オリンピックのボクシングの性別問題を考える

 パリオリンピックが開催中であり、さまざまな議論がなされているが、大きなひとつが、女子ボクンシグにおけるふたりのトランス・ジェンダー選手の問題であろう。世界選手権では、男性だと判断されて出場を認められなかった二人の選手が、パリオリンピックでは、パスポートに記された男女別によって認めるという形で、出場が認められ、イタリア選手が、かつて経験したことのない強力なパンチを受けたとして、途中棄権する事態になった。

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「鬼平犯科帳」殺人者となった武士の処遇

 鬼平犯科帳の魅力のひとつは、人間を単純なパターンに押し込めない点である。人は悪いことをしつつ、善いことをする、善いことをしながら、悪いことをする、善人と悪人の差は紙一重だというのが、基本にある。だから、盗賊であっても、許して密偵にする場合もあるし、容赦なく磔の刑にしてしまう、あるいは切り捨てる場合もある。
 そして、自分の部下も悪事に染まってしまう例がけっこうある。その事後措置はけっして一様ではない。

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オペラの筋を転換させる重唱

 前に「美しいメロディー」をあげたが、その多くはオペラのアリアだった。西欧クラシック音楽の最も魅力的なメロディーはオペラにあるのは、オペラがしめている位置から当然のことなのだが、ただ、オペラの最大の魅力は、実はアリアではなく、重唱にある。名曲オペラの、音楽的に最も素晴らしい場面は、大抵アリアよりは、何人かがやりとりをする場面であることが多い。
 今回は、そうした音楽的な魅力にあふれた重唱の場面を選んでみた。その条件として、更に、その場面で大きく筋が転回すること、そして、それが主に歌の内容になって起きることという条件で考えてみた。

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北海道旅行4 道路

 
 事前にいわれていたことは、北海道の道は走りやすいが、ついついスピードをだし過ぎて、警察に捕まることが多いので要注意ということだった。ただ、走りやすいことは事実だったが、大都会はまったく避けていたためか、警察に出あうことはほとんどなかったし、捕まっている車を見たのも一度だけだった。捕まった原因がスピード違犯だったかどうかはわからない。
 ただ、走っていていくつか気がついたことがあったのでそれを書くことにする。
 この旅行で始めてみたと思ったのは、信号の名称のつけかただ。通常は地名にちなんだ名前が信号名になっているが、帯広では、東西南北にわけた位置を示す名称になっていたのだ。写真では「西2南10」となっているが、これがそのまま西に移動すると次の信号は「西3南10」となる。他の地域でもみたが、帯広は宿泊した市街地としては大きいほうだったので、この信号名称が広範囲につかわれていて、便利に感じた。北海道は人工的に建設された市街地が多いせいか、こうした碁盤の目上のつけかたが可能になるのだろう。

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北海道旅行3 自然

 北海道に旅行にいく人の多くは、自然を堪能しようというのが目的だろう。首都圏で育ち、生活している身としては、やはり、北海道の自然は、雄大で見応えのあるものだった。日本のなかでは、北に位置するからヨーロッパの風景に似ていると感じさせるところな多々あった。今回の主な訪問先は東部だったが、函館から車で一気にいくのではなく、途中一泊しようということで、帯広に宿をとった。
 そして、まず訪問したのが、真鍋庭園だ。ここは明治期に香川県から移住した真鍋佐市氏が林業を始め、代を重ねるたびに形態や樹木が拡大され、1960年代に一般開放されるようになった。ヨーロッパ風庭園と日本庭園が共存する珍しい提案とされる。庭園といっても、本州の観光地でみられるものと比較して、面積が格段に広く、順路に従ってみていっても、けっこうな時間がかかる。

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北海道旅行2 史跡

今回は歴史的遺跡を中心に書くことにする。
 ただし、最初は途中のことで、八幡平の次の宿泊地である三沢のことだ。三沢では夕食を予約していなかったので、ホテルの人にスーパーマーケットを教えてもらって買い出しに。すると、とにかくものすごい爆音がひっきりなしに聞こえる。三沢基地の戦闘機の音だろう。通常の飛行機の音とは明かに違う。こんな音を日常的、かつ継続的に聞かされるとなると、本当にたいへんだと思う。道々妻と話すが、爆音のときには、全く自分の話し声すら聞こえない。しかし、更に驚いたことに、ホテルに帰って部屋に入ると、まったく聞こえないのだ。ここまで防音設備の性能がいいのかとびっくりした。最近騒音訴訟をあまりきかないのは、防音設備の深化が、騒音被害を緩和しているからなのだろうか。だが、外を歩いている限りでは、絶えがたいほどの爆音だったことは間違いない。

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北海道旅行1

 5月末から6月始めにかけて、10日ほど北海道旅行にいっていた。もっとも、通常であれば飛行機で札幌あたりに飛び、レンタカーで北海道を廻るということだろうが、車ですべての行程をこなした。妻には「変だ」とか「無駄だ」とかいう声があったらしいが、私は、そういうことを誰にもいわなかったので、いつもと変わらず、長距離ドライブ旅行をしてきた感じだ。一番遠くは知床半島だった。
 通常の旅行記を書くのは、不得手なので、特に感じたことを、いくつか書いておきたい。 “北海道旅行1” の続きを読む

途上国からの脱出3

 入学試験があるのは当然だという思い込みともうひとつ思い込みは、学校の単線型体系が民主主義的であり、複線型体系は非民主主義的であるというものだった。これは、いまでもそのように考えている民主主義者が多い。特に日本では1960年代に高校の多様化路線が打ち出されて、職業高校を多くつくり、早めに就職させる、大学などに進学するのは無駄だという特に財界の意志が、教育に反映したものだ。しかし、明かに、成績のよい者が普通科に進学し、成績の悪い者が職業科に進むという、大体においてそうした傾向があったことと、その後社会が高度化して、大学卒業生が就職の基礎資格のようになると、大学進学に有利な普通高校をほとんどの中学生が求めるようになって、現在では圧倒的に普通科の高校が多くなっている。こうした中で、普通高校と職業高校を格差をもって構成すること、そして、それ以外の高専など、学校体系を複線型にすることが、民主主義的でないと考える人が多いわけである。 “途上国からの脱出3” の続きを読む

途上国からの脱出2

 前回、教育の分野では、とにかく入試を廃止と提起した。
 いや入試こそ、能力主義が実施されていて、入試をやめたら、青年は勉強しなくなるし、競争もおこなわれず、能力が評価されなくなるのではないか、という疑問が生じるかも知れない。
 しかし、入試こそ、若者を勉強嫌いにするものであり、かつ能力を正当に評価しているものでもないのである。入試競争を梃子にして、子どもたちを勉強に駆り立ててきたのが、日本の教育の特徴であるが、現在は大学ですら、とくに選ばなければ必ず入れる大学全入の時代になっている。だから、一部の超難関大学以外は、それほど勉強しなくても入学できる時代である。だから、私が大学に勤めていたときにも、高校時代とにかく勉強に明け暮れた、などという学生はほとんどいなかった。むしろ高校生活を謳歌していた者が多い。だから、大学にはいっても勉強しない学生はいるが、逆に、大学にはいって、好きな勉強分野を見つけると、一生懸命勉強し、その面白さに気付く者も少なくないのである。 “途上国からの脱出2” の続きを読む

途上国からの脱出1

 先進国を脱落して、途上国なみになってしまった日本は、どうやったら脱却できるのか。最も、世界帝国から脱落して、かつてのような影響力をもてなくなったイギリスのように、老熟した国家として生きていくという手もあるかも知れない。しかし、やはり、それなりの力がなければ、成熟した状態を保つことも難しくなっていくに違いない。
 私が考えることの基本は、「能力主義」を社会のなかに貫徹していくことだと思っている。尤も能力主義などというと、私のような教育学者の間では、驚かれるに違いない。というより、反発されるだろう。というのは、リベラルな教育学では、能力主義こそ、日本の教育を息苦しく、子どもたちを圧迫してきた元凶であると理解されてきたからである。
 私自身、団塊の世代だから、日本の歴史のなかで空前の受験戦争にあった世代である。なにしろ同世代人口が極めて多く、まだ大学進学率などは低かった時代だが、それだけ大学の数も少なく、苛烈な競争があったわけだ。そして、そうした競争を強いることで、人材育成しようとしたのが当時の政策だった。そのなかで、競争主義=能力主義と解釈され、能力主義は否定の対象となってきた。 “途上国からの脱出1” の続きを読む