大学倒産について考える

 恵泉女学園大学が募集停止になったことで、再び大学倒産の話題が活発になった。これまでに倒産した大学の原因を詳しく分析した文章もあるが、ここではそうした原因ではなく、そもそも大学のあり方につなげて考えてみたい。
「募集停止・廃校となる大学は何が敗因か~16校の立地・データから分析した・前編」石渡嶺司
 
 2000年以降に廃校になった大学は16校だそうだが、多くのひとは、ずいぶん少ないと思うに違いない。これだけ少子化、大学全入、定員割れ、大学の冬の時代などといわれているのに、800以上ある大学で16校しか潰れていないのかと、逆に感心するかも知れない。しかし、大学としての倒産は少なくても、部分的な廃業は、もっとずっと多い。ある学部を廃止して、他の学部に編成替えするなどということは、多数の大学が行なっているはずである。もっと深刻な事例としては、短大なり、専門学校を廃止して、4年制の学部に組み込むなどという例もある。私の勤務していた大学でも、短大と専門学校が廃止になり、4年制の学部に組み入れたり、教員を職員にしたりしたことがある。こうした再編による生き残りが可能になるのは、それなりに募集が安定している学部が複数あるからだ。つまり、大規模大学は、生き残りが容易である。だから、大学として、学部増設などによる大規模化をめざすのである。

 また2018年問題という、大学にとって更に少子化が進む事態に対して、文科省が、大学の定員管理を厳格にすることで、中レベル以下の大学を救ってきたこと、大学倒産があまりなかった理由である。しかし、2018年をずいぶんすぎたし、更に進む少子化は、大学に影響を与えつつあるということだ。
 
 少子化といっても、実は大学は増えている。1991年に18歳人口は204万人、大学は514校、そして、2022年には、112万で807校となっているという。2006年くらいから、大学進学希望者よりも大学定員が多くなって、実質的な全員入学となっているが、大学は定員よりも多く合格させるから、実はもっと早くから全入になっているのである。そして、その傾向はますます顕著になっていて、今や、どうしてもこの大学に入りたいといって、浪人覚悟の対象となる大学は、ごく一部の難関大学と医学部くらいになっている。そして、多くの大学生は、それほどの受験勉強をせずに大学に入学することになる。しかも今や定員の半数以上は、学力試験を伴わない選抜である。
 
 そんな学生は、大学に入ってもたいして勉強しないだろうし、時間とエネルギーとお金の無駄ではないかと思うひとも多いのではないだろうか。ただ、高校時代に受験勉強しなかったからといって、大学で勉強しないわけではないし、必ずしも大学の授業についていけないわけでもない。重要なことは、大学での勉学に魅力を感じ、自分はこの専門をしっかり学びたいという気持ちが起きるかどうかである。そうしてうまくやりたいことができるようなになった学生は、それまでにないような勉強を始めるものだ。しかし、そうした例が多くはないことも、また認めなければならないだろう。印象以上ではないが。
 しかし、やはり、大学時代は「解放された」時期だと考えて、専門的な勉学に励まない学生が多数いることも否定できない。そういう部分も収容するだけの大学が必要なのか。
 
 結論的にいえば、やはり、不要だと思っている。大学生も、理系は当然勉強しなければ、卒業が難しくなるから、一生懸命に勉強するが、文系の場合、卒業後に何らかの試験がある分野の学生は、間違いなく熱心に勉強し、また、学問に燃えているひとも勉強する。しかし、それ以外の、特に難しい試験を受けるわけでもなく、研究者になろうと思っているわけではない学生にとって、大学の授業に、特別魅力を感じるようなものがあればべつだが、特に熱心に勉学に駆り立てるものはないのではなかろうか。バイトや部活に明け暮れる学生が多いことは、間違いない。
 大学の教育は専門教育だから、その専門に特別に興味があるとか、その専門を活かした職業をめざしていることがない限り、勉学意欲が湧くことはあまりないはずである。日本の進学指導は、興味のある専門を選ぶような指導よりは、偏差値とか、学生生活の魅力、あるいは就職など、専門の勉学とは異なる理由で、進学先を選ぶ傾向があるから、尚更である。
 
 専門分野の勉学意欲は、一般的にはその専門分野にかかわる仕事につく意思があるか、とにかく仕事についてみたが、自分には知識が欠けていると感じたときに、その分野の勉強が必要だと、強く湧くものだろう。従って、高校までに、将来の職業について真剣に考えて学部を選択するか、あるいは、無為な大学生活をせずに、仕事につき、そこで、必要を感じたときに、学び直しができる体制があるか、両方が可能になっている体制が望ましい。実際に欧米では、大学生のかなりの部分を社会人が占めている。ヨーロッパでは、仕事に何年か就くと、自動的に大学入学資格が得られる国もある。そうした国では、最初は無理に大学に行かず、仕事で必要なことを感じたときに、その分野を学ぶことになるから、学ぶ効果も大きいはずである。
 これは、逆に大学の生き残りの可能性でもある。18歳人口の減少は、社会人で補えば、大学は生き残れるだけではなく、そこでの勉学もより活発なものになる。
 
 結論的にいえば、将来の専門とは無関係な領域の分野に属していて、特に大学の勉強に意欲もなく、バイトや部活に明け暮れている学生たちのためのキャパシティは、なくてともいい。その代わり、社会人になって、本当に必要な感じて、学び直したいひとが、容易に学べるシステム(授業料が高くなく、時間的融通がきくこと、そして、社会の支援体制)になっていることが、日本社会全体の生産性をあげる上で有効なことだろう。そういう社会にならなければならないし、また、そういう社会に適した大学の運営に転換できる大学が、生き残ればよい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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