「鬼平犯科帳」密偵たちの死4 伊三次

 死んだ密偵として、「鬼平犯科帳」をよく知る人なら、誰もが、何故伊三次がでてこないのか、と思ったに違いない。やはり、伊三次は最後にとりあげる密偵だ。伊三次は、小説でも、ドラマでも、人気のある人物で、伊三次を演じた三浦浩一は、役者人生の半分は、伊三次を演じていたといって、この役を自分の宝と思っていると語っていた。役をもらったときには、まだ原作を読んでおらず、友人から、伊三次は「五月闇」で死んでしまうと教えられ、プロデューサーに「五月闇」はドラマの最後にしてほしいと頼んだのだそうだ。しかし、6シリーズで演じてしまったので、その後は、でないつもりでいたところ、再度出演依頼があったが、断る三浦に、「まだ伊三次が生きていたときの話」というナレーションをいれることで、オーケーしたという。シャーロック・ホームズを殺してしまったコナン・ドイルに、抗議が殺到した、というほどではないだろうが、かなり似たような反応があったのかも知れない。

“「鬼平犯科帳」密偵たちの死4 伊三次” の続きを読む

プリゴジンはバフムトを去るのか

 ロシアの傭兵組織であるワグネルの創設者であり、指導者のプリゴジンが、砲弾が充分に供給されていないことを、以前から述べ、国防相等を非難してきたが、ついに、このままでは闘いを継続することができないといいだし、砲弾の供給がなければ、5月10日にバフムトを撤退する、と公言した。バフムトの戦場近くであると称する場所で、死体が転がっている状況を背景に、彼らは少し前の戦闘で死んだ、弾薬がないからだ、と激怒している映像がネットで出回っている。テレビでも放映されているということだ。
 もちろん、この映像をそのまま受け取るわけにはいかない。バフムトの戦場で撮影しているといっても、本当かどうかはわからない。それに本当の死体かどうかも、確証があるわけでもない。

“プリゴジンはバフムトを去るのか” の続きを読む

高い目標をもつこと(大谷とエル・システマ)

 今日は、普段雑多に考えていることについて書く。
 大谷翔平は、誰にも大きな驚きを与える存在だが、私が最も驚くのは、生活のすべてを野球の向上のために使い、常識的な付き合いすら断ってしまうほどの、ストイックさである。日ハムの新人としてはいったときに、先輩の食事の誘いを断ったとか、それは今年ヌートバーと再開して、食事に誘われたときにも、「寝るから」といって断ったというように、一貫した姿勢であり、ニューヨークで試合のためにいっても、まったく街にでないので、街の印象もないという徹底ぶりだ。それだけではなく、食事も、完全に野球のためのものにして、定期的に血液検査をし、それに基づいて栄養を考えるのだそうだ。味はほとんど気にしないとか。練習方法も、おそらく専門のスタッフがいるのだろうが、二刀流の実現するための必要なトレーニングを開発し、無駄なことはしないのだそうだ。

“高い目標をもつこと(大谷とエル・システマ)” の続きを読む

統一地方選 共産党敗北の原因を考える

 統一地方選挙が終わって、ずいぶん日時がたった。今年のはじめに、松竹問題が起きて、この影響が選挙にどうでるかを注目していたから、やはり、再度考える必要があると思った。
 赤旗のホームページに、選挙結果に対する見解がでている。23日選挙の結果では、91議席減らして、909議席を獲得したということだから、約1割減少したということだろう。前半選では25%減ったということだから、今回の選挙は、かなり大きな敗北ということができるし、また、「多くの候補者を落選させたことは、悔しく残念であり、お詫びを申し上げます」と書かれている。
 敗因としては、野党共闘とロシアのウクライナ侵略を契機とした軍事力大増強という二大逆流に抗することができなかった。また、共産党は異論を認めない党という反共キャンペーンが展開されたこと、そして、志井委員長の言葉では、さらに「自力」が不足していたことを敗因としている。

“統一地方選 共産党敗北の原因を考える” の続きを読む

「鬼平犯科帳」死んだ密偵3

 4人目は、馬蕗の利平治だ。
 利平治は、髙窓の久兵衛という頭の専属の嘗役(なめやく)盗賊だった。嘗役というのは、各地をあるいて盗みの対象になりそうな商家をみつけ、内部の情報を調査して、盗賊にその情報を売りつける盗賊の一種である。本当にそういうひとたちがいたかどうかはわからないが、「鬼平犯科帳」のなかには、たくさんの嘗役が登場し、ほとんどはフリーランスで、複数の盗賊に売っている。だが、この利平治は専属嘗役で、頭に気に入られ、また、頭に絶対的に忠誠だった。しかし、久兵衛が死んだあと、仲間割れがおき、一部が利平治がどこかに隠しているノートを奪う目的で、一緒に旅をしている。利平治は、実はノートを狙われていることがわかっているので、なんとか逃れたいと思っている。しかし、利平治を殺したらノートが手に入らないので、ずっと付きまとっているわけだ。そして、そのとき、丁度熱海に家族や密偵何人かと湯治にきていた平蔵と遭遇し、知り合いの彦十が仲をとりもって、平蔵が護衛をかってでることになる。利平治は、堅気になろうとしている久兵衛の息子に会うために江戸にいくつもりなのだが、息子も何人かの久兵衛の手下に狙われている。平蔵が結局彼らを成敗して、利平治に身分を明かして、放してやるのだが、やがて利平治は自ら出頭し、息子をとらえないという条件で、自分が自首し、ノートを平蔵に渡す。そして、平蔵の説得で、密偵になるのである。「熱海の宝物」という利平治登場の章だ。

“「鬼平犯科帳」死んだ密偵3” の続きを読む

五十嵐顕考察12 陶冶と訓育

 宮原誠一教育論集の月報として書いた「宮原理論の教育学的骨格」という短い文章を読んだ。五十嵐氏が心臓疾患を発症して、入院中に、病室でまったく参考資料のない状態で書いたもので、氏の考えが実に簡潔に書かれている。宮原理論は、知識や教養を高めるための陶冶と規範を自覚させる訓育とが、実践的に結合されている理論であることが、最も重要だという主張である。しかし、それがどのように具体化されるかは別として、その両方が必要であることは、古来誰もが認めてきたことであって、そのこと自体は当たり前のことである。宮原がそれを有効に具体化できたかどうかは、また別の問題であるが、実は、教育制度論からみて、このふたつが必要だということの「制度的実現」は、極めて困難な理論的問題を含んでいる。
 知識や教養を、学校で教える、学ぶことを否定する人はいない。しかし、価値観や規範、道徳について、学校教育の任務であるかについては、多様な見解がある。そして、それは多くの場合、対立的ですらある。
 教育学の多くは、近代社会における、特に義務教育については、世俗性であるべきだと示している。もちろん、「多く」ではあっても、「すべて」ではない。

“五十嵐顕考察12 陶冶と訓育” の続きを読む

「鬼平犯科帳」密偵たちの死2

 今回は雨引の文五郎を取り上げよう。文五郎は隙間風の文五郎というあだ名をもっていて、際立って盗みの技術が高い盗賊だ。隙間風というのは、どこにでも入り込むということらしい。闘う能力も高いが、盗みではけっして殺しなどをしない、池波のいう「本格派」である。しかも、極めて義理堅いといえる。だが、そんなことは、盗賊だからというわけでもないだろうが、相手には伝わっていない。つまり、思い込み、誤解が入り組んで、事態が絡まった展開をしていく。
 
 
ある意味、長谷川平蔵はこの文五郎が気に入っているので、かなり事件が複雑に展開し、裏切られもするが、死んでしまった文五郎を惜しんでいる。2つの話で登場、最後は自害をする。最初は「雨引きの文五郎」という章である。

“「鬼平犯科帳」密偵たちの死2” の続きを読む

藤浪のノーコンは、合理的なトレーニングが確立していないからではないか

 藤浪が先発ローテーションから外れ、リリーフに回されてから、2回出場したが、いずれも、これまで同様の荒れ具合で、ますますひどい評価になっているようだ。高校時代の実績では、藤浪のほうが大谷より上だったのに、この天と地ほどの相違がなぜ生まれたのかは、やはり、人間の成長に関して普段から考えている身としては、興味をもたざるをえない。
 そこで、藤浪にとって屈辱的であり、以後まったく浮上できなくなってしまったきっかけであるといわれる、161球の投球をみてみた。便利な世の中になったもので、この全投球をコンパクトにまとめている映像がyoutubeにある。これは、非常に興味深い映像だった。
 藤浪の球は、映像で見ている限りでも、非常に威力があることが感じられる。そして、まったく打者が手が出ないような球も、たくさん投げている。もちろん、四球はたくさん出していて、死球もあった。とんでもない暴投もある。なにしろ、近年161球も投げさせるようなことは、まずないから、これはかなり貴重な場面だ。8回まで投げているので、普通であれば、6回くらいで交代させている。それを交代させなかった金本監督が、見せしめにしたのだ、とか、懲罰的に投げさせたのだ、とか言われている。金本監督の顔も何度も映されるが、とにかく、厳しい顔つきをしている。確かに、この乱調に怒っている雰囲気が、ひしひしと伝わってくる。

“藤浪のノーコンは、合理的なトレーニングが確立していないからではないか” の続きを読む

「鬼平犯科帳」 密偵たちの死1

 「鬼平犯科帳」には、たくさんの密偵が登場する。実際に長谷川平蔵は、多くの密偵を使っていたとされている。ただ、よく時代劇に出てくる岡っ引きとは違う。岡っ引きも、平蔵の密偵と同じように、どちらかというと反社会的な人物が多かったようだが、岡っ引きは、十手を預かっていて、表向き彼らが岡っ引きであることが知られていた。しかし、「鬼平犯科帳」に出てくる密偵は、そうしたアイテムはまったくもっておらず、外見はまったくの町民である。ただ、事件そのものは、実際にあったものもあるが、個々の密偵は、まったくの作者による創作であると思われる。(もっとも、ある人が密偵になったが、密偵の名簿にその名はない、というような記述があるので、そうした名簿が実際にあるのか、あるいは名簿自体が池波の創作なのかはわからない。)
 小説のなかで、密偵は3類型に分類できる。常時平蔵の命令を受けて活躍している密偵。「密偵たちの宴」に登場する6人である。(彦十、粂八、おまさ、五郎蔵、伊三次、宗平)常時登場するわけではないが、何度か重要な役割でもって登場する密偵。そして、単発的にわずかに登場する密偵である。興味深いことに、理由は多様だが、殺されてしまう、あるいは自害して死んでしまう密偵は、第二グループに多く、第一グループでは一人だけである。そして、第三グループには見当たらない。

“「鬼平犯科帳」 密偵たちの死1” の続きを読む

五十嵐顕考察11 教育費と自由をめぐって

・ 公費支出するのだから、公的機関、つまり国家組織がその使い道を決める必要がある。そういう論理がある。これをどう考えるか。
 
 最後にこの難題に答えねばならない。
 他の領域とのバランスなどを考慮する必要があるとしても、一般的に国民の多くは教育費を増額することについては、賛成すると思われる。特に現代社会では、教育は単に学校にいっている時期だけではなく、生涯必要になっているから、すべての国民にとって当事者性がある。
 
 さて、教科書無償制度が導入されたときに、それまで学校単位で使用する教科書を決めていたのに、採択区という複数の市町村が集まった単位で決めるようになった。最終的には、市町村の教育委員会が決めるわけである。(ただし、私立学校や国立の学校は、学校単位が現在でも継続している。だから、私立や国立では、ユニークな教科書が採用され、話題になることがある。)教育的には、使用する教師が選択するのが最善であるのに、何故行政当局が決定するようになったのか。表向きの理由としては、
・公費を支出するのだから、公的機関が決めるのが当然である。
・専門家が決めたほうがよい判断が可能だし、秘密が守られるので、教科書会社による営業活動(汚職)が防げる。
だいたいこのふたつが説明されていた。教科書関連の汚職は、いまでもときどきニュースになるから、理由にはならないだろう。やはり、中心は、第一の公費だから公的機関、つまり、お金をだす主体が決めるという論理の妥当性である。

“五十嵐顕考察11 教育費と自由をめぐって” の続きを読む