最終講義7 去るにあたって。質疑応答

 最後に大学を辞めるにあたって、文教大学に対する注文をしておきます。
 まずは、AIが進歩していますので、それを最大限使って、教育や研究の革新をすべきであるということです。そういう点で、大学にしても、また教員にしても、まだまだ不十分ではないかと考えています。
 人間科学部の教授会資料を、谷口学部長のときに、ペーパーレス化しまして、これは非常に大きな進歩だったと思うのですが、実は、その前から、僕は情報センターの委員をやっていまして、情報センターの委員会で何年も、そのことを主張していたのですが、情報課が一番反対なんですね。だから、全く進みませんでした。意外でしたが。情報課としては、そういうことに反対であるというよりは、アクセス過多になって、wifiがパンクすることを心配していたようですが、実際にやってみたら、そういうことはない。
 それから、先程述べたように、障害をもっている学生に対する取り組みが不足しているのではないか。
 三番目に、人間科学部は、心理学、教育学、社会学を総合する領域として当初設定された。そして、総合制という理念がある。私がみるかぎり、総合制の理念が近年希薄になっているということを感じざるをえない。もちろん、専門化するということは大事なんだけど、専門化するだけでは、不十分です。世の中の変化は「総合的」に変化していくのであって、独立した部分が変化していくのではない。だから、専門化と総合化という逆のベクトルがいつでも必要なのではないか。そこはぜひ考えてほしいと思います。
 以上で私の最終講義「大学の教育活動でめざしたこと」を終わりにしたいと思います。*1

*1 実際には、この注文の部分で、かなり厳しい内容を話したのだが、一般公開すべきではないと考え、具体的な話は省略し、項目だけにした。

質疑応答
Q 教育に関して、夜も寝られないほど悩んだことなどあったとき、どう対処していたでしょうか。
A 私はあまり悩まない人間でして、論文を書くときに、他の先生は、ぎりぎりのところまでやろうということで、研究されていると思うのですが、私の場合は、とにかく、締め切りがあるのだから、そこまでで、できることはこれだ、ということを書けばいい、それが終わったら、また次にいくということにしていますので、あっさり割り切っているのです。夜まで眠れないほど悩んだことはないですね。教育活動で悩んだこともないです。自分がやりたいことがやれなかったとしても、それは、私だけの責任ではない。学生諸君の責任もあるわけですから。(笑い)

Q 大学の教員をしているのですが、成績評価について、悩んでいます。先生のホームページをみると、個々のレポートをABCで評価して、それを合計して評価するようなことのようですが、何か成績評価について、アドバイスがあれば。
A アドバイスということははないのですが、最近試験とか、レポートとかについて、トラブルで刺されてしまった人いますよね。ああいうことは、ないようにしたいなと、常々思っていました。(笑い)クレームがでたときにも、身も蓋もないようなことはしない。ここにいる学生諸君が認めるかどうかわかりませんが、私は基本的に成績は甘いのです。課題はたくさん出すけど、評価は甘い。たくさん出された課題をちゃんとやった人は、高く評価していいのではないかということにしているんで、評価そものものはあまり厳しくしない。刺されないように。(笑い) (実際には言わなかったが、補充しておくこと。レポートの締め切りなどもあまり厳しくしないことにしています。もちろん、締め切りは設定しますが、予め、どうしても都合で間に合わないことがわかっている、たとえば部活の試合があるとかで、延ばしてほしいという人は、申し出るように、というようなことも許しています。掲示板の書き込みは、特別な個人識別番号を決めてあるのですが、それを間違える学生が、毎回けっこういます。答案用紙に、名前書き忘れたり、違う名前書いたらアウトが普通でしょうが、このミスについては、あとで分かれば、成績の訂正も躊躇せず行ってきました。要するに、課題は厳しく、それをこなせば、いい評価にするというやり方でやってきました。)

Q 小学校の教師をやっています。これからもやっていくつもりですが、太田先生が、長い間やってきたなかで、心がけていたこと、あるいは、これからの人たちに、これだけは考えてほしいというようなことがありますか。
A 難しい質問ですが、今の世の中で、どういう力が必要なのかということは、授業のなかでよく触れています。時代はどんどん変わるので、新しい事態に自分が遭遇したときに、それに対応できる能力をつけなさい、それが非常に大事だ。じゃそういう新しい事態に対応できる能力は、どうやったらつけられるのか、それはいろいろあると思うのですが、まず一番基本になるのは、好きなことを徹底してやる。とことんやる。これ以上自分はできない。そういうところまで追い込むようにやる。これが、一番新しいことに対応できる能力形成になるということです。それは何故かというと、新しい事態は、その新しいということが壁になるわけです。いままでやったことがないわけですから。自分がやっていた職業がなくなってしまう。あるいは転職しなければいけない。違う仕事をしなくてはいけない。それは非常に大きな壁です。壁にぶちあたる。ですから、壁にぶち当たっても、それを乗り越えられるという自分の自信、あるいは大丈夫なんだと思える姿勢が形成されることが重要だ。
 では、壁を乗り越えるためには、どうすればいいか。それはふたつある。
 まず、壁を乗り越える経験を何度かすることだ。壁を乗り越える経験は、好きなことを徹底的にやることによってしか経験できない。嫌なこと、嫌いなことをやっても、壁にすぐぶつかりますが、それを乗り越えようとするよりは、すぐに諦めてしまうことになります。だから、嫌いなことではだめなんですね。何度も乗り越えるのは、好きなことだからできるのです。
 二つ目は、やはり、新しいことを時々、意図的に経験することです。10年にひとつ、新しいことをやる。私は70歳になったときに、ジョギングを始めました。今でも継続しています。
 (以下付記: ふり返ってみると、20代は、博士論文につながる研究をずっとしていました。30代になって、チェロを始めたことと、大学に教員として勤めることになった。40代ではじめて外国生活を経験しました。また、車の免許をとったのも40代でした。50代は、今日、みなさんに話した大学における教育実践の形が、だいたい整ってきたという感じで、60代には、新しいゼミの形を取り入れた。そういう風に、自分なりに、10年にひとつは、確実に新しいことに挑戦してきたということはいえます。
 このように、何かひとつ新しいことを時にはじめて、他方、好きなことを徹底してやる。それで壁を乗り越える自信をつけるそういうことが大事かと思います。今、学校で教師をやっている人たちは、20年後の教室は、今とはそうとう違う様相になっているだろうし、また、そのときには、今とは違う能力が必要になっているでしょう。そのときに、恐れずに新しいことに対応できる自分であることを、今から準備してほしいと思います。)  -おわり

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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