スポーツマンシップは死語に? 全仏テニスの裁定

 大学院時代からしばらくは、近くのテニスクラブやテニスコートでテニスをしていたので、4大大会などをテレビでよくみていたが、転居してからすっかりテニスからは遠のいてしまった。だから、あまり見なくなっていたが、全仏の加藤失格問題には驚いた。ダブルスの試合中、相手側にボールを返したときに、そのボールがボールガールの頭部にあたって、審判は警告をしたのだが、相手の選手が、それに対して抗議をして、ボールガールが泣いている、そして血がでていると主張して、結果的に、加藤組が失格になったというものだ。日本での報道だから、すべて正しいかどうかはわからないが、その処分に対して、猛烈な抗議が寄せられ、テニス協会も処分の撤回を求めているし、本人も訴えているという。この場合の撤回を求めている処分とは、それまでの全仏での勝利による賞金と獲得ポイントを没収するというものだ。試合を再度やりなおすというのは、非現実的なのだろうが、獲得賞金とポイントはもとに戻すことができるから、当然の主張であろう。
 
 多くのひとと同じことになるだろうが、驚いたことが3つある。

1 審判が警告をして、決着がつきそうになっていたのに、相手の選手たちが、猛然と抗議して、試合相手を失格にさせたということだ。映像を探したのだが、見つからなかったので、映像での確認はしていないのだが、試合に勝ったことになって、ほくそ笑んでいたなどという書き込みもある。その真偽はさておき、あきらかに故意ではないし、それほど強いボールをうったわけでもなく、むしろ、ボールガールの不注意であたってしまったのだろうから、そうした抗議には、強い違和感をもつ。昔なら、スポーツマンシップに反する行為として、本人たちが思い止まったに違いない。
2 審判とさらに上位の監視役が協議してきめたようだが、その際、加藤らは、映像をみて、確認してほしいと要求したのに、それにはまったく応じず、ボールガールが泣いているということを理由として、失格にするということだけを述べたというのだ。かなり重大なペナルティを課すのだから、映像を確認すべきだ、という当たり前の要求をはねつけるというのは、理解しがたいところだ。
3 ボールガールの対応も不可解である。もちろん、泣いた理由が明らかになれば、異なるだろうが、それにしても、ずっと泣き止まなかったというのは、ボールガールとしてどうだろうか。あのようなグランドスラムの大会のボールボーイやボールガールというのは、普通の子どもがなるわけではなく、テニスを普段やっているだけではなく、将来プロになりたいと思っているようななかから選ばれるのである。世界のトップ選手を間近に試合中みられるのだから、そうしたテニス少年・少女にとっては、またとない勉強の機会なのだ。だから、応募者たちもたくさんいる。当然、普段から、テニスのボールが身体にあたるなどということは、よくあるはずで、軽く返球してきたテニスのボールがあたったからといって、そんなに泣くほど痛いと感じるはずがない。泣いたとしたら、ボールガールが球を受けられず、頭にあててしまったということの恥ずかしさだったのではないかと思うのである。そもそも、ボールガールの仕事は、相手コートにいった球がかえってくるのを、捕球したり、コート内にあるボールをとりにいって、サーバーにわたすことだ。だから、同時にはどんなに多くても4つぐらいのボールの状態を把握していればよく、それをひとつひとつ処理すればいいのだ。だから、返してくれたボールを頭にうけてしまったことは、ボールの行方を見失っていたことになり、要するにおおきなミスをしたことになる。
 ボールが頭にあたっても、対して痛くはないはずだし、さらに、血が出るなどということは、ほとんどありえないことだ。写真でみる限り、血などでていない。
 ボールをあててしまって、加藤はすぐに彼女に謝ったそうだ。だから、加藤に対して、不快な感情をもちつづけて、それが原因で泣き続けたとは、とうてい思えないのである。善意に解釈すれば、自分のミスによって、大会が大混乱になってしまったことの驚きで、感情を抑えることができなくなってしまったということではないだろうか。
 それにしても、泣いていることだけを根拠に、失格だけではなく、賞金やポイントの剥奪までしてしまう、ということは驚き以外のなにものでもない。
 
 同じ全仏だと思うが、ウクライナの選手がロシアの選手と試合後の握手をしなかったことで、非難されたことがあったが、私は、ウクライナの選手の態度は、仕方ないと思う。あれほどひどい侵略戦争をしかけてきている国のひとと握手などできるだろうか。自分の家族が殺されているかも知れないし、また、そうでなくても、知人で殺害されたものは複数いるに違いない。ロシアの選手を参加させないことに、私は同意するが、参加を認めたとしても、他の国の選手に対してはともかく、ウクライナの選手には、ロシアの選手と通常の礼儀をかわすべきだとするのは、酷だというべきだろう。ロシアが侵略を開始したころ、音楽の世界では、ロシア人に対して、ロシアの侵略に対する「見解」を表明することを求め、反対しない場合には、呼ばないという措置をとった国が少なくないが、スポーツでは、その点はもっと「寛大」だったのだろうか。もちろん、競技にもよるのだろうが、スポーツこそ、より厳しい対応を、侵略者とその国のひとに対してとるべきではなかろうか。なぜなら、スポーツは芸術よりも、国威発揚の手段となる度合いが濃いからである。そして、選手には、かならず「国籍」がついてまわるからである。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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