昨日は、安倍元首相が、選挙演説の最中に狙撃されて亡くなってから1年であった。そして、この一年間は、安倍氏が存在しなくなったことが原因と思われる、多くの出来事が生じたように思われる。そして、間もなく、犯人とされる山上容疑者に対する裁判が始まることになるだろう。
私は、犯人が山上であることに、現在でも疑問をもっているのだが、大手メディアの報道については、心底不思議な感情をもってみていた。山上犯人説を否定する論は、簡単に「陰謀論」などと片づけている人が多いのだが、さまざまな情報をみれば、山上が犯人であるということへの疑問はたくさんあるのであって、そこに疑問をいだかないことのほうが、私には不思議に思われ、山上犯人決めつけ論こそ、陰謀論ではないか、とも思えてくる。大手かどうかわからないが、週刊文春だけが、山上犯人説への疑問記事を何度か掲載したが、その後他のマスコミがおいかけ記事をのせることもなく、なんとなく立ち消えになってしまった。とくに、私にとって不可解なのは、リベラルというひとたちは、山上犯人説をまったく疑っていないらしいことだ。疑問を強く押し出しているのは、確かに、非常に右寄りのひとたちが目立つ。しかし、政治的立場は不明の科学者もいる。リベラルというのは、自由な思考をし、単純にものごとをきめつけないひとたちであると思うのだが、この安倍銃撃事件については、公式にいわれていることを、まったく疑わず、その延長上で考えているひとたちばかりである。このブログを読んでいるひとたちはわかるはずだが、私は、もちろんリベラル派である。だから、不思議なのである。