小西議員のサル発言 問題はメディアへの恫喝だ

 立憲民主党小西議員のサル発言が、大きな問題となっている。なんと低次元な発言だろうかと呆れてしまうが、ある記事によると、小西議員は、自分が一番頭がいいと思っているのだそうだ。まるで経歴にないが、自分を憲法学者と堂々と語ったようだから、たしかに、自分を過大に見せたい気質のひとなのだろう。
 サル発言は、次の読売新聞の記事によって明らかにされたようだ。
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 立憲民主党の小西洋之参院議員は29日、衆院憲法審査会が毎週1回定例日に開催されていることを念頭に、「毎週開催はサルがやることだ」と述べた。小西氏は参院憲法審で野党筆頭幹事を務めており、同日の幹事懇談会後、記者団に語った。

 小西氏は「憲法を真面目に議論しようとしたら、毎週開催なんてできるわけない」と主張。「何も考えていない人たち、蛮族の行為だ。野蛮だ」とも表現した。
 発言に対し、他党からは批判が出ている。日本維新の会幹部は「誠実に議論している人をサルに例えるとは、憲法を議論する資格がない。立民は厳しく処分すべきだ」と苦言を呈した。(3月30日)
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 サルと言われて怒るというのも、大人げないとは思うし、サルでけっこうと言ったという国民民主党の玉木氏だけが、大人の対応したということか。
 サルとか蛮族という「言葉」がやり玉にあがっているが、本当の問題は、憲法審査会の週1回を、幹事として非難したことの妥当性、そして、より大きな問題は、サル発言を報道したメディアを「恫喝」に等しいような表現で非難し、名誉毀損で提訴するなどと語っていることだろう。
 憲法審査会が、具体的にどのように議論が進んでいるのかは、正直わからない。衆議院の審査会のホームページをみたが、掲出された資料は見ることができるが、実際の会議での議論については、毎回「討議した」とだけ書かれているだけだからだ。ここは、会議録をぜひ載せるべきだろう。現在は、音声認識の技術は格段に進歩しているから、会議録の作成は、それほど困難ではないように思われる。
 小西議員のいうように、確実に毎週開催されているわけではないが、確かに頻繁に開催されており、話題になっている論点が扱われている。
 国会なのだから、憲法を継続的に審議する場は、当然必要であり、それが開かれていることが大切だろう。毎週開催はサルだ、というのは、言葉の問題ではなく、審議そのものが不要だという意味なのだとしたら、やはり国会の機能を勘違いしているといわざるをえない。私自身は、基本的に護憲の立場だが、変えなければならない条項があるとは思っている。私は教育学が専門だから、26条だが、憲法の26条は、不十分なものだから、将来的には変える必要があると考えているが、現在、不十分な26条すら、十分には実現していないのだから(義務教育の無償)、現時点で改定といっても、難しいと思っている。しかし、そうした不十分性は、たくさんの条文であるはずだから、審議は継続的にしっかり行なってほしいものだ。
 
 この点より、大きな問題は、サル発言を報道した放送局を、小西議員が、放送法を適用させても、
 読売新聞は以下のように報じている。
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 ◆「喧嘩売るとはいい度胸だ」 NHK・フジに対し
 小西氏は29日、憲法審査会を巡る自身の発言を報じたNHKとフジテレビについて、「(総務省)元放送政策課課長補佐に喧嘩(けんか)を売るとはいい度胸だ」とツイッターに投稿した。「NHKとフジテレビに対し、放送法などあらゆる手段を講じて、報道姿勢の改善を求めたい」とも書き込んだ。
 小西氏は元総務官僚。参院予算委員会では、総務省の行政文書を元に、政府が放送法の解釈を変更してテレビ局に圧力をかけようとしたなどと批判していた。
 自民党幹部は「言っていることとやっていることが真逆だ。報道の自由を巡って批判していた人の言葉とは思えない」と述べた。
--- (3月31日)
 小西議員が、総務相の行政文書を使って、高市氏を攻めたてていたことは、よく知られていることだが、その趣旨は、放送法によるテレビへの圧力を強化した、と批判していたはずであった。しかし、今度は、自分が報道されると、放送法によって圧力を加えるぞ、と脅していることになる。自民党幹部ではなくても、「言っていることとやっていることが逆だ」と思うだろう。
 しかも、別のところでは、名誉毀損の裁判を起こすというのだから、ほとんど公人であることを忘れている。政治家の言動を、批判的に報道することは、報道にとって不可欠ことである。一般市民が、不当に報道されたら、司法に訴え、司法の保護を受けることは、当然の権利だが、国会議員の言動を報道することは、いかなる意味でも規制されてはならないし、また、裁判で敗訴させてはならない。原則として、そうした訴訟は提起できないようにすべきであるといってよい。
 このことは、アメリカでは確立した原則だが、日本では、政治家や表現の自由を標榜するジャーナリストが、名誉毀損の提訴を意思表示することが少なくない。今回も、小西議員が実際に提訴するかどうかはわからないが、もし、実行したら、そのこと自体を強く批判すべきである。
 
 では、何故、政治家は、自分への批判、非難を司法に訴えるべきではないのか。それは、国民の付託を受けて、政治を任されており、その活動は、基本的には、すべて国民に知らされるべきであり、国民には知る権利がある。報道は、その知る権利を十全たるものにするために、必要なものなのである。政治家自身、公表手段をいくらでももっているが、都合の悪いことまで、自分から公表することはないだろう。だからこそ、報道が圧力を受けることなしに、政治家の不都合な真実を報道することが、当然のこととして認められなければならないのである。そうした報道をされても、政治家は、いくらでも反論する手段をもっている。実際に、小西議員は今回、記者たちを招いて、記者会見を開き、そこで、十分に説明している。
 反論手段をもっていることは、ジャーナリストも同じである。
 公人は、名誉毀損訴訟を起こさない政治文化を築いていく必要がある。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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