指揮者のこと

 先週の日曜日にファミリーコンサートの本番があり、今週から9月の演奏会のための練習にはいった。
 練習初日だが、本番を振る指揮者ではなく、代振りの人がきた。おそらく、我がオーケストラでは初めて迎える人だと思う。どういう経歴かなども、まったく知らされないから、年齢などもわからない。本番の指揮者は、演奏会当日のプログラムに詳細に書かれるからわかるのだが、そのときになってのことだ。だから、オーケストラと指揮者は、練習そのものしか接しない。もちろん、話しかければ応じてくれるし、そうしている人もたくさんいるが、私は、そうしたことをしたことがない。とにかく、練習そのものが大事だ。
 この文章を書こうと思ったのは、昨日初めて練習をつけてくれた指揮者が、とてもよかったからだ。オーケストラで実際に演奏したことのない人には、指揮者という存在について、それほど詳しくはわからないだろう。多くの人にとって、一度やってみたいこととして、必ずあがるのが「プロ野球の監督」と「オーケストラの指揮者」である。そういう憧れの職業であるが、大変な能力を必要とする仕事なのである。

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ゼレンスキーはインドを説得できるか

 ゼレンスキーが今日来日して、明日のG7の会議に出席するというニュースは、本当に驚いた。最近は、ヨーロッパのあちこちにでかけているので、現在は支援の継続を訴えることに注力しているのだろうが、まさかわざわざ日本にまでやってくるとは思っていなかった。やはり、そうとうな危機感をもっているに違いない。
 ゼレンスキーは、これまでにもG7の首脳とはほとんどあっているのだから、そのメンバーにあうことが主な目的ではなく、私はインドの説得にあると思っている。G7といっても、メンバーではない国で招待されてやってくる国はけっこうある。そのなかにインドが入っているわけだ。周知のように、インドはロシアと現在でも密接な関係をもっていて、石油を輸入している、というより、前よりずっとたくさんの石油を買っているわけだ。本当かどうかはわからないが、インドは、その安く輸入した石油をマージンをつけて、他国に転売しているという。そして、そのなかにはEUの国も入っているというのだ。だから、EUは、先日インドからの転売を輸入しないように措置することを確認したようだ。

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ゆとり教育2

 前回は、ゆとり教育は失敗したが、しかし、必要な改革であったと書いた。
 何故必要であったのか。それは、なんらかの措置をとらなければ、日本の子どもたちは、あまり勉強しなくなるだけだと予想されたからである。日本の子どもは、多少の例外はあっても、平均的には、勉強は試験のため、受験のためにする、それがない時期には、少なくとも学校の勉強などはしない、という傾向である。子どもは学校が好きか、という調査には、圧倒的に「好き」という回答がえられるが、その理由は、「友達」であって、けっして「勉強」ではない。学校は勉強する場であることは、誰でも自覚しているだろうが、学校の勉強を楽しいと感じている子どもは、ごく少数しかいないのである。しかし、それでも、日本の子どもたちは、よく勉強してきた。そうしないと進学できないからである。

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深刻な労働力不足

 コンビニに限らず、アルバイトで成り立っている業種は少なくないし、また、アルバイトとはいえなくても、非正規労働でなりたっているところもたくさんある。そして、そうしたところの多くが、今深刻な労働力不足なのだそうだ。しかし、以前はまったくそうでなかった業種でも、人手不足が深刻になりつつあるのが実情である。典型的には学校の教師だ。少し前までは、学校現場が教師不足で深刻な状況になったことなどなかった。いつでも、志願者のほうが多く、採用する側は、好きなように選抜ができた。そして、正規採用をせずに、1、2年臨時採用として、じっくり気にいるかどうかを見定めてから正式採用するようなやり方も、広く行われていた。今でもそうした県があるかどうかはわからないが、全国的には、教師は完全に不足状態で、校長や教頭が担任をせざるをえないような学校もあるらしい。そして、東京都は、事実上定年がなくなり、いつまでも働きたいだけ働けるともいわれている。
 かの官僚の世界でも、不足になっているわけではないが、志願者が大幅に減っているという。

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ジャニーズ問題の一側面

 BBCが昔のジャニー・喜多川氏による性加害問題を報じたことで、日本でも、ついにという感じで、大きな問題になっているようだ。私自身は、この分野(音楽・ドラマ)にまったく興味がなく、学校の音楽の時間に習うらしいスマップの歌も、年代が違うこともあり、まったく知らないのだが、私自身は、多少ななめからこの問題を考えている。それは、端的にいって、ネット対テレビという勢力争い、あるいはネットによる告発対テレビによる既存勢力の防衛戦といったらいいだろうか。(性被害問題については、被害者救済の措置がとられるべきことは当然なので、ここでは論点とはしない。)

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楽観できないウクライナ情勢

 ウクライナ側の反転攻勢の話題が盛んになっており、既に始まっているとか、バフムトで逆転しつつあるような報道がなされているが、気になることもある。毎日の軍事・戦況状況を報告するyoutubeのサイトで、ウクライナの弾薬庫が大々的に攻撃されて、爆発したとされていた。これは、おそらく初めてのことではないだろうか。ロシア側の攻撃能力が改善されているという面もあるだろうし、そもそも、これまでなら、ウクライナ側が弾薬を一カ所に多数保管しておくことはなかったように思うのである。ウクライナはロシア側の弾薬貯蔵施設を何度も攻撃しているのに対して、ウクライナは、弾薬等を小分けにして、分散保管しているから、たとえ攻撃されても、被害が少ないといわれていたはずである。それが、かなり大規模な集積所に保管してあり、そこが攻撃されたというのは、今後の反転攻勢にかなりマイナスである。

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ゆとり教育は間違っていたのか

 伊東乾が「「ゆとり教育」の失敗をチャットGPTで乗り越えろ!」という文章を書いている。
 簡単な趣旨は、ゆとり教育は、有馬朗人が、自分が学んだ武蔵高等学校の経験を元に考えだしたものだが、山川健次郎が生徒たちと生活をともにして、教育に心血を注いだ教育とは、まるで違うもので、成功するはずがなかったし、今ではゆとり教育が成功したと考えている人は皆無だろう。しかし、その遅れを取り戻すために、ChatGPTを教育の場で有効に使うべきだ、というものだ。
 本筋ではないが、ゆとり教育によって、ノーベル賞を受賞できるような人材は現れなくなるだろうというようなことも書いている。ノーベル賞を受賞した人は、戦前生まれかせいぜい戦後間もなく生まれたひとたちであって、それ以降は、ほとんど生まれていないということもいっている。ただ、この点での伊東氏の論は、まったく賛成できない。戦前の教育と戦後しばらくの教育は、教育的性格としては、正反対、あるいは対立的ともいえるほど異なるものだったのだから、このふたつをくくって、ゆとり教育と対比させることは、まったく歴史的事実と異なっている。むしろ、戦後の教育(1940年代後半)の教育は、ゆとり教育と近いものがあったといえるのである。

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我がオーケストラの演奏会

 今日は、私が所属する市民オケ、松戸シティフィルハーモニーのファミリー・コンサートだった。ということで、いつものようなブログを書く時間がないので、演奏会のことを書きたい。
 曲目は、ウェーバー作曲「舞踏への勧誘」、ビゼー作曲「組曲ローマ」、そして、ブラームスの交響曲2番だった。
 クラシック音楽は、作曲家が創作した楽譜通りに演奏するのが、大原則なので、編曲は滅多に演奏されない。モーツァルトがヘンデルのメサイアを編曲したバージョンがあるが、CD1、2しかでていないし、実際の舞台で演奏されることは、現在ではほとんどないに違いない。モーツァルトが編曲しても、こうなのだから、やはり、編曲ものは異端として扱われる。ところが、2曲だけ、むしろ原曲よりも有名で、頻繁に演奏されるのが、この「舞踏への勧誘」と、ムソルグスキー作曲、ラベル編曲の「展覧会の絵」だ。ともに原曲がピアノ曲、編曲者が有名な作曲家であり、かつすぐれたオーケストレーションの名人である点が共通している。「舞踏への勧誘」は、ベルリオーズの編曲だ。いかにもロマン派の曲らしく、舞踏会で男性が女性を踊りに誘い、若干のやりとりのあと、おどりだす、そして、最後に挨拶して終わるというものだ。男性がチェロに割り当てられ、我がオーケストラには、チェロの名手がいるので、ここは実に、後ろで聴いていてもほれぼれした。

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五十嵐顕考察14 勤評闘争2

(アップしていたと思っていたために3をアップしたが、まだだったので、アップする)
 愛媛県は、財政再建のために、教師の給与をカットすることにしたが、一律カットではなく、カットする者としない者を分けることにした。表向きは、当然優秀な教師とそうでない教師、つまり、教師として不十分である者をカットする、ということだろうが、実際には、組合員を狙い撃ちにして、組合の攻撃に使ったのである。これは、当事者たちには、疑いのないものとして理解されたのだろう。
 実は、私が中学時代、生徒会の役員をしていたが、顧問の教師が二人いて、二人は、役員の生徒たちがいる前でも、いつでも異なる意見を述べて、生徒たちを混乱させていた。そのうちに、われわれは、独自に考えるようになったという意味では、よかったのだが。そのひとつがスポーツ大会で、例年ソフトボールとバレーボールで、全クラス対抗のスポーツ大会をやっていたのだが、私たちが役員の年は、教師たちから、グランドと時間の関係で、この競技はできないと言われて、では何をやるかと、散々議論した結果ドッチボール大会にしようということになった。ところが、有力教師と言われる人が、猛反対しているという噂が入ってきた。ドッチボールなど小学生の競技だというわけだ。そこで、大きな本屋にいって、ドッチボールの本を買ってきて研究したところ、大人の競技としても認められていることを知り、けっこう不満もあったが実施した。猛反対した教師のクラスが優勝したので、ご満悦だったという話をきいた。

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HIMARIを聴く

 吉村妃鞠が、N響の定期演奏会で演奏したことを、youtube動画をみて知ったので、早速聴いてみた。HIMARI となっているので、既に国際的に活躍していることであり、五嶋みどりが midori として活動していることに倣ったのかも知れない。確かに世界中で活躍しているのだから、吉村妃鞠よりは、親しまれるに違いない。
 熱心に追いかけているわけではないので、久しぶりに聴くのだが、音がきれいであることにびっくりした。以前の、本当にまだ小さい子どもで、かなり小さいバイオリンをつかっているときには、こんな小さい楽器で、あのような音がでるのかとびっくりしたけれども、それでもやはり、大人のプロソリストの音ではなかったが、今回のN響との演奏では、完全に大人の美しい響きだった。まだかなり身体は小さいし、フルサイズではないのだろうが、コメントによるとストラディバリウスだというが、ウィキペディア情報ではアマティで、やはり分数バイリオンということだ。私には、正確なところはわからないが、本当に美しい音だった。しかし、演奏は、圧倒的にすばらしいとまではいえないものを感じた。というのは、前に聴いたコンクール時のものよりは、ずっと大人しく、お行儀のよい演奏なのだ。そして、オーケストラ伴奏よりも、ピアノ伴奏のほうが、すばらしい演奏になっていることが多いように思われた。

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