橋下徹氏が、けっこう長文の派閥論を書いている。
「落選議員の生活費を年数百万円支援…橋下徹「政界の権力闘争を勝ち抜く”派閥のボス”がやっていること」である。
私は、橋下氏の論に共感することは、ほとんどないが、この文章は、全面的にではないとしても、共感する部分がけっこうあった。ただ、ふたつの異なったことが論じられていて、前半と後半が、必ずしも整合的でないように思われる。
前半は、自民党の派閥論であり、派閥が批判されることが多いが、派閥こそが自民党の力の強さを形成している手段であるという趣旨だ。自民党議員は、みなそれぞれの強い主張をもっていて、自分の意見が正しいと思っているひとたちの集まりだから、そこでまとまりをつけるのは、なかなか難しい。それを実現していくパターンが、人間力の競い合いだという。つまり、自分を支持してくれる同僚を、どれだけ獲得できるかという競争で、それは、単にポストを提供するなどというだけではなく、落選したときには、生活の面倒をみるほどの徹底した「人間力」を示さなければいけないというわけだ。羽生田氏が落選したときに、大学の非常勤講師のポストを提供した安倍氏などがそうなのだろう。もっとも、次期当選のために、統一教会の支援を仰いだという負のおまけつきではあるのだが。
そうした競争に勝ったものが派閥の長になり、そして、他派閥との競争になる。その勝者がトップの総裁になるという、その競争システムが、人間力を鍛えて、政治家を鍛えているというのだ。
しかし、現在の自民党は、そうした要素があるとは思うが、派閥を軸とする人間力の競争が機能しにくくなっている面も、見のがすことができない。それは、決して、政治資金の規制や派閥にお金が集まりにくくなったということが、原因ではなく、小選挙区制から始まっているように思われる。
小選挙区制では、議員個人からすれば、公認されるかどうかは至上命令だから、執行部に逆らうことはできない。トップに上りつめるための競争はあるが、上りつめたあとも、その競争が継続するのではなく、トップになると、特別な権力を獲得するために、個別議員たちは、反抗することが難しくなる。
執行部からすれば、当然、野党との競争に勝つことが至上命題だから、選挙で勝てる人物を選択することになる。選挙で勝てる候補は、多選している議員であるが、その議員が引退するときには、その地盤を引き継げるもの、つまり世襲議員である。ここでは、人間力の競争で勝ち抜いた人物ではなく、世襲という、能力とは関係ない人物が優遇されるメカニズムになってしまう。
そうして、自民党は、派閥はあるが、そのなかで鍛えられた人物ではなく、鍛えなくても重用される人物が、有力な地位を占めていくことになった。つまり、橋下氏のいうような派閥の力学は低下しているのである。現在の派閥の長自体が、世襲議員化している点でも、人間力競争が十分に機能していないことがわかる。
後半は、野党への提言のようになっており、公開された討論での多数決で政策を決めていくことを主張している。これは現実には行なわれていないことだ。しかし、これを実行できれば、少なくとも政治家としての力量が、非常に向上することは間違いない。公開の討論であることで、妙な裏技を使うことかできなくなる。説得力に依拠せざるをえなくなるわけだ。そこで、最大限の努力をせざるをえなくなる。政策の構想力と、説得力をもたせるための材料の収拾と説得力をもった者が、リーダーとなっていく。そして、多数決で決めた場合には、負けたほうもすっきり認めざるをえなくなるのが普通で、なにか不明朗な決め方をしたほうが、引きずり安く、組織が分裂してしまう危険もあるというのが、橋下氏の主張である。
概ねこの点については、賛成である。形として立憲民主党への批判の形をとっているが、むしろ、共産党の除名騒動を念頭においた文章であるように感じた。