都響の「千人交響曲」を聴いて

 昨日都響の定期演奏会にでかけた。曲目は、マーラーの交響曲第8番、いわゆる「千人交響曲」だった。もちろん、生で聴くのははじめてであり、今後もおそらく聴く機会はないだろう。ぜひ聴きたいとも正直思わなかった。私は、50年以上のマーラーファンだが、8番と7番はどうしても、あまり聴く気がおきない。聴きだしてもたいてい飽きてしまうのだ。8番は、マーラーの生涯のなかで、最高の称賛をえたものだとされるが、それがどの程度音楽に対してであったかは、疑問だ。というのは、初演は万国博覧会での催しの一環として行われ、実際に、演奏人数が千人を超えたというのだし、その人数でのあの圧倒的な迫力だから、聴衆たちは度肝をぬかれたに違いない。そして、拍手喝采を送ったのは、ごく自然のように思われる。マーラー自身は、とても自信があったようだし、万博での初演だから、要人たちもたくさん参列していたようだ。だから、初演成功となったのだろうが、しかし、当然ともいえるか、滅多に演奏されない曲になった。なんといっても、あまりに必要演奏人数が多すぎる。どんなに豊かな経済基盤をもったオーケストラでも、めったなことでは演奏するわけにはいかないだろう。曲の存在は有名だとしても、実際に接する機会が少ないのでは、ポピュラーにはなりにくい。
 現在では、CDなどの媒体があるから、収益構造は変わったが、この8番に関しては、単体として録音されることは滅多になく、だいたいマーラー全集の一環として、しかも、その全集の企画が成功して、順調に売れていれば、最後に録音されるのが通常である。
 しかし、そうした有名だが、滅多に演奏されない曲ということの理由は、音楽的な魅力に乏しいということも否定できないのではないかと思うのである。もし、魅力が充分にある曲ならば、合唱をしぼり、独唱も兼任するなどして演奏すれば、充分に演奏効果は達成できると思う。2番「復活」もかなりの人数が必要な曲だが、比較的演奏機会が多い。つまり、2番程度には演奏されるようになるのは工夫したともいえる。ただ、そうして人気をえられるかということだ。少なくとも私は否定的だ。

 さて、昨日の演奏だが、まず驚き、かつ敬意を表したいのは、指揮をしたインバルである。なんと90歳。しかも、休憩なし、90分のあの大迫力の曲を、全部立ったまま指揮をした。最初から椅子は用意されていなかったから、90分立ち続けて指揮をする自信があったのだろう。80歳代で指揮をしている人は、昔から何人かいるが、私の知るかぎり、ほとんど座って指揮をしていた。セラフィン、ベーム、ブロムシュテット等々。カラヤンは怪我をしたこともあったが、もっと若くから事実上座っての指揮だった。わずかな例外はトスカニーニか。
 インバルの指揮は、もちろん大きな動作はほとんどなかったが、伝えたいことは後からみてもよくわかったし、合唱の出などもきちんと指示していた。それほど多くの練習時間があったとは思えないが、あれだけの長い曲、そして、あれだけの大人数のアンサンブルを、乱れなく統率していたのは、それだけでもすごいと思わずにはおれなかった。
 合唱は、大雑把に数えただけだが、250人くらいいた。大人は新国立劇場の合唱団で、さすがに日常的に活動している団のひとたちだけに、すばらしいできだったと思う。児童合唱も人数がかなり多かったこともあり、大人に負けずよく響いていた。
 指揮者とともに感心したのは、8人のソリストで、あの大オーケストラと大合唱を背景にして、打ち消されることなく響いてきたのには、やはり、大健闘だった。とくにソプラノの第一は、全体のフォルテのなかで、高いシの音を持続させるようなところが何回かでてくるのだが、その際にもきちんと聞えたのは、かなりの実力者なのだろう。すべてのソリストは、それぞれ独唱する場面が与えられているが、いずれも聴き応えがあった。とくにメゾの藤村さんは、さすがにしみじみとした、滲みいるような声を聴かせた。
 オーケストラは、あれだけ長い曲で、かつ複雑、そして、滅多に演奏しない曲(ほとんどの団員ははじめての機会だったのではないだろうか)ということで、さすがに、わずかながら管楽器に不安げなところもあったが、全体としては、確信をもって演奏していた。とくに、第二部で第一バイオリンが叙情的な長いメロディーを奏でる部分は、とても美しかった。だが、残念ながら、こういう部分そのものが、この曲には、あまりない。

 演奏にはとにかく圧倒された。退屈する場面はほとんどなかった。しかし、それは演奏に対してであって、曲に対してとはいいがたい。やはり、8番の交響曲は、繰り返し聴きたくなる曲では、少なくとも私にとっては、ない。マーラーは、6番作曲のあと、スランプに陥ったと思うのである。作曲家にだって、スランプはある。ベートーヴェンにもあった。8番の交響曲を作曲したあと、ベートーヴェンはスランプになったと一般にいわれている。8番と9番「合唱」の間に、かなりの年月が経過していることがその現れである。偉大な作曲家は、とくに晩年になると、作曲技巧が熟達してくるので、その技術が、インスピレーションの不足を補って聴かせることがある。音楽そのものの魅力ではなく、テクニックで聴かせるのだが、それはやはりインスピレーションに富んだ名曲の魅力には劣る。8番はそんな感じがするのである。マーラーがスランプを脱したのは、「大地の歌」によってだった。そして、9番、10番と続く好調な時期が続くのだが、それだけに10番を完成できなかったのは、残念だ。
 とはいうものの、せっかく生を聴いたので、手許の千人交響曲のCDは聴いてみるつもりだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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