関係ないことから書くが、昨日は五十嵐著作集の編集委員会で一日でていた。だから、このブログを書く時間がほとんどなかった。しかし、毎日書くというノルマを課しているので、結局、電車のなかとか、昼食を食べているときに、カフェに陣取って、スマホで書いた。実はスマホで文章を書くのは初めてだった。以前、ゼミの学生で、通学の電車の行き帰りで卒論をだいぶ書いた者がいて、そんなこと可能なのかと思っていたが、スマホの日本語入力は、私がパソコンで使っているものより、何倍も優れていて、長めの文書を書いていると、入力の途中で、どんどんそのつもりの変換が示されて、速く書くことができる。もちろん、パソコンには及ばないが、意外と書けるものだとおもった。
さて、戦争責任論についての続きだ。五十嵐は、終戦後1年後に、帰国している。だから、東京極東軍事裁判などの進行はリアルタイムでみることができたから、はっきりと知っていたとおもわれるが、東京裁判についての言及は、私がこれまで読んだなかでは、ほとんどない。逆に、東京裁判に充分意識がいかなかったことを反省しているくらいだ。前回書いたように、日本に対して行われた裁判については、学徒動員されて処刑された木村がほとんど唯一の関心で、五十嵐が言及した「わだつみ」関連の戦死者のほとんどは、戦死ないし野戦病院での病死である。