本の文章をそのまま使ってしまうのが、ほとんどだ。しかし、それは、だいたいはばれてしまうものだ。私も、それを摘発したことがある。そういう不正をやる学生は、実力がないからするので、実力がない学生のレポートに、突然プロが書いた文章が挟み込まれたら、そこだけ不自然だから、それほど注意しなくても、剽窃したな、と感じるものだ。松本清張の傑作に、『渡された場面』という小説がある。地方の同人誌をやっている作家志望の人が、たまたま、恋人が仲居をしている旅館にとまった有名作家の文章(それは、破棄されていたものだった)を受け取って、その部分を同人誌に投稿した作品にもぐり込ませた。それが、中央の批評家の目にとまり、全体はたいしたことはないが、ある部分が光ることがある、と評価し、その部分を紹介した。たまたまそれを読んだ地方の刑事課長が、自分の管轄で起こった事件の裁判の進行に疑問をもつきっかけとなり、意外な方向に展開していくという筋だ。作家の文章は、刑事課長の管轄区域で起きた殺人事件を思わせる風景だったからである。
脇道にそれてしまったが、学生がプロの文章を無断借用すれば、まるで雰囲気が違うのだから、見破るのは難しくないが、ChatGPTとなれば、学生がしばらく対話をすれば、互いの文章傾向を似せることができるだろうし、プロの文章ではないから、見分けがつきにくいのは確かだろう。全部をChatGPTが書いたとすれは、不自然さはないかも知れない。
アメリカの大学では、以前からレポート作成代行業が盛んで、学生が依頼してレポートを提出するものだから、代行業が書いたものを判断するソフトなどが開発され、更に、見破られない代行執筆が追求され、更に、というようないたちごっこがあったが、早速、ChatGPTの書いた文章であることを見分けるソフトが活用されているそうだ。実際にどの程度、正確に見破るのかわからないが。
さて、どうするべきなのだろうか。
まず原則的には、ChatGPTのようなAIソフトは、適切に使うことを学ぶように指導することだろう。ウィキペディアが現れたときにも、あまり正しくないことが書かれているので、使うべきではない、というような議論がたくさんあった。しかし、現在、そのように批判していたひとでも、ウィキペディアを使っているに違いない。創始者自身が述べていたことだが、あまり信用するな、しかし、調べるきっかけとしては便利なはずだ、ということを理解して使えば、非常に便利なものだ。ChatGPTも同じようなものだろう。活用、利用する道具だと思えば、「剽窃」などはしないのではないだろうか。
まず、「引用」という慣行、法的規定をしっかりと自覚させ、これを破って、他人の書いた著作物を、あたかも自分の書いたものだとして書くことは、違法であり、ときには社会的な制裁を受けるのだ、と理解させる。しかし、引用という形式をしっかり守って利用する上では、問題ないし、多様な見解のひとつとして、扱えば、自分の知識や思考力を向上させるツールになる。そうしたことをしっかり認識させ、「ズル」をすると、「ズルしないと切り抜けられない人間」になってしまう。地力をつけることが大事なのだということを理解させる。
それでも、なおかつ、剽窃するレポートがあったら、落とせばよい。
発見するための作業(ソフト活用や、そういうことに注意を払うこと)をしたくない、しかし、剽窃はさせない、という強い意思を通すなら、レポートではなく、試験にして、一切の持ち込み禁止にすればよい。また、口頭試問を実施して、難しそうな部分について質問をすれば、自分で考えたか、剽窃したかの判断ができるという見解もあった。しかし、それこそかなりの労力が必要となるだろう。10名程度のレポートチェックならいいだろうが、100名を超えるような場合、この方法は実施自体が難しいに違いない。
理想論かも知れないが、やはり、自分の力を向上させることが大事で、社会にでてから有意義な仕事ができるかどうかは、それにかかっていることを自覚させることではないだろうか。それをきちんと認識すれば、剽窃などはしないものである。