いつも興味深い論考を書く窪田順生氏が、「「沢尻エリカ逮捕は政権の指図」元首相も認めた陰謀論は本当か」という記事を書いている。https://diamond.jp/articles/-/221184?utm_campaign=doleditor
「政権がピンチになると芸能人が薬物で逮捕される」という、耳を疑うようなことを一部の人がいっていることをとりあげているのだが、元首相である鳩山氏が、事実と認めたことに驚いて、この論考を書いたという。「沢尻エリカが逮捕されたのは、政府が、スキャンダルを隠すために、国民が関心を示すスキャンダルをで覆うためだ」という風に、鳩山由紀夫氏が書いているのだそうだ。私は、そのツイートを呼んでいないが、鳩山氏ならば、書きそうなことだとは思う。
窪田氏は、こうした解釈をナンセンスとしつつ、この間の安倍内閣のピンチと、有名人の薬物逮捕を検証するのだが、実は、ある程度、時期的に重なるわけである。
ピエール瀧-厚生労働省の不正統計
甘利経済再生相の現金授受問題-清原逮捕
とここまでは、腑に落ちるというのだが、安倍首相最大のピンチであった森友・加計問題のときには、だれも逮捕されていないから、この説は、成立しないとしている。しかし、氏も書いているように、外交の問題もあり、森友・加計問題の時期には、北朝鮮のミサイル発射が何度もあった時期でもある。スキャンダル隠し説をとる人は、この北朝鮮ミサイルも、実は裏でつながっているのではないか、と考えているふしがある。かなりとんでも解釈だが、絶対にありえない話というわけではない。
ただ、具体的にこの政府のピンチを救うために、このスキャンダルが引き起こされたということを証明するのは、極めて難しいが、既に確実にあったことがわかっている事実は存在する。 “沢尻逮捕は政治問題を逸らすためのスキャンダル?” の続きを読む
音楽録音の音づくりを考える ブルーノ・ワルターのCD
多くの人は、自分の音楽的感性を、最初に聴き込んだ人の演奏によって形成するのではないか。またクラシック音楽では、同じ曲でも多数の演奏があるが、好きな演奏は、多くがやはり最初に繰り返し聴いた演奏である。私の場合は、ブルーノ・ワルターだった。ブルーノ・ワルターといっても、知らない人が多いと思うが、1960年に亡くなった指揮者で、ユダヤ人であったために、ヨーロッパからアメリカに亡命して、戦後なんどか演奏旅行にヨーロッパに出かけたが、ずっとアメリカに住んで活動した。アルトゥール・ニキシュが亡くなったとき、ベルリン・フィルの地位を継ぐのはワルターだと言われたのに、フルトヴェングラーに決まったのだが、これは、フルトヴェングラーがかなり裏で工作をした結果だと言われている。ミュンヘンのオペラの音楽監督も、ナチの信奉者であったクナッパーツブッシュによって追われたと言われているので、政治的感覚はほとんどなかった、純粋芸術家だったのだろう。戦前最も優れたワーグナー指揮者であったが、バイロイトには一度も登場していない。ユダヤ人であったことがもちろんその理由だが、さすがにバイロイト側も、ワルターを無視することはできず、リストの娘であり、ワーグナーの妻だったコジマが、ワルターを招いて面接のようなものをしたときがある。そのときコジマが、ヴェルディのオペラをどう思うか、と質問し、当然のように、ヴェルディは素晴らしい作曲家だとワルターは答えたが、ヴェルディを好きな指揮者など、バイロイトには不要だ、とそのまま呼ばれることなく、ワルターはアメリカに去った。もちろん、ヴェルディを高く評価しているから呼ばれなかったわけではない。その証拠に、ヴェルディを神のように尊敬していたトスカニーニは、何度かバイロイトで指揮をしている。このトスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターを20世紀前半期の三大指揮者と、通常呼んでいる。
私は、小さいころから、ワルターのレコードで音楽を聴くようになって、現在でもワルターファンである。演奏の特徴等は別の機会にして、今日、ワルターの旧コロンビアに録音したすべてを集めたコンプリートが届いたので、レコードとCDについて考えてみた。 “音楽録音の音づくりを考える ブルーノ・ワルターのCD” の続きを読む
違法ドラッグ問題を考える それほど大きな犯罪なのか
有名女優が違法ドラッグを所持していたということで逮捕され、メディアは大騒ぎになっている。こうしたことが起きるときに、いつも感じる疑問があるので、そこを考えてみたい。
最初に断っておくが、私は違法ドラッグの解禁論者ではないし、たばこすら吸ったことがない。ソフトドラッグ合法のオランダに2年間暮らしたことがあるが、合法のドラッグを吸いたいと思ったことも、一度もない。法律を守る必要があるというような感覚よりは、単にそういう欲求がないということであり、たばこについては、子どものころからたばこの煙が嫌だったということだ。もちろん、健康にいいはずがないし、お金も無駄になる。だから、これまで手を染めずにきた。オランダに倣って日本でもソフトドラッグを合法化すべきだとも、全然思っていない。そのことについては、別途論じてみたいが、今回は、異なる観点から考えてみる。
ワイドショーやインターネットの書き込みなどをみると、違法ドラッグがどれだけ大きな犯罪であり、社会に大きな損害を与えているか、と声高に論じている人たちが少なくない。確かに、損害を与えることは事実だ。CMを制作していた企業は、まさか違法ドラッグをやっていた人をモデルに使ったCMを流すわけにはいかないから、その制作費は損害になるし、また、企業イメージを毀損するだろうから、それも大きな被害といえる。しかし、テレビのドラマ出演については、逮捕されてしまえば、以後使うことができないのは当然としても、既に撮影した分を使わないかどうかは、局としての判断だろう。もちろん、そのまま使えば社会的反発があることは覚悟しなければならないが、法で禁止されているわけでもなく、使うことは可能なのである。 “違法ドラッグ問題を考える それほど大きな犯罪なのか” の続きを読む
肉は好きなだけ食べていい?
少々古い記事になってしまったが、毎日新聞の10月22日付けで「 肉は好きなだけ食べていい? 新食事指針に批判続々」という大西睦子氏の文章が掲載さている。栄養学者らの国際研究チームが、こういう結論の研究を発表し、批判も出ているという内容だ。これまでの見解は、「 「赤い肉」と呼ばれる牛、豚、羊、馬などの獣肉や、「加工肉」と呼ばれるハムやソーセージは、食べ過ぎると、2型糖尿病や心血管系疾患、がんにかかるリスクや、早死にするリスクを高めることが、これまでの多くの研究で示されてきました。」という見解がほぼ常識的なものだった。しかし、この研究では、減らす必要はなく、多く食べる人と少なく食べる人の健康上の問題は、ごくわずかしか違わないという結論になっているのだそうだ。面白いのは、研究方法で、栄養学は、自然科学的な手法で実験をするのかと思いきや、完全に文献調査なのだそうだ。さまざまな研究調査の結果を精査したということなのだろう。
ただ、常識的にいって、どのような食べ物でも、食べ過ぎがよくないことは明らかで、肉の食べ過ぎだけが悪いわけでもないだろうし、必要な栄養価やカロリーを考慮して、適当量を食べれば、いいのではないかと単純に考える。大部前の知り合いだが、毎日ビフテキを1キロ食べていて、すっかり健康を害した人がいた。健康維持、あるいは病気にならないようにするためには、食事だけではなく、運動やストレスなど多様な要因があるわけだから、食事だけを切り取って考察しても、あまり意味はない。
ただこの記事を読んで、多少違和感をもった。書いた人が内科医だから当然ともいえるが、肉を食べることの是非については、私は栄養面よりも環境問題として考えている。 “肉は好きなだけ食べていい?” の続きを読む
大学入学共通テスト 記述式問題はやめるべき
以前にも書いたが、最近いろいろな団体が、大学入学共通テストの記述式問題をやめるべきだという主張をしているので、同意の意味で、何故やめるべきなのか、詳しく書いてみる。
試行テストで、記述式の問題が出ているが、はっきりいって、記述式としての意味をなしていない。通常の解釈問題で、選択肢から選ぶ問題とさして違いがないのだ。こんな問題を「記述式がある」という触れ込みのみの意味しかもたない一方、膨大な採点業務が発生し、しかも、公平な採点がなされのかという不安もつきまとうようなテストになる。積極的な意味を見いだすほうが困難だろう。
入試センターが実施する試験において、記述式問題をいれるべきでない理由は主にふたつある。 “大学入学共通テスト 記述式問題はやめるべき” の続きを読む
「いじめで退学」が認められなかった?
11月15日の西日本新聞に「 いじめ認定に「二重基準」 福岡の女性、退学届拒まれ苦悩」という、すっきりしない記事が掲載されている。記事でも「首をかしげる」という表現が使われているので、記者にも、不思議な感じがしているのだろう。しかし、後半部分については、問題があるので、書いてみる。
記事の内容は、次のようなことだ。
県立高校一年のYさんが、10月の定期試験がよく、友人Aに「試験どうだった?」と聞くと、「察して」と言われ、相手を傷つけたと思い不安になって、教室にいられなくなった。保健室にいるとAさんとBさんが昼食に誘ってくれたが、Bさんは口をきかない。別の日友人と昼食をたべていると、Bさんがお菓子を配ったが、Yさんと何人かには配らなかった。いじめと感じた母親が学校に連絡、学校はBさんから「悪気はなかった」と回答をえたが、保健室と食事のときのことをいじめと認定した。Yさんは不登校になり、SNSでもこじれてしまい、退学届けを提出した。理由は、「いじめ」だった。
高校側はいじめを理由とする退学は認められないということで、「トラブルのため」と理由を変更して12月に退学が受理された。
これが事実関係である。
この経過を見て、なるほど退学せざるをえないほど、大変だったんだろうな、と感じる人は、おそらくあまりいないに違いない。 “「いじめで退学」が認められなかった?” の続きを読む
Cowconspiracyを見て 温暖化と畜産を考える
次回国際社会論で「アグリビジネス」を扱う。その準備のために、酪農問題を扱ったCowconspiracyというドキュメント映画を見た。
それを書く前に、渡辺正氏の「温暖化対策100兆円をドブに、日本はバカなのか?」という文章について簡単に。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58217?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=top
氏によれば、地球温暖化の主張は「オカルト」のようなものなのだそうだが、世界の科学者の多数が肯定している主張を、オカルトというのは、なんとも逆のオカルト的感じがしてしまう。温暖化否定のひと達は、たいてい、外国の「有力」な科学者のなかで、温暖化に否定的な主張をしているひと達の書いていることを引用して、それが当然正しいのだという主張をするのだが、温暖化の主張をしている「有力」な科学者の言説を丁寧に批判することは、あまりない。それに、最近の異常気象などを否定するのは困難なので、温暖化的な現象は肯定する。例えば、次のように書く。
「人為的CO2の寄与はその一部である。IPCCの報告書によると、過去100年で地球の気温は1℃ほど上がったと言われるが、その半分(半分以上)は数百年前からつづいてきた自然変動や20世紀後半から進んだ都市化のせいであろう。人間活動から出るCO2の効果はせいぜい0.5℃と推定できる。0.2~0.3℃や0.1℃くらいとみる研究者もいる。」
私は、温暖化の原因が、CO2だけであるという主張は、まだ見たことがなく、CO2はその主な一部であるというのが、ほとんどの主張であるし、また、人間活動をどこまで含めるかという問題もある。 “Cowconspiracyを見て 温暖化と畜産を考える” の続きを読む
「桜を見る会」の私物化論 各社説は不十分だ
安倍首相が、「桜を見る会」に後援会のひとたちを大量に招待していたことが、問題となり、安倍首相の判断で、次回は中止ということになった。公金を使い、公的な事業として行われている「桜を見る会」に、それぞれの枠があるとはいえ、それをはるかに超えた人数、自分の後援会の人を呼ぶというのは、明らかに「私物化」であり、違法行為である疑いが濃いだろう。多くの新聞も社説で、そういう主張を展開している。それはそれで正しい。
しかし、やめればよいのか。私は、むしろ、あのように簡単にやめてしまうことにこそ、安倍晋三という人の公的なことがらを、私的にしか考えない政治家としての資質が現われていると思っている。後援会の人をたくさん呼ぶことは、公的な行事を私的な利益のために利用するという意味で、私物化であるが、批判を受けるとやめてしまうということは、公的な「桜を見る会」を自分のものだと思っているという意味での「私物化」なのである。どちらかといえば、こちらの私物化のほうが、ずっと問題が大きい。 “「桜を見る会」の私物化論 各社説は不十分だ” の続きを読む
安倍 vs 管闘争の激化か 「桜を見る会」問題の見方
権力は腐敗する、という政治学の基本的な命題があるが、近年の安倍内閣は、確かにその通りだという感が強くなっている。どんなに異常なことが起きても、それが法に違反する行為があっても、世間の批判を無視してきたが、今話題になっている「桜を見る会」のドタバタぶりは、端的に政権の腐敗を示している。国会における共産党の追求と、安倍首相の答弁が、詳しく報道されているが、この答弁は、だれがみても異様な感じがするはずである。公金を使って、国の行事として招待された人物に関しての質問に対して、セキュリティ上の問題があるので答弁できないと、繰り返し突き放す。写真や映像がどんどんニュースやワイドショーで流されているのに、セキュリティの問題もないと思うし、そもそも、桜を見る会がなぜ、セキュリティ上の問題となるのかさっぱりわからない。公的行事であり、社会に貢献した人たちを招待するということなのだから、参加者に関する情報を開示することが、なぜ個人情報であったり、セキュリティ上の問題を発生させるのか、合理的な理由は全くしめされていない。他の野党も、追求することになっているようだ。 “安倍 vs 管闘争の激化か 「桜を見る会」問題の見方” の続きを読む
教育再生実行会議批判 いじめ対策2
提言を読み進めていくと、次第に気持ちが萎えていく。多くの人は、この提言をみて、いじめ対策への方向性を掴んだ気持ちになるのだろうか。根本的な感覚が違うという印象なのだ。
「3.学校、家庭、地域、全ての関係者が一丸となって、いじめに向き合う責 任のある体制を築く。
いじめを早期に発見し、いじめられている子を社会全体で守っていくためには、学校がいじめ対策の方針を定めて明らかにし、子ども一人一人と向き合うことのできるチームとしての責任のある体制を整えるとともに、学校・家庭・地域・関係機関の緊 密な連携体制を日頃から構築しておかなければなりません。」
何か提言をしたり、あるいは行政にかかわっているひとたちは、「一丸となって」とか「全体の協力」という言葉が好きだ。しかし、教職員が本当に「一丸となっている」「全体の協力」がきちんととれているような学校では、深刻ないじめなどは起きないのだ。教職員がグループ化していがみあったり、協力関係が壊れているときに、いじめが発生しやすく、また深刻化しやすい。そういう職場に、「一丸となれ」「全体で協力しろ」と外部から「提言」されても、そんな状況が改善されるはずもない。いがみあったり、協力関係が壊れるには、それなりの理由があるのだから、そこを是正しなければ、改善などされないのである。 “教育再生実行会議批判 いじめ対策2” の続きを読む