五十嵐顕考察13 勤評闘争1

 勤評問題は、戦後教育行政史、教育運動史のなかで、際立って対立が激しく、そして、長く問題となっているひとつだ。正確にいえば、現在でも、社会的コンセンサスにいたっていないといえる。
 単純にいえば、労働し、その対価が支払われている以上、労働に対する評価があるのはごく当たり前のことである。労働の成果がよければ、昇給したり昇格したりする。それも、ごく普通のことだ。だから、教師に対して勤務評定をするのも、当たり前のことだと思われるのだ。
 しかし、少しでも掘り下げていくと、教師の労働を評価することは、簡単にはできないことだとわかる。教師の労働、つまり、教師の教授活動や生活指導の成績がよいことは、どこで判断するのだろうか。そして、誰が判断するのだろうか。スポーツなら、決められた基準によって表れる数値がある。フィギュアスケートなどのように、主観的な要素が入り込んでいる種目でも、判断基準は明示されているし、厳しい審査にパスした審査員が審査し、その結果は通常公開される。もちろん、演技を実際に見て、ただちに判断する。だから、基準から著しく離れたような評価をすれば、問題になる。ときとして、判定が社会問題になることはあるが、それはごく稀な現象であり、通常は、明確な勝敗がつき、あるいは、専門の審査員が基準にしたがって審査して順位がつく。

 
 だが、教師の場合には、誰が判断するのか、という問題がまず難題だ。制度的には、校長が勤務評定をしているのだが、校長は、教師の授業をみているわけではない。アメリカは、原則、決まった地位の教師は、年齢に関係なく一定の給与だが、評価によってボーナスをつけるところがある。その場合、専門の審査官が、突然授業を見に来て、じっくりと観察して、優れた授業をしていると認められると、ボーナスがでるというようなところがある。(地域によって、そうしたシステムは異なる。)ボーナスだから、勝敗ではなく、努力すれば、だいたい認められるようだが、専門的な資格をもった人がじっくり観察するわけだ。
 しかし、日本の校長は、評価のために、全教師の授業をじっくり見たりはしない。つまり、教師の活動を実際に観察して、評価しているわけではないことになる。
 
 では、なんらかの数値ではかるのか。学力テストの平均点、あるいは、学期ごとに伸びているか、下がっているか、等々。しかし、誰でもすぐ疑問に思うように、子どもたちの質によって、かなり成績が異なってくるから、教師の力量によって、変わる部分は少ない。元々優秀な子どもが揃っているクラスの担任と、逆の担任では、学力テストの結果で比べたら、あまり不公平になるだろう。いじめがあった、なにかトラブルが発生した、クラスが荒れている。こうしたことを減点法で評価するということは可能だろうか。もちろん、教師の力量が影響するだろうが、やはり、トラブルを起こしやすい子どもがいることは事実であり、そうした子どもが複数いれば、学級運営は極端に難しくなる。そうした子どもは予めわかっていることが多いから、誰が受け持つかは、事前の大きな問題となる。校長が決めるが、教師たちの意向を無視するわけにはいかない。よく行われるのが、力量のある教師に託す。しかし、いくら力量がある教師でも、何人もの課題を抱えた子どもがいれば、クラスが荒れてしまうことは稀ではない。また、何も知らない、他校からの転入教師に押しつけてしまうことも、実際によく行われている。結果はいうまでもない。
 だが、こうしたことで、クラスに問題があるから、評価をさげるなどということが行われたら、公正な評価とは、誰もが思わないだろう。
 
 つまり、教師の評価は、ものすごく困難な作業なのである。
 極端にいえば、日常的な教師活動を評価して、昇給や昇格に影響させることなど必要ないとも考えられる。だから、戦後のある時期まで、教師の勤務を評価することは、していなかったのである。しかし、全く教育的な要素とは異なる理由で、勤務評定が導入され、戦後最大ともいわれる文部省と日教組の闘いの場となってしまった。
 私は、大学の教養学部のときに、石田雄の演習をとることができ、そこで、各人がテーマをたてて報告することになったので、愛媛勤評闘争を報告したことがある。何度も、新聞研究所にあった当時の愛媛新聞をずっと調べて、詳細な事件の推移を調べた。著作もたくさんあったから、それらも読んで、私なりによく調べた報告だったと思う。
 もちろん、こうしたことに関心をもっている人には、周知のことだが、日本で最初に教師の勤務評定を導入したのは、愛媛県であり、その理由は、財政問題の解決のためだった。1950年代は、地方財政が苦しい県がたくさんあり、ある基準を超えると、財政破綻したと認定され、厳しい条件が課されることになる。倒産しかかった企業が、公的便宜を受ける一方、外部の人が任命された管理組織によって、再建をめざすことになるのと同じである。近年は、ほとんどないが、夕張市がそうした認定を受けて、最近再建に取り組んだ。
 財政再建団体になった愛媛県は、きびしく財政支出を抑制することを義務付けられた。そして、そのひとつの手段として、教員給与の減額を決めた。一律に減額する方法もあったが、愛媛県は、カットする教師としない教師にわけて、3割の教師だけカットすることにしたのである。もちろん、全員一律よりは、カット額が大きくなる。そして、次にその3割をどうやって選ぶか、そのために、勤務評定をすることにしたのである。(つづく)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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