勤務評定の最初の導入は、財政問題であったが、それを全国に拡大させたのは、明らかに、戦後改革の修正をする上で、反対をすることが多かった日教組を弱体化させることが目的であったことは、疑いようがない。勤評の施行と、戦後改革を修正する諸改革が行われたのは、ずっと並行していた。
五十嵐氏は、具体的に、制度面で、教育委員の任命制、文部大臣による府県教育長の承認制、教材の届出、学校管理規則の制定、地教委の一斉設置、教育二法(教師の政治活動の制限)教育内容にかかわって、道徳教育の特設、学習指導要領の全面的改訂(試案から拘束的)高校のコース制などをあげている。
つまり、管理・統治の強化と教育内容を変更を実行するために、反対運動の中心である日教組を潰すために、勤務評定を導入したという位置付けである。
実際に、日教組潰しの効果は、着実にあがっていった。まず、校長もかなり組合員だったが、校長を管理職と位置付け、管理職手当を支給し、労働組合法の規定によって、校長を組合から脱退させた。
校長が管理職であったとしても、固定的な「身分」である必要はない。大学では、学部長は通常管理職になって、組合から抜けるが、任期制であり、教授会メンバーの選挙によって選出される。(大学によっては異なる)任期が終われば通常の教授に戻り、管理職ではなくなるから、組合に復帰する。こうした形は大学では珍しくない。また、欧米では、そのような形をとっている学校は、少ないがある。シュタイナー学校は原則、校長は選挙で選ばれる。どちらが教育的に望ましいかは、一概にいえないが、私は、校長を固定的な管理職にするよりは、リーダーを適宜交代させていくほうが、学校全体の教育活動の質を向上させる上では、プラスであると考える。小中学校でそういう校長の在り方を導入してはいけない教育的理由などないのだ。
まだ、勤評が始まるころは、多くの校長は日教組に入っていた。また、管理職の位置付けをされて、組合から自動的に排除されても、日教組の主張に共鳴する人は少なくなかった。そして、彼らは、自分が反対している勤務評定を、教育委員会から「命令」され、評価せざるをえない苦悩を苛まれることになった。しかし、校長は、かなり年配になってから就任するので、定年までの期間は短く、比較的早く新任校長が生まれ、次第に、管理職意識の強い校長に代えられていくことになる。そうすると、本来の勤評の運営が徹底していって、日教組への抑圧が勤評を媒介に効果を発揮していった。
勤評を昇給・昇格に明確に使うことで、組合に入っていると、昇給・昇格において著しく不利な状況を作り出した。これは、私自身、そうした不利益を被った組合員教師から実際にきいた通りである。人間誰しも、明確に昇給・昇格で不利に扱われるのでは、組合に加盟していることに不安を感じるし、また、新任教師がはいることを躊躇するだろう。教師は、正式採用されても、それは最終的な採用ではなく、一定期間のあとに、正式な身分となる。その期間を次第に延長してきたのだが、その間に組合に加入すると、ほぼ確実に正式採用を拒否される。したがって、新任教師の組合加入は年々減少し、いまは組合員加盟教師は、完全な少数派になっている。
五十嵐氏の「勤評をめぐる社会的背景」という文章は、政府の教育政策を批判し、勤評反対の運動で芽生えた教師と地域住民・父母との連帯の成果を強調している。確かに、そうした面はあっただろうし、重視すべきことだったと思う。教師が父母や地域のことを知ることは、大切なことであり、勤評闘争において、そうしたことが進んだことは事実だったろう。
ただ、理解を示さない父母たちも少なくなかったことも見逃せない。「教師は子どもたちを評価しているじゃないか。なぜ、教師は評価されないのだ」という疑問が出されることも少なくなかったという。
1で書いたように、この問題は現在なお解決されていないように思われる。原則的には、やはり、なんらかの形で教師も評価されるべきなのである。宗像誠也は、当時、必要性を認めながら、まだ充分に研究されていないという理由を、反対理由のひとつにあげていた。しかし、私の知る限り、教育学者が、教師評価の納得できる方法を研究して、明らかにしたということはない。少なくとも、教師評価の方法についてのコンセンサスを形成されていないといえる。
もちろん、不要論も充分に成立する。教師は基本的に同じことをしているのだから、同一労働同一賃金で、役職や委員などをすれば手当てを出す。もし、教師としての仕事で明確な不都合があった場合には、処分すればよい、という考えである。せいぜい、評価を待遇に反映させるとしても、せいぜいがボーナスの額等ではないかという意見だ。
この点について、ひとつユニークな教師評価をしている学校を紹介しておこう。なんどか言及しているアメリカ発祥のサドベリバレイ校である。登校したあとの活動は、まったく生徒自身が決めるという、究極的な自由学校であるが、学年末に、生徒全員(6歳から18歳まで)が、教師一人一人の評価を行う。判断は単純で、来年度も教師としてきてほしいか、いらないか、ということだ。不要という評価が多数だと、次年度の契約はできない。時間割にしたがった授業をするわけではなく、必要なときだけ相談にいったり、授業をしてもらうわけだから、否定的な評価はあまりでないようだが、とにか、生徒による評価というのは、ユニークであるし、検討に値するのではないだろうか。
次に、教師の組合が、教育に関することとはいえ、かなり政治的な領域での闘争をすることが妥当なのか、組合としての活動の限界を超えているのではないかという意見もあるに違いない。特に、政府文部省が、教師の政治活動を禁止する法を制定していたわけだから、政府を指示する人たちからみれ日教組の政治闘争は違法に思われるだろうが、他方、そうした規制こそ、憲法で認められた労働基本権や集会、結社の自由に違反すると考えるひとたちは、逆にますます政治的な闘争をせざるをえないと主張するだろう。
一般論として、教師には、教育活動の質を高めるための活動をする職能団体と、労働条件の向上のために活動する労働組合のふたつの組織が考えられる。国によって異なるが、このふたつが別の組織になっている国もあるが、日教組は、このふたつをともに併せ持った組織であることに、大きな特徴があった。勤評闘争のような闘争をする一方、地域から積み上げていく教育研究集会を開催して、子どもの状況や授業報告をもとにした議論を、毎年積み重ねたいた。(つづく)