夭折した演奏家2 ジネット・ヌヴー

 ヌヴーは、デュ・プレよりもっと若い演奏家で、飛行機事故で30歳でなくなった。今では飛行機事故は滅多にないが、第二次大戦後間もなくの頃は、けっこう事故があり、しかも、当時飛行機に乗って移動する人は、ごく限られた人だったから、有名人の飛行機事故死がけっこうあるのだ。ティボー(バイオリニスト)やカンテルリ(指揮者)などが、音楽家では飛行機事故でなくなった。ヌヴーが事故にあわず、そのまま順調にキャリアを積んでいくことができたら、おそらく、世界最高のバイオリニストになっただろうともいわれている。少なくとも、トップスリーになったことは間違いない。なにしろ、戦後の世界トップ奏者の一人だったオイストラッフを、コンクールで破っているのだ。オイストラッフは、既に26歳で、それまでに数々のコンクールで優勝しており、実際に既に確固たる地位を築いて、バイオリニストと活躍していた。おそらく、最後に大コンクールで優勝して、プロとしての活動に専念していこうと思っていたにちがいない。しかし、まだ15歳だったヌヴーが、オイストラッフを抑えて優勝したのだ。しかも、オイストラッフ自身が、自分が2位であったことに不満をもたず、ヌヴーの演奏に感動したとされている。1935年のことだ。そして、ただちに演奏家としての活動を開始して、あちこちに演奏旅行にでかけている。そして、亡くなるまでに、CD数枚分の録音をしたとされる。

 
 このコンクールには、また別の逸話もある。ヌヴーは母親からバイオリンを教わったのだが、あまり裕福ではなかったようで、当時ヨーロッパで最高のバイオリン教師といわれたカール・フレッシュが、ぜひ私のところに学びにきなさいというのも、なかなか費用的にいけなかったのだそうだ。そして、いよいよ、習うことになったのだが、あまり教えることもないということだった。そして、1935年のヴィニアエフスキー・コンクールが近づいたとき、当然出場するものと考えたフレッシュが、そのことを確認すると、ヌヴーは寂しげに否定した。つまり、コンクールにでるための費用を捻出できそうになかったので、諦めていたようだ。びっくりしたフレッシュは、彼が費用をだし、そして、ストラディバリウスのバイオリンをコンクールで使うように、貸与して、無事コンクールに出場でき、そして、優勝したのである。有名コンクールで一位になったからといって、皆が大成するわけではないが、ヌヴーの優勝は、コンクール優勝のなかでも、とくに有名なものだ。なにしろ、15歳の無名の少女が、既に有名なバイオリニストとして活躍しており、戦後はハイフェッツと並び称せられる巨匠になった、10歳も年上のオイストラッフを見事にやぶり、しかも、若いから優遇されたわけではなく、文句のない優勝だったからだ。
 
 亡くなったのが1949年であるから、まだ、録音の主流は、SP録音であり、ぼちぼちLP録音が登場したが、当然モノラル録音で、ステレオ録音などは、まだずっとあとのことだ。だから、彼女の録音は、音が古い。しかし、ヌヴーがいかに優れたバイオリニストであったかは、すぐに感じられる。ヌヴーの魅力は、演奏に向かう気迫が尋常ではなく、自分の全存在をぶつけるような演奏をする。そして、歌うときには、徹底的に歌いぬく。とくに有名な録音は、イッセルシュテットが指揮をしているブラームスのバイオリン協奏曲だ。(youtubeで聴くことができる)ブラームスの協奏曲は、好きだったのだろう、いくつもの録音がある。といっても、その多くは放送音源である。だから多くはライブ録音ということになる。
 このブラームスでは、しばらくオーケストラが主題を提示したあと、バイオリンがはいってくるのだが、そのときの鬼気せまるような迫力に、まず圧倒される。1948年の録音なのに、彼女のバイオリンの音色の魅力は十分に伝わる。SP録音や初期のLP録音では、声の録音状態は、とても歌手の魅力を伝えるようなものではなく、薄っぺらい声になってしまうのだが、バイオリンは、十分に聴ける音で録音されていることが多い。当時の録音技術者にとって、バイオリンが一番録りやすい音だったのかも知れない。だから、古い録音だが、ヌヴーの演奏は、決して聴きづらくないし、たっぷり歌うようなところも、十分にその表情が伝わってくる。とにかく、演奏への没入度がすごいのだ。
 
 私が小さいころは、家にはSPレコードがあって、それを聴いてそだった。主に、ワルター、トスカニーニ、フルトヴェングラー、クライスラー、フーベルマンというような大家の演奏だった。そのうち、LPレコードになり、あまりバイオリンは聴かなくなり、指揮やオペラに興味が集中した。だから、ヌヴーをたくさん聴くというようなことはなかった。ただ、いつかは覚えていないのだが、おそらく、高校生のときだろう、ヌヴーのシベリウスの協奏曲を、ラジオで聴いて、強烈な印象をうけたことは、いまでも覚えている。やはり、表現の強さに驚いた。そして、そのとき、飛行機事故で若くして亡くなったことを知ったと思う。戦後、優れた女性のバイオリニストはたくさんでたが、ヌヴーのような強烈な個性で、気迫あふれる演奏で惹きつける人は、あまり見当たらない。ムターは、格調の高さが魅力だし、五嶋みどりは、激しさよりは、とくに近年は沈潜していく深みが目立つ。ブラームスの協奏曲に限っては、ユリア・フィッシャーが近い雰囲気かもしれない。(ウェルザー・メスト、クリーブランドとの共演)
 いずれにせよ、ヌヴーの存在が忘れられることはない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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