youtubeを見ていたら、たまたま「初心者のための5つのオペラ」という番組があったのでみてみた。早口の英語だったので、詳細は聞き取れなかったのだが、もちろん曲目とその主要な魅力の説明はわかった。その選択は、非常に納得がいくものだったが、「初心者」とは何かというのが気になったので、それを考えてみたいと思った。
まず紹介されていたオペラは、順に
1 ラ・ボエーム(プッチーニ)「私の名はミミ」の場面が流れた。
2 カルメン(ビゼー)「ハバネラ)
3 魔笛(モーツァルト)「夜の女王のアリア」
4 椿姫(ヴェルディ)「乾杯の歌」
5 セビリアの理髪師(ロッシーニ)「なんでも屋の歌」
というものだった。作曲家一人につき一曲という配慮かも知れないが、あえていえば、5番目にモーツァルトの「フィガロの結婚」をいれてもいいとは思うが、だいたい妥当な選曲だろう。 “初心者向けのオペラ?” の続きを読む
東京の高校からノーベル賞ができないわけ
ノーベル賞を久しぶりに日本人が受賞したが、面白い記事があった。なぜ、東京の進学校から受賞者がほとんど出ていないのかという記事である。「「大学は圧倒的に東大・京大だが…」ノーベル賞受賞者28人のほとんどが“地方の公立高校”出身である理由 なぜ東京の高校から“圧倒的才能”が輩出されないのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4058cd8381b239d2bf03f010f63df24ff0726549#:~:text=%E3%80%8C%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%80%8D%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE,%E8%80%85%E3%81%AF%E3%81%9F%E3%81%A01%E4%BA%BA&text=%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E5%AE%9F%E3%81%AF,1987%E5%B9%B4%EF%BC%89%E3%81%9F%E3%81%A01%E4%BA%BA%E3%80%82
けっこう長い記事だが、簡単に要点をまとめると、東京の公立名門校や私立の難関校などは、効率的な学習をしているからで、ゆったりとした教育が行われている地方の学校が受賞者を輩出しているというのである。 “東京の高校からノーベル賞ができないわけ” の続きを読む
オザワキネン音楽祭の継続は
サイトウキネン音楽祭には、以前何度か聴きにいった時期がある。ロ短調ミサ、ファウストの拷罰、オペラ夕鶴、ベートーヴェンの5番などだった。ロ短調ミサとファウストの拷罰は、リハーサルと本番両方を聴いたので、とても印象に残っている。ファウストの拷罰では、出だしのビオラの音の美しさにびっくりしたものだ。
ところが、小沢征爾が亡くなったことで、俄かに音楽祭自体が危機に瀕しているようだ。現在では、オザワキネン音楽祭ということになっているようだが、サイトウキネンを小沢が担ったような指揮者、指導者がいないということが、最大かつ唯一の理由といえるだろう。サイトウキネン音楽祭は、世界的な音楽祭ではあるが、他の世界的な代表的な音楽祭と比較すると、いかにも特殊な、ぜい弱な音楽祭であるといわざるをえない。 “オザワキネン音楽祭の継続は” の続きを読む
高市氏の自民党総裁当選を考える
自民党総裁選で高市氏が当選して、おそらく内閣総理大臣にも選出されるだろう。なぜ、高市氏が当選したのかという政治的な分析は、私にはできないし、多くの人がだされているので、そちらにまかせるとして、この間の選挙報道に関連して、いくつか感じたことを書いておきたい。
まず、第一に、最近あまり見ないのだが、youtubeの「一月万冊」では、何人かがそれぞれ語っていたのだが、私の見たかぎりでは、すべての人が、高市当選は絶対にありえない、状況からみて「ない」と断言していたことである。とくに、佐藤章氏は自信満々の調子で、自分の収集した情報では、「ない」と何度も語っていた。さまざまな情報をみると、小泉有利だが、高市が追い上げているということもずいぶんいわれていた。それなのに、「一月万冊」では、「情報から判断して」という形で予想していたのである。 “高市氏の自民党総裁当選を考える” の続きを読む
宅配は置き配を原則に
最近は宅配を利用することが、どの家でも多くなっているに違いない。我が家でも、かなり頻繁に利用している。そのとき、いつも思うのが、不在のときの措置だ。これは受け取り側も届け側も同様に重要だろう。以前は、不在のときには、荷物を持ちかえって、後日配達か、あるいは受け取り側から連絡して、可能な時間を指定するということが多かった。JPの場合は、私は後日自分で郵便局に取りにいく。 “宅配は置き配を原則に” の続きを読む
高校の授業料無償化を考える(4)
しばらく間があいてしまったが、今回はこのテーマによる最終回である。
私立学校と公立学校の関係が、これまでの、そして多くの国でそうであるように、公立学校は国家の設置する学校で、万人用の教育を行い、私立は公立学校とは異なる教育を行うための、特別の学校であって、公立は国家によって費用が賄われ、私立は利用者が負担するというシステムである。現在の日本に限らず私立学校に公費補助がなされる国も少なくないが、しかし、まったく平等というのはオランダに限られる。
では、どういう関係が好ましいのか。 “高校の授業料無償化を考える(4)” の続きを読む
ショルティ・シカゴのマーラー5番
ちょっと風邪気味で寝ていたのだが、youtubeを見ていると、偶然ショルティ指揮のシカゴ交響楽団によるマーラー5番の映像が出てきたので、全部聴いてしまった。寝ながらのイヤホンなので、音はまったくよくなかったが、いろいろと興味深いものだった。
半月ほど前に、私が所属する市民オケでもこの曲を演奏したのだが、練習の合間に話題になったのは、第3楽章でソロのホルンが目立つにような位置取りをして演奏するのが多いが、いつからそうなったのだろうか、ということだった。私がライブのこの曲を4、5回聴いていたのだが、80年代以前で、ずいぶん前のことで、ホルンを立たせたり、前にだしたりはまったくしなかった。私が知っているかぎりでは、ラトルがベルリン・フィルの音楽監督になった最初の演奏会で、マーラーの5番を演奏したのだが、そのとき3楽章でホルンの首席を協奏曲のソロの位置、つまり指揮者の横に立たせて演奏させていたのが、最初であった。その映像をみてびっくりした記憶がある。その後、前に立たせることはあまりないとしても、特別な位置にたって演奏するのは、なんども映像でみた。私たちの演奏会では、座って演奏したが、それでも、時間をとって、木管のフルートの位置あたりまで出てきて、特別感をだしていた。 “ショルティ・シカゴのマーラー5番” の続きを読む
アドバの「フィガロの結婚」ライブ映像がついにBDに
予約注文していたアバド式の「フィガロの結婚」のブルレイ・ディスクが今日届いた。これはずっと発売を待っていた映像だった。HMVの書き込みでも、要望として書いたことがあった。おそらく、私と同じように発売を渇望していたひとがたくさんいたに違いない。LDで発売されたのをずっと見ていたのだが、DVDやBDではまったく発売されないできた。1991年のライブ映像だから、すでに30年以上たっている。不思議なことに、ドイツ・グラモフォンからコンプリートまででており、また映像ソフトも多数でているのに、なぜかモーツァルトのオペラ映像は、これまでまったく出ていなかった。ドン・ジョバンニは2種類の映像があるし、コジ・ファン・トゥッテ、魔笛も映像がある。テレビでの放映はされているのだから、発売をアバドが許可しなかったとも思えないのである。 “アドバの「フィガロの結婚」ライブ映像がついにBDに” の続きを読む
火葬場のこと
今日の羽鳥モーニングショーで火葬場問題をやっていた。東京23区の火葬場は公営が2つのみで、あとは民間だというのだ。そのために、他の通常の公営に比較して火葬費用が非常に高い、小池知事がなんとかすべきという方針をだしたということで、火葬場の現状について、議論をしていた。アメリカの葬儀などと比べると、日本は非常に複雑な構造をもっていることが、再認識される。ドラマや映画の話なので、どこでもそうなのかはわからないが、アメリカの葬儀というと、土葬される場所に、神父(牧師)がきて祈り、そして、設定された場所にお棺ごと埋められるという場面がほとんどだ。 “火葬場のこと” の続きを読む
東京交響楽団のマタイ受難曲を聴く
今日、東京交響楽団によるバッハ「マタイ受難曲」を、ミューザ川崎コンサート・ホールで聞いてきた。2時開始で終了が5時半という、オペラなら普通だが、合唱曲とはいえ、定期演奏会としては、異例の長時間の演奏会だった。ミューザ川崎は、初めていったのだが、以外と便利なので、これからもたまにいくかも知れない。このホールは、響きのよいことで有名で、日本で最もよいという演奏家の声もある。席がよかったせいもあるが、とても心地よい響きだった。
ジョナサン・ノット指揮、カタリナ・コンラディ、アンナ・リヒター、ヴェルナー・ギューラ、ミヒャエル・ナジという外国人歌手に、桜田亮、萩原淳、加藤宏隆の日本人歌手、合唱は東京交響楽団専属の合唱団と東京少年少女合唱隊が参加していた。 “東京交響楽団のマタイ受難曲を聴く” の続きを読む