「心身に大変化「75歳の壁」をどう乗り越える?」という、まさしく75歳にもうじきなる人間として、興味を惹かれる題名の文章があった。
書いた人は西川敦子というフリーライターとなっており、元神戸松蔭女子学院大学教授で中高年のキャリア・生き方を取材し続ける作家・楠木新氏(68)にインタビューした記事である。掲載が3月26日だから、けっこう前の文章だ。すぐに書こうかと思っていたのだが、正直なところ、内容に失望したので、書かずにいたのである。
まずがっかりしたのは、筆者はけっこう若い人であるらしく、教える立場の被インタビュアーも68歳であり、なんで、75歳の壁についてのべられるのか、と感じたからにほかならない。そして、実際に、読んでみても、実に薄っぺらいのだ。こんなことを語る講演会にたくさんの高齢者が集まっているらしいことに、逆に驚いてしまう。
結局のところ、75歳の壁に関して、別に困っていない人は、そのままの生活をして、どのように、今後生きていったらいいのか、明確なものがなく、それをつかみたい人は、自分史を書いて、人生をふり返り、大事なものをそこから見いだしたらよい、というアドバイスが中心だ。そんなことは、75歳の壁に限らず、どんな年齢段階でも妥当することではないか。75歳特有の壁には、まったく触れていないということだ。こんな文章が、毎日新聞に掲載されるというのは、少々驚きである。
では、75歳の壁とは何なのか。もちろん、私自身、高齢者問題の専門家でもないから、科学的な見地を披露することはできないが、ただ、実際に、もうじき75歳になる体感からいえることがある。
ちなみに、私自身は、心身のうち「心」のほうの「壁」は、まったく感じていない。若いころから、10年ごとに、新しいことに挑戦することが大事だと、周りにのべてきたし、また、自分なりにそれを実行している。だから、やることはたくさんあり、時間が足りないくらいだ。むしろ、今年から、大学時代の教授である五十嵐先生の著作集作成に関わるようになって、そうとう忙しい毎日を過ごしている。もっとも、やることがたくさんあるという意味で、忙しいのであって、ほとんどすべてパソコン相手の仕事だから、忙しそうにはみえないかも知れない。
他方、身体のほうは、やはり、変化を感じている。まだ40代だったころ、研究室が相部屋だったので、他の教授たちの友人が、頻繁にやってきて、話をしていくのだが、50代くらいの人が、大学から帰って、さあ仕事をしようと思っても、やはり一休みしなくては、仕事にかかれないんだよね、というようなことをいっていた。しかし、私は、だいたい定年になるまで、大学から帰宅して、すぐ仕事にかかれる状態だった。スポーツ・ジムなどにはいっていて、筋トレなどをしていたこともあるだろう。通勤距離が短いことも有利だった。70歳になったときには、10年単位の新しいこととして、ジョギングを始めた。それはいまでも当然続けている。ただし、退職したために、スポーツ・ジムはやめてしまった。そうすると、ジョギングはしているが、筋トレをやめてしまうと、循環器系、つまり、心肺機能はいいのだが、どうしても筋肉が落ちてくる。そして、筋肉が落ちてくると、どうしても関節に痛みが出てくるのだ。現在、一番の問題は、そうした筋肉の衰えのためにくる、現時点ではそう酷くはないが、関節、特に指の痛みである。そして、この年代のひとは、多くのひとがどこか痛みを感じているのではないだろうか。
2年ほど前に、腰痛が起きたときには、youtubeにたくさんある、腰痛を改善する番組をいくつもみて、実践して、腰痛は完全に改善された。その経過は、このブログに書いた通りだ。しかし、指の痛みについては、youtubeで言われていることを実行してみても、あまり効果がない。チェロを弾いているので、指はかなり酷使している。ただし、左手の指で、右手はむしろ腕を使う。アンバランスなのだ。
テレビやラジオでは、痛みをとめるサプリや薬の宣伝がたくさんある。まだそういうものを試したことは一度もないのだが、実際のところどうなのだろうか。あるいは、医者にいったほうがいいのか。ただ、いろいろと聞く話では、こうした問題で、医者に罹って、はっきりと改善したという話を聞いたことがないのだ。
75歳の壁の「専門家」なら、まずほとんどの75歳に近い人、あるいは超えた人が抱えている、身体の痛み、病気とまではいえない多くの関節の痛みを、どうすればいいのか、そういうことは、必須のことだろう。残念な文章だ。もっとも、中高年以降の、どの年齢についてもあてはまる、「何をやっていいかわかならい」状態の人には、参考になるかも知れない。