先の日曜日の朝、本の少しだけ日テレのニュース解説番組を見たら、ある人が「これだけ新型コロナウィルス問題の解決が急がれているとき、いつまで「桜」のことをやっているんでしょうね。」と野党の国会での活動に疑問を呈していた。野党のやり方が賢いとは思わないが、桜問題と、最近つとに国際的に非難されるに至っている新型コロナウィルス対策の不十分性とは、「同じ根」なのである。だから、このふたつは、同時に追求する必要がある。その番組では、次に東京検事長の定年延期が閣議で決定されたことについて、少しだけ話題が飛び、「閣議で決めたのだから、正しいのでしょうが」などと、間の抜けたコメントをある人がしていた。閣議で決めたのならば、なんでも正しいのか。近年、閣議でひどく違法なことを決める回数が増えている。そして、自民党や検察庁においても、このことにはふれたくないという雰囲気があるという。あれほど明確な違法行為は、滅多にないと思うのだが。
こういうことには、ほぼ一貫した安倍内閣の姿勢かあるといえる。それは端的にいえば、自分に近い人、支持してくれる人には、極めて厚く待遇するが、そうでない人に対しては、それがたとえ、大きな災害であったとしても、非常に冷遇するということである。もっとも、後者に関しては、それを積極的にやれば、はっきりと支持率を向上させるとか、あるいは、消極的だと、支持率に大きな悪影響がでることが「分かる」と、違う姿勢になる。そういう妙な柔軟性は、安倍内閣の特徴である。共通テストにおける民間英語試験や、記述式問題への対応などは、分かりやすい例だ。
さて、今進行中の新型コロナウィルスへの政府の対応を検討してみよう。残念なことに、既に、ダイアモンド・プリンセス号対策で国際的な批判を浴びている。JBpressには、「新型肺炎、日本の杜撰な危機管理で日米同盟にも大打撃」(北村淳)と題する文章まで書かれている。(https://www.msn.com/ja-jp/news/national/新型肺炎、日本の杜撰な危機管理で日米同盟も大打撃/ar-BB10aDgF?ocid=spartandhp)
専門家がいろいろと専門的観点から書いているので、私は、一般市民として感じている疑問をあげておきたい。
最大の問題は、当初「水際作戦」に集中したことだろう。もちろん、「水際作戦」は絶対に必要だが、中国武漢から来日する人たちは、既に「水際作戦」を開始したときには、多数いたし、また、その後も中国との人の行き来は閉ざされていなかった。それは、それなりの意味があるのかも知れないが、既に、感染者がいた可能性もあるのだから、当然、その検査を実施する必要があった。しかし、その検査の対象は、極めて制限され、検査を受けたくても拒否される人が続出したわけである。だから、実際の感染者数は、公表されている人数よりも、ずっと多い可能性がある。若い人たちは重症化しないということなので、そのことは問題ないとしても、そこから二次的に感染した人のなかには、重症化した人がいたかも知れないのである。二次感染、三次感染だから、当初の検査対象に入っておらず、(湖北省からの帰国者、あるいは帰国者・来日者と接触した人に限定)検査されないのだから、新型コロナウィルスによる感染とは認識されないまま重症化した人がいる可能性は、小さいとはいえない。
何故、検査したい人たちに受けさせない政策をとったのか。いろいろな憶測が語られ、書かれている。政府は、感染者の数を少なくしたいので、検査を受けさせないのだと書いている人もいる。国が費用を負担するので、費用がかかり過ぎるから制限していると、テレビのあるコメンテーターが語っていた。そして、そもそも検査にはかなりの時間もかかるし、専門機関が必要なので、多くの検査をする体制がないのだという説明がなされた場合もある。しかし、最後の理由は、実際には、民間機関で検査可能なところは多数あるので、実際の検査可能性は、はるかに大きなものだったとされている。最初の理由は、絶対に間違いだと言い切る理由もないが、そこまでやるかという感じもするので、とりあえず、ここではとらない。
一番それらしいのは、やはり費用に関わることのような気がする。しかし、費用に関わって、検査そのものを拒否するということ自体が、非常に間違っていると思うわけだ。
武漢にチャーター機を飛ばして、日本人を帰国させる作業が行われたが、当初政府は、通常の旅客費用を徴収すると発表していたが、世間の批判があって、国が負担することに方針転換した。私は、このとき非常にがっかりした。当時、武漢にいたひとたちは、観光で滞在していたか、あるいは仕事で滞在していた人が多かっただろう。留学生ももちろんいた。いくら徴収するかは、場合によって相違して当然だと思うが、観光者の場合、帰国チケットをもっているわけだから、そのチケットで航空会社による清算が可能だろう。仕事の場合、企業が負担すべきものだ。留学生は、経済的に無理な場合もあるだろうから、考慮する必要があるかも知れない。つまり、一律国が負担する必要は、私はないと考えている。もちろん、帰国を強制する場合は別だが、今回は、帰国希望者だった。
政府は、自己負担を公表して、それが批判されると、あっさりと国費負担に切り換える。では、通常の旅客運賃をとるという方針は、どれだけきちんと吟味されたものだったのか。つまり、行き当たりばったりで決めていると、どうしても疑ってしまうのである。
これは、検査にも大いに関係しているのではないだろうか。
チャーター機で帰国した人に対して、半ば強制的に検査を受けさせたし、この場合、国が費用を負担する必要があるだろう。しかし、既に、日本には、他のいろいろな地域に感染者がいたことがわかっており、また、当時から、その疑いをもっている人たちがいた。そして、検査を受けたいといっているわけだから、そういうひとたちは、検査費用を自己負担させて、受けさせればよかったではないか。そもそも一般的に、なにか症状かあって検査をするときには、健康保険が適用されるが、健康な人の健康診断は、基本自己負担のはずである。この場合、保険適用すべきだという意見も少なくなかった。
ダイアモンド・プリンセス号の乗客たちへの、この検査体制に、納得する国民はあまりいないだろう。症状が現われている人たちから、検査をして、それ以外のひとたちは、検査そのものをずっと待たせる。本当に検査のキャパシティがないのなら、仕方ないだろうが、そうではないと、医療関係者から見解が出ているわけだから、それを制限したのは、不合理な管理主義か、費用負担の問題以外には考えられない。不合理な管理主義は論外だから、この際省くが、費用負担は、合理的な解決はいくつかありえた。
症状が出た人の検査は、国がもつ。症状がない人が検査を希望する場合には、自己負担、あるいは、船舶の会社が負担する(ように政府が交渉する。)クルーズ船の観光は、非常に費用が高い。だから、そこの客は、当然豊かな人たちばかりのはずだ。だから、自己負担であっても、安心のため検査をしたいと、ほとんどの人は考えるのではないか。そして、その費用を負担させることに、反対する人がいたとしても、それは当事者たちの意見ではないし、私には妥当と思えない。
結局、国が管理することに固執したのか、あるいは、費用の自己負担を批判されるのが怖かったの、それはわからない。しかし、いずれにせよ、極めて制限的な検査体制をとり、しかも、船内に長い間閉じ込めるという方策が、最初から予想されたように、感染者を激増させてしまった。
現政府の災害対応能力、あるいは対応姿勢の弱点が、またしても表れてしまったように思う。