部活の地域移行問題

 教師不足を改善するために必須なこととして書くつもりだったが、「部活動は「本当に地域移行できるのか」問題のカギ 教員の「善意・ただ働き」という前提から脱却を」という記事が出され、部活の地域移行の難しさについて書かれているので、そこに絞って書くことにした。
 
 教師不足の改善に必須なことは、第一に教師に対する行政側の教師侮蔑的政策をやめることを前回書いたが、あとは具体的に、教師にとって、必須とはいえない、過剰な労力を必要とする仕事をやめることである。そして、その第一候補が部活に他ならない。部活指導をやめるのではなく、部活そのものを廃止するということだ。部活指導を地域の指導者に移管するなどという中途半端なことは、さまざまな部活問題を解決することにはならないし、また、教師の過重労働を改善することにもならない。

 部活に対する批判が強くなった結果として、文科省は、部活の地域移管を推進することにして、いま進行中だ。しかし、それはなかなか難しいようだ、というのが、この記事である。
 
 しかし、地域移管ということについて、そもそも疑問がある。地域移管が最終的にどうなるのかわからないから、断定はできないが、私の受け取りでは、部活を今は学校の指導の一環として行われてきたのを、地域に移すということははっきりしているが、部活の枠組みを残して、指導や管理を地域に移すのか、あるいは、部活の枠組みを解体して、まったく別の論理でのスポーツや文化活動の単位をつくるのかが、実は明解ではないように思うのである。
 もし、部活の枠組みを残して地域移管するだけなら、部活問題を解決することにはならない。指導者が地域の人になるとすれば、たしかに教師の負担は軽くなるが、しかし、部会問題は、顧問の教師の労働過重問題だけではないからである。そもそも、現代社会おけるスポーツや文化活動として、学校単位で行われることに、無理がある、昔はそれでも仕方なかったが、現代では、さまざまな不都合が生じている問題がある。
 
 これまでも、ここで何度か書いてきたので、繰り返しになるが、現在の部活動の問題として、教師の過重労働以外にどのような問題があるかをもう一度整理しておく。
1 部活は学校単位で行われるために、ひとつのスポーツにひとつの部活があり、同じスポーツでたくさんの部活があるという状態は、大学以外には無理である。しかし、同じスポーツをやるにしても、経験者や初心者、将来アスリートになりたい人と、楽しみとしてやりたい人、等々、さまざまなかかわり方の希望があるし、また、実力も幅がある。だが、学校の部活は、それらを無視して、ひとつのパターンでのやりかたになる。強豪校というところでは、経験者が中心で、高度な練習をする。だから初心者は、活躍の場はほとんどない。逆に初心者が圧倒的に多いと、経験者やもっと厳しい練習を求めたい人にとっては、まったく物足りないものになる。
2 ひとつの学校に設置できるスポーツの種類にはかぎりがあり、現代では実に多様なスポーツが存在するのに、対応できないスポーツがたくさんでてくることになる。そうしたスポーツをやりたい者は、部活ができないことになる。
3 ひとつの学校にさまざまな部活がある以上、同じグラウンドで複数のスポーツが、同時に練習することになり、危険である。
 
 以上のような問題が部活にはあるのだ。私が接した大学の学生で、かなり厳しいスポーツ系の部活にはいっている者は、現在の部活では、アスリートとして活躍できる人材を育てることは難しいと語っていた者が何人もいた。
 実際に、オリンピックにでる人のなかで、学校の部活で育ったという人は、実は意外に少ないのである。水泳で活躍している者は、ほとんどが地域のスイミングクラブ出身であるし、サッカー選手もそうだ。つまり、学校に部活として水泳部があっても、水泳部からは育っていかないのである。学校のプールは、温水プールではなく、一年のわずかな期間しか泳ぐことができない。そのようなところでは、精一杯水泳をやりたい人が満足できるはずがない。また、ゴルフ部とか、スケボーなどの部活は、公立中学に存在しないだろう。
 まだ逆の意味で、部活が危険な場面があることを重視せざるをえない。端的な例だが、柔道部は大きな事故が多い部である。それは、柔道を本格的にやるものは、小さい頃からやっていて、中学の部活では、当然中心的存在になる。しかし、部活である以上、まったくの未経験者も入部する。そして、一緒に練習するわけだ。経験者だが、指導者ではない先輩が、初心者にたいして無理な技をかけて、大きな怪我をさせる事故が、中学の柔道部ではけっこうあるのだ。これも、全員がひとつの部活にはいっていて、一緒に練習することの弊害である。
 
 さて、上記の記事を読んで気になったのは、部活での練習が厳しく、教師の過重労働を防ぐために、部活の時間を制限したり、練習日を限ったりすることが行われているが、それを地域移行した場合にも、適応させるべきだというような意見が書かれている。こうした見解をみると、やはり、部活をその枠組みのままで、指導や管理を地域移行させる、かかわりたい教師は指導者になってよい、というような雰囲気を感じるのである。
 しかし、学校で行っているから、時間制限をせよ、とか、練習日は週3だ、というような話がでてくる。教師の労働にかかわるからである。しかし、スポーツや文化活動は、将来その道に進みたい者も、あくまで趣味としてやりたい者もいる。将来プロのアスリートになりたいと思って練習している者に、週3だなどということを強制するのは、まったく筋が通らない。そういう者は、毎日練習したいだろう。しかし、週1でいいと思っている者もいるだろう。地域のクラブに移行させるということは、それぞれ練習の方法や量が多様であることを実現し、それを自分にあったクラブを選択できるようにすることが大切なのである。将来オリンピックでメダルをとりたいものは、毎日練習することが可能にすればよいではないか。それは、まだ子どものやりかたではない、勉強も大切だ、などといって制限するのは、伸びることを抑圧しているにすぎない。
 
 もうひとつ気になったのは、地域移行だと、コーチへの謝礼が必要となることに対する抵抗感の問題である。これはこれで重要な問題なので、次回とする。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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