吉村妃鞠が、N響の定期演奏会で演奏したことを、youtube動画をみて知ったので、早速聴いてみた。HIMARI となっているので、既に国際的に活躍していることであり、五嶋みどりが midori として活動していることに倣ったのかも知れない。確かに世界中で活躍しているのだから、吉村妃鞠よりは、親しまれるに違いない。
熱心に追いかけているわけではないので、久しぶりに聴くのだが、音がきれいであることにびっくりした。以前の、本当にまだ小さい子どもで、かなり小さいバイオリンをつかっているときには、こんな小さい楽器で、あのような音がでるのかとびっくりしたけれども、それでもやはり、大人のプロソリストの音ではなかったが、今回のN響との演奏では、完全に大人の美しい響きだった。まだかなり身体は小さいし、フルサイズではないのだろうが、コメントによるとストラディバリウスだというが、ウィキペディア情報ではアマティで、やはり分数バイリオンということだ。私には、正確なところはわからないが、本当に美しい音だった。しかし、演奏は、圧倒的にすばらしいとまではいえないものを感じた。というのは、前に聴いたコンクール時のものよりは、ずっと大人しく、お行儀のよい演奏なのだ。そして、オーケストラ伴奏よりも、ピアノ伴奏のほうが、すばらしい演奏になっていることが多いように思われた。
その理由は、なんとなく想像がつく。オーケストラとの共演では、どうしても、練習時間が限られる。通常プロオーケストラの練習は3回であり、そのなかで、すべての曲目を仕上げなければならない。協奏曲の場合には、総練習時間の3分の1くらいしか使えない。私たちのような市民オケでも、協奏曲の練習は、奏者がプロでソリストとして活動している人の場合には、本番の前日の練習にソリストがやってきて、一度通して、そのあと気になる部分を確認しながら演奏する。そして、当日の午前中の練習で、もう一度通して演奏して、それで本番である。プロのソリストでない場合(オーケストラ奏者、普段ソリストとしてはあまり演奏経験がない人)の場合には、それぞれの事情や都合に応じて、もっとあわせの練習をくむが、プロオケの定期演奏会は、かなり実力のあるソリストでなければ呼ばれないから、私たちの市民オケの場合よりも、もっと練習回数が少ないかも知れない。そして、そうした少ない練習でも、優れたソリストであれば、ぐいぐいとオーケストラをひっぱっていく力がある。自分の音楽ができるわけだ。
しかし、そうとうなオーケストラとの共演経験をもっているとはいえ、HIMARI はまだ11歳である。11歳が、わずかな練習期間で、N響をひっぱるような演奏をするのは、やはりかなり難しいのだろう。だから、お行儀のよい演奏という感じになってしまうのかも知れない。
それに対して、ピアノ伴奏による演奏は、もっと自由で柔軟である。グリュミオー・コンクールでの演奏で、カルメンの変奏曲とクライスラーのジプシーの歌を弾いていたが、大胆さや伸びやかさがずっと出ている。おそらく、ピアノ伴奏の場合には、伴奏者との練習を何度もとれるのだろう。しかも、グリュミオー・コンクールでピアノ伴奏をしていたのは、父親だったというから、これは、双方が気に入るまで練習することができたはずだ。いかに天才的な HIMARI でも、いきなりオーケストラを従えるような演奏ができるようになるには、人生経験も必要だろうし、大人であることも条件になるのかも知れない。逆に、N響との演奏会で、アンコールで弾いたバッハの無伴奏のは、実に美しい演奏だった。さすがのN響メンバーも、かなり感心していたようだ。
この吉村妃鞠という天才バイオリニストを考えると、どうしてもいわゆる「親ガチャ」ということを考えが向いてしまう。私の知る限り、国際的に有名なバイオリニストは、かならず親のどちらか、あるいは近い親戚にバイオリニストがいる。吉村妃鞠の場合は、母親だけではなく、祖母もバイオリニストなのだそうだ。そして、父親は作曲家である。他の楽器は、かならずしもそうではないのに、バイオリニストだけはそうなのはなぜか。それは、バイオリンの練習を適切に行うために、少なくとも小さいころ、おそらく小学校低学年くらいまでは、きちんとバイオリンを教えられる人が、そばにいなければならないからだ。ピアノの場合、才能豊かな子どもであれば、週に一度先生のところに通って、課題を与えられ、それを一人で家で練習していくというようなことが可能だ。その間親が指導できれば、それにこしたことはないが、ピアニストの小さいころの練習の話では、親がピアニストでない場合はいくらでもある。
ところが、バイオリンという楽器は、みればわかるように、非常に無理のある姿勢で楽器を保持し、楽器を安定させながら、指と弓が弦に力を加えていく。顎の力で楽器を支える必要があり、弦に力が加わるのだから、安定させるのは、とてもしんどいのである。大人でも、初めて練習をはじめた人であれば、とても苦痛であるに違いない。それを幼児が実行することは、本当に大変なことだ。しかも、世界のトップクラスになる人は、小さいころからだいたい5時間程度の練習を毎日しているものだ。無理な姿勢で、5時間練習していれば、誰だって、姿勢がだんだん崩れていく。それを適切に是正させることができる人が、常に側にいないといけないのだ。それが毎日、数時間可能なのは、やはり親ということになる。
なんとなく、不平等な感じもあることだが、少なくともこれまでの音楽史では、事実といわざるをえない。しかし、前に書いたエル・システマは、この条件を覆しつつある。エル・システマからは、優秀なバイオリニストだけではなく、あらゆる楽器、そして指揮者が育っている。それは、毎日集まって4時間以上オーケストラとして練習するからだ。ここには、集団の力が加わるので、普通の子どもでも、それだけの練習が可能になる。個人的な練習で、4,5時間バイオリンの練習ができるのは、よほどの才能をもった子どもでなければ不可能だ。そういう意味でも、エル・システマは、画期的なシステムだと、吉村妃鞠のことを考えていて、改めて思った。
いずれにせよ、HIMARIが世界のトップバイオリニストになることは、確実だろう。