伊東乾が「「ゆとり教育」の失敗をチャットGPTで乗り越えろ!」という文章を書いている。
簡単な趣旨は、ゆとり教育は、有馬朗人が、自分が学んだ武蔵高等学校の経験を元に考えだしたものだが、山川健次郎が生徒たちと生活をともにして、教育に心血を注いだ教育とは、まるで違うもので、成功するはずがなかったし、今ではゆとり教育が成功したと考えている人は皆無だろう。しかし、その遅れを取り戻すために、ChatGPTを教育の場で有効に使うべきだ、というものだ。
本筋ではないが、ゆとり教育によって、ノーベル賞を受賞できるような人材は現れなくなるだろうというようなことも書いている。ノーベル賞を受賞した人は、戦前生まれかせいぜい戦後間もなく生まれたひとたちであって、それ以降は、ほとんど生まれていないということもいっている。ただ、この点での伊東氏の論は、まったく賛成できない。戦前の教育と戦後しばらくの教育は、教育的性格としては、正反対、あるいは対立的ともいえるほど異なるものだったのだから、このふたつをくくって、ゆとり教育と対比させることは、まったく歴史的事実と異なっている。むしろ、戦後の教育(1940年代後半)の教育は、ゆとり教育と近いものがあったといえるのである。