ゆとり教育は間違っていたのか

 伊東乾が「「ゆとり教育」の失敗をチャットGPTで乗り越えろ!」という文章を書いている。
 簡単な趣旨は、ゆとり教育は、有馬朗人が、自分が学んだ武蔵高等学校の経験を元に考えだしたものだが、山川健次郎が生徒たちと生活をともにして、教育に心血を注いだ教育とは、まるで違うもので、成功するはずがなかったし、今ではゆとり教育が成功したと考えている人は皆無だろう。しかし、その遅れを取り戻すために、ChatGPTを教育の場で有効に使うべきだ、というものだ。
 本筋ではないが、ゆとり教育によって、ノーベル賞を受賞できるような人材は現れなくなるだろうというようなことも書いている。ノーベル賞を受賞した人は、戦前生まれかせいぜい戦後間もなく生まれたひとたちであって、それ以降は、ほとんど生まれていないということもいっている。ただ、この点での伊東氏の論は、まったく賛成できない。戦前の教育と戦後しばらくの教育は、教育的性格としては、正反対、あるいは対立的ともいえるほど異なるものだったのだから、このふたつをくくって、ゆとり教育と対比させることは、まったく歴史的事実と異なっている。むしろ、戦後の教育(1940年代後半)の教育は、ゆとり教育と近いものがあったといえるのである。

 
 ゆとり教育が成功しなかったことは、私もそう思うが、全体的な評価は多少違う。そもそも、ゆとり教育とは何だったのか、何をめざしていたのか、また、ゆとり教育をめざすとしても、その条件整備ななされていたのか等々を検討しなければ、失敗したといっても、そこから教訓を引き出すことはできないだろう。いきなりChatGPTというのも、乱暴な気がする。
 
 ゆとり教育を、もっとも積極的に位置付ければ、学びをできるだけ自由ななかで行うことを可能にすることで、自分にあった学びを実現し、創造的なものが生まれていくことを促進することをめざしたと、いいたいところである。もちろん、それは私の願望だったともいえる。
 しかし、そうした教育が求められる必要性はあった。ゆとりの象徴のひとつとして考えられている学校五日制は、教育的理由ではなく、日本人の働きすぎという非難に応えるための政策だったわけだが、同時に、あまりに受験のための勉強に偏ってしまった、日本の生徒たちの学習のありかたをかえる必要が認識されていた。日本人の初等・中等レベルでの学力が高いことは知られていたが、しかし、大学になると欧米に逆転されてしまうといわれていた。それは、受験勉強のために勉強する姿勢が、いざ大学にはいると、勉強意欲そのものが低下してしまう者が多く、受験勉強で学んだことを忘れてしまうことが多く、結局、本当に勉強が必要な大学生、そしてその後の社会人が、学習意欲をあまりもちえない弊害が認識されていたからである。
 そうした弊害を打破するためには、勉強を受験や競争のためではなく、知りたいから、好きだから、将来のために必要だから、という理由で、各人の個性を尊重した形で勉強する環境を整備していく必要があったのである。しかし、残念ながら、教育政策にかかわったり、また教師の大部分も、受験勉強の形で勉強してきた経験しかないのだから、子どもたちに、自由に、だがしっかりと学習させることのノウハウなどなかったといってよいだろう。結局、ゆとりを実践しようとおもえば、勉強量が減ってしまうことになる。
 そして、実際のところ、少子化がどんどん進んでいたから、とっくり高校は全入状態であり、また、21世紀になって早々、大学も全入状態になった。中学生や高校生たちに、受験圧力がかからなくなったのである。だからこそ、ゆとり教育がめざしたものが実現できればよかったが、それはないものねだりだったといえる。総合的学習の指導など、教員養成課程で学んだことなどないのだから、成功するはずもなかった。
 しかし、ゆとり教育の精神がうまく活かされた人材もいないことはない。大谷翔平は、まさしくゆとり世代であり、大谷の意欲を尊重し、支え、そして、邪魔しないというなかで、大谷というまったく新しい選手が生まれたわけである。だから、これから、創造的な業績を生んでいく人材が現れる可能性はないとはいえない。
 
 では、ゆとり教育は、まったく間違った方向性だったのかといえば、私はそうは思わない。少子化によって、日本の教育行政や教師たちが、勉強をさせる意欲喚起の多くが「受験」のためであり、また、生徒たちも勉強は受験のためにするような意識が支配的であった。もちろん、個々には異なる者もたくさんいたろうが、全体的傾向としては、間違いない。しかし、少子化による大学全入状態を考えれば、そうした意欲喚起が機能しなくなるのは、ほぼ確実に予想されることだった。だから、勉強することの本来の楽しさを感じさせるような教育に移行することが必要だったのである。それが「ゆとり教育」でやるべき課題だったのである。しかし、文科省として、ゆとり教育を全面的に押し進める勢力ばかりではなく、ふたつに分かれていたといわれている。ゆとり今日の旗振り役だった森脇氏は、ミスター文部省などといわれていたが、森脇氏は、むしろ少数派だったのではないかという印象だ。つまり、大方の政治家や教育行政は、競争の要素を再強化する方向で対応したのである。それが全国学力テストの復活であり、その地方版の実施であり、そして、PISAの重視だった。PISAで少し成績が下がったことで、ゆとり路線を放逐したことでも、それが明白だ。
 したがって、ゆとり教育が、全体として成功するはずもなかったのである。だが、今後の日本社会の発展のためには、勉強を楽しくやる世代が育つことが必要なのであり、ゆとり教育がめざしたような方向こそが、再度導入される必要があり、その際には、もっと大きな改革が伴う必要がある。それはまた別に論じたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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