鬼平犯科帳 成功した原作の改変ドラマ

 鬼平犯科帳のドラマを全部見てしまおうと思って、FODに加入してせっせと見ている。今5シリーズになったが、ここでは、原作の内容をかなり変えているのに、それがうまくいっている作品がいくつかあり、それがとても面白いと思った。3、4シリーズだと、改変に疑問符がつくのが多かったのだが。
 
 まず「土蜘蛛の金五郎」だ。これは、盗賊の金五郎が、「どんぶり屋」という、社会事業的な安さで、提供する飯屋を経営しているのだが、平蔵は、うわさを聞いて、あやしみ実際にいってみる。盗賊は罪滅ぼしのような意識で、そうした慈善を行なうことがあるからだ。汚い貧乏浪人の姿で何度か通ううちに、ならず者が襲撃に来たのを追い払ったことで、店主(金五郎)に見込まれ、平蔵も自ら近づいて、殺しの依頼を受ける。相手が平蔵なので、岸井左馬之助に身代わりを頼み、実際に剣をまみえて、身代わりの平蔵(左馬之助)を討ち(芝居)、その後お礼をする金五郎を捕らえる、という筋である。

 
 とても面白い筋なのだが、実は、どうしても不自然に感じてしまう点がいくつかある。金五郎に近づいて、いろいろと話しているが、その際に、どこに住んでいるかを尋ねられる場面がある。それに対して、平蔵は、住処はない、金があれば岡場所に、なければ橋の下などだ、と答えるのだが、これは不自然だ。金五郎はかならず、平蔵のいっていることを、手下に確認させるはずで、平蔵は、役宅に帰っているのだから、見破られるはずだ。あとをつけられて、橋の下で寝たり、岡場所にはいくはずがないのだから、怪しまれるはず。
 次に、どんぶり屋に通っているときに、荒くれ者の襲撃があるが、いかにも不自然で、たまたま、平蔵が夜にいったときにでてくる。どうやら、初めてのことらしい。これがきっかけで、金五郎に注目されるのだから、あまりに偶然とはいえ、都合がよすぎる。
 そして、平蔵(左馬之助)を討ち取ったように見せたあと、平蔵は、金五郎の家にいって、祝杯を受けるのだが、いきなり、「お前が飲んでみろ」「俺への盃に毒を塗るようなへまな細工」といって、身分をあかし、取り囲んだ与力・同心たちが捕縛してしまう。しかし、ここで金五郎が平蔵を殺害する意味もないし、また、平蔵が気付くのも不自然だ。
 そして、最後に、ほほ最終盤まで、汚い浪人に変装して取り組んでいることを、与力たちに明かしていないのだが、それで最後の夜の手配りがうまくいくのも、できすぎだという感じなのである。
 
 さて、ドラマは、これらの不自然さを、すべてうまく解決している。
 金五郎に近づいたあと、平蔵は忠吾といっしょに、汚い長屋に暮らしている。そして、そこに金五郎の手下の子之次が密かに見張っている。ただ、それを平蔵は見破って、子之次に酒を飲ませ、仲よくなっておく。最終盤で、密かに、平蔵に、実行のあと、金五郎が毒をもった酒を飲ませることを、知らせるので、平蔵は彼を捕縛せず、逃がしてやることになる。
 平蔵は、最初から与力・同心たちに、事情を明かしており、ごろつきの襲撃は、酒井同心に命じて行なわせた芝居であることを、暗示している。これなら、流れとして、おかしくない。そして、探索はずっと続けられていて、長屋での打ち合わせのあと、見張りの子之次をごまかす場面なども、ちゃんと用意されている。
 こうして、原作の不自然さを、ドラマはほぼクリアしており、そのために、非常に流れがスムーズになっている。
 
 もうひとつは、「怨恨」である。こちらは、原作はまったく不自然さがなく、逆に大きな改変されたドラマに、多少の不自然さが生まれている。しかし、それにもかかわらず、この改変は成功しており、訴えるものが強く押し出されている。
 原作は、以下のような内容だ。
 体調を崩した今里の源蔵という盗賊が、今は足を洗い、煮売り酒屋をやっている桑原の喜十に匿われている。それを発見した磯部の万吉が、浪人盗賊杉井鎌之助に源蔵の殺害を依頼する。大滝の五郎蔵が、万吉をみかけたという喜十の通報によって、万吉を探しているが、みつからない。そして、喜十のところに情報をとりにきたとき、喜十がよそよそしい態度を示したので、なにかあると五郎蔵は察したが、わからない。万吉と鎌之助は、喜十の家の前にある宿屋にやってきて、見張っている。その移動のときに、たまたま粂八の船宿で船頭をしている鶴次郎が、彼らを発見し、あとをつけ、通報して、平蔵たちが宿屋を取りかこんで、万吉たちを捕縛する。
 しかし、その前に、誰かにあとをつけられたことを察知した源蔵は、喜十のところから去っていた。
 
 この筋書きには、不自然さは、ほとんど感じられない。そして、焦点は、源蔵を狙う万吉に、実は源蔵も探しており、病気であるために、逃げるのだが、ふたりの対立の原因が、源蔵に万吉が手伝って行なった盗みの成果を、万吉が独り占めにして逃げてしまったことだった。だから、双方が生命を狙っていたのである。そのふたりの「怨恨」が原作のテーマになっている。
 しかし、ドラマは、その怨恨については、あまり掘りさげず、軽く源蔵が喜十に説明しているだけである。そして、その代わり、焦点は、喜十が五郎蔵に情報を提供しているが、五郎蔵は、情報源を平蔵に知らせていない、また、知らせるつもりもないという、かつての手下を庇う密偵たちの信条になっている。更に、万吉を知らせた喜十だが、盗賊の源蔵を匿っていることは、ひたすら五郎蔵にたいして隠している。つまり、庇うための秘匿が入れ子になっているのである。
 ドラマでは、万吉をみかけたという情報があり、平蔵が同心たちに探索を命じるが、その責任者に木村忠吾が指名される。そして、忠吾は、五郎蔵とおまさを、五鉄に呼び出して、自分が責任者となったことをつげる。しかし、うかない顔をしている五郎蔵は、あとでおまさに、平蔵に告げたのは、自分であり、その情報源は平蔵にも明かしていないこと、隠したいひとがいることを打ち明ける。そして、おまさもそれに共感する。しかし、たまたま同心たちの集まりで、五郎蔵が情報源であることを知った忠吾は、怒り狂う。その怒りは、ドラマの最後まで続く。五郎蔵とおまさは、そのことを平蔵に訴え、平蔵は理解するのだが。
 喜十と源蔵の件については、五郎蔵は、喜十がなにか隠していると感じて、翌日おまさに探ってもらう約束をしていると、原作では粂八がやってくるのだが、ドラマでは実際に、おまさが喜十の店に三味線弾きになって陽気な雰囲気で滞在している。そして、だれかいることに気付くが、だれかはわからない。そこに忠吾がやってきて、お上的に威張り散らして、万吉の探索を命令する。おまさは、見つかりそうになるが、後を向いていて、気付かれずに済む、という場面が、創作されている。
 これが大きな改作のひとつである。
 
 もうひとつの改変は、源蔵が、あとをつけられたことを、原作でも察知して、喜十のところを去るのだが、だれがつけていたかは、知らないまま、危険を察知した程度になっている。
 しかし、ドラマでは、あとをつけられていることを察知した源蔵は、逆に相手をまいて、逆に相手を尾行し、万吉と杉之助が、源蔵暗殺の相談をしている部屋の下にもぐり込んで盗み聞き、具体的な危険を察知する。そのために、その日のうちに、去ることになる。
 この改変は、源蔵の危険察知にリアリティを与える点では成功しているが、万吉たちは宿屋の2階にとまっているので、もぐり込んで盗み聞きができるような空間は存在しないから、不自然ではある。あとをつけられたことだけで、危険に感じるのは、盗賊の感覚だろうから、改変はなくてもよかったとは思う。
 しかし、密偵が情報源となっているかつての仲間を庇う気持ちと、情報源を知って捜査する側との葛藤が、リアルに描かれている点では、とても印象的なドラマにしあがっている。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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