子どものころは、東京育ちだから普通に巨人ファンであったので、パリーグの試合を見ることは、駒沢球場がなくなってからはほとんどなかった。オリンピック会場が建設される以前は、駒沢には東映フライヤーズの本拠地の駒沢球場があり、そこはよく見に行った。小学校時代、友達とだ。思い出に残っているのは、山本八郎という捕手がいて、直ぐに暴力を振るって退場させられることが多かったのだが、その現場を2度くらい見た。また、近くにある合宿所で、新人のときの張本にサインをもらったこともあった。当時、新人の張本をよく知らなくて、ただうろうろしていただけなのだが、張本がこっちこいといって、自発的にサインをしてくれたのだ。小学生なので、ありがたみもわからずに、そのサインはすぐにどこかにいってしまったのだが。
そんななか、野村が出る試合を一試合だけ見たことがある。後楽園で巨人とのオープン戦で、どういう事情でチケットを手にいれたのか、まったく憶えていないが、ネット裏の特等席で、野村を間近に見たことははっきり憶えている。もちろん、まだばりばりの現役キャッチャーだった。長島や王が目当てだったが、ネット裏だったから、野村のほうが印象に残った。
選手としての野村は、実績は充分に承知していたが、ほとんどみたこともないし、偉大な選手という意識があったに過ぎなかった。やはり、頻繁に見ることになったのは、監督になってから、テレビを通してだった。そして、野村ID野球の威力をまざまざと思い知らされた番組があった。これはいまでも話題になるのだが、巨人が出ていた日本シリーズのテレビ中継だった。解説者として広沢が出ていた。巨人の投手が槙原で、ある回に、広沢が、槙原の投球を当ててみましょうか、とでもいったのか、そこは憶えていないのだが、ある打者になげる投球を、投げる寸前に、球種をいうのだ。今度はフォークとか、カーブとか、真っ直ぐとか。投げてからではない、投げる前。そして、それが全部あたっていた。一緒に放送しているアナウンサーがびっくりして、どうしてわかるんですか?と、もちろん質問したが、たしか広沢は、答えなかったと思う。
広沢は、野村のID野球の優等生と言われていたそうだ。この広沢の球種を当てる術は、当然野村によって教えられたものだろう。広沢だからそれを習得して、確実にあてることができたのだろうが、選手たちがしっかりと習得していたら、相手の投手はたまったものではない。もちろん、サインを不当に盗むというような不正ではない。あくまでも、一種の技術だ。このとき、野村のID野球のすごさをはっきりと知った。
野村はたくさんの著書を書いている。私も何冊かは読んだ。しかし、ID野球といっても、その具体的な、本当に重要な情報は、出版された著書には書かれていない。一般的なことだけだ。たから、それまでは実感としてわからなかったのだ。
野村のそうした理論は、膨大な自筆のノートに書かれているらしい。野村が生きている間は、それは「企業秘密」だったろうが、今や、スポーツ界の宝ではないだろうか。利用したい人みんなが利用できるのであれば、不公平ではないし、それを活用して、野球の技術が進歩すれば、それだけ野球の醍醐味が味わえるようになる。実際に野球をやるわけではなく、見るだけの人にとっても、野村理論を知っていれば、見方が深くなるだろう。
ぜひ、野村ノートを出版してほしいものだ。別に野球をするわけではないが、絶対に買う。