読書ノート『芸人と影』ビートたけし

 ビートたけしの『芸人と影』を読んでみた。芸能人の不祥事とされる事件が相次ぎ、テレビでは頻繁に取り上げられているが、紹介文が、テレビの切り口とは相当異なるようなので、参考にしてみたいと思った。本気でそう思っているのかは、まったくわからないが、芸人は、立派な尊敬されるような存在ではない、昔からヤクザとのつながりは常識で、それは、自分自身もそう思うべきであるし、世間も芸人を思い違わないようにしてもらいたいという信条が出ている。だから、芸能人の不祥事について、要するに、世間の目も厳しすぎるし、当人たちも対応を誤っている。しかし、他方で、危ないひとたちとの付き合いに、無自覚であってはならず、一線を引く姿勢が大事だというわけだ。しかし、なかなか難しいという。反社会的人物がいる場に呼ばれて、食事をして、謝礼をもらった芸人が、お金をもらったことを当初隠して、傷口を広げたが、むしろ、本当にもらっていなかったら、その方が危ない。お金ももらわずに、出かけていくとしたら、それは友人であることの証拠なわけだという。 “読書ノート『芸人と影』ビートたけし” の続きを読む

読書ノート『リベラリズムの終わり その限界と未来』萱野稔人

 題名は固そうな本だが、実に柔らかいというか、哲学の書物の割りには、どんどん読める本である。本の主題は、リベラリズムとは、他人に迷惑をかけなければ、そして個人の自発的な行為であれば、それを認めるという立場であるにもかかわらず、世のリベラリストが、切実な要求をする人がいるにもかかわらず、沈黙してしまうという例をだしつつ、まずは、リベラリズムの限界、矛盾を示す。
 まず、同性婚を合法と認める国が多くなり、アメリカの最高裁でも合法と認める判決が出た。その判決をみて、あるモルモン教徒が、一夫多妻制が合法であることを認めさせるために、二人目の妻(まだ正式に結婚が認められていない)との結婚を正式に認める申請のための訴訟を起こした。ところが、世の中のリベラリストたちは、同性婚のときとは異なって賛意を示さなかったという。この場合も、自発的な意志であり、他人に迷惑をかけているわけではないのだから、リベラリズムの立場からは容認すべきであるのに、そうなっていない。そして、同様な例として、知らずに惹かれあい、年の差結婚していたカップルが実は父娘であることが、わかり、近親婚の罪で有罪となったり、同様に、結婚後兄妹であることが分かって、実刑判決を受けた例についても、リベラリストは沈黙している。それは、矛盾ではないかと、萱野氏は主張するわけである。 “読書ノート『リベラリズムの終わり その限界と未来』萱野稔人” の続きを読む

女系天皇容認の自民幹部に対する産経の反論は(続き)

 前回書き忘れてしまったことがあるので、以下補充。
 二階幹事長が、男女平等という立場からすれば、結論は容易に出てくると述べたことでわかるように、自民党の幹部ですら、現在の男系男子の立場が、男女平等に反すると考えざるをえない。そして、産経の記事「危うい自民幹部の『女系』容認論 先人たちの知恵に学べ」11.30)は、この点についても反論している。それをみておこう。まず以下のように、基本認識を書いている。

 「皇室の問題と『男女平等』を絡めた時点で、すでに理解不足だ。『女系は不可』という言葉に引きずられ、女性に対して差別的と考えているのなら、むしろ逆である。」

 逆というのならば、女系容認論のほうが、男女差別的であるということになるが、そのことには全く触れていない。 “女系天皇容認の自民幹部に対する産経の反論は(続き)” の続きを読む

日本は本当に韓国より優れているのか もう少しバランス感覚が必要ではないか

 歴史上最悪の日韓関係と言われているが、多少の改善の兆しはあるものの、安心という雰囲気にはほど遠い。そして、韓国人の反日は、以前からのもとしても、それほど反韓ではなかった日本人のなかに、反韓感情か急速に高まっている。そして、報道は韓国の経済が悪化しているとか、文政権によって、韓国は崩壊の危機にあるとか、日本は安定しているのに、韓国は経済も政治を悪化しているという報道一色である。しかし、それは本当なのか。もちろん、多くの点で日本は韓国に勝っていることは確かだろう。しかし、韓国か勝っている点も少なくない。少なくとも、日本の電化製品は、既に20年も前に、国際市場では、韓国勢に押し退けられている。表現の自由のランク付けでは、日本は韓国の下位にある。
 考えねばならないのは、韓国と日本の状況を客観的に見ようという姿勢ではなく、日本が文句なく優れていると思い込んでいる日本人が多いことである。 “日本は本当に韓国より優れているのか もう少しバランス感覚が必要ではないか” の続きを読む

給特法改正案が成立 これで教師の過剰労働が解決するとは思えない

 教師の過剰労働の深刻さは、待ったなしである。というと、必ず「いや、まじめな教師は大変だが、教師はさぼろうと思えばかなり楽な仕事で、楽している教師もたくさんいる」という議論が出てくる。確かに、それは間違いではない。授業は毎年同じようにやれは、それほど準備をしなくても、なんとかこなせる。係などもできるだけ引き受けない。義務ではない仕事も引き受けない。そうすれば、楽な仕事だ。実際に、勤務終了時間になるとさっさと帰ってしまう教師もいる。また、生徒間のトラブルや保護者対応なども、真剣に取り組まないと決めこんで、関与しなければ、ストレスもたまらないに違いない。
 教師には超過勤務手当がないかわりに、超過勤務を命令できる項目は、「生徒の実習関連業務・学校行事関連業務・職員会議・災害等での緊急措置など」と定められており、厳密にいえば、これ以外は拒否できる。もちろん、部活の顧問なども断ることができるので、最近はなり手が減ってこまっているわけだ。
 楽をしようと思えばできることがわかる。しかし、多くの教師は教職に対する誇りと情熱をもって取り組んでいると思う。 “給特法改正案が成立 これで教師の過剰労働が解決するとは思えない” の続きを読む

指揮者マリス・ヤンソンス死去

 指揮者のマリス・ヤンソンス氏が亡くなったという。まだ76歳ということなので、指揮者としては、まだまだこれから絶対的巨匠の道を歩むのだと思っていたので、ショックを受けた。私は、ヤンソンスの演奏をそれほど多く聴いているわけではないし、特別なファンでもないのだが、なんといっても、世界の代表的な指揮者であるし、日本にも何度も来ている。
 私が一番熱心に視聴したヤンソンスの映像は、若手指揮者に対する公開レッスンだ。短いレッスン風景の映像は、たくさんあり、小沢征爾などのもあるが、ヤンソンスのは、長時間の、文字通り公開レッスンそのものを映像化する目的で撮影されたようなもので、確か、舞台裏のレッスンを受けるひとたちの動向なども、たくさん写していた記憶がある。
 指揮の公開レッスンというのは、見ていて非常に面白い。そもそも、指揮を教えるってどういうことなのだろうか、と考えてしまうものが多い。 “指揮者マリス・ヤンソンス死去” の続きを読む

女系天皇容認の自民幹部に対する産経の反論

 この問題については何度か書いたので、躊躇したが、自民党の幹部が女系天皇を容認する発言をしたこと、自民党内で波紋があったこと、そして、産経新聞が容認論への批判(「危うい自民幹部の『女系』容認論 先人たちの知恵に学べ」11.30)を掲載したことで、再度書いてみることにした。
 男系男子死守論者という言い方があるかどうかわからないが、そう名付けたくなるひとたちの議論の荒唐無稽さと、それを臆面もなく書く神経には、むしろ感心してしまう。要は、女系論は、皇室のあり方に対するまったくの理解不足によるものであり、父系で継続してきたことが、かけがえのないことなのだという趣旨につきるといっていいだろう。
 しかし、それを裏付ける議論は、本気なのかと思ってしまう部分がある。例えば、次のような文章だ。

 「令和元年は皇紀2679年だ。その間、居住面積が狭小な島国で暮らしてきたわれわれ日本人は、先祖をたどれば必ず、どこかで天皇家の血と混ざり合っている-と考えるのが自然だろう。 “女系天皇容認の自民幹部に対する産経の反論” の続きを読む

高校野球の投球数問題

 高野連が、大会中、1週間の投球数を500級に制限するという方針を打ち出し、波紋を呼んでいる。例によって張本氏は、たくさん投げることで肩を作っていくのだから、そんな制限をしたら、完投できる投手が育たないと反対している。また別の観点から、桑田氏は、制限はするべきだが、小手先の方法になっていると批判している。個人差はあるが、投げすぎが肩に過度の負担を与え、投手生命にマイナスであることは、経験的に明らかだろう。先日、youtubeで快速球投手の回顧ビデオをみたが、尾崎が投げすぎで早く引退したことを思い出した。
 野球というスポーツは、サッカーやラグビーなどの集団競技と、全く違う点がある。それは、サッカーやラグビーはほとんどの選手が、大きな身体的負担を負いながらプレーをしているのに対して、野球は、投手だけが過度の負担を強いられる。他の選手は、試合中は、それほどの肉体的酷使はない。また、滑り込みなど以外では、危険なこともほとんどない。このことによって、試合の間隔が大きく違っている。プロの場合、サッカーやラグビーは、試合の間隔を大きく開けるが、野球は、ほぼ毎日行う。前者は、ベストメンバーを組めば、ほぼ同じメンバーで闘うことが多いと思うが、野球の場合は、野手は同じだが、投手は毎試合違う。つまり、投手は多く揃える必要があるわけである。 “高校野球の投球数問題” の続きを読む

ナチスの政策とヒトラー・ユーゲント2

 ヒトラー・ユーゲントのドキュメントの後編を見た。これまで、戦争末期のヒトラーユーゲントの活動については、あまり知らなかったので、非常に有益だった。それにしても、ずいぶんフィルムが残されているものだ。お互いに宣伝戦の要素が強かったので、双方が可能な限り戦場カメラマンを配置していたのだろう。
 ヒトラー・ユーゲントのメンバーは、現在の中高生の年齢だが、戦況が悪化すると、どんどん実際の戦場に投入されていった。最初は、対空防衛への配置だというので、ドイツが空襲されるようになったときだろう。空襲されるということは、制空権を奪われているから、実際には敗戦濃厚ということになる。しかし、駆り出されたヒトラー・ユーゲントたちは、実際の戦闘に参加できるので、多いに喜び勇んで闘いに出ていったし、また、実際に飛行機を撃墜することもあったという。そして、勲章を受けた。そうした戦闘員のなかに、戦後ローマ法王になったベネディクト16世もいた。ベネディクト16世が法王になったときに、さかんにナチスとの関係が取り沙汰されたが、ヒトラー・ユーゲントのメンバーとして戦闘に参加していたということだ。
 既に勝利は望めない状況になっていたが、若者への洗脳のためだろうか、大人の兵隊が状況を説明しても、ドイツが負けるはずがないと思い込んでいた者がほとんどだった。しかし、さすがに悲惨な状況が頻発するようになり、それを目の当たりにするようになっていく。 “ナチスの政策とヒトラー・ユーゲント2” の続きを読む

ナチスの政策とヒトラーユーゲント

 録画しておいた「ヒトラーユーゲント」に関するドキュメンタリー番組を見た。まだ前編だけだが、ダイアモンド・オンラインに、村田孔明氏が、舛添要一氏の『ヒトラーの招待』の紹介をしつつ、舛添氏への取材記事を書いている。偶然だが、ヒトラーに対する関心の高まりを感じる。私自身、博士論文のごく一部として、ナチスの教育政策とヒトラーユーゲントについて、研究したことがある。おそらく、ヒトラーユーゲントは、ナチスの政策が、最も成功した領域だったといえる。もちろん悪い意味での成功だが。https://diamond.jp/articles/-/221931
 ドキュメンタリー番組は、ヒトラーユーゲントで活動していたひとたちが、インタビューに応じる形で進行する。とにかく、徹底的に、ナチスの考えを吹き込まれる一方、活動を通して、確かに喜びを与えていた。特に、大戦が始まる前の段階では、ほとんどの少年たちが、疑問ももたずに、ヒトラーユーゲントの活動にのめり込んでいた。19世紀末ころから、ヨーロッパでは、青年運動が活発になり、ボーイスカウトやワンダーフォーゲルなどの青年組織と活動が盛んに行われていた。ナチスも、そうしたひとつとして、かなり早くからヒトラーユーゲントを組織し、当初は極めて少ない人数だったが、ナチスが政権をとってからは、参加が義務になる。
 おかしさで印象的なインタビューがあった。その人はユダヤ人であることを隠して、ヒトラーユーゲントに参加していた。ユダヤ人であることがわかれば、当然強制収容所に送り込まれて、子どもは殺されてしまう。 “ナチスの政策とヒトラーユーゲント” の続きを読む