最終講義1 知的能力向上

1月25日に行った最終講義を、何度かにわけて掲載します。実際の講義そのままではなく、若干読みやすくする変更はしてあります。

最終講義の意図
 ただいま紹介にあずかりました太田です。今日は、お忙しいところ、わざわざおいでいただき、ありがとうございます。最終講義というのは、最初は、やる気なかったんですけど、それでは、まずいかなと思いました。それでやることにしました。通常は谷口先生がやられるように、研究に関することを話すことが多いかと思うのですが、私は教育学者ということもありまして、教育学を研究しつつ、大学での教育活動をどうしていくかということは、絶えず考えていましたので、テーマに書いてあるように、「文教大学の教育活動で目指したこと」を、テーマにして話そうと思いました。めざしたことをひと言で言えば、「学生諸君の知的能力を向上させる」、そのために、「できることはなんでもやる」ということでやってきた。それを具体的にどういう風にやってきたか、どういう成果があったのか、あるいはなかったのかということについて、お話したいと思います。
 まず、講義で、知的能力の向上をどうやってきたか、それから演習ではどうか、このふたつを話したあと、私にとっては、聴覚障害の学生に対する取り組みが、大きな意味をもっていたと思いますので、それを最後にお話したいと思います。
 私は、数年前から、紙を一切使わない主義になりまして、資料はすべてパワーポイントなどをホームページに載せて、参照したい人はホームページからダウンロードすることにしてきました。今回も、ホームページからとれることになっていますので、今日の資料もダウンロードしてください。私の講義をとったことがある人には、おなじみのページなので、迷うことはないでしょう。
 最初に文教大学でどういう科目を担当したか。
* 1985年赴任(人間科学科のみ)
* 教育原理・国際教育論 + 生涯教育概論・教育方法論
* 1998年臨床心理学科設置(臨床心理に移籍)→セメスター制採用
* 教育哲学(臨床教育学)・現代学校教育論・国際教育論・異文化理解論・教育学概論・教育学 + 教育行政学・国際社会論
* 2008年心理学科設置
* 異文化理解論(廃止)現代学校教育論(村上先生に移行)
* 新カリで臨床教育学廃止
* 1992年と2002年に1年間の海外研修(オランダ)
* 断続的に、教員採用試験の勉強会

知的能力の向上とは
 「知的能力を向上させる」といっても、では、「知的能力とは何だ」という話になりますね。いろいろ考えてみるに、これが知的能力だ、と言える明確なことはないのではないかと思わざるをえない。領域によって違う。たとえば、数学科というところで求められる知的能力、法律学で求められるもの、あるいは心理学、福祉関係で求められる知的能力は、みんな違う。相当違う。そうすると、一般的な知的能力はないんだけど、それぞれの分野で教育活動をしているときに、「共通にあるもの」はあるのではないか。具体的には、文章とか、先生の講義を正確に理解できる、つまり理解力。理解した上で、本当にそうなのだろうか、違うんではないか、事実と照らし合わせてどうなんだろうか、そういうことを吟味できる、吟味しながら考える。判断力ですね。さらに、そういうことを踏まえて、では、自分はどう思うのだ。自分の考えをまとめる力。まとめたら、それを表現する。できるだけ正確に伝えるように表現する。表現力です。こういうことは、「教育学」の分野で扱っても、他の分野でも、共通の知的能力としてあるのではないか。それを具体的に授業でなんとか向上させようとやってきた。
 もうひとつ重要なことは、トレーニングによって、向上するのだ、もともともって生まれたものなのではなくて、トレーニングで向上する、しかも、自覚的にトレーニングすることが、さらに、向上の質を高める。なんだから知らないけど、何かをやっていたら向上していたということもあるかとは思うのですが、そうではなくて、こういうことをする、そのことによって、知的能力を向上させる、そういう意識をもって実行することが必要ではないかと考えたわけです。
 では、知的向上のために必要なことは具体的には何だろうか。これは、私の信念ですが、「自学」である。つまり、自分で学ぶということだ。だれかに教わるということではなく、自分で主体的に学ぶことが必要なのだ。それを、具体的に講義でどうやって活かすのか、あるいは実践するのか。こういえば、単純ですが、実際には矛盾する要素がある。「自学」といっても、学生にとっては、教師によって「教えられる」ことだ、極端にいえば、押しつけられるわけで、それでも「自学」を実践できるのか。そういう根本的な矛盾はあるけれども、そこでとまるわけにはいかない。「押しつけながら」学生が「自学」する姿勢をどうつけさせることができるのか。
 一番大事なことは、「予習」をしてもらうということになります。予習をしてもらうことに、35年間ずっと苦労をし続けてき感じです。それから、講義を聞きながら、授業のなかで、できるだけ考えたことを発言してもらう。考えて発言するということは、やはり、非常に大きなトレーニングになるわけです。ですから、誰でも、心の中では、「こういうことをいいたい」というのはあると思いますが、実際にいってみる、それはトレーニング効果が非常に大きい。それから、授業が終わったら、授業でえたものをまとめてみるとか、あるいはそこで、課題を見いだして、課題について考えてみる。調べてみる。そういうことを経て、表現物をつくる。そこまでは自学ということになるかと思いますが、さらに、それを、他の人たちと比較する。大学でレポートを書くときに、普通読むのは先生だけなので、他の学生が何を書いたかは、あまり知らないと思うのですが、他の人が書いたものは、どういうものか、それを知る機会をつくる。その機会を利用してもらって、自分が、書いたものを比較してもらう。自分が書いたものは、あまりいい評価がつかなかった、でも、いい評価をえた人は、何を書いていたかを知る、そういうことですね。そういうことをできる状況をつくる。自分で自己点検をしてもらう。それが終わったあとは、それぞれが自分の関心にしたがって、自分の興味の領域を形成していくと思うのですが、そういうなかで、必要な知的能力は、自分が探求していくというように考えたわけです。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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