夭折した演奏家 3 ディヌ・リパッティ

 楽器別に選んでいるわけではないが、チェロのデュ・プレ、バイオリンのヌヴーだったので、ピアノはやはりディヌ・リパッティということになるだろう。前の二人と同様に、今でもその早い死を惜しむだけではなく、CDを愛聴しているひとたちが少なくない。なにしろ亡くなったのが1950年だから、70年も前になるのに、新たな人気を獲得しているようにも思われる。しかし、現在現役で活躍している音楽家のほとんどは生まれていないわけで、実際にリパッティを実演で聴いた人は、ほとんどいないだろう。1917年に生まれ、50年に亡くなったルーマニア人である。しかし、後年はルーマニアには帰らず、母親も病気見舞いとして、ディヌが住むスイスにやってきた母親もスイスに亡命したという。共産化しか体制を嫌ったということだろうか。ルーマニアの演奏家は他にクララ・ハスキルやチェリビダッケがいるが、品格のある演奏をする人が多いようにおもわれる。正直なところ、私個人は、ハスキルのほうをよく聴いたし、ハスキルは好きなピアニストだ。ボックスももっている。
 リパッティは、白血病といわれていたが、実際には、ホジキンリンパ腫という病気でなくなったのだそうだ。広義の癌の一種なのだろうが、現在ではかなり治療法が進んでいて、生存率も高くなっている。だから、現在に近い世代であれば、33歳という若さでなくなることもなかったかも知れない。

 
 ここで、リパッティについて書いているわけだが、実は私は、あまりリパッティの演奏を聴いているほうではない。リパッティというと、私が若い頃から既に人気のピアニストで、名盤紹介の本には、シューマンの協奏曲と、ショパンのワルツが必ず推薦されていた。とくに、ショパンのワルツが、最高の名演として高く評価されていたのだが、私は、ついにレコードやCDを買うことはなく、いまでももっていない。たまにyoutubeで聴くくらいだ。そして、何故ワルツをリパッティで聴かなかったかというと、ルービンシュテインのほうを好んで聴いていたからだ。私は、現在でも、ショパンのワルツに関しては、ルービンシュテインが最高だと思っていて、こちらをよく聴く。もっとも、ショパンを聴くのに、ワルツというのも、最近はあまりなく、バラード、ポロネーズ、夜想曲、ソナタのほうを聴きたいほうだ。こうしたジャンルのショパンを、リパッティがもっと残してくれていたら、私ももっとリパッティを聴いたにちがいない。
 ルービンシュテインとリパッティのワルツは、同じ曲でもかなり印象が異なる。私の受け取りだが、リパッティの演奏は、聴くことを強く意識したもので、自由に飛翔するような、しかし、それでいて優雅であり、軽やかな演奏だ。しかし、これはワルツか、という気持ちもおきる。一方、ルービンシュテインのワルツは、いかにもワルツという感じて、これなら踊れるかも知れないというものだ。リパッティの演奏で踊ったら、ワルツではない踊りになるような気がする。ルービンシュテインのワルツは、繰り返し聴いたので、いま聴くと、懐かしさのようなものを感じるのだが、いかにも衒いのない、オーソドックスなものだ。こういうものが、ショパンのワルツなのだ、あまり変わったことなんかしなくてもいい、という感じで、繊細だが、堂々としている。それにたいして、リパッティは、変わったころをやろうとしているのではないが、曲想が自由に羽ばたいていくような感じだ。たしかに、リパッティのほうが、標準的という言葉がぴったりのルービンシュテインよりは、一般に魅力的な演奏とおもわれていたのは、納得もいく。
 
 私がリパッティで惹かれる演奏は、モーツァルトのイ短調のソナタだ。これは、非常によいテンポ、いかにもこうあるべきだというテンポで弾かれており、とても端正な演奏だ。テンポを目立つように揺らすことなく、足どりが確固とした感じであるにもかかわらず、フレーズごとの表情つけが豊かで変化に富んでいる。この演奏が発病後のものかどうかはわからないが、モーツァルトとしてはめずらしい短調の曲で、それにもかかわらず、悲壮感をとくに強調するわけでもなく、強く生きようとする意思の現れのような感じを与えるのである。
 カラヤンとの共演レコードとして有名なシューマンの協奏曲は、当然何度か聴いたが、この曲自体にあまり思い入れがなく、好んで聴く曲ではないので、特別な感想はない。むしろ、どういう経緯でカラヤンとの共演になったのか、実演でも共演したのか、というようなことが気になるが、そこらのこと、私にはわかっていない。フルハーモニアは、レッグのオケで、カラヤンはレッグの計画にのって録音をしていた感じなので、レッグの提案かもしれない。ただ、カラヤンはこの時期、フィルハーモニアのオーケストラではギーゼキングとの共演が多く、なくなってしまったことが原因だろうが、リパッティともっとたくさん共演していたらとおもうと、残念だ。
 
 リパッティが、後代語られることが多いのは、やはり、ブザンソンでの最後の演奏会の故もあるのではないだろうか。この最後の演奏会、つまり、これ以降は演奏する体力が残っていなかったということだが、最後に予定されていた曲を、体力的にとても弾くことができないと考えたリパッティが、かわりにバッパを弾いたことが、語り種になっている。そうした事情は、聴衆もわかっていたわけで、ライブ録音もあり、それが、若くしてなくなった悲劇のピアニストのイメージを拡大させたようにおもう。ただ、私は、その録音を聴いたことがなく、純粋に通常の活動をしていたリパッティを聴きたい。いままで聴いたことがないものを、今後可能なら聴いてみたいものだと思っている。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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