私立学校と公立学校は、本質的に違うものなのだろうか。法的には明確に区別されているけれども、教育の実態はどうなのだろうか、と考えると、私には、本質的な差はないとしか思えない。私立学校の教育は確かに多様である。しかし、公立学校も同質などとはとうていいえない。通学区によって通う学校が規定されている公立の小中学校でも、その差はかなり大きいのである。通学区を指定して、通学する学校を選択できないようにしている理屈は、教育の水準を一定に保つことによって、どの学校に通っても同じ教育が受けられる、というのがあるが、そのようなことを信じているひとはいないだろう。 “高校授業料無償化を考える(3)” の続きを読む
高校授業料無償化を考える(2)
授業料問題は、義務教育と義務教育以外、そして公立学校と私立学校の問題というふたつの異なった側面がある。日本での高校無償化は、この二つがともに重なっている問題であるが、原則的なレベルで分けたの議論は少ないように思われる。
さて、義務教育での無償は、論理的にも、また、国民の納得という意味でも当然の措置であろう。日本の場合には、義務教育での無償が、授業料の不徴収という内容にごまかされおり、本来、というか先進国ではほぼ常識となっている学用品等の無償まで含むものになっていない。教科書は無償であるが、これは無償とすることによる国家統制の手段となっている。したがって、無償=公費の支出、だから、公費を管理する行政の管理が必要という論理の是非が問われねばならないという論点が残っている。しかし、今回はこの問題には触れない。 “高校授業料無償化を考える(2)” の続きを読む
高校無償化を考える(1)
高校授業料の実質無償化が進行している。2025年度は12万弱の補助が全世帯で受けられ、2026年度からは私立学校の場合には、増額され、全国の私学の平均額が支給されるようになり、公立高校も私立高校も実質無償化が実現するということになる。 これは、いわゆる民主的教育運動の悲願ともいえるものであり、そこでは、教育の無償化はほとんど無条件にもとめられることがらであったともいえる。
しかし、問題はそう単純ではないのである。 “高校無償化を考える(1)” の続きを読む
川村学園女子大閉学の可能性
川村学園女子大が、医療創生大学に譲渡する協議を始めたと報道されている。川村学園女子大は、千葉県の我孫子市と東京豊島区にキャンパスがあるが、すでに教育学部は募集を停止しており、文学部と生活創造学部、大学院人文科学研究科が残っている。そして、譲渡が実現すると、残っている教育学部の全学生が卒業した段階で閉学するということだ。残った学部や研究科がどうなるのかは、協議の対象となるのだろう。 “川村学園女子大閉学の可能性” の続きを読む
教育や学習時間を固定する無理
ヤフー・ニュースに、「多くの教職員が不満を抱いている、標準授業時数でがんじがらめに学校を縛ろうとする変わらぬ文科省方針」という文章を、フリージャーナリストの前屋毅氏が書いている。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7545e90ecb7c2e16181faca07958c737f0aea037
内容は題名でほぼわかるが、文部科学省が、学習指導要領で、各課目や全体の授業時数の上限と下限を決めており、それに従っていない学校を、教育委員会が公表したという事実を批判している文章である。こうした公表は罰であり、そもそも教育は、固定的な授業時数で効果があがるものではないし、また、学級の状態でどの程度の授業量が必要であるかは変ってくるのだから、固定的な時数を押しつけるのがそもそも間違いであるという主張を含んでいる。記事によると、日教組がそうした要求を文科省に対して行ったことが書かれている。 “教育や学習時間を固定する無理” の続きを読む
自民党総裁選、能力高い人が選ばれるのか
自民党総裁選が実質的に走り出しているが、この候補者の顔ぶれと強い候補とされるひと達をみると、実におかしなことに気付く。政策に強く、また、交渉力なども高いとされる候補がすべて下位に並んでいて、上位二人は、いずれも政策能力や交渉力がいまいちとされている。小泉氏の政策能力については、周知のことだろうし、高市氏は、奈良県知事選で自民党を分裂状態にしてしまい、敗北させたということでわかるように、交渉力には大きな疑問譜がつく。 “自民党総裁選、能力高い人が選ばれるのか” の続きを読む
ドホナーニが亡くなった
今月6日に、指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニが亡くなった。ブムロシュテットについで、現役最長老指揮者だった。冥福を祈りたい。
ただ、私は、ドホナーニをほとんど聴いてこなかった。もっているCDは、ブラームスの1番と2番、そして、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」のロイヤル・オペラのライブDVDだけだった。ブラームスは単品で購入したので、聴いたと思うのだが、あまり印象に残っていない。サロメは悪くないけれども、なんといっても、サロメにはカラヤンの圧倒的名演があるので、どうしても辛くなってしまう。というわけで、優れた指揮者であることは充分に認識していたが、普段聴く対象ではなかった。 “ドホナーニが亡くなった” の続きを読む
なぜ大谷・山本の勝利が消えるのか
大谷翔平が先発し、5回をノーヒット無失点に押さえ、勝利投手の権利をえて降板したが、その次の6回に、あっという間に6点をとられて後続投手が大谷の勝利を消失させ、8回に大谷がホームランを打って同点においつくも、9回に変わった投手が失点、結局敗れてしまった。日本でのニュースは、大谷の「不運」よりは、50本塁打・50奪三振という記録がめだったが、私には、やはり大谷の勝利が簡単に消されてしまったことのほうが、強く意識された。打たれた投手がインタビューで語った内容がyoutubeにでていたが、「最後に頼るのは神だ」という発言にはびっくりした。これでプロスポーツ選手かと呆れてしまう。 “なぜ大谷・山本の勝利が消えるのか” の続きを読む
トランプのメディア支配愚策
トランプが、ニューヨーク・タイムズを名誉毀損で訴えたという。昨年の大統領選挙戦で、ニューヨーク・タイムズがトランプに対する反対の主張を行い、ハリスを支持したことは、民主党の宣伝機関になったことで、トランプの名誉を毀損したということらしい。 “トランプのメディア支配愚策” の続きを読む
「銃被害は仕方ない」か?
アメリカでトランプ大統領の硬い支持者であったとされるチャーリー・カーク氏が、ユタ州の大学での演説会で暗殺されたというニュースは、アメリカの銃社会の恐ろしさを再度思い起こさせた。もちろん、こうした暗殺が許容されないし、暴力で決着をつけるやり方を肯定することもできない。 “「銃被害は仕方ない」か?” の続きを読む