最終講義2 予習・討論を促す試み

予習を促す試み
 それで、これから、具体的にどうやってきたかということですが。まず最初に予習を促すための作業についてです。これはいろいろとやりました。
 予習をしてもらうためには、教材がなければならない。簡単な方法としては、テキストを指定して買わせる。私は、どうも学生にテキストを買わせることに躊躇がありました。アメリカの大学では、100人の履修学生がいて、テキストを指定すれば、そのテキストを100冊大学が用意して、図書館に置いてくれるというのですね。そういうことは、日本の大学ではとうてい望めないので、自分で作るしかない。それで、授業の一回分くらいのものを、私が作文しまして、プリントを作って、研究室のドアの脇に、レターケースを置いて、2,3日前にプリントを入れておく。必ず事前にとって、読んで授業にでなさい、と言っていたわけですが、実行してくれた学生は、少数はいましたが、少数しかいない。僕が授業にでるために、ドアをあけて出ようとすると、そこに学生がたくさんプリントをとりにきているわけですね。だから当日とって、授業中読む、読みながら聴くという学生が多くて、予習にはなっていない。2,3日前に配るのはだめなのかなと思いまして、では教科書にしようと。3年くらいそういう風にやっていましたので、充分教科書になるくらいの量は蓄積されていました。教科書を作ろうということで、作りました。いまでも数冊残っていて、こういうものです。見覚えがある人がいるかどうかは、わかりませんが、印刷して、ビニールのワッカでとめて製本する。これは教科書ですので、私が授業用につくったものですから、これを読んでおけば、授業は分かりやすい。そういうことを考えたわけです。学生アルバイトに手伝ってもらって作成していたので、ただで配ることはできません。400円で配布しました。それで、いくらかたったあと、私が教員としてやってきたなかで、思い出深い出来事なのですが、学生が、「先生、400円というのはやめてほしい。500円にしてくれ」と言ってきたわけです。値上げしてくれというのは、非常にめずらしいなと思いました。なぜかというと、400円というのは、中途半端でおつりなんかがめんどうだ、500円なら二人で1000本というので、ちょうどいい。そういうから、500円にしました。
 これも、数年続けましたが非常に大変なんですね。1教科ならいいですが、3つか4つの講義をもっていたので、作成が非常に大量なんです。学生諸君にバイトしてもらってやっていましたが、作業か大変だというので、その頃インターネットが整備された、そこで、印刷する必要はないだろう、ファイルの形でホームページに載せておけば、各自がダウンロードできる。PDFファイルにしてアップしたということです。印刷したい人は、自分でやる。コンピューターにとりこむだけでいいという人は、それでもいい。そのうちに、スマホが普及してきたので、スマホでも読めるように、epubファイルも作成して、どちらかをダウンロードして予習してほしい、こういうことをしました。これが、現在に至るわけですが、では、どれだけ事前に読んで授業に出ようという学生がいたかは、正直わからない。文教の学生はたくさん授業とっていますし、時間は限られているわけですから、確実に読む人は、少ないとは思います。しかし、こちらとしては、こういう風にやっていえるので、学生諸君もちゃんとやってほしいということを、言うことはできる。これが主要な予習のための作業です。

討論・発言を促す工夫
 それで本番の授業。日本の大学の講義は、だいたいにおいて知識伝達型が多い。戦前の大学は、教授が原稿を書いてきて、それをゆっくり読むんですね。それを学生が、懸命に筆記する。ですから、戦前の有名な先生の講義で、学生の筆記ノートを活用して出版されているものがあります。吉野作造の講義録が出版されているのですが、それは当時の優秀な学生が筆記したノートですね。私の講義は、予習してくるように、というようなことを目指していますが、当時の講義は、ゆっくり読んで、学生がひたすら筆記するというものでした。ここで。とか、ここで改行などといったりするものだったようです。そういう形であれば、どうしても、大学の講義は知識伝達かたになるものですが、それはやはり、あまり面白くない。予習はあまりやりようがない。
 やはり、議論をしたりする方が興味がわくと思うのです。特に教育学は、乱暴な言い方をすると、教えることなんかあまりないのですね。教育については、学生諸君はよく知っているわけです。現役で教育を受けている存在ですから、教育についてはよく知っている。知っているんだけれども、実はその考え方は、それぞれ受けてきた状況によって規定されているわけです。ですから、全然違う教育を受けた人は、違う教育観をもっている。日本の教育は画一的と言われますが、それでも学校や教師ごとにずいぶんと違う教育実践が行われています。ですから、教育学の授業では、そういう各人がもっている違う経験にもとづく異なった経験をお互いに出し合って、それを互いに紹介しつつ、何故そのような違いが出てくるのか、いったいどれがいいのだろうか、と考える出発点にしてもらう。そういうことを意図したわけですが、そのためには授業中にいろいろと意見をいってもらうことが必要です。それは先生方もよくわかっているけれども、なかなか大変ですよね。質問ありませんか、といっても、質問なんかでない。意見ありますかといったら、大学の普通の授業の雰囲気だったら、意見がだされるなど、本当に稀です。そういうなかで、どういう風にして、意見をだしてもらうか。いろいろと工夫が必要です。一番単純な工夫は、発言した人には点をあげるよ、ということです。発言した人には、授業の終わりに、学生番号を書いてもらう。それで何回発言したかを名簿につけて、発言した人は、ワンランクあげてあげる、とかいろいろなやり方がある。これは、かなり効果がありますね。もちろん、反対論もあって、発言したら点をあげるというのは、変だというような意見も当然ありますが、ここは現実的なところで、妥協してやっていました。
 教育学などでは、かなり活発に手を上げる、そうすると、全員指名することはできないですね。手をあげたけど、さしてもらえなかった。不公平ではないかという意見がでてきた。それでは、発言したかったけど、発言できなかった人は、紙に書いてだしなさい、ということで、「文書発言」という形式を考えた。それで次のところに発展していくことになります。
 文書発言というやりかたを取り入れたのですが、他の人が読めることを重視したいと、私は思っていました。文書発言は、私しか読まない。それはよくないというので、インターネットがありましたから、メーリングリストを設定して、メーリングリストを利用して、文書発言をメールしてもらうことにしました。みなさんは、文教大学のメーリングリストをつかったことがある人、どのくらいいるかわかりませんが、最初のころは、メール数が1000という制限があったのです。200人くらいの学生が毎回発言すると、5回で満杯になってしまうんですね。ですから、情報課からクレームがきまして、学生が迷惑していますというようなことを言われてしまった。それで「掲示板」を設置しました。これはいまでも使っていまして、授業が終わったら、授業でこういうことを考えた、調べてまとめたことを、短めの小論文を書いてもらって、毎回、掲示板に書き込んでもらう。それで成績をつけるようにしました。それは、この形式はいろいろな面で効果的なので、現在に至っています。最大のメリットは他の学生が書いたものが読めるということです。どういう文章がいいのか、どういう文章がだめなのか、ということを、他の学生と比較することで学んでいく、そういう機会になる。更に、「私の成績評価ですが、どうしてでしょうか、ちゃんと書いたのに、評価が低いのですが」というようなクレームがくると、非常によく書けている掲示板の文章を示して、これを読みなさい、自分のと比べれば、わかると思いますよ、と指導することにしていました。ほとんどそれで、納得してくれる。
 もうひとつ重要なことは、掲示板なので、インターネットで誰でも読める、だから、公開する文章を書くことの責任を知ってもらうことにもなります。本人が消せるようにしてあり、こっちから消してもらったことが、2回くらいありました。不用意に、**先生はこんなことをいってます、などということを書いた人がいて、名誉毀損とかプライバシー侵害になる危険性もあるわけです。逆に、そういうことをしてはいけないと説明することで、一般公開する文章の書き方を学ぶ機会にもなっていると思います。
 それから、学年が上になると、専門的になるので、あまり意見がでない授業では、いわゆるリアクションペーパーというものを配りまして、普通は授業の感想や学んだことを書いてもらってだすということだと思うのですが、私の場合には、そういうことは一切せず、質問があったら書いてほしいということにしていました。授業では質問ないかといっても、ほとんど出ませんが、こうして紙を配るとけっこう出てくるものなのですね。質問について、一週間勉強しなおして、再度説明文を書いて、また、ホームページにアップしつつ、次の授業で説明する。これは、僕自身にとって、勉強になりました。説明したんだけど、こういう点がわかりにくかったのかなあ、とか、こういう点はもっと詳しく知りたいのかなということがよくわかって、勉強しなおさなければならないこともたくさんありましたので、自分自身にとってよかったです。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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